深川あやかし綺譚 粋と人情とときどきコロッケ

「うー……くらくらする……」

 ふらふらになりながら、衛は瑞葉を連れて家へと戻った。

「ただいまぁ」
「おや、どこまで行ってたんだい。……どうした、具合でも悪いのかい」

 玄関先に迎えに出たミユキは衛の顔色を見て眉を寄せた。

「いやぁ……なんだか眠くて……」
「そりゃあ、その腕輪の力に振り回されているんだろう。とっとと横になんな。夕飯はあたしが仕度するから」
「そうさせて……貰います……」

 衛は二階に上がって、横になるといびきをかいて眠ってしまった。瑞葉は二階を見つめながら首をかしげた。

「ミユキさん、瑞葉はなんともないよ」
「まああんたのはだだ漏れなのを抑えているだけだから。それにしても朝はケロッとしていたのにねぇ。あんたのパパは鈍いのかね」
「うーん、そういう所もあるかな」

 ミユキと瑞葉のそんな会話も知らずに衛は深い深い眠りに落ちていた。


 ――翌日、衛は瑞葉を連れて子供服を買いに近所のショッピングモールへ行っていた。瑞葉の着替えがそろそろ着きそうだったのだ。

「かわいいのあって良かった!」

 瑞葉は新しい洋服を買って貰ってご機嫌である。

「梨花ちゃんも花柄が好きなの」
「その梨花ちゃん、今度うちに連れておいでよ。そんなに仲が良いなら」
「いいの?」
「ああ」

 瑞葉をそう会話しながら、衛は首をごりごりと回した。昨日変な格好で寝てしまった所為で、首の筋をいわしたらしい。

「あっ、パパお祭りだよ」

 瑞葉が黄色い声を上げる。お祭り……? といぶかしげに衛が瑞葉の指さす方を見ると、富岡八幡宮の境内に露店が並んでいた。

「ああ、これは骨董市だよ」
「こっとう……?」
「古い物の事だよ」

 瑞葉にはまだ早かったかな、と衛は言いながらも八幡様の間を通って帰る事にした。店頭には、着物や器に貴石、蹄鉄なんてのも並んでる。

「このボタンきれい」

 瑞葉はしゃがんで古いボタンを眺めている。

「パパ、パパ!」
「うーん、どうした? 欲しいのか」

 ボタンくらいなら買ってもいいかな、と衛がそっちに視線をやると、瑞葉はいつの間にか青い花柄のワンピースの女の子と一緒に居た。

「瑞葉?」
「パパ、お客さんだよ!」
「……え?」

 まさかコロッケ買いに来たわけじゃないよな、と衛は思った。という事はこの女の子は人外のあやかしという訳である。

「私は藍と申します。お願いがあってよろず屋さんに伺ったのですが留守だったもので」
「ちょっと買い物に出てました。こんな所で相談事もあれですから家の方へ」

 衛は歩きながら『藍』と名乗った少女を観察した。見た感じは十代後半、以上に色が白い以外は普通の少女に見える。

「それじゃあ、ちらかってますけど。どうぞ」

 衛は少女を居間に案内した。少女は珍しげにキョロキョロとあたりを見渡している。
ミユキはどこかに出かけたのか、肝心な時にいないなと衛はひとりごちた。

「飲み物、お茶かコーヒーかどうします?」
「あ、きれいなお水で……」
「……? じゃあミネラルウォーターで」
「瑞葉はリンゴジュース!」
「はいはい」

 衛は台所の冷蔵庫からペットボトルを取りだして、コップに注いで二人に出した。

「くー、うまい」
「……冷たい、おいしい……」

 仕事帰りの親父のような事を言っている瑞葉と、対照的にまるでお茶のお手前のように優雅に水を飲む少女。

「瑞葉、お行儀が悪い」
「はぁい」

 つい衛の口から、小言が出る。瑞葉は口を尖らせて不満そうに生返事をした。

「あの……そろそろこの姿もつらいので元の姿になってもいいでしょうか」

 水を飲み終えた藍は申し訳無さそうに衛と瑞葉に言った。衛はこれも変化の術かなにかなのか、と初めて気が付いた。

「ああ、どうぞ。これは気が利きませんで」
「いえ……では、失礼」

 目の前の藍の姿が揺れて霞みのようになったかと思うと、次の瞬間そこにあったのは青い花柄の染め付けの皿だった。ちょっとモダンな雰囲気がある。

『これが私の本当の姿です。大正の頃に伊万里で作られた皿の一つです』
「皿がしゃべった……」
『器物は長い年月を経ると魂を持つそうです。いわゆる付喪神、というものですね』
「はぁ……大正から、だから大体百年位か」
『はい。私が魂を持ったのも最近の事で……お恥ずかしい事に人型になれる時間も限られてまして』

 不思議な事にその皿は、先程の清楚な少女の雰囲気そのままである。衛は自分の愛用の大相撲マグカップがもし百年たったらどうなるんだろうとふと考えた。

「それで、ご用件はなんでしょう」
『それが……私には弟と呼ぶ存在が居るのです。私と対になる皿なのですが……今までずっと一緒に居たのに、急に姿を消してしまったのです』
「それは……どっかに売られてしまったとか?」
『そうかもしれません……でも、百年も一緒にいたのに今更バラバラだなんて……』

 藍のさめざめ泣く声が聞こえ、皿の表面に水滴が浮かび上がった。

「そうですよね……バラバラは嫌ですよね」

 衛は、不憫な様子の藍に心底同情した。それは瑞葉も同じだったのか、衛の腕を引っ張ってこう言った。

「ねーねー、瑞葉達でさがしてあげよう?」
「うん。藍さん、俺達でその弟さんを探してあげますよ」
『ああ、うれしい。ありがとうございます。この姿ではあちこち動けず、人の姿をとれる時間も限られていて難儀しておりました……!』

 衛と瑞葉が藍の弟探しを手伝う事を了承すると、青い皿から白い手がにゅっと伸びて衛の手を掴んだ。

「~☆&%/$!!」
 そのひやっとした感触に衛は驚いて声にならない声をあげ、スッ転んだ。

『ああ、驚かせてしまいましたね』
「ははは……少し、ビックリしました……」

 あやかしを相手に商売をするという事は、今後こういう輩と付き合っていかなきゃならないのだろうと、衛は内心で冷や汗をかいていた。
「それで、弟さんの特徴は?」
『私と同じ青い染め付けの皿で、鳥の絵が描かれています。名は翡翠と』
「ほうほう……それで藍さんは今どこにおられるんですか」
『蓬莱屋という骨董店におります。日曜日はこちらの骨董市に出ているのですが……今頃探してるでしょうね』

 藍はなんだか人事のように言った。付喪神にとって、店は家のように感じる場所では無いようだ。

「それじゃあ、その蓬莱屋さんをまず訪ねましょう」
『はい、それでは……』

 藍は再び少女の姿に変化した。ちょっと目立ちすぎると感じた衛は二階に昇り、穂乃香の黒い日よけ帽を持ってくると藍に差し出した。

「これを被っててください」
「あら、いいんですか……似合います?」

 藍は黒い帽子を被って衛に見せた。似合っている、が別にオシャレの為にかぶせた訳では無い。衛は失礼、と断って顔が見えないように深く被り直させた。

「とりあえず行ってみましょう」

 衛達一行が再び境内に戻った時には、十五時の終了時間に向けて店じまいがぼつぼつとはじまっていた。

「蓬莱屋ってのはどこでしょう」
「あそこです……」

 うつむき加減の藍が指さした先には、小太りの老人が店番をしていた。ふむ、と呟いて衛は蓬莱屋に近づいた。

「ふーむ」

 客のふりをして品揃えを見て回る。展示してある商品は、陶器や鉄瓶などの食器が多い。

「これは何ですか?」

 衛がガラス瓶を指さすと、店主は片目を開けて答えた。

「そりゃ、目薬の瓶だよ。昔はこんなだったんだ」
「へぇー……そうだ、ここに古い皿とかないですかね。自分、料理人でして……」

 嘘は言っていない。ただ今は売れない総菜屋なだけで。

「それならこの辺だよ」
「青い皿がいいんですがね、イタリアンなんで……トマトソースが映えそうだ」
「そうだなぁ……そう言う皿なら……あれ、一枚あったと思うんだがどこ行った」

 蓬莱屋の店主が箱を漁るが当然、藍は衛の後ろで瑞葉と待機しているので見つかる訳が無い。

「あーあ、見つからない……先週も同じ様な皿が売れたんだけどね。今度仕入れて置くよ」
「先週も売れたんですか……やっぱり俺みたいな料理人でしょうかね」
「どうだろうね、地元の人っぽかったけど……」

 藍の弟、翡翠はこの店がら売られたようだ。

「また来週も来るからさ、そんとき来てよお兄さん」
「はい、ありがとうございました」

 衛はもうこれ以上、情報は取れないと判断して引き下がった。後ろで待っている藍と瑞葉の所へと戻る。

「あの店からどうも売られたみたいだな。この深川付近の家にあるかもしれん」
「パパ、たんていみたい。すごい!」

 瑞葉の賛辞に思わず鼻の下が伸びそうになった。しかし、藍の表情を見てすぐに顔を引き締めた。

「そんな……この街にいるなら気配くらい感じられるはず……」

 そういって藍は涙をぽろぽろと流した。

「まさか、捨てられちゃったんじゃ……」
「ま、まだそうと決まった訳じゃないし……そうだ、とりあえず家に戻ろう」

 泣きじゃくる藍を連れて、衛と瑞葉が家に帰るとミユキが帰って来ていた。

「おや、随分買い物に時間がかかったじゃないか……とそのお皿のお嬢さんはなんだい」
「あ、お客さんです。藍さん、こちら俺の義母のミユキさん。ここの家主だよ」
「ああ、貴女が……すみません、お婿さんを勝手に連れ出したりして」

 藍が可愛そうな位小さくなって、頭を下げた。

「で、どうなってるんだい。状況を聞こうじゃないか」

 衛はミユキに藍の身の上と弟を探している事を伝えた。ミユキは難しい顔をして、顎に手をやった。

「うーん、この子の弟ねぇ……私でも気配がたどれないね」
「そうですか……」

 再び気落ちした様子の藍の手を瑞葉が握った。

「大丈夫、どっかにいるよ」
「そうでしょうか……」
「とりあえず、今日は泊っていきなよ。明日からまた探すから」
「はい……」

 衛は藍を少しでも安心させようと、腕を捲った。

「夕飯も腕によりをかけて作っちゃうからさ」
「あ、付喪神はものを食べないんです」
「えっ、そうなの」

 衛は心底がっかりした。料理人にとって飯で人を元気にするのは生きがいだからだ。

「あ、あの……」

 すると、藍がほんのりと頬を染めて声を上げた。

「その代わり、というか……料理を盛っていただけないでしょうか」
「へ? それって皿として使うって事?」
「はい、器物にとって最も嬉しいのは本来の使い方をされる事なのです」

 そう言って藍は元の皿の姿になった。そうか、それで元気になるのならと衛はその皿を手に取った。

「……よし、まかせとけ」
『はい、よろしくお願いします』

 衛は、冷蔵庫から牛もも肉を取り出すと粗く刻み、タマネギとセロリ、にんにくもみじん切りにした。
 鍋にオリーブオイルをたっぷりと注ぐと刻んだ野菜を炒める。野菜がほんのり透き通ってきたところで刻んだ牛肉を入れる。じゃわーっと音が立ち、肉の焼けるいい匂いが漂った。
そこに赤ワインとトマト缶を入れ、香辛料を入れて塩胡椒をする。

『ああ……すごい……』

 藍が衛の手際の良さに感嘆の声を漏らした。

「あとは煮込むだけ……その間に」

 衛はサラダと鯛のカルパッチョをさっと作ってテーブルに並べる。そして太めのパスタタリアテッレを沸かした湯で茹で、先に鍋に仕込んだラグーソースと一緒にからめる。

「それじゃ、藍さん。出番です」
『は、はい』

 衛は藍の中央にこんもりをパスタをのせ、ソースを上から足す。そしてパルメザンチーズを惜しげもなくかける。
 藍のブルーの色調に赤みがかったソースとチーズの白が美しい。

『ああー……素敵です……衛さん……』
「どうだい元気でたかい」
『はい、とても』

 その日の夕食は衛お得意の本格イタリアン。瑞葉は素直に喜んでいたが、ミユキは微妙な顔をしていた。

「あたしの晩酌用に買っておいた刺身なんだけどねぇ……まぁ美味いけどさ」
「藍さんの為ですよ」
「ふう……とりあえず、地元の数寄者にでも聞いて回るかね、でないとあたしのつまみがどんどんなくなっちまう」
『ミユキさん、ありがとうございます。どうかよろしくお願いします』

 そんなミユキに藍は丁寧にお礼を述べた。

 次の日、ミユキは近所の骨董好きに聞き込みに行った。彼女が帰ってくるまでヒマなのだが店を一応開いてはいるので藍と衛は店番をしていた。

「今まで、君たちはどうしてたんだい」
「伊万里の工房で産まれて、とあるお家に迎えられました。しかし、主人が亡くなって次は世田谷の息子の家に迎えられました。その息子も亡くなると、今度は古道具屋に売られたのです。それが蓬莱屋です」
「そうか、随分長く愛用されていたんだね」
「ええ、とっておきのご馳走を沢山盛って貰いました。そうそう、誕生日ケーキを乗せてもらった事もあるんです」

 衛には付喪神の価値観は分からない。ただ、その思い出を語る藍の表情を見ていると、とても嬉しかったんだと分かる。

「瑞葉にも物を大事にするように教えないとな」

 ペットボトルに、紙皿、プラコップ、シャープペンシル。便利だけれど、百年は使えない。自分の寿命を超えた先に残る物に衛は思いをはせた。

「帰ったよー」
「どうでした!?」
「いいや、カラ降りだ。最近皿を買ったって人間は居なかったよ。それにねぇ、大正時代の伊万里じゃ相当いい物で無い限り六、七千円だってさ」
「つまり……?」
「好事家がわざわざ買うようなものでもないって事だね」
「じゃあ、普通の人が買ったのかー……」

 深川だけでも何人の人が住んでいるんだろう、それを手がかり無く探すのは無謀に思えた。
 衛がとミユキが頭を抱えている所に、瑞葉が小学校から帰ってきた。

「パパ、お皿見つかった?」
「いいや……」
「ねぇ、もしかしたら瑞葉がみつけちゃったかもって言ったらどうする?」
「何? 見つけたのか!? そしたらおやつはプリンだ」
「ほんと! あのねぇ、梨花ちゃんの家の前の茂みから変な声が夜な夜な聞こえるんだってー。瑞葉それが藍さんの弟さんじゃないかと思うの」

 そわそわと褒めて貰いたそうに身をよじりながら瑞葉は言った。

「瑞葉……すごいぞ……」
「やったね、お手柄だよ! さすが穂乃香の子だね」
「うんうん。あと、そろそろ梨花ちゃんをうちに呼んだ方がいいぞ」

 これでお手上げだった捜査に光明が見えた。

「それじゃあ早速行きましょう。瑞葉、案内を頼む」
「おやつはー?」
「解決してから!」
「ええー」

 不満そうな瑞葉を引き摺って、案内してもらったのは八幡さまの裏にある小さな社だった。

「こんな所に池が……おい瑞葉、一人で来ちゃだめだぞ」
「本当に過保護だねぇ、この子は大丈夫だよ」
「ミユキさん、注意一秒怪我一生ですよ」

 やいのやいのと衛がうるさい所為でいまいち緊迫感がないが、現場は鬱蒼とした緑に囲まれて、水場のせいかじめじめとしていた。

「おおーい、翡翠くーん」

 衛は大声で藍の弟の名を呼んだ。そんな衛にミユキはゲンコツを振り落とした。

「このバカ、迷子を探してるんじゃないんだよ。ほら、藍だっけ? この子に触れて似た気配を探すんだ」
「あっ、はい……」

 ミユキと瑞葉、そして衛が藍の肩に触れ、目を閉じた。それは小さな物音のような虫の音のようなかぼそい声。

『……だ……れ……』

 目を開いた衛と瑞葉は顔を見合わせた。そして声のした方へと駆け寄った。そこはまだ新しい、土を掘り返した跡があった。

「ここだ……ああ、スコップでも持ってくればよかったな」
「どいて下さい!」

 藍が駆け寄って、その白い手が汚れるのも構わずに土をかきだした。

「……皿だ」

 黒い土からのぞいた白い光。衛も一緒になって掘り返す。

「翡翠……!!」

 そして現れた皿の姿を見ると、藍はへなへなと座り込んだ。そこにあったのは二つに割れた鳥の絵皿だった。

「ああ、なんて事……」
『その声は姉様……? ぼくは夢を見ているんだろうか……』
「夢じゃ無いわ、貴方を探しにきたのよ」
『本当に……ああ、僕なんて事を……』

 泥にまみれたまま翡翠は泣き始めた。さめざめとした泣き声が緑の間をこだまする。

『僕、悲しくて……片一方だけになったのが悲しくて……いっそ死んでしまおうと身を投げたのです……まさかこんな形で姉様が探しに来てくれるなんて』
「馬鹿ね……私達はいつだって一緒だって言ったでしょう」

 藍の白い指が優しく翡翠の表面をなでる。その姿は慈しみ会う家族そのものだった。そしてしばらく翡翠をなでると、藍はすっと立ち上がった。

「衛さん、これで……私を割って下さい」
「なっ」

 藍の手には掌大の石が握られていた。

「翡翠はとても弱っています。きっとこのまま息絶えるでしょう。その時は私も一緒に行きます。ですからこれで私を割って供養して下さい」
「おっ、俺は料理人だぞ。皿を割ったら叱られるって相場が決まってる」
「ふふふ……最後に立派なご馳走を盛っていただいてありがとうございました」

 藍は儚く笑った。そして衛が石を手に取らないのを見て、自ら手を振り上げた。

「ちょっと待った!」

 その時、声を上げたのはミユキだった。怖い顔をしてズカズカと近づいて来る。

「はーあ、あんたらあやかしの美学ってやつはねぇ……まぁ、好きにしてくれりゃいいんだが。要するに二人が一緒にいられればいいんだろ?」
「ええ、まあ……」
「あたしに考えがある、衛ちょっとこっちおいで」

 急に呼ばれた衛が近寄ると、ミユキは耳打ちをした。

「えっ、今からですか」
「とっとといっといで! でないとこの皿達が心中しちまうよ!」

 弾かれたように衛は、駅へと走って行った。

「パパどうしたの? 瑞葉のおやつは?」
「ちょっとお使いを頼んだのさ。あたしに考えがある。藍! ちょっとばかりこのばばあに時間をおくれ」

 そして大汗をかいて衛が買ってきたのは、金継ぎの初心者用キットだった。

「昔の人は偉いね。こうして物を壊れても大事にするんだから」

 説明書を読みながら、ミユキが苦労して翡翠の真ん中に走ったヒビを埋めていく。

「それに以前より美しく、味があるなんて粋だねぇ……」

 ――一週間後、そこには金継ぎで見事に蘇った翡翠の姿があった。一本の筋はまるで木の枝が何かのように見える。

「翡翠……」
『姉様』

 姉の名を呼びながら金継ぎをした翡翠が人型をとる。そこには、藍によく似た色の白い美少年が立っていた。

「よろす屋の皆様、ありがとうございました。僕の軽率な行動でご迷惑をお掛けしました」

 そう言って顔を上げた翡翠の左の目は金色に光っていた。
「それじゃあなんだい。料金も決めずに仕事を引き受けたのかい」

 不機嫌そうなミユキを前に衛は身体を縮こまらせていた。

「は、はい……」
「ったく、どこの世界に金を貰わずに仕事するヤツがいるんだい」
「申し訳ないです……」

 ミユキの小言にますます小さくなる衛を見て、藍も頭を下げた。

「あの、私も翡翠の事で頭が一杯で……」
「あんたはどう支払うつもりだったんだい」
「その時は自分を売って貰おうと……」
「それじゃ赤字だよ! あの金継ぎのキットいくらしたと思うんだい」

 ミユキはレシートを藍の目の前に突きつけた。

「そ、そうだうちで店番して貰えばいいんじゃないかな」
「こんな寂れた店に店番なんかいらないだろ」
「た、確かに……」

 ミユキの言う通り、衛がいるだけで十分である。それ以上妙案が浮かばなそうな衛を見て、ミユキはため息混じりにこう提案した。

「仕方ないね、知り合いの店で働かせて貰えないかどうか頼んでみるよ」
「本当ですか?」
「付喪神にマイナンバーはないだろうしね……融通が利くところを探してやるからそこで働くんだよ」

 その提案に藍と翡翠は大きく頷いた。

「はい!」
「姉様が働くなら僕も!」

「あのー、あんまり変なとこはやめて下さいね……」

 衛は不安そうに口を挟んだ。実年齢は百を超えていたとしても、見た目は儚げな美少女と美少年なのだ。

「考慮しておくよ」

 そう言ったミユキが探して来たのは、屋台の店番の仕事だった。二回程、二人がソースせんべいの屋台を手伝って、今回の依頼は完了した。

「いい客寄せになったみたいじゃないか」

 二人の働きぶりを店主から電話で聞いたミユキは二人にねぎらいの言葉をかけた。

『客商売って大変なんですね……』
『疲れました』

 一方、人にあてられて疲れた二人は皿の形に戻ってぐったりとしていた。そこにまたもミユキが冷や水を浴びせる。

「で、あんたたちこれからどうするつもりだい」
「え……」

 そう、この二人には行き場所が無い。下手に元の骨董屋に戻れば、またバラバラになるかも知れない。翡翠に至ってはもしかしたら捨てられてしまうかもしれない。

「ミユキさん、どうかここに置いてもらえませんでしょうか」

 藍は三つ指をついてお願いをした。続いて翡翠も懇願する。

「お掃除や洗濯物を手伝います! どうかお願いします」

 二人の必死な様子に、衛も同情して加勢した。

「ミユキさん、ほらお皿ですし……食費もいらないし場所も取らないじゃないですか」
「うちはあやかしの孤児院でも保養所でもないんだよ? まったく……」

 ミユキは文句を言いながらも、ようやく二人を受け入れてくれた。こうして氷川家は二人のあやかしとともに生活する事になったのである。

「あたしも甘っちょろくなったねぇ……」

 瑞葉と洗濯物を畳む二人のあやかしの姿を見て、ミユキは薄く笑いながら階下へと降りていった。



 そして土曜日。衛は付喪神達が瑞葉とトランプで遊んでいるのを良いことに雑誌を読んでくつろいでいた。そこに瑞葉がやって来た。

「パパ、今度こそプリン作って!」
「ん、ああこの間は悪かったな。でもあとでコンビニで買ってきたじゃないか」
「パパの作ったのがいいの!」

 衛がそう言うと、瑞葉はかんしゃくを起こして地団駄を踏んだ。

「なんだ、どうした」
「梨花ちゃんが食べたいって言うから……」
「それならそう言えばいいのに、いいよ作ってあげるよ」

 この家でお菓子を作った事がないので、衛は留守番をあやかしと瑞葉に任せて財布を手に買い物に出かけた。

「卵と、牛乳とレモンにバニラエッセンス……」

 衛の作るプリンとはイタリアのデザートクレームカラメルの事だった。オーブンで湯煎蒸しにしたどっしりとしたプリンである。

「おかえりなさいっ」
「ああ、でも一時間半くらいかかるからな」

 衛ははしゃぐ瑞葉に釘をさした。買ってきた物をテーブルに広げていると、藍がやって来てじーっと見ている。

「今回は君たちの出番はないよ。プリン型に入れるんだから……あ、プリン型って持って来たっけ……」
「どうやら無いようですよ?」

 藍は付喪神の力で分かるのか、あたりを見渡してそう言った。

「仕方ない、グラタン用の耐熱皿で作るか……」
「そしたら、大きいお皿も要りますよね?」
「……その時は頼む」
「はい」

 藍は、鼻歌でも歌い出しそうな様子で頷いた。それを羨ましそうに見ているのは翡翠である。

「……いいなぁ。僕は欠けてるから……」
「ああ、もう。お前に乗せる分も作るからじっと待ってろ!」

 衛はデザートプレートを作る事にした。瑞葉のパンケーキ用の粉糖とチョコソースは幸いある。

「ちょっと、君たちついでのお使い頼む。ミントと冷凍のベリーミックスを買って来てくれ」
「ミント……?」
「冷凍ベリー……ミックス?」

 骨董屋で過ごしていた姉弟にはどうやら通じなかったらしい。

「ほら、このメモ持ってスーパー行けば分かるから!」

 衛はようやくお皿達を台所から追い出す事に成功した。

「さて、と」

 衛は片手鍋に牛乳とレモンの皮を剥いて入れ火にかける。ふつふつした所で火を止めて、今度はカラメルを作る。砂糖水が色づくまで煮立てて、それをグラタン皿に移す。
 さらにボールに卵。砂糖、バニラエッセンスを入れて泡立て器でさっと混ぜ、こし器を通しながらグラタン皿に移した。そして温めたオーブンで湯煎蒸しにして一時間、ようやくプリンの完成だ。

「藍、翡翠。皿の形になってくれ」
「はーい」

 どっしりした固いプリンに冷蔵庫にあったアイスを添え、ミントとベリーを散らす。粉糖をかけ回したあとに藍に「RINKA」、翡翠に「MIZUHA」とチョコソースで書いた。

「ふう……出来た」
「ただいまー! 梨花ちゃんつれてきたよー!」

 ちょうどタイミング良く瑞葉が帰ってきた。

「やあやあ、いらっしゃい。おやつ出来てるよ。あがって」

 そこに居たのは白いブラウスに赤いスカートの地味な印象の女の子だった。

「おじゃまします……」

 梨花は衛に頭を下げると、瑞葉に連れられて居間へと向かった。

「……ん? なんかどこかで会った気がするな……」

 衛は梨花の後ろ姿を見ながら、違和感を感じて呟いた。
「うわーっ、キレイ!」
「ふふん、お嬢様方、ドルチェ二種盛り、ベリーとチョコソースを添えてです」

 衛が椅子を引いてやり、少女達は席についた。

「プリンが丸くない……」
「ああごめんな、プリン型がなくてな」
「しかたないね。梨花ちゃん、これが丸くないけどプリンだよ」
「へぇ……」

 梨花はじっと皿の上を見つめて、衛に聞いた。

「この字はなあに?」
「ああそうか、まだローマ字読めないのか。いい? こっちが『りんか』、でこっちが『みずは』」
「わぁ、お名前を書いてくれたの?」

 梨花と瑞葉はプリンにスプーンを入れてさっそく口に運んだ。子供向けにカラメルはあまり苦くないように調整してある。

「うーん、パパのプリン美味しい」
「プルプルしてて卵焼きみたい」
「そうだな、ゼラチンを使ってないから市販のプリンと違って卵の味が濃いと思うよ」

 続いて二人は、アイスクリームとプリンを一緒に食べた。瑞葉がじたばたと足をばたつかせる。

「はー、苦いのと甘いのを一緒に食べると美味しい!」

 小さい頃から色々と食べさせていた所為か、瑞葉の舌は子供の割に肥えている。

「アイスクリームまで……贅沢ですねぇ」

 梨花はしみじみとそう言った。さっきのプリンの時といい、リアクションが一々新鮮だ。

「もしかして、プリン食べた事なかったとか」
「あ、そうなんです。その話をしたら瑞葉ちゃんがご馳走してくれるって」
「そうなんだ……」

 今時プリンを食べた事がないなんて、よっぽど厳しい親なんだろうか。それとも……衛はある考えに行き着いて血の気が引いた。

「も、もしかして卵アレルギーとか!?」
「いえ、アレルギーはありません」
「そっか、よかったー」

 衛は胸をなで下ろした。ご馳走するのはいくらでも構わないけど、今度からは確認しないとなと衛は反省した。その横で、二人の少女はもりもりとおやつを平らげていく。

「ふーっ、おなかいっぱい!」
「ごちそうさまでした」

 瑞葉が満足そうに口を拭い、梨花は衛に向かって手を合わせた。なんだろう、さっきから漂うこの違和感は、と衛は思った。梨花の行動がどうも年相応でないというか。

「それではお礼にトイレ掃除をさせて下さい」
「へっ、いやいやお客さんにさせるわけには……」

 突然の申し出に衛は面食らった。トイレ掃除? 瑞葉も嫌がってやらないのに、と。

「そう……ですか……。あの、瑞葉ちゃんから何も聞いていませんか」
「いや、梨花ちゃんが来るとだけ……」
「あらやだ。瑞葉ちゃん、瑞葉ちゃんのパパは大丈夫だって言ってたじゃない」
「ん? 大丈夫だよ? 梨花ちゃんが人間でなくても」

 そこまで聞いて、衛は眩暈がした。梨花は人間ではない? という事は、瑞葉がずっと親友のように語っていたのは人外のあやかしの類いだったという事だ。別にあやかしの存在を否定する訳ではないが瑞葉の将来がちょっと心配になってしまう。

「では、キチンと自己紹介を、私の本当の名前は『花子』。梨花は瑞葉ちゃんがつけたあだ名です」
「だって、花子なんてねことかいぬみたいでしょー。今時っぽくないっていうかー」
「そして私の通称は『トイレの花子さん』……厠神の一種です」
「トイレの花子さん!?」

 道理でどこかで見た事のある気がしたのだ、と衛は思った。実際、衛が花子さんを見た訳ではないが、赤いスカートにおかっぱ頭というイメージがまさにそれだった。

「ここはあやかしのよろず屋でしょう? ですから私は何かお返しをしなければなりません」
「いやあ……そうだ、梨花ちゃんには翡翠を探すヒントを貰ったし、そのお礼という事で」
「翡翠……?」

 梨花が首を傾げると、テーブルの上の藍と翡翠が人型に変化した。

「あなたが翡翠の鳴き声を聞き取ってくれたのですか……!」
「おかげで姉様と再び出会う事ができましたっ!!」

 二人でまるで食いつくかのごとく、手を握り、頭を下げて感謝を捧げる。

「そんな、大した事してませんから」

 梨花は勢いに飲まれて居心地悪そうにしながらもそう言って頷いた。

「ってな訳で、トイレ掃除は今回はいいので」
「いや、アイスも頂きましたので遠慮なさらず」

 梨花が微笑みながら手を振ると、トイレのドアがばんと音を立てて開いた。

「穢れよ、ここから立ち去りなさい」

 そういうと、もわっと黒いもやのようなものが膨れあがり、トイレの窓がら出て行った。

「ほんのお礼です」
「は、はい……」

 衛はあっけにとられて、黒いものが飛び去った方向を眺めていた。

「本当にお礼したかったんです。瑞葉ちゃんは私とお友達になってくれたし……」
「梨花ちゃんが見えるの私だけみたいなのー」
「勘の良い子は声が聞こえたりするみたいなんですが、こうやって一緒に遊んでくれるような子はあまり居なくて……瑞葉ちゃんが転校してきてから退屈しなくなりました」
「そ、そりゃ良かった」

 衛の胸の動悸がようやく治まったのを見届けて、梨花は帰っていった。……学校の方向へ。

「あら、トイレの電灯取り替えたのかい?」
「ああ、いや掃除しただけです」
「ふーん……まぁいいさね。これくらい気合い入れて掃除するときっと良いことがあるよ。なんせトイレには神様がいるからね」

 外から帰ってきたミユキにそう言われて、それなら穂乃香が帰ってきますようにと衛はトイレに向かって拝んだ。
 今日も、総菜屋『たつ屋』の客足は芳しくない。衛はテレビを見ながらあくびを噛み殺しながら店番をしていた。

「ヒマそうだのう」
「あ……」
「宣言どおり来てやったぞ、どれコロッケは……なんだ3つしかないのか」

 そこに現れたのは葉月だった。肩には白玉が乗って辺りの匂いを嗅いでいる。

「他にメンチとかもあるけど……」
「ほう、これも美味しそうだ。なぁ、白玉」
「あ、猫にコロッケとかメンチカツあげちゃだめですよ。タマネギ入ってますから」
「そうなのか、では白玉が猫又になるまで待たなくてはならんな」
「とんかつならタマネギ入ってないですけど」
「ではそれも貰おう」

 葉月は大量に揚げ物を購入してお金を支払った。このお金はどこから来たんだろう、まさか葉っぱに化けたりしないよな、などと衛は考えた。顔に出ていたのだろう、それを見た葉月は鼻を鳴らして言った。

「これは稲荷の賽銭だ。心配するな」
「あっ、すみません……それにしてもそれ全部食べるんですか」
「揚げ物は好きだな。ほれ、人間と違って太ったりなんぞしなくていいからの」

 そりゃ羨ましいな、と近頃緩んできた自分のお腹の事を衛は考えた。

「おっ、ほら見ろ」

 葉月が急にテレビを指さした。やっているのはお昼のワイドショーのワンコーナーである。

「カレーパンですか」
「この店、ここから近いぞ。私も以前買いに行った事がある」
「へぇぇ、うまそうだな」
「うむ、なんせカトレアのカレーパンは正真正銘の元祖だからな」
「ほう」

 元祖といってもそれで美味いとは限らない、と衛が考えていると葉月はさらに続けた。
 
「具がたっぷり詰まっていて……うーん食べたくなってきた……」
「そのコロッケとかどうするんですか」
「そうだった。とにかく私のおすすめだ。今度行って見ると良い」

 そう行って葉月は白玉を連れて去っていった。

「カレーパンかー。そういえば近頃食べてないなぁ……」

 カレーパンの事を考えていたら無性にカレーパンが食べたくなってきた。確か葉月は近くだと言ってたな、と衛は携帯で検索してみた。

「森下……十分も歩けば着くか」

 出てきた情報によれば、一日三回の焼き上がり時間があるようだ。今なら十五時の焼き上がりに間に合う。

「ミユキさーん」
「なんだい、うるさいね」

 なにやら奥で内職めいた事をしていたミユキが、ひょこっと顔を出した。

「ちょっと出かけてこようと思うんですけど……なにしてるんですか」
「これはあやかしにあてられた人間を守る護符さ。あんたが頼りないからあたしが稼いどかないとね」
「すみません……」
「いいさ、何かしないとボケちまうし。で、どこに行くんだい」
「森下のカトレアってパン屋さんに」

 ミユキの目がほう、と細くなった。

「カトレアのカレーパンだね……そういや最近食べてないね……」
「じゃあ、明日の朝ご飯用に3個買ってきます」
「いや……六個買って来な」
「多くないですか? まぁ、いいですけど」

 ミユキの承諾を得て、衛は森下へと向かった。プラプラと通りを歩く。道は広くてキレイなんだけど、こんな所にパン屋なんてあるのか、と思っている所にその店はあった。

「カトレア、ここだ」

 早くも行列が出来ている。衛はその列の最後尾に並んだ。

「三時の分焼き上がりましたー」

 という店員の声に列に並んでいる客はそわそわしだす。香ばしいいい匂いが漂ってきた。

「これは美味しそうだ」

 じっと順番を待って、ようやく自分の番がやってきた。

「何個ですかー」
「あっ、六個お願いします」
「はーい」

 そう言って、詰めてくれたパンはどっしりと重たかった。それにしても衛からしたら羨ましい盛況ぶりである。

「うちも何か名物があればいいのかな」

 いまだ、『たつ屋』の繁盛を諦めていない衛であった。


 自宅に帰ると、瑞葉も学校から帰って来た所だった。二人を前にカレーパンを広げると、ミユキも瑞葉も顔を輝かせた。

「おお、揚げたてだね」
「ええ、まだちょっと温かいです」
「はやく食べようー」

 結局そうなるのか、と衛はため息を吐いた。

「楽しそうね」
「僕ら食べられないのが残念だね」

 藍と翡翠はそう言いながら、ミユキと瑞葉の喜びようを見ている。

「じゃあ、せっかくだから頂きますか」
「はーい」
「瑞葉のは甘口のやつな」

 今日のおやつは揚げたてカレーパン。三人それぞれ、パンに食らいついた。ざくっとした衣を噛むと中から具が溢れてくる。惜しみ無く入れられたカレーは懐かしい味付けでとても美味しい。

「うーん、揚げ油は植物性かな」

 サクサクと軽く揚がったパン生地をつまみながら、衛がつぶやく。噛むほどにしつこくない油の旨味とカレーのスパイシーさが襲ってくる。

「これこれ、他のパン屋は具が少なくてねぇ」

 ミユキも満足そうに頷いた。

「もう一個いい?」

 ペロリとカレーパンを平らげた瑞葉が手を伸ばすのを衛がしかる。

「それは朝ご飯の分! デブになってもしらないぞ!」

 その様子を見ながら、藍と翡翠はまた残念そうに呟いた。

「ああ、せめて明日の朝乗せて貰えるといいわね」
「そうだねぇ」

 そんなあやかしの呟きなどものともせず、三人は元祖カレーパンを堪能した。
 さて梅雨間の快晴の日曜日、衛はたまった洗濯物と格闘していた。

「ほれ、これ干しといて」
「はい、衛さん」

 藍はそんな衛を手伝っている。そして翡翠は宿題をする瑞葉を興味深げに覗き込んでいた。

「あさごはんをたべる……あ、線が一本足らないんじゃない?」
「もう、翡翠くんはあっち行ってて!」

 瑞葉はちゃちゃを入れてくる翡翠を邪険に振り払っている。

「もう干すとこないな、こりゃ……コインランドリーにでもいかなきゃか」

 残った洗濯物を手に衛はコインランドリーに赴き、乾燥だけして戻って来ると来客があった。

「衛、どこ行ってたんだい」
「ちょっとそこのコインランドリーに。お客さんですか」

 衛が居間を覗くと金髪のギターを持った若い男が座っていた。ミユキが客というからには人間じゃないんだろうが、あやかしってイメージじゃない。

「どうも、俺は鍋島。よろしく」

 金髪の男が短く挨拶をした。人好きのする雰囲気の鍋島だったがその目は裸眼で緑色で、やはり人ではないのだと衛は確信した。

「こちらの鍋島さんは猫又でね、今年で生まれて五十年のベテランさんだ」
「はぁ……」
「いや、そんな固くならないで欲しい。めでたい事だからな」
「めでたい……?」

 衛がいぶかしげにそう言うと、鍋島はにこにこと笑顔で答えた。

「いやあ、蓄えがある程度できてな。ここらで俺も所帯を持とうと思って」
「蓄え?」
「ええ、これで」

 そう言って、鍋島はギターを手に取った。

「弾き語りってやつだ。昔は三味線で弾き語ってたんだが今時はこれだろう」
「へー」
「この鍋島さんがね、お見合いが成立したら十万円払うってさ」

 ミユキがにまにましながら衛に耳打ちをした。単価十万円の仕事。こりゃ確かにおめでたい。

「それじゃあ、次の大安の日に」
「ミユキさん、あんたは腕利きのよろず屋と聞いた。頼みますよ」

 そう言いながら、鍋島がくるりとバク転すると煙が上がりそこには金茶の縞模様の猫がいてギターは跡形も無く消えていた。猫はにゃーと一声鳴くと八幡様の方向に走り去って行った。

「さて、お嫁さんを探さないとね」

 それを見届けて、ミユキはうきうきとしながら二階へと去っていった。



「そして、我々を頼ってこられたと……」

 衛とミユキは白玉の両親、この一帯のボス猫とその妻に鍋島の見合い相手を頼んでいた。

「こちら、依頼料の鰹節です」
「これはかたじけない」
「それでどのような猫、いや猫又がご希望なので」

 生真面目な様子で、黒猫がミユキに問いかけた。

「素直で健康であればよろしいとの事です」
「では我々に混じっている猫又にその旨伝えましょう」

 猫の夫婦はそう言って、鰹節を抱えて去って行った。そして来たる大安の日、『たつ屋』にてお見合いの準備が進められていた。そわそわと待っている鍋島は不安そうに衛に聞いた。

「俺、どこか変じゃないだろうか」
「いいえ、雑誌から抜け出したようです」
「そらそうだ。雑誌を丸写しにして変化したんだもの」

 あやかしとは便利だな、と衛は思った。それじゃあ被服費もいらないのかと。

「嫁さんを貰ったら、家を買って白い犬を飼うんだ」

 これまた古風な家庭像である。しかし、実年齢は五十を超えるというのだからそれも仕方の無い事なのかもしれない。

「それじゃあ、お相手さんが来たのではじめましょうか」

 鍋島の要望で、秘匿性の高い『たつ屋』の居間でお見合いは行われる。あやかし同士、多少くつろいでもここなら人の目も無い。この日の為に居候の付喪神、藍と翡翠は徹底した掃除をさせられていた。

「は、はい」

 鍋島はミユキの声がけで、改めて正座をし直した。

「ではこちらが、サダさんです」
「どうも、鍋島と申します」

 居間に通されたのはふわふわとした茶の髪色の女性……猫又である。

「よろしくお願いします」
「あの、こちら鰹節の出汁です」

 衛がお茶……では無く出汁を二人に出した。

「それじゃああとはお二人で……」

 そしてそそくさと居間から出て行った。――ように見せかけてドアの前で聞き耳を立てていた。

「どうだい、うまく行きそうかい?」
「しっ……今、はじまったばかりですよ」

 ドアの所にはミユキに瑞葉、藍に翡翠まで勢揃いで事態を見守って……半分興味本位で待機していた。

「サダさんはお好きな食べ物はおありですか」
「鰹のなまり(・・・)なんかは好きですね」
「ああ、あれは美味しいですね」

 順調そうにお見合いは進んでいるようだ。茶猫の猫又のサダは鍋島に聞いた。

「鍋島さんはお住まいはどちらの方で」
「神奈川の山の方に住んでおります。いいですよ、自然が一杯で」
「まぁ、山。私はずっと人に飼われていたので街中でしか生活した事がありません」

 鍋島はそれはもったいない、と言って山を駆け巡る楽しさと野の野鳥を捕るコツなんかをとうとうと語った。

「サダさんにも是非チャレンジしてみて欲しいな」
「それは楽しそう」

 話はうまく弾んでいるようである。それを聞いてドアの外の一行は胸をなで下ろした。

「それで、うまくすれば家が一軒手に入りそうなんです。そこに一緒に住んでくれる方と所帯を持ちたいと思ってまして」
「まぁ、家を」

 サダは驚いて声を上げた。山の中とはいえ、持ち家を持つ猫又などそういない。

「そこで、白い犬を飼うのが俺の夢なんです」
「……犬?」

 鍋島が犬の話をしだした途端、場の空気が変わった。

「今、犬とおっしゃいました?」
「ええ、あいつらは単純だが気の良いやつらです。狩りの手伝いもしてくれますし」
「……犬だなんてとんでもない!! 私は猫ですよ!!」

 サダは犬を飼うという提案を大声を出して否定した。

「私、小さい頃に吠えつかれてから犬が大嫌いなんですの……申し訳ないですけれど、この話は無かった事に……」
「ええっ……」

 そして鍋島を一人残して立ち去ってしまった。途端、居間のドアが大きな音を立てて開かれる。

「ちょっと、犬なんかあきらめりゃいいじゃないか」
「さっきまで良い感じだったじゃないですか」

 ミユキと衛に問い詰められて、鍋島はだらだらと冷や汗を流す。

「いや、その、犬を飼うのは俺の夢で……」
「ああ、また探し直しだ!」

 衛は頭を抱えた。どうやら風向きはよろしくない方向に向かっているようである。
「ごめんなさい……やっぱり犬を飼うのは無理です……」

 そして黒猫の猫又が立ち去った時、鍋島は地面を叩いた。

「どうして……みんな!」
「鍋島さん、犬を飼うのはどうしても譲れないですか」

 崩れ落ちる鍋島に衛が気の毒そうに声をかける。

「大好きな歌の歌詞に出てきて……歌おうか」
「結構です」
「それにしても、どいつもこいつも勝手な事ばかり……」

 そう、鍋島が玉砕したのは初日と今日だけではない。すでに五人の猫又にお断りをされていた。それでは、彼女たちの言い分を聞いてみよう。

三毛の猫又 さゆりさん
「都会暮らしが長くて、今更山で暮らそうと思えません」

アメリカンショートヘアの猫又 アリスさん
「男らしさをはき違えてる気がするわ。とにかく生理的に無理」

サビの猫又 小麦さん
「年老いた両親のそばを離れて生活したいと思いません、今回はご縁が無かったという事で」

キジ虎の猫又 ももさん
「やっぱり、犬と生活するのはおっかなくて……猫又になったからには面白楽しく暮らしたいですから」

 鍋島の脳裏に浮かぶ数々の断り文句。鍋島は歯がゆくて頭を抱えた。

「思えばあっちは性格はキツそうだったし、こっちは毛並みが良くなかった……」
「ねー、やっぱり犬は諦めましょうよ。結婚生活には妥協も必要ですよ。これは既婚者からのアドバイスです」
「む? お前、伴侶がいるのか。一度も見た事がないが……」
「ああ、まあ……そう、出かけてるんですよ。出かけただけ……」

 鍋島のシンプルな疑問が衛に突き刺さった。出かけただけであればどんなに良かったか。

「さて、困った。この辺りの猫又にはもう声をかけてしまった。西の方の猫又にも頼むかね」

 ミユキも思案顔でお手製の猫又のリストを見ている。そこにボス猫夫婦がやってきた。

『西のボスに話を通すなら我らを介して貰おうか』
「ああ、もちろんさ。いい人を紹介してくれたら液状のおやつをつけてもいいよ」
『おお、噂のあれか……なるほど、承知した』

 打ち合わせを続けるミユキとボス猫夫婦を横に、鍋島はふらりと立ち上がった。

「あっ、どこ行くんですか?」
「ちょっと散歩してくる……」
「じゃあ瑞葉も!」

 衛と瑞葉は憔悴した鍋島の様子が気になって後を追った。歩きながら鍋島が呟く。

「なにがいけないんだろうな」
「だから犬じゃないですか?」
「本当に俺と一緒になりたかったら犬くらい我慢できるだろう」
「それもそうかも知れませんけど」
「逆に俺もどうしても一緒になりたい相手が居たら、犬くらい諦めるさ」

 ということはピンと来た相手は居なかったという事だ。鍋島は人もまばらな不動尊の境内まで来ると、ため息をついて腰を下ろした。

「すまん、つい息苦しくなって……」
「いいえ、きっといい人が見つかりますよ、頑張りましょう」
「ファイトだよ、鍋さん」

 瑞葉は鍋島の肩を慰めるように叩いた。

「なんだ、しけたつらをした男共だな」

 そこに話しかけてきたのは、出世稲荷の使いの葉月である。

「あ、葉月さん」
『あー、よろず屋のおじさん』
「白玉ちゃん!」

 瑞葉が嬉しそうな声をあげる。葉月の足下から姿を見せたのは白玉である。白玉は足腰もしっかりして少し小柄ではあるものの、もうほとんど成猫と変わらないくらいに成長していた。

「おー、白玉大きくなったな」
『こんにちは。そっちのおにいさんは』
「ああ、よろず屋のお客さんだよ」
『ってことはあやかしなのね』

 白玉は鍋島があやかしと分かるととてとてと近づいて行った。

『なんだか近い匂いがするわ』
「ああ、俺は猫又だからな。名は鍋島という」
『へぇぇーっ』

 すると、葉月が白玉を抱き上げてからかうように言った。

「そうだ、白玉の特技をこいつらに見て貰うといい」
『えーっ、まだ下手くそだよ?』
「私が手伝ってやるから」
『母様が一緒なら、白玉やってみる』

 そうか、と葉月が返事をして白玉を撫でると白い煙が辺りに満ちた。

「どうですか、おかしくないですか?」

 そこには白い着物に白い髪の十二歳くらいの少女がいた。こちらを見る青い瞳で白玉が変化したものと分かる。

「おお、すごいな。猫又でもないのに」
「白玉ちゃん、すごい!」
『母様と練習しました!』
「ふふ、どうだ。稲荷の加護で変化の術まで覚えたのだ。さすが我が娘」

 葉月は衛と瑞葉と鍋島に鼻高々に自分の養い子を自慢した。葉月はただ単純に白玉の成長を見せびらかしたかっただけなのだが、それで終わらない男が一人いた。

「……かわいい」
「本当ですかー。よかった」

 鍋島は惚けたように、白玉に向かって呟いた。褒められた白玉は単純に嬉しそうである。

「すごいかわいい。え、いくつ」
「まだ、8ヶ月です」

 衛はおいおいと鍋島に心の中で突っ込んだ。それではまるでナンパである。そして実年齢はともかく、鍋島の見た目は金髪の若い男であり、白玉は中学生くらいにしか見えない。

「まだ変化がうまく無くて、髪が白いままなの。これだと街中は歩けないって母様が」
「ああ、毛色を隠すのは大変だものな。俺は普段からこのままだ」
「へぇ、キレイな金色……」

 白玉が鍋島の髪を撫でる。お返しに、とでも言うように鍋島も白玉の髪をなでる。この絵面はちょっとやばいんじゃないの、と衛が思った瞬間けたたましいベルが皆の耳を襲った。

「なっなんだ!?」
「ロリコンがいたら-! これ鳴らせってー! パパがー!」

 騒音の元凶は瑞葉の防犯ブザーだった。

「わかった、わかったから音をとめよ?」

 衛はとりあえずうるさくてたまらないので瑞葉の防犯ブザーの音を止めた。そんな二人を鍋島と白玉がきょとんと見ている。一方白玉の保護者の葉月はどうしているかというと。

「ははは、鍋島殿。白玉が気に入ったか」

 そう言って、腹を抱えて笑っている。

「笑っている場合ですか……!」
「ふふん。まぁ白玉は美しい子だからな。目を奪われるのも当然だ」
「母様、ちょっと」

 白玉が恥ずかしそうに葉月の袖を引いた。そんな葉月に鍋島は問いかけた。

「そこな狐様が白玉の母御かい」
「そうだぞ、いかにも私が白玉の養い親だ」
「白玉を妻に迎えたいがどうか」

 その時、白玉が息を飲むのが聞こえた。頬を抑えた顔は真っ赤である。

「めんどくさいお姑様がついとるぞ」
「かまわん」
「私は白玉を遠くへ手放す気はないぞ」
「一向にかまわん」
「ふーむ?」

 衛は子供相手にふざけているのか、と思ったが鍋島の様子は至って真面目である。そして葉月もだんだんとその本気であることが分かったのだろう。からかうような口調はやがて真剣なものに変わっていった。

「のう、鍋島。白玉は見ての通りまだ子供だ。おぬし、他のおなごにうつつを抜かさずまてるか」
「無論、待てる」
「そうか、では白玉が猫又になった頃、また来るがいい」

 葉月は鍋島にそう条件をつけた。鍋島はその言葉に力強く頷いた。

「衛さん、俺は一度『たつ屋』に戻る。ミユキ殿に謝らなくては」
「えっ、あ……はい」

 鍋島はそう言い残すと、来た道を駆けていった。

「……いいんですか、あんな事言って。猫又になるのに二十年もかかるんでしょ」
「そうさの、白玉は稲荷の加護があるからもう少し早いと思うがな」
「……意地悪ですね」

 衛が責めるようにそう言うと、葉月は首をすくめて言った。

「まあ子供の恋路を邪魔するような無粋はしたくないのでねぇ」
「……はぁ? 白玉があの猫又に恋してるとでも??」

 衛が驚いて、白玉を見ると白玉は顔を真っ赤にして頷いた。それを見ながら葉月はこう付け加えた。

「知っておるか。猫は雌が恋をしてはじめて雄が恋をするのだぞ」
 いたずらっ子のように笑った葉月が姿を消した後、衛と瑞葉はその場に取り残された。

「ねー、つまりどういう事?」

 瑞葉がポカンとした顔で聞いてきた。衛はどう答えたものか、と思案して瑞葉にも分かりやすいように説明する。

「白玉は鍋島さんのお嫁さんになる約束をしたという事かな?」
「えー、白玉はまだ子供だよ?」
「大きくなったらって事だよ」
「そうかー。じゃあ蓮くんと瑞葉も結婚しよーっと」

 瑞葉は納得してくれたのはいいが、聞き捨てならない台詞を吐いた。思わず声を上げそうになるのをぐっと堪えた。ここで変な事を言ったら瑞葉との信頼関係が崩れかねない。

「瑞葉、結婚は大人にならないと出来ないから瑞葉も大人になるまで待とうな」
「うん、わかったー」

 衛は蓮君がどんな男の子なのか聞きたいのを我慢しながら、家路へと着いた。

「おかえり、お二人さん」

 家に帰ると、ミユキが不機嫌そうに出迎えてくれた。

「ミユキさん……怒ってます……?」

 恐る恐る、衛がお伺いを立てると、ミユキは噛みつくように返答した。

「怒ってないよ! まぁ事故みたいなもんだしね。それに一応鍋島も金は払うって言ってるんだし」
「それじゃあ……」
「ただね! 成婚の後に支払うって……それじゃ、あたしゃ生きてるかどうかも分からないじゃないか……!!」

 単価十万円の仕事は支払いが随分先になるみたいだ。ピリピリしたオーラを放つミユキから逃れて、『たつ屋』の店頭に衛は逃げ出した。

「にゃー」
「お?」
『どうも、こんにちは』

 そこに居たのは白玉の実の母猫だった。

『白玉の嫁入り先が決まったとか』
「あ……はい」
『子供の大きくなるのは早いですね……思えば私が一番最初の子を孕んだのも丁度一歳の頃でした』
「寂しいですか?」
『いえ、白玉はもう私の手を離れていますし』

 そう言いながらも白猫は寂しそうだ。

「白玉の結婚式には呼びますよ」
『まぁ……そしたら長生きしないと……猫又になってしまうわね』

 衛の言葉にふふふ、と笑って白猫は立ち去っていった。

「お嫁にかぁ……」

 いつまでもお嫁に行かないのも困るけれど、そんな日が来たら衛は泣いてしまうだろう。きっと穂乃香がそれを見て笑うだろうな、と衛は考えて。隣に今はいない妻の事を思い返していた。



 ――翌日、いつものように朝食の準備をしていた衛だったが、瑞葉がなかなか階下に降りてこないので様子を見に行った。

「瑞葉―、もうご飯できるよー」
「ううーん」

 瑞葉は布団を被ったまま答えた。

「どうした……わ、お前熱くないか?」
「ふう……」

 抱き上げた瑞葉の身体はほかほかと温かかった。衛が体温計を当てて測ると、38度の熱が出ていた。

「ありゃ~、こりゃ学校は休みだな。パパ、連絡しておくからな」
「うん……」

 苦しげに瑞穂は頷いた。衛が電話をしようとしていると、ミユキが様子を聞いてきた。

「瑞葉はどうしたんだい?」
「熱があるみたいで、学校は休ませます」
「そうかい。気温差でやられたかね、それともあやかしの気に当てられたか」
「怖い事言わないで下さいよ。あとで病院に連れて行きます」

 さっと朝食をすませて、瑞葉を小児科に連れて行くとただの風邪だろうという事だった。

「たっぷり水分とって、早く元気になろうな」

 ぐったりとしている瑞葉をおんぶしながら、衛はそうはげました。

「じゃあパパ、店開くからな。大人しく寝ているんだぞ」
「はーい……」

 衛は瑞葉を寝かせると、店のシャッターを開けた。そして仕込んでいたコロッケを揚げる。

「いい色ですね。衛さん」
「藍」

 決して美味しそう、と言わない所が付喪神らしい。

「瑞葉ちゃん、熱を出したとか……私には分からない感覚ですけどきっと辛いのでしょうね」
「まあね、でも子供なんてすぐ熱を出すもんだ」
「そうなんですか」
「ああ、もっと小さい時はしょっちゅう熱を出してたよ」

 衛は瑞葉がまだ保育園だった頃を思い出していた。遊園地に行く日に熱を出して大泣きした事もあったっけ……。

「へえ……一応、翡翠が様子を見てますから安心して下さいね」
「そりゃ助かるよ」
「それじゃ、私はお掃除してきますから」

 そう言って藍は去って行った。衛は油から黄金色に色づいたコロッケを上げた。付喪神達は居候ながら自分の出来る家事を率先してやってくれている。

「家の中に家政婦と保育士がいるようなもんか……贅沢だな」

 普通に考えれば暮らしやすい毎日なのだが、衛はどうしても穂乃香がここに居ないのがひっかかる。穂乃香がいなければ、やはり本当の幸せとは言えないのだ。

「わぁ!?」

 衛が揚げ物を店頭に並べ終わった時、翡翠の慌てた声が二階から聞こえた。

「翡翠―? どうした!?」
「お、お化けが……」

 自分もお化けみたいなものなのに、と衛が少し呆れながら二階に上がると腰を抜かした翡翠と眠る瑞葉が居た。

「なにもいないじゃないか」
「いや、そこから手が出てきて……」

 翡翠は壁を指さして、腰を抜かしている。するとふっと瑞葉が目を覚ました。

「りんご……」
「りんご? これか?」

 瑞葉の頭の上にはりんごが転がっていた。

「ああ……良かった……これ、ママがくれたの。パパ剥いてきて?」
「あ、ああ……」

 衛はそのリンゴを受け取って、台所で剥いてすり下ろしてやった。

「母もね、熱が出た時こうしてくれたわ」

 いつだったか、瑞葉が熱を出した夜に穂乃香がそういいながらりんごをすっていたのを衛は思い出した。

「まさか、な」

 衛は一階に居たし、もし穂乃香が来たのなら気が付かない訳がない。もし、翡翠の言うようにお化けで出たとしても……そこまで考えて衛は首を振った。もしお化けならなぜ真っ先に自分に会いに来て来てくれないのか。

「ほれ、すりりんご」
「わー、パパありがとう」

 瑞葉は喜んでりんごを食べて眠った。そして目を覚ました時には嘘のように熱が引いていた。

「明日は学校いけるね!」
「ああ。ところであのりんごどこから持って来たんだ?」
「え? えーと、お仏壇の所にあったんじゃないかな」

 瑞葉は自分が熱の時に言ったうわごとには気づいていなかった。衛はもしかしたらやっぱり衛には分からない方法で、穂乃香がりんごを持って来たんじゃないのかと考えた。