こんなに身が千切れそうなくらい、告白とは難しい行為なんだ。
今までずっと、それを百瀬はわたしにくれていたんだね。
「僕が――いいんだよって、赦すよって、言ったところで、効果はあるのかな」
近くにある百瀬の心臓は、抱きしめられたときからずっと鼓動が速い。
「百瀬しか効果ないよ……バカ」
わたしのも、いっそのこと聞こえてしまえばいいのに。
「みーちゃんは、僕のことが好きで、僕が傷つけちゃったことまで、消えてしまって寂しいって思った?」
「うん」
「僕が好きで、優しくない自分を後悔してるの?」
「うん。自分勝手ばかりだから、わたし」
「金子さんに、他の誰にも、盗られたくないって?」
「そんなの……嫌だ」
「信じてほしいの?」
「うん――本当に、百瀬が好きなの」
温もりに包まれていた身体は解放されてしまい、なんだかとても空虚になる。
でも、それは一瞬のことだった。
百瀬が腰と膝を屈めて同じ目線に合わせてくれ、くしゃくしゃに笑いかけてくれただけで、胸がいっぱいになる。
「信じちゃったら、僕はみーちゃんを離してなんかあげないからね。好きなんて言葉、膨満感になるくらい言い続けるよ?」
「百瀬――」
そんなの、欲しくないわけないじゃない。
「みーちゃんは、やっぱり、怖がりでちょっとズルいね」
「うん」
「僕が、みーちゃんを突き放せるわけないって体感してから言うだもんな。それか、崖っぷちに追い詰められないと、とかさ」
「……ごめんなさい。その通りです」
好きな子と、百瀬が言ってくれたことで、わたしは多分口に出せるようになったんだ。
金子さんの前で、はっきりと好きな子がいると言った百瀬の言葉を聞いて、最大の安堵をしたわたしを思い出し、自惚れが過ぎることこの上ないと顔が熱くなる。
「信じて、くれるの?」
更に赤みの増した顔を見られるのは恥ずかしい。
でも至近距離の百瀬は離れてくれない。
わたしも、離れてほしくない。
お仕置きだと、軽くわたしの頬をつねる百瀬の指は優しかった。それはすぐにするりと解けて、手のひら全体的で撫でられる。
「当然だろ。信じるよ。みーちゃんのことなんて、僕は全部許してしまうし、何やってても可愛くて愛しいんだ。全部が全部、僕はみーちゃんが好きだよ」
「嬉しいけど、甘やかされてばかりなんて、きっと調子乗っちゃうから駄目」
「う~ん。――善処します」
いつまでもこうしていたいという気持ちと現実世界は裏腹だ。パタパタと足音をさせながら戻ってきた養護の先生と、休み時間を知らせるチャイムの音で、甘いひとときは終了となった。
「お腹が痛くて痛くて……」
足音をわたしより一歩早く察知した百瀬は、素早くわたしと距離をとっていて、そんなことを平然と言ってのけた。
って、わたしも同じようなことを言ってベッドに潜り込んだんだっけ。
痛い痛いと伝える百瀬の顔は、けれど始終にやけていて、先生は百瀬を保健室から追い出すことを躊躇わなかった。
二人のやりとりを眺めるわたしには、先生は相変わらず優しかったけど。
もうすぐ休み時間も終わるからと退散しようとした百瀬に先生は頷いた。そうして、自分のデスクにつき、書類を広げてわたしたちに背中を向けた。
「みーちゃん」
百瀬が声なくわたしを呼ぶ。
応えるために顔を上げると――
「っ!?」
「じゃあ、またあとでね」
――まるで手慣れた人みたいに、わたしの頬にキスを落としていった。
再び振り返った先生により、わたしはベッドへと強制送還となった。
理由は、わたしの顔が真っ赤だったから。
原因は――……
・
「ごめんなさいっ」
翌日、なかなか捕まらなかった間宮くんを呼び止めることができたのは放課後のことだった。
今日は生徒会の大切な用があるからと急かされたわたしは、間宮くんの後を追って生徒会室内へと連なる。
そして、開口一番に可能な限りに謝った。頭も大きく下げて。
「……」
「わたし、間宮くんの気持ちには応えられません。ずっと、間宮くんを信じなくてごめんなさい。すぐに返事できなくてごめんなさい」
「……――、そんなに、ずっと下を向いていると脳によろしくないよ、日紫喜。傷にもそうだ」
「でも」
「いいから。……首、平気か?」
「あっ、昨日よりましかな」
見上げた間宮くんの顔は眉を寄せていた。ガーゼが充ててあるわたしの首を見て、まるで自分の痛みみたいな顔をする。
「待ちぼうけでも、構わなかったよ」
「……え?」
まだまだ、困ったように、間宮くんはこめかみ辺りをしきりに触る。
「日紫喜の中の大切な人の順位。そこの、上位者くらい把握していたよ。恋愛の情では当初はなかったかもしれない。けれどそんなことは些末だ。……ボクが圏外だったことが悲しかった」
「それはっ……」
「当然だ。ただのクラスメイトだったのたから」
だからだと、間宮くんは続けた。
「印象づけようと、ガラにもなく焦ってしまったよ」
らしくなく、間宮くんはポケットからキャンディーを取り出し、二つのうちひとつをわたしの手のひらに収めていった。
「ありがと」
「そうやって餌付けされている様子は、羨ましくて嫉妬して、どうにかなってしまいそうだった」
「っ」
促され、メジャーなラッピングの包みを開けて口に放り込むと、甘い苺の味。もう少ししたら、もっと甘い練乳を舌に感じるはず。
「日紫喜は、お馬鹿なままでよかったんだ。――何も分からないままで、そうしてボクに翻弄されて、そうして、訳も分からないままで、ボクのものになってくれれば、よかったんだ」
「っ、でもっ、そんなの好きってことじゃ……」
わたしの言いたいことは、今回は珍しく真実だと確信している。でも、間宮くんはわたしを黙らせるように言葉を重ねてきた。
「解っているよ。――けれど、ボクの隣にいてくれたら、うんと大切にして可愛がってずっとずっと抱きしめて、好きにさせてみせたさ」
「……」
「訂正。好きにさせてみせると、必死に足掻いていたよ。きっと」
「でも、わたしは」
「知ってる。日紫喜よりずっと知っているよ。そんなことは」
「ボクは――」
勘違いかもしれい。けど、見上げたままで目を逸らさなかったわたしにはそう見えたんだ。
間宮くんの睫毛は一瞬震えた。声にも、揺らぎを感じた。
「――最初は、外見に惹かれたよ。良く似ていたんだ。入学式の時だった。けれど、日紫喜はあんなに芯は強くなくてさ、むしろ臆病で考えもなしで直感型で。全然違うんだ。……似ていると日紫喜を追いかけたじいさまが、だからボクは嫌いだったよ」
「素敵な人だったんだね」
夏の日の夜、たった数時間で焦がれてしまえるような、そんな人だったんだ。間宮くんと洋助さんの大切な人は。
「そうだね。――けれど信じてくれないかと。何せ突拍子もないことだからな。事実、昨日まではそうだっただろう?」
「っ、そんなこともあるかなって、思えることとかが昨日あって。でもっ、間宮くんだから信じられた部分もたくさんあるの」
言い切ると、間宮くんは視線をわたしから窓の外の景色へと移した。横顔は、柔和。
居心地が……昨日から間宮くんは何故か優しくて、どう接していいのか混乱する。それが伝わってしまったようで。
「もう意地悪はしないさ。昨日言っただろう。日紫喜には、ずっとこういうふうに接していれば、と。」
「そしたら、わたしも間宮くんに怒ってばかりはしなかったよ」
「好きには、なってもらえたのかな?」
言葉に詰まっていると、ごめんと謝られた。
「ちょっと意地悪だったな」
そんなことはないと言いたかったけど、一瞬で零れそうになった涙のせいで、それを虚しく飲み込んだ。
人前で涙してしまうことは別に悪いことではないと思う。けど、今そうしてしまうのはきっと……。
何度も何度も、気持ちを飲み込むために喉を大きく動かした。
「そのまま、言葉するのはボクだけでいいから。日紫喜は否定だけはしないで」
間宮くんは、もう一度こっちに向き直って、わたしを見下ろした。
「ちゃんと、日紫喜のことを好きになったよ。違っていても、そんなこと関係なく、寧ろ違っていてくれて良かったと」
その言葉の後ろにある間宮くんの気持ちを、きっとわたしは全部分かってあげられないんだろう。
「物怖じせずに対せるくせに臆病なところも好きだった。――去年の文化祭。ボクたちのクラスのお化け屋敷に来たときとかも、他の女子なら鬱陶しい恐がりかたも日紫喜だから愛しかった」
文化祭を思い出す。確か、小夜と見学をしていたら受付にいた百瀬に捕まったんだ。絶対に嫌だという訴え虚しく、両脇を小夜と百瀬によって逃げ出せないようにされて連行されたんだった。そうだ。間宮くんは去年百瀬と同じクラス。
「……あれは、怖かった。左右ガードだけじゃ足りなかった」
「ボクは、蒟蒻を揺らす係だったんだよ。――守ってあげたいと思うだけではなく、そうしていればよかったな」
自分の知らないところで、こうして好意をもってもらえるのは、とても嬉しくて。こんなわたしなんかがとも思ってしまうけど、やっぱり嬉しくて。
「肩を震わせて笑う様子とか、授業中に黒板の前に立つ自信のない背中、すぐムキになるとこ、硬いおにぎりを頬張る口、声とか髪とか指先とか、もう全てかもしれない――全部、好きだったよ」
けど、同時にこんなに苦しい。
目尻には、もう知られてしまうくらいの涙は溜まっていた。間宮くんはそれを見逃してくれた。分かっているんだろう。指摘しまえば、きっと流れてしまうことを。
「じいさまのせいで辛い目に遭っているとき、何も出来なくて申し訳なかった」
「そんなことっ」
「本当は、百瀬の場所が自分だったらと願ってたよ。……願う、だけだったけれど」
「ごっ……本当に、ごめんなさい」
そうして、指摘しない代わりに、間宮くんはポケットから綺麗にアイロン掛けされたハンカチを出して、
「っ、わたし自分でするか……」
「いいから。怪我人はゆっくりしてるといい。首は、悪化していないか?」
「うっ、うん」
わたしの目を閉じさせ、涙を拭いてくれた。
「そういう無防備で疑わなくて、すぐ信用していまうところも大好きだったよ」
けど、無防備だというわたしの涙を、間宮くんは優しく拭いてくれただけだった。
生徒会室の扉を開け、わたしは一人で廊下に出た。すぐそばにある階段を降りようと角を曲がる。
「――、百瀬?」
階段の踊り場で、百瀬がわたしを見上げていた。
「僕は間宮を信用していないからね。……でもみーちゃんに怒られるのは嫌だから、会話は聞けない位置で何かあったら突入可能な場所がここ」
「……もう。バカ百瀬」
小走りで掛け降りると、百瀬はわたしの少し赤くなった目に気づいた。
「――、こうすると気持ちいいだろ?」
間宮くんと話すことは伝えていたけど、何時何処でなんて行き当たりばったりだったから百瀬も知らない。……どれだけ、待っていてくれたんだろう。わたしの瞼に充ててくれた百瀬の手は、とても冷たかった。
「ひんやりしすぎてて気持ちいい。ごめんね。ありがとう。」
「間宮を、殴ってこなくていい?」
「うん。そんなんじゃないから。それに、邪魔だって追い出されたから、百瀬が今行ったら逆にコテンパンかも」
もうボクは泣いてしまいそうだから――おどけるみたいに、間宮くんはわたしをそう急かして生徒会から追い出した。その心の底を、やっぱりわたしは見ることはできなかった。
「帰ろっか。みーちゃん」