私は、函館空港に降り立った。
リョウの呪いのせいで、外泊ができない身体にされている。首筋につけられた黒い痕は、すでに胸全体を覆うまでに成長していた。はじめは嘘か冗談だと思っていたけれど、ここまで育ってしまうと信じるしかない。乙女の上半身にどす黒いしるしが広がっているなんて、泣けてくる。
「寒い」
十一月の北海道は、東京の真冬の寒さ。しかも天候は雪。昨日、天気予報をチェックしておいてよかった。まさかとは思ったが、寒い。海から吹きつける風も強い。
リョウに見送られ、早朝便で到着した。現在、午前八時半。とりあえず、空港で淹れたてのコーヒーでも飲みたいけれど、時間もお金もないので自販機の缶コーヒーで我慢する。引っ越しだけでなく、今月はアルバイトもできず、大出費だ。それでも缶コーヒーはあたたかく、私の心をいやしてくれた。
バスで、市内中心部へ移動。
朝香家のお墓は、元町のさらに東側にある。とりあえず駅前まで出て、それから路面電車に乗り換えようと思っている。少しさびしげな海岸沿いの道を抜けると、市街地へ出た。
「五稜郭かあ。いいなあ」
帰りの飛行機は、午後七時。初めてのひとり旅にして、自分の命がかかっている。手がかりをつかまなければと思うと、さらに緊張する。
奇しくも、今日はリョウの命日。偶然とは思えない。
お墓は、市街地の寺にあるという。九時二十分、最寄駅の函館どつく駅を下りると、目の前に小さな公園があるだけ。路面電車を出た十人ほどの人もあっという間に散開し、私は早くもひとりきりになってしまった。
目の前にはまっすぐな上り坂。地図でお寺の位置を確かめる。十分ほど歩けば着くはずだ。ぱさぱさと軽い雪なので傘はささずに、帽子を被り直した。
それにしても、誰も通らない。寒さのせいだろうか。
私は駅前で買った供花を持ち、せっせと上る。風が強くて町が狭い函館は大火災に遭ったことが過去何度かあり、町の中にあったお寺は集中移転してきたらしい。なるほど、お寺の白壁と瓦屋根が続いていた。立派な門構えの寺もある。
しばらくすると、身体があたたまってきた。指先や耳は凍りそうなほど冷たいのに、身体は暑い。コートと手袋の隙間を埋めようと思い、コートの袖をめくったとき、黒い痕が手首にまで広がっていた。あわててもう片方の腕も確かめたが、こちらも真っ黒に染まっている。私は苛立って来た。すべて、リョウのせいだ。死んだリョウのせいで、生きている私が苦労するなんて、ひどい。
けれど、自分で解決するしか道はない。
私はマフラーを帽子の上からぐるぐると巻き、道を進んだ。
目指していたお寺は、なかなか古くて由緒ありげな存在感を持っていた。門をくぐり、右手に墓地がある。私は目を疑った。切り出された斜面にびっしり、お墓がある。なかば雪で埋もれている。お寺まで上るのも大変だったのに、あんな山の頂上までさらに上るなんてできないと落胆したが、朝香響の母にもらったメモを見ると、朝香家のお墓は本堂のすぐ裏手にあった。
朝香家のお墓に近づくと、線香の薫りがした。先客がいる。髪の短い、若い女性だ。お墓に向かって手を合わせて一心に祈っている。どうしよう、一瞬迷ったが、今日朝香家のお墓参りをしているということは、リョウの知り合いである可能性がある。私は女性が参り終わるのを待って声をかけることにした。
しかし、先祖代々の墓のせいか、墓石が見上げるほど大きい。土台を含めると、三メートルぐらいありそう。この下に、リョウの身体は眠っているのかと思うと、少し胸が熱くなる。
「あなたも、響のお参りなのね」
ぼんやりしていると、女性のほうから私に声をかけてきた。明るいピンクのコートを着た、私よりも少し年上そうな女性。大きい目が印象的で、よく整った顔立ちをしている。
「は、はい。東京から来ました」
「遠いところを、ありがとう。響も喜ぶわ」
あれ、母親みたいな身内っぽい言い方。私は思い切って尋ねてみる。
「もしかして、リョ……朝香くんの親しい方ですか。恋人さんだった、とか」
「まさか。腐れ縁っていうか。最期は、ほんとうに腐っちゃったけどさ。ま、とにかく響に挨拶してよ。せっかく来たんだし」
「はい。そうします」
私は被っていたマフラーと帽子を取り、お花を供え、お墓の前で一礼した。『朝香家乃墓』。立派過ぎて気後れがするので、手を合わせてそっと目を閉じる。この中で、リョウはきっと数少ない若手だろう。
絶対、真相をつかんで成仏させます。
言いたいことはそれだけ。私は落ち着きを取り戻し、さきほどの女性と話を聞こうとしたが、もういない。
「待って、待ってください!」
門のところまで走ったけれど、どこにもいない。道にも。挨拶をしていたのは、ほんの三十秒ほどだったのに、消えるようにいなくなってしまった。大切な手がかりだったのに。
「まさか、あれも地縛霊?」
「誰が地縛霊よ、誰が」
背後で、車のクラクションが鳴る。運転席には、先ほどの女性が座っていた。
「車、あたためていただけ。幽霊扱いしないで。このあとどうするつもり? 函館観光?」
「いえ、なるべく早めに帰ります」
「もう帰るんだ」
「はい。事情があって日帰りで。でも、朝香くんの話、聞かせてもらえませんか! お願いします」
よほど深刻そうな言い方に聞こえたのか、女性の顔に憐れみが浮かんでいる。
「いいよ、今日は休みを取って暇だから。乗って」
「ありがとうございます!」
リョウの呪いのせいで、外泊ができない身体にされている。首筋につけられた黒い痕は、すでに胸全体を覆うまでに成長していた。はじめは嘘か冗談だと思っていたけれど、ここまで育ってしまうと信じるしかない。乙女の上半身にどす黒いしるしが広がっているなんて、泣けてくる。
「寒い」
十一月の北海道は、東京の真冬の寒さ。しかも天候は雪。昨日、天気予報をチェックしておいてよかった。まさかとは思ったが、寒い。海から吹きつける風も強い。
リョウに見送られ、早朝便で到着した。現在、午前八時半。とりあえず、空港で淹れたてのコーヒーでも飲みたいけれど、時間もお金もないので自販機の缶コーヒーで我慢する。引っ越しだけでなく、今月はアルバイトもできず、大出費だ。それでも缶コーヒーはあたたかく、私の心をいやしてくれた。
バスで、市内中心部へ移動。
朝香家のお墓は、元町のさらに東側にある。とりあえず駅前まで出て、それから路面電車に乗り換えようと思っている。少しさびしげな海岸沿いの道を抜けると、市街地へ出た。
「五稜郭かあ。いいなあ」
帰りの飛行機は、午後七時。初めてのひとり旅にして、自分の命がかかっている。手がかりをつかまなければと思うと、さらに緊張する。
奇しくも、今日はリョウの命日。偶然とは思えない。
お墓は、市街地の寺にあるという。九時二十分、最寄駅の函館どつく駅を下りると、目の前に小さな公園があるだけ。路面電車を出た十人ほどの人もあっという間に散開し、私は早くもひとりきりになってしまった。
目の前にはまっすぐな上り坂。地図でお寺の位置を確かめる。十分ほど歩けば着くはずだ。ぱさぱさと軽い雪なので傘はささずに、帽子を被り直した。
それにしても、誰も通らない。寒さのせいだろうか。
私は駅前で買った供花を持ち、せっせと上る。風が強くて町が狭い函館は大火災に遭ったことが過去何度かあり、町の中にあったお寺は集中移転してきたらしい。なるほど、お寺の白壁と瓦屋根が続いていた。立派な門構えの寺もある。
しばらくすると、身体があたたまってきた。指先や耳は凍りそうなほど冷たいのに、身体は暑い。コートと手袋の隙間を埋めようと思い、コートの袖をめくったとき、黒い痕が手首にまで広がっていた。あわててもう片方の腕も確かめたが、こちらも真っ黒に染まっている。私は苛立って来た。すべて、リョウのせいだ。死んだリョウのせいで、生きている私が苦労するなんて、ひどい。
けれど、自分で解決するしか道はない。
私はマフラーを帽子の上からぐるぐると巻き、道を進んだ。
目指していたお寺は、なかなか古くて由緒ありげな存在感を持っていた。門をくぐり、右手に墓地がある。私は目を疑った。切り出された斜面にびっしり、お墓がある。なかば雪で埋もれている。お寺まで上るのも大変だったのに、あんな山の頂上までさらに上るなんてできないと落胆したが、朝香響の母にもらったメモを見ると、朝香家のお墓は本堂のすぐ裏手にあった。
朝香家のお墓に近づくと、線香の薫りがした。先客がいる。髪の短い、若い女性だ。お墓に向かって手を合わせて一心に祈っている。どうしよう、一瞬迷ったが、今日朝香家のお墓参りをしているということは、リョウの知り合いである可能性がある。私は女性が参り終わるのを待って声をかけることにした。
しかし、先祖代々の墓のせいか、墓石が見上げるほど大きい。土台を含めると、三メートルぐらいありそう。この下に、リョウの身体は眠っているのかと思うと、少し胸が熱くなる。
「あなたも、響のお参りなのね」
ぼんやりしていると、女性のほうから私に声をかけてきた。明るいピンクのコートを着た、私よりも少し年上そうな女性。大きい目が印象的で、よく整った顔立ちをしている。
「は、はい。東京から来ました」
「遠いところを、ありがとう。響も喜ぶわ」
あれ、母親みたいな身内っぽい言い方。私は思い切って尋ねてみる。
「もしかして、リョ……朝香くんの親しい方ですか。恋人さんだった、とか」
「まさか。腐れ縁っていうか。最期は、ほんとうに腐っちゃったけどさ。ま、とにかく響に挨拶してよ。せっかく来たんだし」
「はい。そうします」
私は被っていたマフラーと帽子を取り、お花を供え、お墓の前で一礼した。『朝香家乃墓』。立派過ぎて気後れがするので、手を合わせてそっと目を閉じる。この中で、リョウはきっと数少ない若手だろう。
絶対、真相をつかんで成仏させます。
言いたいことはそれだけ。私は落ち着きを取り戻し、さきほどの女性と話を聞こうとしたが、もういない。
「待って、待ってください!」
門のところまで走ったけれど、どこにもいない。道にも。挨拶をしていたのは、ほんの三十秒ほどだったのに、消えるようにいなくなってしまった。大切な手がかりだったのに。
「まさか、あれも地縛霊?」
「誰が地縛霊よ、誰が」
背後で、車のクラクションが鳴る。運転席には、先ほどの女性が座っていた。
「車、あたためていただけ。幽霊扱いしないで。このあとどうするつもり? 函館観光?」
「いえ、なるべく早めに帰ります」
「もう帰るんだ」
「はい。事情があって日帰りで。でも、朝香くんの話、聞かせてもらえませんか! お願いします」
よほど深刻そうな言い方に聞こえたのか、女性の顔に憐れみが浮かんでいる。
「いいよ、今日は休みを取って暇だから。乗って」
「ありがとうございます!」