「百瀬っ」


教室の後ろの扉から小声で呼んでみる。他のクラスに、ちょっと注目を浴びている今、入っていくのは躊躇われた。


友達と一緒だった百瀬は、すぐに気づいてくれて。


あっ! バカッ、走らなくてもいいんだけど。なんか居心地悪くなるよ。注目を避けたい今、忠犬みたいに走り寄る百瀬はちょっと物珍しい。


「何? みーちゃん」


誰の会話も耳には入ってこないけど、コソコソと話す仕草をしている人は、きっとわたしのことを話題にしている、と思うくらいには被害妄想に陥っていたりする。けど、気にしないふりをして用件を伝えることにする。さっさと退散しよう。


「ちょっと……今日は部活、行こうかなって。希望だけど」


百瀬は、手の中にあったサイダー味の飴をひとつ、何気なく手渡してくれながら、百も承知のように首を縦に振る。


「了解。ぼくは図書室にいるよ」


わたしは飴を受け取り、もうすぐ授業が始まるからと断りお礼を言い、口ではなく、胸ポケットに忍ばせた。


「うん。ありがとう」


それだけ告げると、百瀬はすぐに元いた場所へ。わたしも、自分の教室へ戻った。


ただ、それだけ。


それだけの、一分にも満たない会話だったのに、視線の痛さによる疲労感は相当なもので……。


次の授業は数学。それは、わたしが苦手とするもののひとつで、疲れた心には大打撃となり疲労も倍になる。


窓際の最後尾というとてもありがたい席で、眠気を夏の熱射で焼き払ってもらいながら、時折吹くささやかな風に涼を求め、校庭の端にあるプールを眺めて、楽しいことを考えて疲労の回復に努めた。