土曜日の11時ごろに真一さんから携帯に連絡が入った。

「真一ですが、お願いを聞いてもらえますか?」

「何ですか? お役に立てることがありますか?」

「うちの店の工場の経理関係の帳簿を見てほしい。不審なところがないかチェックしてもらえないか?」

「競争相手の店の経理に大事な帳簿を見せてもいいんですか?」

「専務取締役の俺の判断だけど、社長にすべて任せると言われている。いつなら都合がいいですか?」

「今日は土曜日で午後は休みですから午後からならいいです」

「こちらも午後なら休みで事務所には誰もいなくなるから、2時ごろにうちの事務所へ来てもらえないか?」

「分かりました。2時に伺います」

2時に『澤野』の本店の事務所に着いた。もう社員は帰った後で、幸い誰にも見られなかった。

すぐに工場の経理の帳簿を見せてもらって、チェックを始めた。真一さんがざっと目を通したけれど、特段、不審な箇所は見当たらなかったと言っていた。

私も帳簿に目を通していった。一見何も矛盾はないが、気になることが見つかった。原料の仕入れ値が私の店よりもかなり高かった。最近は原料が値上がりしているけれども、これほどは高くはなっていない。

仕入れ先を調べてみると大村商事となっている。住所と電話番号が分かったので、電話してみると電話には出るが話の要領を得ない。会社のある住所へ二人ですぐに行ってみたが、普通の民家だった。

私は、真一さんに「これは大村商事が納入価格を高くして不当に利益を得ている可能性がある」と教えてあげた。実際に大村商事が原料を搬入しているか、真一さんは工場の秋山主任に電話して聞いてみた。原料は今までどおり横山商事が搬入しているとのことだった。

月曜日に私は店に休暇を申請して、二人で横山商事に行って工場に直接原料を搬入している訳を聞いたが、大村商事から直接搬入するように依頼されているとのことだった。

2年前から節税対策のために、取引に大村商事を介したいと太田工場長から直接依頼があったそうだ。因みに大村商事への納入価格を聞いたが、私の店と同じ価格だった。

そうなら帳簿を操作していると考えられる。工場長と工場の経理が係わっていることは間違いない。私が試算した差額は年間1千万円近くだった。これなら収支が悪化することは明らかだ。

すぐに真一さんは調査結果を社長に報告した。社長は「そうか」と言っただけで、溜息をついて「俺の目が届かなかった。すべて俺の責任だ。専務はどうしようと考えているのか」と聞いたそうだ。

社長は工場長がいなくなると製品が製造できなくなるのではと心配していたようだ。真一さんはそれが大丈夫なことを確認して、不正を正す決心をした。そして、私は手伝ってほしいと頼まれた。

私は喜んで協力することにして、店の仕事が終わってから、社員の帰った『澤野』の事務所へ行って、夜遅くまで資料を作るのを手伝った。帰りは真一さんが家まで車で送ってくれた。

真一さんはできるだけほかの社員に知られないように気を使っていた。これが知れると社員が動揺するし、店の信用にもかかわって来る。

まず、真一さんは金曜日の午後に工場経理担当の鈴木さんを本店に呼び出して社長室で経理の不正について問い正した。社長と専務の真一さん、専務の臨時秘書ということで私も立ち会った。

この時、お父さまは見合い相手の私、白石結衣に初めて会った。丁寧なお礼を言われたが、あの時会った石野絵里香とは全く気づく様子もなかった。

経理担当の鈴木さんは入店5年目ということだった。帳簿を見せて、大村商事を通じて高い価格で原料を購入して不当に差額を得ていたことを示すとあっさりとそれを認めた。

鈴木さんは、工場長に言うことを聞かないと辞めさせると脅されて2年前からやむなく従ったと言っていた。そして差額の10%を貰っていたとも話した。もらったお金は使わずに貯めてあり、すべて返すから許してほしいと懇願していた。

真一さんはすべての会話を録音していた。そして本人には明日土曜日は休んで家にいるように言っていた。工場長に連絡したら警察沙汰にするから絶対にするなと念を押していた。鈴木さんは一礼をすると黙って部屋を出て行った。

次に、真一さんは相談があるからと言って、仕事に差しつかえのないように土曜日の午後2時に本店の社長室へ来るように太田工場長に連絡した。

丁度2時に太田工場長が社長室へ現われた。社長と専務がそろって座っているので緊張するのが分かった。私も紹介してもらった。

「これからの会話はすべて録音させていただきます。こちらは私の臨時秘書をしてもらっている白石結衣さんです。経理が専門で工場の帳簿類をチェックしてもらいました。疑問点があったので、工場長に来ていただきました。白石さん疑問点の説明をお願いします」

私は順を追って淡々と疑問点を説明していく。原料の価格が高いことは自分が菓子店の経理をしているから分かったと話した。大村商店がダミー会社であることも調べて分かったとも話した。見る見るうちに工場長の顔が引きつってくるのが分かった。

「すでに経理担当の鈴木君が不正を認めています。正直にお認めになってはいかがですか? お認めにならないのでしたら、警察沙汰になりますが、こちらはそれも覚悟しています」

「私が悪かった。お金はすべて返しますから、どうか警察沙汰にはしないでください。子供も孫もいますから」

「お認めになるのですね」

「申し訳なかった。家の建て替えでつい金がほしくなってしてしまったことです」

「それではダミー会社にプールしてある残ったお金を返して下さい。それからすぐに会社から身を引いて下さい。そうしてくれれば、社長は工場長には長い間世話になったので、警察沙汰にはしないと言っています。いかがですか?」

太田工場長は顔を上げて社長の顔を見た。社長はゆっくり頷いた。それから工場長に今日付けで取締役の辞任届を書いてもらった。また、不正に得たお金の返金の念書を書いてもらった。工場長は深く一礼して社長室を出て行った。

「辛いな、苦楽を共にした仲間を辞めさせるのは」と社長がしんみりいった。優しい方だなと思った。

翌週の月曜日、真一さんは工場へ行って、朝一番に従業員全員に集まってもらって、工場長が一身上の都合で取締役工場長を辞任したことを知らせたという。

工場長は専務の自分が兼任すること、それから秋山主任を副工場長に昇任させることを発表した。それから経理の鈴木さんを営業に異動させることも知らせた。また、本店の事務部門を工場へ移す予定も発表したそうだ。

鈴木さんの扱いについて、真一さんはお父さまに似て、優しいところがあると思った。そしてきっと良い経営者になるとも思った。

真一さんはその日の午後一番で本店の事務所員全員を集めて、同じ内容を知らせた。社長が立ち合った。それから1週間後に取締役会と株主総会を開いた。

真一さんのお父さまが社長を退任して会長に、真一さんが専務取締役から社長になった。副社長はお母さまが留任、経理担当取締役に不正を見抜いてくれた経理部長の山下さんがなった。営業部長は留任、取締役工場長は社長の扱いとして空席としたと聞いた。本店事務部門の工場敷地内移転も決めたという。

これからが真一さんの新社長としての手腕の見せ所だ。