テキストに並んだ漢字やカタカナを見て、ため息をついた。この大学の経済学部に入学して一ヵ月半。難しい用語と格闘する毎日だ。

 二限目の講義が行われる校舎に向かって歩きながら、計量経済学概論のテキストと睨めっこ。単回帰分析とかダミー変数とか……今日の講義のためにしっかり理解しておかなくちゃいけないのに、聞き慣れない用語のせいか、頭にすっと入ってこない。

「あー、もう」

 立ち止まってページをめくり、右足を踏み出した。だが、足が着くはずの地面がない。

「えっ」

 気づいたときには、口の開いたマンホールに右足を踏み込んでいた。ぽっかり開いた暗い穴に吸い込まれるようにバランスを崩す。

「きゃあっ」

 悲鳴を上げた瞬間、「危ないっ」と声がして左の二の腕をギュッと掴まれた。そのままうしろに強く引っ張られて、マンホールから引き離される。右足の靴底が地面を捉え、落ちずにすんだことにホッとする。マンホールの両脇には“注意”と書かれた赤い三角コーンが立っていたが、テキストに気を取られていて目に入っていなかった。

 落ちていたら大怪我をしていたはずだ。危なかった……。

 誰かに支えられたまま、ブルッと身震いをする。