ほっこり処 こうのはな〜幸せの砂時計~

「嘘でも嬉しいよ」と義雄は笑う。

「こんな嘘、ついたって僕にいいことなんかないよ」本音だと言いいながら、僕は器に切ったにがうりを移した。

鰹節からもだしを取り、人参、玉ねぎ、じゃがいもをそれぞれ適当に切ってだし汁へ入れた。

「恭太は、一人暮らしがしたいとか思わないのか?」

「こんなぬくぬくした場所を離れたいと思う人間がいるかね」

「いや、おれ達はいいんだけど……」

好きにしていいんだぞと言う義雄へ、これが好きにしている形だと返す。

「僕はここにいたくている。義雄達に気なんか使ってないし、使うべきだとも思ってない」

義雄はそうかと苦笑した。

「それに、僕は一人は好きじゃない。義雄達に出逢ってなければ嫌でもそうなってたから」なにより一人って寒いじゃんと僕は続けた。

「恭太は本当に寒いの嫌いだな」

「当たり前だ。寒いのが好きな人など、どうかしてる」

「おれは暑い方が苦手だけどなあ」

「ああ、よーく知ってるよ。義雄のいる夏の部屋は冬の直前のようだからね」

「なんだ、だから夏は素っ気ないのか」

玉杓子を持つ手に力が入った。一度深く呼吸する。

「一緒にいると寒いんだよ」返した声は低かった。

「よし、じゃあこれから冬にはおれが温めてやろう」

「ふざけんな冗談じゃない。もういいから薫子とでもいなよ」

義雄は不思議そうにこちらを見た。

「今日は薫の出るイベントなんかないぞ。ファンクラブの会員だから詳しいんだ」

僕は「もう頼むからどっか行ってくれよ」とぼやきながらアクを取った。

「なにを言う。今日は恭太のイベントに参加するんだ」

「今日の主役僕じゃねえんだよ」

「重ね重ねなにを言う。おれ達にとってお前は常に主役だぞ」

「だったら主役の料理場面を引き立ててくれよ」

「それはだって……」監督が、と呟く義雄へ今すぐそやつを連れてこいと返す。

「二度とメガホンなど握れぬ手にしてやる」
主菜はゴーヤチャンプルー、副菜は、なすと玉ねぎ、トマトのサラダ、きゅうりの浅漬け、汁物は人参と玉ねぎ、じゃがいもの味噌汁となった。きゅうりの浅漬けには最後、袋に入っていた青唐辛子を適量加えた。

十分程前に炊けた白米を盛り、義雄が茶碗を渡してくる。僕はそれらをお盆に載せた。


失礼致します、と居間へ入った。お疲れと言った雅美が「楽しそうだったね」と笑う。「楽しかないよ」と僕は返す。

「今日の夕飯は、ゴーヤチャンプルーとなすと玉ねぎとトマトのサラダ、きゅうりの浅漬け、人参、玉ねぎ、じゃがいもの素朴味噌汁であります」僕は言いながら座卓へ皿を並べた。

自分の場所に腰を下ろすと、薫子が隣から「お疲れ様です」と笑顔を見せた。

「全部恭太君が作ってくれたんですか?」

「ささやかなお祝いだよ」

そんなそんな、と薫子は手を振る。「近いうちに大きな不幸に見舞われるようなお祝いです。このお味噌汁は……?」

「薫子が天地返し手伝ってくれたやつ。あと二か月くらい置きたかったんだけど、上出来だったよ」

「本当ですか。ついに恭太君のお味噌汁もいただけるんですね」

今年中にこの世に別れを告げることになっても悔いはありませんと言う薫子へ、僕と雅美、トシさんと茂さんはそれを否定する言葉で声を揃えた。もう一生ここにいたいですねと薫子は笑う。

あれっ、と雅美が声を上げた。「義雄は?」

「ああ、さっきなんか始めてた」僕が言った。

「そう」

先に食べててと言う義雄にはいよと雅美が返し、いただきますと手を合わせた。
食後、義雄は白い物体の載った皿を持ってきた。「わあ」と薫子は目を輝かせる。

「ババロアじゃないですか?」

正解、と義雄は笑顔で返す。「パインババロアだよ」

薫子は嬉しそうに復唱した。

「絶対おいしいやつじゃないですか」

嬉しいこと言ってくれるねと笑い、義雄は皿を並べていく。「皆もよかったら」

「あのう……ババロアってなに?」僕は小さく言った。

「ムースみたいなこれです。あと……パンナコッタなんかとも似てますかね」薫子は穏やかに言った。

よっこいしょ、と義雄は自分の場所に座る。

「ムースは、フランス語で泡っていう意味なくらいだからふわふわしてるのが特徴で、ババロアもフランス発祥の洋菓子で、ゼラチンを使ってるからぷるぷるしてるのが特徴。パンナコッタとババロアは似てるけど、パンナコッタは生クリームを使ってるからババロアより濃厚な感じなんだ。ちなみに、パンナコッタは生クリームを加熱したって意味らしいよ」

「へえ……。めっちゃ喋るじゃん」

「いやあ、やっぱり持ってる知識って見せびらかしたいじゃん。かっこよくない? 知ってるって」

「かっこ悪い奴の典型的な思考回路だよ」
「かっこ悪いですかね?」薫子は苦笑した。「わたし、かっこいいと思っちゃったんですけど……」

「薫はかわいいなあ、おやっさんきゅんきゅんしちゃうよ」

義雄、と僕が言うと、雅美が「犯罪にだけは発展しないでよ」と僕の言葉を遮った。言いたいことを言ってくれた雅美に同意を示す。

「義雄のやりたい薫ちゃんを愛でくりまわすのはわたしがやるから」と言う雅美へは「よくわかんないけどだめだよ」と返す。

薫子は小さく苦笑した。

「ところで、義雄さんはどうしてそんなに洋菓子に詳しいんですか? 経営してるのは和食屋さんなのに」薫子が純粋な声を並べた。

「おれ、高校生の頃に洋菓子店でアルバイトしてたんだ」

「へえ、パティシエにでもなりたかったんですか?」

いいや、と義雄はかぶりを振る。「そんな純粋な動機じゃないよ。ただ、家から近いっていうだけの理由。アルバイトをしたかったのは、面接っていうものを経験してみたかったから」

ひどい、と僕は小さく本音をこぼした。いやいやと義雄は否定する。

「確かにね、ちょっと不純すぎる気もするよ? だけどね、当時のおれのおかげで今、親愛なる薫にかっこいいって言われたから」

「満足そうでなによりだ」

僕はババロアとやらを口に入れた。

「どうだ」と言う義雄へ、「ちょっとおいしい」と返す。「それはかなりの美味だな」と義雄は満足げに言う。

「じゃあわたしもいただきます」と薫子もババロアを口に入れた。「幸せすぎて泣けてきますね」と笑う。

続いて雅美がババロアに手を付けた。「おじいちゃん達気をつけてね」と茂さん達を覗き込む。
薫子はベッドに腰掛け、不苦郎君を抱いた。

「いやあ、幸せな誕生日でした」

僕は布団を敷き、その上にあぐらをかいた。

「大したことはできなかったけどね。そう言ってくれると嬉しいよ」

「とんでもない。お味噌汁絶品でしたよ」

そうかと僕は笑い返した。携帯電話を確認し、金曜日かと呟く。

「明日か明後日、またどこか行く?」

「ああー……どうしましょうねえ……」

「特になければ、お茶でも飲む?」

「お茶……ですか?」

「うん。薫子、抹茶に興味があるって言ってたでしょう」

「ええ、まあ……」えっ、と薫子は声を上げた。「京都連れて行ってくれるんですか? 宇治?」

いやいや、と僕は苦笑した。「なんかすっごいハードル上がっちゃったね。僕、抹茶点てられるからさ。よかったらと思って」

薫子は目を輝かせた。「恭太君、お抹茶点てられるんですか?」

「いや、言っても、まともにやってたのは十年近く前のことだけどね」

「茶道習ってたんですか?」

「そんな大層なものじゃないよ」

「そうなんですか? でも、恭太君のお抹茶、是非頂きたいです」

頬が緩むのを感じた。「そう。じゃあ、明日にでもやろうか。夏だから冷たいやつね」

「冷たいお抹茶なんかもあるんですか」

「そう。おいしいよ」

「へえ、楽しみです」薫子は不苦郎君を抱いたまま寝転んだ。「長い夜になりそうですね」

僕は「消すよ」と言って照明を常夜燈に変えた。「抹茶はあまり期待しないでね」と苦笑して寝転び、暗い天井を眺める。
薫子が出て行く夢を見た。口論や揉め事があったわけではない。時が経ち、次に住む場所も見つかってのそれだった。

僕はため息をついた。彼女が誕生日を迎えたらこれかと思った。薫子が出て行くのは悲しいことではない。彼女本人が望んでいることだ。

ベッドの上に目をやると、薫子が自身の右目に触れていた。

「どうした?」と声を掛けると、彼女はぴくりと体を震わせて「おはようございます」と笑顔を見せた。

「おはよう。目、痛いの?」僕は上体を起こしながら言った。

「いえ……。その、なんかちょっと痒くて」花粉症ですかねと苦笑する薫子へ、どの季節にもあるようだからねと返す。

「辛かったら言ってね。薬局は近くにあるから」

「いえ、本当に大丈夫です。なんかすみません」

「ううん。目はくれぐれも大切にね」

複雑な表情を浮かべる薫子に笑い掛け、顔を洗ってくると伝えて部屋を出た。
朝食は冷やし茶漬け、昼食はサラダうどんにした。

昼食後、僕は食器を洗ったあとに手を洗った。流し台では、義雄が昼食を作る間に五分程沸騰させてくれた水の入ったやかんが氷水に浸けられている。蓋はそばに置かれており、やかんからはもう当然湯気は立っていない。

僕は取っ手の下に手を翳した。熱さは感じず、むしろ微かに冷気を感じた。

僕はやかんの水をグラスに適量注いだ。新品同様の状態であった、緑でグラデーションが為されたグラスを選んだ。他に涼し気な絵柄のグラスもなかった。

お盆に、抹茶茶碗と茶筅、茶杓、抹茶、氷を載せた小皿、水の入れたグラスを載せて自室に入った。「わあ」と薫子は花のような笑顔を見せる。

「もう……こんなに幸せでいいんでしょうかね。申し訳なくなってきます」

「これくらいで罪悪感なんか抱かないで」

僕は薫子と自分の間にお盆を置き、「あっ」と声を漏らした。

「どうしました?」

「羊羹忘れた。なんか忘れてるかなとは思ったんだけど」

本当にこういう奴になっちゃだめだよと苦笑して僕は部屋を出た。
羊羹を持ってきて薫子の前に座ると、僕はふうと息をついた。

「恭太君、意外と天然ぽい部分あるんですね」薫子は無邪気な幼子を見るように笑った。

「それは他の天然と呼ばれる人に申し訳ない。僕はなんか、完璧と逆の磁気持ってる奴」

「近づこうとしてもどうも離れちゃう、みたいな?」

そう、と僕は苦笑した。「そんな奴が点てる抹茶だ、期待はしちゃいけないよ」

「大丈夫です、わたしお抹茶初体験なんで」

「初体験が僕の抹茶か……」

なんかごめんねと苦笑すると、なんでですかと同じように返ってきた。

「じゃあまあ、食後のデザートみたいな感覚で」

はい、と薫子は頷いた。

僕は茶碗に茶杓二杯分の抹茶を入れた。適量の水を加え、茶筅で練る。さらに水を加えて茶筅を上下に素早く動かした。

薫子はふふっと笑った。「似合わないでしょう」と僕も笑った。

「こんな不良みたいな奴が」

いやいやと薫子は苦笑する。「恭太君、自分でよく言いますけど、不良っぽいですかね?」

「ぽくない? とりあえず頭の中はなんらかの整備不良ありそうでしょ」

「それ、放っておいたら命が危ないですよ」

よく平穏な日常が送れてるよねと僕は笑い返した。

泡立った抹茶に氷を浮かべ、茶碗を差し出した。泡立てない点て方もあるようだが、僕にその技術はない。

すごい、と薫子は語尾に感嘆符を付けた。
彼女は、今度は「あれっ」と声を発した。

「どうした?」

「お茶菓子ってお抹茶が出てくる前に食べておくんですよね」

「大丈夫、これは食後のデザートだから」

ありがとうございますと薫子は笑った。

「じゃあ、いただきます」

薫子は抹茶茶碗を手に取ると、微かに声を発した。

「お抹茶の器って、硝子のものもあるんですね」

「焼き物とか塗り物が多いらしいけど、夏はそういうのも使われるらしいよ。季節感も大切にする場らしくてね」

「へええ、詳しいですね」

「これでも、そういう場が日常の一部になった時期もあったからね」

薫子は息をついた。「なんか、恭太君とは度々格差を感じます」

「こんな奴と格差なんか感じてたら大変だよ」

薫子は苦笑し、茶碗を眺めた。「なんの葉っぱですか?」

「わからない。衝動買いみたいな感じだったから」

そうなんですかと笑い、薫子は抹茶を飲んだ。大人の味だ、と嬉しそうな笑みを浮かべる。

薫子は手を下ろしてふうと息をついた。「なんか、こうゆったりした時間を過ごすと、色々話したりしたくなりますね」

「ほう。なに話す?」

「よかったら、恭太君のこと教えて下さい」

僕は苦笑し、項垂れて目元に手をやった。「退屈で寝ちゃうよ」

「じゃあ、恭太君が教えてくれたら、わたしも自分語りします。恭太君、わたしのこと知りたいって言ってくれてたので」

「今となってはわざわざ知るのも怖いな」と笑うと、「わたしはただの馬鹿な弱者ですよ」と同じように返ってきた。

名前を呼ばれ、僕はまじで寝ても知らないぞと吸った息を吐き出した。