「それじゃかのん君、行ってくるね」
「うん、今日は俺が仕事遅くなると思うから先に寝てて」

 毎朝玄関先でかわすキスが変わらない毎日になっていた。



「ねぇ、桜井さん。私かのん君のマネージャーさんに会っちゃった」
「あら、ついに事務所公認?」
「って事になるのかな」

 そっかー、っといいつつ桜井さんはかのん君のSNSアカウントをチェックしている。変わらずファンでいてくれてはいるらしい。

「毎朝こんな朝食で羨ましいわ」
「あ、それは私が作ったやつ」
「そうなの? あんたシリアルとかですますタイプだと思ってたわ」
「ほら食べてくれる人がいるとはかどるっていうか」

 うわー、ごちそうさまと言いながら桜井さんはスマホを閉じた。そろそろ始業時間だ。

「そういやあんたあんまりかのん君のSNSチェックしてないわよね」
「うん、かのん君と四六時中一緒にいるし必要ないかなって」
「案外こういうのに本音が隠れてるかもしれないわよ」

 桜井さんはそう言ったけど、かのん君はなんでも話してくてるからなぁ……。私に話せなくて不特定多数のみんなに言えるような事があるだろうか。

「あとで見てみるか……」

 私はスマホをしばらく見つめてから、鞄にしまって仕事にとりかかった。



 かのん君のやっているネットの露出はSNSが2種類、それからオフィシャルブログが一件。主に稼働しているのSNSともう一つは告知用、ブログは最近は更新されていない。

「こんなん食べました、ここに来ました……ばっかだな」

 かのん君はまだ仕事中。さっさとご飯とお風呂をすませて部屋のベッドでゴロゴロとスマホをいじっている。この間の沖縄旅行も私の存在をなるべく消して載せられている。切り取られたかのん君の日常。それに寄せられるたくさんの「いいね」。

「かのん君ってやっぱ有名人なんだ」

 あらためてそう実感する。マネージャーの山口さんがわざわざ釘をさしたのもこういう事なんだろう。それなのにかのん君私の前でも完璧に綺麗でいようとしてる。疲れないのかな。

「なにこれ、『はじめまして』?」

 それはもう更新されていない事務所のオフィシャルブログだった。今よりちょっと幼い感じ、そして緊張したような顔をしたかのん君の写真とともにこう綴ってあった。

『はじめまして、かのんといいます。綺麗なものが大好きで自分もそうなりたいと考えてきました。バカにされても笑われても、自分なりの綺麗をみんなに見て貰いたいです』

 私の知っているかぎり、かのん君がバカにされたり笑われているシーンに出くわした事はない。

「これやっちゃだめ……だよね……」

 そう思ったけど、つい指が文字を辿ってしまう。「モデル かのん」で出てくるインタビュー記事、そして……それを引用したまとめブログだった。

「細すぎ、きもい」
「オカマ?」
「2枚目の写真ならあり」

 そこにはかのん君への無理解な言葉が並んでいた。メイクとかなにもしなくてもかのん君は綺麗だしカッコいいとは思った事はあるけど……。

「みんなヒドすぎイケメンじゃん」
「人前に出るには60点」

 擁護の声はあるけれど、好き勝手な事ばかり言いすぎだ。

「ヒドいよ……」

 私はそれを見て泣いてしまいそうになったが、当の本人のかのん君が知らないとは思えない。

「ただいまー!」

 その時、かのん君が帰ってきた。あ、部屋のあかりつけっぱなしだ。

「真希ちゃん、まだ起きてるの?」
「かのん君……」

 私は部屋から出ると思わずかのん君にしがみついた。男の人だけど、やっぱり華奢だ。こんなんであんな無神経な言葉に黙って耐えていたのだろうか。

「真希ちゃんどうしたの? 寂しかったとか?」
「……うん。ずっと一緒にいようね」
「えー? うん、もちろんだよー」

 もしも私の目の前で、彼を傷つける何かが起きたら私は壁になろう。そう思ってもう一度強くかのん君を抱きしめた。