「……くっ、目が……」
「本当にごめんね」

 幸せの代償だろうか、今日も私は残業に追われていた。しっかり残業代が出るのが唯一の救いである。

「無茶ぶりする課長と部長が悪いんです。主任は気にしないで下さい」

 この中で一番無理をしているのは主任だ。確かお子さんもいたと思うんだけど。そうやってまたへろへろになって帰った。今日は大体何時になるか伝えてたけど。

「おかえり」
「ただいま……」
「仕事、忙しそうだね」
「四半期の決算がせまってて……」

 ほい、と鞄を受け取ってくれるかのん君の方が奥さんみたい。

「ごめん、ご飯……」
「真希ちゃん、今大変な時期ならルールから外れたっていいと思うよ」
「でも……」

 同棲のルール、お互いの生活にノータッチなのと食事当番を回すことはなかなか両立が難しい。

「いっそ食事は別々にしようか」
「ううん、かのん君のご飯食べたいし、私もかのん君のご飯作りたい」
「うーん……じゃああしばらくこのルールにするけど……あ、そうだ真希ちゃんに聞きたい事があったんだ」

 かのん君は渋い顔で頷いた直後に急に思い出したかのように言った。

「事務所のマネージャーが真希ちゃんに会いたいって」
「え? マネージャーさんが?」
「うん、迷惑かけたしって……」

 そっかー。緊張するなぁ……。

「今度の土曜日、軽く撮影入っているんだけどその後でどうかって」
「うん、かまわないけど」

 元々、土日は何の予定も入れないようにしてる。

「それじゃ、マネージャーさんに真希ちゃんの連絡先教えておくね。撮影場所に案内してくれると思うから」
「え、撮影見れるの?」
「終わりの時間がずれるかもしれないからそれは見れるかもだけど。何、見たかったの?」
「まぁ……かのん君のモデル姿って見た事ないし」
「そういえばそっか」

 うわー楽しみだな。ポーズとか撮っちゃってカメラマンに囲まれているんだろうか。

「街角の撮影だからそんな大げさじゃないよ」

 ワクワクが私の顔に出ているのか、かのん君はちょっとはにかんでそう言った。



「むむう……しっかりメイクせねば」

 ちょっとお寝坊した土曜の朝。かのん君はすでに仕事に出発していた。大体十五時くらいに代官山に行けばいいことになっている。

「うーん、努力したところでこんなもんか」

 なるべくボロが出ないようにシンプルなシャツとジーンズに身を包み、メイクは頑張ったもののもっと正解がある気がしないでもない。

「まだ時間あるし……こうなったら……」

 私は行きがけにデパートに寄った。

「あのーこのファンデとリップ、試したいんですけど」

 この時の私の顔はちょっと引き攣っていたかもしれない。久々にデパコスなんて買ったような気がする。とにかく美容部員さんの手によって少しはマシな顔面を手に入れた。
そうして向かった代官山。はぁ、東京に住んでるけど代官山とかまず来ないもんなぁ。高円寺にいるとなんでも新宿で済ましちゃうし。

『真希さん、今どこですか』

 そんな時にかのん君のマネージャーさんからメッセージが入った。慌てて近くの電柱にあった住所を伝える。

『近くですね、迎えに行きます』

 かのん君はまだ撮影中みたいだ。いきなりサシで会うのか……ああドキドキする。額がしっとりしているのは新しいファンデのせいでも、近頃上がり調子の気温のせいでもないだろう。

「あのー……」
「あっ、はい!」
「真希さんですか」
「そうです……」

 そこにはロングの髪をラフにまとめた白いシャツの女性が立っていた。うう……服が被った……。

「初めまして山口嘉穂と申します」

 同じ様な服を着ているのに、垢抜け感が違う。そうか、シンプルな服に大振りのイヤリングでポイント作ってるんだ。モデルに囲まれてるとこういうセンスも磨かれてくるのかな。

「あっちで撮影してますんで、どうぞ」

 山口マネージャーは無表情なまま、私を撮影場所まで案内してくれた。モデルなかのん君……どんなんだろう。さらにドキドキしてきた。