「全っ然眠れなかった……」

 時計は午前五時、もう一度眠りに入るには心許ない時間だ。とりあえず、ベッドから身を起こし冷蔵庫のミネラルウォーターを喉に流しこんだ。

「シャワーでも浴びるか」

 パジャマがわりのジャージを脱ぎ捨てて、シャワーを浴びる。

「ひどいクマだー」

 鏡に映った自分の顔を見たらひどい顔をしていた。頭は少しすっきりしたけど。

「あーもう、仕事もあるのに!」

 パンパン! と頬を叩いて気合いを入れ直す。こんなに自分の調子を狂わされたのはいつ以来だろう。かのん君が自分をどう思っているのか。そう考えただけでこんなに不安になるなんて。



「桜井さん……ご報告が……」
「うわっ、なに。幽霊かと思ったわ」

 ちょっと早めに出社した私は、始業前に桜井さんを捕まえて昨日の顛末を伝えた。ハルオが家にやってきた事。そして、かのん君がそれを撃退した事。

「もう来ないって一応言質も録音したんだけど……聞く?」
「いや、遠慮しとく。えげつないけどあんたにしては良くやったわ」

 心配してくれてたからね、一応報告だけはしておかないと。

「それにしてもクマやばいよ」
「やっぱわかる? コンシーラー塗ったくったんだけど」
「……で、寝不足の原因は? まぁかのん君でしょうけど」
「うん……昨日のかのん君もかっこよくてね。なんで私が彼女なんだろうって考えはじめたら止まらなくなっちゃって」
「……今更?」

 そこかー。と桜井さんは天を仰いだ。第三者の桜井さんにはどう見えているのだろう。

「そうねー、人の縁ってどう繋がっていくか分からないから。かのん君には長田が可愛くてしかたないんでしょうよ」
「どこが……?」
「それを私に聞かないでよ。とにかく、長田は長田なりのいいところはちゃんとあるから。嫌われないように努力をするのが先なんじゃないの」
「嫌われないようにかー……」

 お互いの事はこれから知っていけばいいって、昨夜かのん君も言っていた。今後の関係を充実させていくのが、まず大事な事なんだろう。……とは言え、理屈じゃない部分で不安だ不安だって叫んでいるのも事実なのだ。



「お待たせ」
「あ、かのん君。そんな待ってないよ。スーパーに寄ってから帰ってもいい?」
 
 何とか省エネで仕事を終えた後。今度こそ手料理を振る舞おうと思った。かのん君の作るようなおしゃれごはんじゃないけど。普通に炊き込みご飯とか、煮物とかそういうもの。

「……もしかして、真希ちゃん寝てない?」
「うっ、めざとい」

 私の顔を覗き混んだかのん君が口をへの字にしている。

「やっぱ怖かった……あのまま居ればよかったかな」
「えー、いや……うーん」

 一晩中かのん君の事を考えちゃっていたなんて、恥ずかしくて言えない。私は言葉を濁らせて俯いた。

「真希ちゃん、今日は俺のうちにおいでよ」
「え……?」
「真希ちゃんの手料理も楽しみなんだけど、そんな顔してたらほっとけないよ。ご飯は俺が作る。で、べたべたに甘やかしてあげる」
「べた……べた?」
「うん、安心してぐっすり眠れるようにね」

 かのん君がとろけるような笑顔で笑う。昨日のような熱っぽさはそこにはないけれど、有無を言わさない強さがあった。ああ、またいつものように流されてしまう。

「そうと決まったら、早く帰ろう」
「う、うん……」

 かのん君はとっとと私の握っていたコーヒーカップを取り上げて下げ口へ運ぶと、私の手を握った。