食事を終え、久々に満腹という状態に身を落ち着かせる。といっても胃が小さくなっているのか私の食べた量はたいしたことない。

 片付けしようと腰を浮かしたところで理恵さんに声をかけられた。

「ほのかちゃんのお父さん、こんなときでも仕事を優先するなんて警察官の鏡というか、正義感の強い人なんだね」

 父を褒められているはずなのに、私の心はざわつき返答に迷う。お茶を濁していると樫野さんも話題に入ってきた。

「あの人、たいてい役場前の派出所にいてくれてね。もちろんほかにも何人か警察官はいるみたいだけれど、必要があればどこにでも来てくれて、地域の人にとってはすごく有り難い存在なのよ」

「そう、なんですか」

「ほのか」

 私の知らない父の話に少しだけ興味が湧いた。しかし穂高に名前を呼ばれ、私の意識はそちらに向く。
 
「そろそろ行こうか。あまり遅くならないうちに」

「そうだね」

 当初の目的を思い出して私は彼のそばに駆け寄る。西牧天文台に行くには、山道を登っていかなくてはならない。

 車も通れる道とはいえ外灯も気持ち程度しかなく、暗くなってからは危ないだろうという判断だ。まだかろうじて空が明るさを残している今出発しないと。

「ふたりだけで歩いて大丈夫? 帰りはどうするの?」

 理恵さんが穂高に尋ねる。

「まだ暗くなっていませんし平気ですよ。天文台を管理している人と知り合いで、泊めさせてもらうこともできると思うので」

「こんなときに天文台って頭おかしいだろ。降ってくる月でも見るつもりか?」

 心配そうな理恵さんとは対照的に宮脇さんは小馬鹿にしたような言い草だ。

 無理もない、たいていの人は私たちが今からしようとすることを聞けば彼みたいな反応だろう。

 谷口さんに改めてお礼を告げ、私たちは谷口商店を出発した。もう日も落ちているので麦わら帽子はかぶらず、かばんに引っ掛ける。

 穂高はためらいなく私の左手を取ると、さっさと歩き出した。強引だけれど乱暴さはなく、疲れているのか口数は少ない。

 彼に手を引かれ大通りに戻り、迷わず進んでいく穂高になにも言わずついていく。しかし私はふとあることに気づいた。

「ね、ちょっと。西牧天文台ならこっちの大通りじゃなくて、東島公園のルートから行った方が近いんじゃない?」

 私の質問に穂高はなにも答えない。こんな初歩的な間違いを彼がするだろうか。

 なにかを避けようとしている?……それとも、別のどこかに向かっている?

 不安になって、もう一度同じ内容を尋ねようとしたときだった。

「ほのかのお父さんに会いに行こう」

 彼の口から信じられない提案が突然飛び出し、私は目を白黒させる。

「な、なんで?」

「ほのか、お父さんに言いたいことがあるんだろ。だから、ちゃんと話せ」

「なに言ってるの? 話したいことなんてないって」

 そう言っても穂高は足を止めない。繋がれている手も痛いくらい強く握られている。

「強がりも、嘘もいらない」

 穂高はこちらを見ようとしない。だから私はカチンときて彼に噛みついた。

「強がりでも、嘘でもないよ! なんで穂高がそんなふうに言い切れるの!?」

 彼は足を止め、ゆっくりとこちらを向いた。真剣な表情に私は思わず息を呑む。穂高は私から視線を逸らさずに告げた。

「ずっとほのかを見てたんだ。だから、わかるよ」

 ほんの一瞬、風も、海も、すべてが凪いだ。瞬きも呼吸も忘れて時が止まったような感覚に陥る。

 穂高は私の手を握り直した。

「今、話さないと後悔する。ほのかはまだ、話ができるだろ」

『お父さんとお母さんは?』

『いないよ』

『家族はね、いないの』

 健二くんや理恵さんの寂しそうな表情が頭に浮かんだ。かまわず歩き出そうとする穂高にとっさに声をあげる。

「待って!」

 彼の視線がまたこちらに向けられ、逃げるように私はうつむき気味になった。

「でも、お父さんはきっと私と話したくないと思う。……お父さんは私を嫌ってるから」

 私の発言を受け、わずかに穂高に緊張が走ったのが繋いでいる手から伝わってきた。続きを言う勇気が出ない。

 喉の表面を空気が掠め、声を出そうにも何度も不発に終わる。

「……私のせいなの。お母さんとまなかが、妹が死んじゃったのは」

 なんとか振り絞って出せた音はカラカラだった。

「年末にお母さんの実家に帰省する予定だった。お父さんは仕事でいけないから私とまなかとお母さんの三人で。でも……」

 ありありと蘇る思い出を、痛みを伴いながら口にする。