愛しいカタチの抱きしめかた

 
 
いつまでもこうしていたいという気持ちと現実世界は裏腹だ。パタパタと足音をさせながら戻ってきた養護の先生と、休み時間を知らせるチャイムの音で、甘いひとときは終了となった。


「お腹が痛くて痛くて……」


足音をわたしより一歩早く察知した百瀬は、素早くわたしと距離をとっていて、そんなことを平然と言ってのけた。


って、わたしも同じようなことを言ってベッドに潜り込んだんだっけ。


痛い痛いと伝える百瀬の顔は、けれど始終にやけていて、先生は百瀬を保健室から追い出すことを躊躇わなかった。


二人のやりとりを眺めるわたしには、先生は相変わらず優しかったけど。


もうすぐ休み時間も終わるからと退散しようとした百瀬に先生は頷いた。そうして、自分のデスクにつき、書類を広げてわたしたちに背中を向けた。


「みーちゃん」


百瀬が声なくわたしを呼ぶ。


応えるために顔を上げると――


「っ!?」


「じゃあ、またあとでね」


――まるで手慣れた人みたいに、わたしの頬にキスを落としていった。




再び振り返った先生により、わたしはベッドへと強制送還となった。


理由は、わたしの顔が真っ赤だったから。


原因は――……




 
 
 
 
「ごめんなさいっ」




翌日、なかなか捕まらなかった間宮くんを呼び止めることができたのは放課後のことだった。


今日は生徒会の大切な用があるからと急かされたわたしは、間宮くんの後を追って生徒会室内へと連なる。


そして、開口一番に可能な限りに謝った。頭も大きく下げて。


「……」


「わたし、間宮くんの気持ちには応えられません。ずっと、間宮くんを信じなくてごめんなさい。すぐに返事できなくてごめんなさい」




「……――、そんなに、ずっと下を向いていると脳によろしくないよ、日紫喜。傷にもそうだ」


「でも」


「いいから。……首、平気か?」


「あっ、昨日よりましかな」


見上げた間宮くんの顔は眉を寄せていた。ガーゼが充ててあるわたしの首を見て、まるで自分の痛みみたいな顔をする。


「待ちぼうけでも、構わなかったよ」


「……え?」


まだまだ、困ったように、間宮くんはこめかみ辺りをしきりに触る。


「日紫喜の中の大切な人の順位。そこの、上位者くらい把握していたよ。恋愛の情では当初はなかったかもしれない。けれどそんなことは些末だ。……ボクが圏外だったことが悲しかった」


「それはっ……」


「当然だ。ただのクラスメイトだったのたから」


だからだと、間宮くんは続けた。


 
 
「印象づけようと、ガラにもなく焦ってしまったよ」


らしくなく、間宮くんはポケットからキャンディーを取り出し、二つのうちひとつをわたしの手のひらに収めていった。


「ありがと」


「そうやって餌付けされている様子は、羨ましくて嫉妬して、どうにかなってしまいそうだった」


「っ」


促され、メジャーなラッピングの包みを開けて口に放り込むと、甘い苺の味。もう少ししたら、もっと甘い練乳を舌に感じるはず。


「日紫喜は、お馬鹿なままでよかったんだ。――何も分からないままで、そうしてボクに翻弄されて、そうして、訳も分からないままで、ボクのものになってくれれば、よかったんだ」


「っ、でもっ、そんなの好きってことじゃ……」


わたしの言いたいことは、今回は珍しく真実だと確信している。でも、間宮くんはわたしを黙らせるように言葉を重ねてきた。


「解っているよ。――けれど、ボクの隣にいてくれたら、うんと大切にして可愛がってずっとずっと抱きしめて、好きにさせてみせたさ」


「……」


「訂正。好きにさせてみせると、必死に足掻いていたよ。きっと」


「でも、わたしは」


「知ってる。日紫喜よりずっと知っているよ。そんなことは」


 
 
「ボクは――」


勘違いかもしれい。けど、見上げたままで目を逸らさなかったわたしにはそう見えたんだ。


間宮くんの睫毛は一瞬震えた。声にも、揺らぎを感じた。


「――最初は、外見に惹かれたよ。良く似ていたんだ。入学式の時だった。けれど、日紫喜はあんなに芯は強くなくてさ、むしろ臆病で考えもなしで直感型で。全然違うんだ。……似ていると日紫喜を追いかけたじいさまが、だからボクは嫌いだったよ」


「素敵な人だったんだね」


夏の日の夜、たった数時間で焦がれてしまえるような、そんな人だったんだ。間宮くんと洋助さんの大切な人は。


「そうだね。――けれど信じてくれないかと。何せ突拍子もないことだからな。事実、昨日まではそうだっただろう?」


「っ、そんなこともあるかなって、思えることとかが昨日あって。でもっ、間宮くんだから信じられた部分もたくさんあるの」


言い切ると、間宮くんは視線をわたしから窓の外の景色へと移した。横顔は、柔和。


居心地が……昨日から間宮くんは何故か優しくて、どう接していいのか混乱する。それが伝わってしまったようで。


「もう意地悪はしないさ。昨日言っただろう。日紫喜には、ずっとこういうふうに接していれば、と。」


「そしたら、わたしも間宮くんに怒ってばかりはしなかったよ」


「好きには、なってもらえたのかな?」


 
 
言葉に詰まっていると、ごめんと謝られた。


「ちょっと意地悪だったな」


そんなことはないと言いたかったけど、一瞬で零れそうになった涙のせいで、それを虚しく飲み込んだ。


人前で涙してしまうことは別に悪いことではないと思う。けど、今そうしてしまうのはきっと……。


何度も何度も、気持ちを飲み込むために喉を大きく動かした。




「そのまま、言葉するのはボクだけでいいから。日紫喜は否定だけはしないで」


間宮くんは、もう一度こっちに向き直って、わたしを見下ろした。


「ちゃんと、日紫喜のことを好きになったよ。違っていても、そんなこと関係なく、寧ろ違っていてくれて良かったと」


その言葉の後ろにある間宮くんの気持ちを、きっとわたしは全部分かってあげられないんだろう。


「物怖じせずに対せるくせに臆病なところも好きだった。――去年の文化祭。ボクたちのクラスのお化け屋敷に来たときとかも、他の女子なら鬱陶しい恐がりかたも日紫喜だから愛しかった」


文化祭を思い出す。確か、小夜と見学をしていたら受付にいた百瀬に捕まったんだ。絶対に嫌だという訴え虚しく、両脇を小夜と百瀬によって逃げ出せないようにされて連行されたんだった。そうだ。間宮くんは去年百瀬と同じクラス。


「……あれは、怖かった。左右ガードだけじゃ足りなかった」


「ボクは、蒟蒻を揺らす係だったんだよ。――守ってあげたいと思うだけではなく、そうしていればよかったな」


 
 
自分の知らないところで、こうして好意をもってもらえるのは、とても嬉しくて。こんなわたしなんかがとも思ってしまうけど、やっぱり嬉しくて。


「肩を震わせて笑う様子とか、授業中に黒板の前に立つ自信のない背中、すぐムキになるとこ、硬いおにぎりを頬張る口、声とか髪とか指先とか、もう全てかもしれない――全部、好きだったよ」


けど、同時にこんなに苦しい。


目尻には、もう知られてしまうくらいの涙は溜まっていた。間宮くんはそれを見逃してくれた。分かっているんだろう。指摘しまえば、きっと流れてしまうことを。


「じいさまのせいで辛い目に遭っているとき、何も出来なくて申し訳なかった」


「そんなことっ」


「本当は、百瀬の場所が自分だったらと願ってたよ。……願う、だけだったけれど」


「ごっ……本当に、ごめんなさい」


そうして、指摘しない代わりに、間宮くんはポケットから綺麗にアイロン掛けされたハンカチを出して、


「っ、わたし自分でするか……」


「いいから。怪我人はゆっくりしてるといい。首は、悪化していないか?」


「うっ、うん」


わたしの目を閉じさせ、涙を拭いてくれた。


「そういう無防備で疑わなくて、すぐ信用していまうところも大好きだったよ」


けど、無防備だというわたしの涙を、間宮くんは優しく拭いてくれただけだった。


 
 


生徒会室の扉を開け、わたしは一人で廊下に出た。すぐそばにある階段を降りようと角を曲がる。


「――、百瀬?」


階段の踊り場で、百瀬がわたしを見上げていた。


「僕は間宮を信用していないからね。……でもみーちゃんに怒られるのは嫌だから、会話は聞けない位置で何かあったら突入可能な場所がここ」


「……もう。バカ百瀬」


小走りで掛け降りると、百瀬はわたしの少し赤くなった目に気づいた。


「――、こうすると気持ちいいだろ?」


間宮くんと話すことは伝えていたけど、何時何処でなんて行き当たりばったりだったから百瀬も知らない。……どれだけ、待っていてくれたんだろう。わたしの瞼に充ててくれた百瀬の手は、とても冷たかった。


「ひんやりしすぎてて気持ちいい。ごめんね。ありがとう。」


「間宮を、殴ってこなくていい?」


「うん。そんなんじゃないから。それに、邪魔だって追い出されたから、百瀬が今行ったら逆にコテンパンかも」


もうボクは泣いてしまいそうだから――おどけるみたいに、間宮くんはわたしをそう急かして生徒会から追い出した。その心の底を、やっぱりわたしは見ることはできなかった。


「帰ろっか。みーちゃん」


 
 
今日は意図的に二人で帰るようにしたのだと、百瀬は胸を張った。


「付き合い始めた記念に気を利かせろって言って帰らせた」


「……バカ」


「当たり前だと思うんだけど」


「……」


恥ずかしくて何を言えばいいのか俯くと、時々早くなってしまう歩調を、百瀬がわたしに合わせてくれているのを発見してしまい、もっと顔が熱くなる。


その気持ちを振り切ろうと顔を上げたら、すぐ傍に百瀬の顔があって、それが堪らなく幸せだと笑っているみたいに感じてしまって、もう正面の沈みゆく夕日を見るしか方法がなくなった。


「百瀬……予定では、もっとわたしより背が高くなってるはずだよね」


「だったんだけど、たった数センチしか抜けなかったなあ」


「早くしてよ」


そうしたら……


「何で。そうしないと僕は捨てられちゃうの?」


……もう少し、この恥ずかしさは消えてくれる?


「そっ、そんなわけないでしょっ!!」


反射的に手が飛び出し、百瀬の肩を叩こうとしたけど、想像以上の力で阻止された。


そうして、そのままわたしの手は百瀬の手に握られる。


「この辺は人少ないよ?」


「っ、家近くなったら駄目だからね」


「……善処します」


 
 
されるがままに、手のひらや指を弄ばれた帰り道の景色は目に入らなかった。立ち止まり、もうこれ以上は無理だとアピールをすると、百瀬もすんなりと了承してくれた。


その代わりにと。


「だから、クリスマスはデートしてね」


「そんなふうに誘導しなくてもそうするわよ」


「うん。ありがとう――」


――嬉しいと、百瀬は破顔した。


「ケッ……ケーキ、作ってくれるんでしょ」




「ついでに、お正月もバレンタインもホワイトデーもね。そうだ。お花見も忘れてたよ」


「一気に言わないでよっ」


「桜が満開になったら皆でいつもの花見をしようよ。――二人で、学校の桜も愛でに行こうね」


「っ――、うん」


脳裏に浮かんだ人物は、百瀬もわたしも同じだろう。当然だ。桜のことを彼女に教えたのは百瀬で、あんな経験をわたしたちはしたのだから。


「図書室を飛び出せて、あの子がちゃんと教室でも過ごせるように、桜や、他にも楽しそうな外の話題を話してたんだけど。――見当違いだったかな」


「ううん。そんな百瀬に、たくさん救われていたよ。きっと」


「なら、良かったんだけどね。――にしても、僕たちは、色々普通に受け入れてしまったね」