ミユキはいぶかしげな衛を無視して、小皿に盛った煮干しを猫に与えた。まるで来客にお茶でも出すかのように。

「出がらしですが、どうぞ」
『おおこれはありがたい』
『煮干しなんで久し振りね』

 今度こそ衛は腰を抜かした。目の前の猫が喋ったのである。

「喋った……?」
「今のあんたなら聞こえるだろ? うんコレなら助手には十分だね」

 衛は何が何だか分からなかった。ただ、大慌てをして醜態をさらすとミユキの鉄拳が飛んでくる事は予想できた。

『まぁ、助手さん。心強いわ』

 白猫がおっとりとそう言う。口調からしてどうやら雌のようだ。

『して、ミユキ殿。我々の依頼を受けてくれるか』

 どっしりとなにやら威厳のある黒猫は雄猫らしい。

「いいよ、さぁ話しな」

 ミユキはそう言って、二匹の猫を促した。

『あれは三ヶ月前の事です……私は子供達に乳を与えていたのですが、気が付いたら一匹居なかったのです』
『ちょうど俺も、その場を離れていてな。すぐに子供の行方を捜したが、いまだに亡骸もみあたらない』
「あんたたちは野良だろ。そういうのが運命なんじゃないのかい?」

 そうミユキが口を挟むと猫の夫婦はちょっとうなだれたように見えた。

『この生き方が、過酷なのはご存じの通りです。でも……』
『今回、お願いしに来たのはちょっと気になる噂を聞いたからだ』
「気になる噂?」

 ミユキの片眉がピクリとあがる。

「なんだい、聞かせてみな」
『近頃この辺に腹を空かした化け狐が出ると言うんです。そして、弱った生き物を端から食らってしまうって。そして食われた生き物は成仏できずにその狐の手下になるというんです』
『普段なら天命だと、我々も諦めるんだが……こんな噂を聞いてしまったら居ても立っても居られなくなってしまった。自由こそ我々の誇りなのだ』

 黒猫はくやしそうに尻尾を床にたたきつけた。

「それで? その居なくなった子猫を探せばいいのかい?」
『はい』
「支払いは?」
『我々は金銭を持たないので、この店のゴキブリ共を追い出してやります。これでどうか』

 ふーむ、とミユキは猫の話を聞きながら首をひねった。

「もし、化け狐に食われたってなったらもう三軒追加でどうだい」
『分かった。俺もこの辺りのボスだ。二言は無い』

 黒猫の言葉を聞くと、ミユキはパンと膝を打った。交渉成立、と言った所か。その間、衛は引き攣った顔で黙って話を聞いていた。

「じゃあ、衛。あとは頼んだよ」
「えっ!?」

 ミユキは話を聞くだけ聞くと奥へと引っ込んで行った。残されたのは猫と衛だけ、という状況である。

『衛殿、といったか。我が子の行方をよろしく頼む』
『よろしくお願いします』
「は……はぁ……」

 衛は頭を下げる猫に戸惑いながら、キチンと正座をし直した。

「それで、その子猫ちゃんの特徴は?」

 三ヶ月も前に居なくなった子猫がそうそう見つかるとも思えないが、最低限これだけは聞いておかないと話にならないだろう。

『私と同じ、白い毛に青い眼です』

 そう白猫が言った途端に、客間のふすまがパーンと勢いよく開かれた。

「わー! ねこちゃんだ!」
「あっ、あ、瑞葉! ちょっとパパはこの猫さんとお話があるから」
「ずるーい、瑞葉もねこと遊ぶ!」
「これは遊びじゃなくて。お仕事!」
「えー」

 瑞葉が不満そうに口を尖らせる。それを見ていた白猫は目を潤ませて言った。

『あなたにもお子さんが居るんですね。分かるでしょう、この気持ち……』
「あ、まぁ……」

 確かに、瑞葉まで居なくなってしまったら自分はどうしたらいいか分からない。考えてみれば気の毒な話だ。

「子猫さん、見つかるといいね」
『ええ、衛さんが頼りです』
「パパせきにんじゅうだいだよ!」
「ああ、そうだな」

 ここで衛ははた、と気づいた。瑞葉と猫が普通に会話している。

「瑞葉、そいつらの言う事が分かるのか」
「うん」

 なんとも不思議な話だ。しかし、衛が猫の言葉が分かるのも妙な話なのだ。あとでミユキを問い詰めなければ。

「白猫さん、さわってもいい?」
「少しならどうぞ」

 瑞葉はいつの間にか白猫を膝に乗せて撫でている。

「いいなー、瑞葉もねこ飼いたい」
「うちは食品扱ってるから動物はダメ!」
「えー、梨花ちゃんのところも猫飼ってるんだよー!」
「よそはよそ! うちはうち!」

 衛は瑞葉から白猫を引きはがした。まったく、子供は手がかかる。

『あのー、離してくださる?』
「これは失敬」

 衛に掴まれた白猫が迷惑そうな声を上げて、思わずパッと手を離した。

「とにかく……探しますから今日はお引き取り下さい」
『分かった、よろしく頼む』

 猫の夫婦が去って行ったのを見届けて、衛は店を閉じた。さて……ああは言ったもののどうしよう。それから今日もコロッケが五個も売れ残った、どうしよう。ミユキの嫌みを考えると衛は胃が痛くなった。そんな時に背後にミユキが立ったものだから衛は口から心臓が飛び出るかと思った。

「さーて、化け狐退治に行かなきゃかね」
「ミユキさん……え、退治とか出来るんですか?」
「さあどうだろう。低級の動物霊ならはじき飛ばせばいいんだけどね。……狐か……」

 ミユキはいつの間にかお数珠のような物を首に巻いていた。

「さ、ともかくも気配を追う事だ。瑞葉、お前は分かるね」
「うん、ミユキさん。こっちだよ!」

 ミユキに言われた瑞葉が指を差して表に出た。

「瑞葉……そんなのが分かるのか?」
「うん、さっきの白猫さんに似た感じがあっちの方からちょっとする」

 瑞葉を先頭に衛とミユキが続く。瑞葉はお不動さんの通りを抜けて境内にあがった。

「こっち」
「……嫌な予感がしてきたね」

 瑞葉がたどり着いたのは境内の外れにあるお稲荷さんだった。

「確か、化け狐が弱い生き物を食って手下にするんだっけ……」

 衛は黒猫から聞いた噂話を反芻した。思いっきり祀られてて悪さをしそうにないのに……。

荼枳尼天(だきにてん)、お邪魔しますよ」

 ミユキはそう断って中央の祠へと足を進めた。