学校が終われば、その日のやるせなさで疲労感が現れる。
 背中を丸めて、ヴィンセントは家路についていた。
 家に戻ってみると、ドライブウエイに見慣れない車があったのを見て不審に思った。
 コンパクトカーで小さいが、シルバー色が光っていて比較的新しく見え、きれいな車体だった。
「客でも来てるのか」
 不思議に思いながら家に入ると、リチャードがニコッと笑って出迎えた。
「よぉ、ヴィンセント、今帰りか」
「ああ、表のあの車は誰のだ?」
 リチャードがヴィンセントに向かって何かを投げつけた。
 ヴィンセントは慌てずパシッと掴む。
「これは、車のカギ……」
「そうだ、お前の車だ。ちょうど同僚が売りに出すとかいって、いい値段で譲ってもらったんだ。車、欲しかったんだろ」
「親父……」
 ヴィンセントはただ突っ立ってリチャードの顔を凝視していた。
「なんだ、気に入らないのか」
「何言ってんだよ、気に入らないわけがないだろ」
 ヴィンセントは嬉しさのあまり、駆け寄ってリチャードに抱きついていた。
「最高だぜ。ありがとよ」
 突然のプレゼントに素直に喜びを表せば、運がむいてきたように心が少し軽くなった。
「ああ、これからお前も素早く移動するには何かと手段が必要だからな。コールの動きが読めないだけに、お前にも手伝ってもらうことがあるかもしれない。何かあったときはそいつで駆けつけてくれ」
「コールはあれから接触してきたのか?」
「いや、直接はない。だが、影を使った犯罪は増えている。まるで私に仕事を増やさせるかのようだ。奴は絶対何かを企んでいる。全く気が抜けない状態だ。そっちは何もかわりないか」
「ああ、一人、変なクラスメートがいるんだが、ダークライトや影の気配は全く感じられない。だけど、やたらと俺に絡んでくる。かといって危害を加える訳でもないんだ」
「お前は私に似て女性にもてるからやっかんでるんじゃないのか。もうすぐプロムもあるしな」
 リチャードは茶化していた。
「何のん気なこと言ってんだよ」
「プロムデートは決まったのか。ベアトリスを誘えないのが残念だが」
「余計なお世話だ。放っておいてくれ」
 ヴィンセントはプロムの計画のことをリチャードに知られたら困ると思うと、突っ張ってしまった。
「すまない。とにかく、気だけは抜くな」
 リチャードは仕事が残ってると言ってまた出かけていった。
 ヴィンセントはカギを見つめる。リチャードの気持ちが有難いと思いつつ、それに反してよからぬことを企んで後ろめたかった。

 リチャードが仕事だと言って向かった先は、安い酒場が集まる、治安の悪そうな地域だった。
 見るからにドラッグの取引きをしそうな怪しげな男達や、コールガールらしき女たちが胸の谷間を強調した派手な格好をして、香水をプンプンと匂わせながら街角に立っていた。
 まともな人間は近づかないだろうが、そこに足を踏み入れれば、誰れもがどこか怪しく見えるようだった。
 賑やかなストリートを離れ、汚らしい人気のいない路地に向かってリチャードは歩いていた。
 そして紫やピンクの光でサイキックと書かれたネオンのサインが飾られているドアを開けて入っていった。
 神秘的な雰囲気を出そうとしているのだろうが、紙一重にただ変と言う言葉しか浮かんでこない。
 どぎつい色の趣味の悪い安っぽい飾りが、占い部屋だと主張するように至るところに置かれていた。
 その奥から魔女を思わせるような紫のロングドレスを纏った女性が振り向いた。ちゃらちゃらとした派手なイヤリングが耳元で忙しく揺れてい る。

「いらっしゃい…… と思ったらまたあんたかい。ほんとしつこいね、リチャード」
「やあ、マーサ。その後コールから連絡は入ってないか」
 マーサと呼ばれたその女性は、目の前の人物が鬱陶しいとばかりにストレートの長い黒髪を片手で強く払った。
 浅黒い肌にグリーンの目が生えて、猫の目のよ うにリチャードを睨んでいる。
「あんな奴知らないよ。私は過去に騙されて捨てられた女だよ。そんなところに戻ってくると思う?」
「奴が頼れる相手は限られてるからな。それに君はコールに惚れていた」
「だから、庇って、かくまってるっていいたいの? アイツがこの町を出て行ってから一度も会ったことなんてないわよ。嘘だと思うのなら隅々までこの部屋探 したらどう」
「この部屋にはコールはいないのはわかる。居たら奴の気が残ってるはずだ。だが、連絡はしてくる可能性は消せない。それを聞きに来ただけだ。あいつとは関わるな。また悲しい思いをするぞ」
「へぇ、私のこと心配してくれてるの。それならあんたが私の相手をしてくれたらいいじゃないの」
 マーサはリチャードの側により、顔に触れようとした。
 そして後ろには水晶の玉を隠し持っている。
 リチャードはすっと一歩下がった。
「おっと、水晶の玉を持って私に触れてどうする気だい。私の過去の記憶でも読み取ろうというのかい。君はダークライトとノンライトの間に生まれたが、普段はノンライトと変わらない。だがその水晶の玉を持ったときだけ、ダークライトの力を発揮することはわかってるんだ」
「やっぱり、リチャードね。全てがお見通し。だけど残念。あなたのような男の過去を知ってみたかったわ。あなたほどの実力とその美貌は何人もの女を泣かせてきたんじゃないの」
「好きに想像してくれ。どうもまだ奴はここには連絡してきてなさそうだ。また出直すよ」
 リチャードは諦めて引き下がった。
 マーサは機嫌を損ね、煙草とライターを手にすると苛立って客用に置いていたソファーにドカッと座り込んだ。
 煙草を加えてライターをつけようとカチッと何度も親指を動かすが、なかなか火がつかない。更にイライラを募らせてるときに、またドアが開いた。
「すまないけど、今日はもう店じまいだよ」
 マーサがドアの方向を見ると、若い男がいやらしい笑みを浮かべて見下ろすように立っていた。
「ちょっと、あんたまだ高校生じゃないの。ガキが来るところじゃないんだよ。とっとと帰りな」
「相変わらず気が強い女だ。元気そうじゃないか、マーサ」
 なれなれしく年下の男に名前を呼ばれて、マーサの怒りは頂点に達した。すくっとソファーから立ち上がり、側によって、人差し指を立てて、忠告のポーズを取る。
「どこの誰だか知らないけど、年上に向かってその態度は失礼じゃない。しかもガキの癖に生意気な。早くママの所に戻ってミルクでも貰いな」
「リチャードがさっきまでここに来てたみたいだな。隠れて見てたよ。俺のこと探し回ってるんだろ」
「えっ、あんた、もしかしてコール? うそっ、いくらなんでもこんなに若返って別人になることはないでしょうに」
 マーサはジロジロ見つめる。しかしどうみてもコールに見えない。
 コールはマーサの腕を掴むと自分に引き寄せ、有無を言わさず唇を重ねる。激しい舌の動きでマーサの表情は一瞬で虜になった。
 唇が離れたとき、マーサは驚きで目をぱちくりする。
「俺のキス、もう忘れたのか?」
「でも、顔が全く違う。だけどそのキスは確かにコール」
「仕方ねぇな、ほらこれをよく見ろ」
 壁にかかってあった鏡の前に二人は立った。それをみてマーサは息を飲んだ。目の前にいるのはコールだった。だが隣を見れば全く違う顔。益々困惑していた。
「コールなの? でも一体これはどういうこと?」
 コールが説明するとマーサはやっと納得して力が抜けたようにソファーに座り込んだ。その隣にコールも腰掛けて鼻でふっと笑った。
「そうだったの。その姿だったら誰もコールって気がつかないはずだわ。だけど、今さらのこのことここへやってこれたわね。私を捨てておいて」
「本気でそう思ってるのか。あの時はリチャードに追い出されて逃げてしまったが、お前には迷惑かけたくなかったから、俺が悪者になっただけだ。俺が裏切らなければ、お前も同罪として扱われて、リチャードに追い出されるところだったろ。俺が愛した女はお前だけさ」
「コール、ほんとなの? 信じていいの?」
「ああ、そうじゃなきゃまたここへ戻ってくるわけがないだろう」
 マーサはコールに抱きついた。その反対側でコールの笑みが邪悪に光る。
「実は、ちょっと協力して欲しいことがあるんだ」
「いいよ、私ができることなら」
 コールは事情を話すと、マーサは頼られて嬉しいとばかりに大きく頷いていた。
「じゃあ、頼むよ」
「だけど、いつまで高校生のままなの? また元に戻れるの?」
「ああ、もうすぐ戻るさ。その時、ホワイトライトの力を得てな」
 コールは待ち遠しいとばかりに、鏡の前に立って自分の顔を見つめていた。

 次の日の朝、パトリックがベアトリスをいつものように学校まで送り届け、そしてまた家に戻ろうとしてるときだった。
 デバイスがアラーム音を発し、パトリックは緊張した。デバイスを取り出し、ダークライトが近くに潜んでないか辺りを確認する。
 先のストリートに車が一台停まっており、言い争ってる声が聞こえてきた。
 運転席側のドアが開けられ、女性がずんぐりムックリの男に手を引っ張られて、引 きずり出されている光景がパトリックの目に飛び込んでくる。
 その男には見覚えがあった。ゴードンだった。
 ──あいつ、モールで赤毛の奴の隣にいた男だ。なんでこんなところにいるんだ。
 その時、女性が悲鳴をあげると、パトリックはデバイスの蓋を開け片手で持った。
 デバイスから光が浮き上がり、ダークライトを感知するとそれはナイフのようになった。それをゴードンに向けて走り寄る。
 デバイスから出る光はナイフや剣に形を変えるが、一般のノンライトからみればただの光にしか見えない。
 だがダークライトや影には充分な殺傷能力がある武器であり、それを見せるだけでもかなりの効果がある代物だった。
 ゴードンはデバイスを見せられ、暫くパトリックを睨んでいたが、諦めて目の前ですっと姿を消した。
 その瞬間手を引っ張られていた女性はがくっと前屈みに倒れそうになり、パトリックは素早く抱え込んだ。
 パトリックに寄り添いながらもその女性の片手には水晶球が握られていた。マーサだった。
「大丈夫かい。怪我はないかい?」
「助けてくれてありがとう。でも、一体どうなったの。急にあいつ姿消しちゃったようにみえたけど」
「あっ、見かけによらず、すばしっこくて走って逃げていったみたいだね」
 パトリックは必死に誤魔化した。マーサはか弱い女性を演じる。
「ねぇ、ちょっとこのままでいい? 気が抜けてまだフラフラしちゃう」
 パトリックは女性を支えたまま暫く立っていた。その隙にマーサは目を閉じると、怪しく水晶がぼわっと光り出した。
 パトリックの過去を読み取っていく。
「落ち着いたわ。ほんとにありがとう。なんかお礼しなくっちゃね。一緒にお茶でもどう?」
 パトリックから離れ、後ろで手を組んだように水晶玉を隠していた。
「いえ、気を遣ってもらわなくても大丈夫です。でもどうして今の男に狙われてたんですか?」
「ああ、あいつ私の働いてる店にちょくちょくきては、口説きに来てたの。でも好みじゃないから突き放したら、逆切れでこの有様」
「あの男の他に赤毛の男も現れませんでした?」
「えっ、赤毛の男? いいえ、どうして?」
「いえ、いいんです。なんでもないんです」
 パトリックが慌てて誤魔化しているその後ろを、ポールに扮したコールが歩いていった。マーサを見て上手く言ったといわんばかりに笑って去っていく。
「とにかく、ありがとうね」
 マーサは車に乗り込んだ。
 バックミラーを覗けば、コールの本当の姿が映っていた。
 パトリックに手を振ってマーサはその場から去っていった。
 デバイスは反応を示さなくなったが、パトリックはまだ警戒しながら辺りを見回している。
 ──やっかいなものが来ちまった。まさかコールって言う奴も近くに潜んでいるんじゃないだろうか。
 パトリックは心配になり、ベアトリスの学校に戻り、ダークライトの気配がないか確認した。デバイスがアラームを鳴らすと、ヒヤッとしたが、目の前の人物を見て挑むように視線を突きつけた。相手も負けじと受けて答える。
 恋の鞘当て、二人は宿敵のように睨み合った。
「パトリック、何してんだ、こんなところで。慌ててるようだが、ベアトリスになんかあったのか」
「ヴィンセント、お前に隠してもしょうがないから言うが、さっきそこでダークライトが女性を襲ってたんだ。そいつが、コールに関係する奴だったんだ」
「お前、コールのこと知ってるのか」
「ああ、一度だけベアトリスと歩いてるときに、すれ違って危機一髪だったことがある。あの時はただのダークライトだと思って、ベアトリスのライトソルーションの効き目もあり、難を逃れたが、後で特徴を知ってコールだとわかった」
「なんだと、まさかベアトリスの正体がばれたんじゃ」
「それは大丈夫だ。ばれてはいない。上手く逃げられた」
「お前が側にいながら、なんて危ないことしてるんだ。事故にも遭うし、それも避けられなかった」
 ヴィンセントはこの時ぞとばかりパトリックを責め立てた。自分が側にいられない私怨と嫉妬が入り乱れる。
「ああ、耳が痛いがその通りだ。それについては弁解はしない。ただラッキーだったかもしれないが、難は逃れている。そしてこれからは絶対そんなヘマはしない。しかしお前も人のこと言えないだろう。一番の原因を作ったのは誰だ」
 今度はヴィンセントの耳が痛くなった。
 二人はお互いの罪を擦り付け合う。
 だがそんなことをしても無駄なのは判りきっていた。
「こんなことを言い合っても仕方ない。とにかく、お前の学校で不穏な動きはないか目を見張っていてくれ。僕は学校の中までは入れない」
 パトリックは落ち着きを取り戻し、ヴィンセントに敵意を向けるのはやめた。
「ああ、言われなくともいつも目を光らせてるよ」
 ヴィンセントがもう話すことはないと校舎に向かおうとしたとき、パトリックが呼び止めた。
「ヴィンセント、一つ聞きたいんだが、プロムには参加するつもりなのか?」
「お前には関係ないだろう」
「それが、関係あるんだよ。僕も誘われたからね。誰だかは言わなくてもわかるよな」
「やっぱりベアトリスと参加ということか。どうせお情けで自分から誘ってくれって頼んだんだろう」
「そんなことはどうでもいいんだ。知りたいのはお前が参加するのかどうかだ」
 パトリックは意地悪く口元を片方上げて聞いた。
「ああ、一応参加することにした(ある計画のためにな)」
 ヴィンセントも受けて立つように答えた。
「そっか、参加するのか。それを聞いて安心した」
「ん? なんのことだ」
「いや、こっちのこと。そうそうもう一つ面白い話をしてやろう。アメリアが僕とベアトリスとの結婚を認めてくれたよ」
 ヴィンセントの顔色が青いインクをかけられたぐらいに、一瞬にして真っ青になった。一生懸命落ち着こうとして、反論の言葉を探す。
「だが、本人は納得してないはずだ。保護者同士が認めたぐらいで結婚なんてできるわけがない」
「さあ、どうかね。とにかくプロムで会おう。ああ、プロムが楽しみだな」
 パトリックはわざとらしい笑みを最後に見せてヴィンセントの前から去った。
 ヴィンセントはパトリックの後姿を焦げ付くくらい睨んでいる。サラから持ちかけられた策にもう躊躇いはなかった。最後の賭けとでもいうべき、強く勝負に出ることを決意した。
 ヴィンセントが教室に入るなり、ベアトリスがポールに扮したコールと話をしている姿が目に映る。
 コールはニコニコと上機嫌でベアトリスに語り掛けてい た。
 ベアトリスは半分怯え、半分気を遣い、体は逃げ腰になりながらも当たり障りのないように相手をしている。意地悪されないための必死の攻防策だった。
「まだ俺のこと恐れてるのか。意地悪してすまなかった。謝るから許して欲しい。どうすれば君と仲良くなれるんだい?」
「えっ、私と仲良くなりたい? どうして」
「だって、君、結構かわいいのに、いつも一人だろう。なんだか守ってあげたくなっちまったんだ。それに俺にはとっても魅力的なんだ。君が光輝いて見えるよ」
 口ではロマンティックに囁いても、コールの目は威圧するようなギラギラした目つきをしていた。
 ベアトリスは圧迫感を感じのけぞる。
「いえ、あの結構です。一人でも大丈夫ですから」
「おっと、また怖がらしちまったのか。どうすれば君に好かれるんだろう。もう無理やりうばっちまうしかないか。ハハハハ」
 ベアトリスは強引なコールの台詞に身を引いていた。
 ヴィンセントはベアトリスの側に行って助けてやりたかったが、近寄れないことに苛立ちを感じ、震えていた手から黒いけむりと青白い光がビリビリとスパークしだした。
 ふと斜め横を見るとアンバーが同じような感情を抱いてわなわなと怒りを押さえているのが目に入った。
 ヴィンセントはもしやと思い、すくっと立ってアンバーに近づき腕を取って、ベアトリスの前まで詰め寄った。
「えっ、ヴィンセント? どうして私の腕をもってるの」
 アンバーは引っ張られるまま、コールとベアトリスの前に立たされたが、訳が分かってなかったので困惑していた。
 コールもベアトリスも突然現れたヴィンセントとアンバーにぽかんとしてしまった。 
「なんだお前ら。しつこいアンバーはともかく、なんでヴィンセントが平然として来るんだよ」
 コールは近寄れない理由を知ってるだけに首を傾げていた。
 しかし、まだベアトリスのシールドの詳しい作用まではわかってないようだった。
 ヴィンセントはアンバーの抱く感情を利用したわけだが、サラのネガティブな思いに比べ、アンバーの感情は少し軽い嫉妬程度で弱かった。
 ベアトリスの前まで来たものの、これでは弱すぎて長居はできそうにない。
 アンバーのネガティブな感情を期待していたが、少し計算が狂った。
 ベアトリスはヴィンセントを寂しげに少し見つめて目を伏せた。本当は好きなのに、無理に抑えこもうとしている。膝の上でぎゅっと握りこぶしを作って力を入れていた。
「ポール、彼女が嫌がってるだろ、ちょっかい出すのはやめろよ」
 ヴィンセントは平常心を装うがベアトリスのシールドの影響で体に力が入って、ドスをきかした声になってしまった。
「なんだ、お前、俺を脅してるのか。喧嘩売ってるんなら、喜んで受けて立つぜ」
「やめてよ! ただポールと喋ってただけじゃない。少し怖い感情はあったけど、いつも一人だから話しかけてくれて本当は嬉しかった」
 ベアトリスは揉め事を避けるために無理をして言ったが、その言葉はヴィンセントにとってガラスが割られるような破壊力があった。
 ベアトリスを好きで一人に してるんじゃないと、近寄れない悔しさが歯を食いしばらせた。
「と、言うわけだ、ヴィンセント。俺たち友達になったってことだ。邪魔するなよな」
 コールがいい気味だと笑っていた。
 ヴィンセントは言葉を無くし、気まずかった。
 しかしちょうど先生が現れたことで自分の席に戻るきっかけができ、おめおめと戻っていく。ベアトリスをチラリと振り返ると、彼女は下を向いたままだった。
 ヴィンセントとベアトリスは両思いであってもすれ違う。全てを受け入れようとベアトリスが心を開いても、真実の重みが深くヴィンセントは恐れて一歩踏み込めない。
 中途半端に近寄れば二人の間の溝がどんどん深まるばかりだった。そしてその溝も埋められないほどまで大きくなっていた。
 アンバーは一体何が起こったかわからないまま、困惑しながら自分の席に着いては、ヴィンセントとベアトリスを交互に見ていた。
 コールだけはヴィンセントの惨めな気持ちが面白くてたまらない。そして側にもうすぐ手に入るホワイトライトがいると思うと、愉快になり大きな声で笑いそうになるのを腹を抱えて前のめりになり必死で堪えていた。
 その後、休み時間になる度に、コールはベアトリスに近づいた。
 昼休みまでも一緒に過ごし、ライフクリスタルが待ちきれないとついベアトリスの心臓を鷲づかみになりそうになっては、我慢だと自分に言い聞かせていた。
 そして放課後もまとわりつく。
「ベアトリス、プロムデートはいるのか」
 コールが唐突に聞いた。
「あっ、うん」
「そっか、じゃあ人生最後のパーティでしっかり楽しめよ」
「えっ? 人生最後?」
「あっ、人生最大っていう意味だよ。一番楽しいときってことさ」
 コールの発言はプロムの日に計画を実行するという宣言だった。
 ベアトリスにはその意味を知る由はなかったが、後味の悪いすっきりしない表情でコールを見ていた。
 その日が楽しみだとコールは大声で笑いクラスを出て行った。
 決行が近いその日のために、自分の体の様子を見に、例の屋敷へと向かった。
 久々に見るベッドに横たわっている自分の姿。ゴードンが世話をしていたお陰で、体の傷もすっかり治り、後は意識が戻ればすべて元通りだった。
 コールは暫く黙って自分の姿を見つめていた。
 ゴードンはまだ影に支配され、意識を乗っ取られたままだった。コールにとってはその方が扱いやすく、普段のゴードンよりも的確に事を運ぶことに満足だった。
 そしてゴードンがマーサを連れて瞬間移動で部屋に現れた。マーサはすぐにベッドに寝ているコールの側に近寄り、愛しく顔を撫ぜると、そっと唇にキスをした。
「おい、本人の意識は今こっちだ。寝ている俺に勝手に触れるな」
「だって、久しぶりなんだもん。早く意識が戻ったあんたに会いたい」
「それはわかったから、今朝の報告をしてくれ。何が見えた?」
「ああ、子供の頃の事が見えた。あのディムライトの男の子、小さいときに親同士で勝手に婚約させられたみたい。親同士が書類にサ インしているところが見えて、その隣には大金が積まれていた」
「その婚約の相手っていうのがベアトリスのことか。親が子供を売ったのか」
「そのあと見えたのは、眼鏡をかけた冷たい感じの女が出てきて、女の子を殺そうとしてた。多分ライフクリスタルを奪おうとしてたと思う。 そんな感じの映像が見えた。次にリチャードが出てきて、それを止めたけど、代わりにその女の子の両親の方を殺していた」
「なんだって。リチャードがベアトリスの両親を殺した」
「母親と父親が意識を失った状態で車に乗せられ、リチャードがそれを操って走らせてわざと木にぶつけ炎上させた。その後もう一人、髪の長い男のホワイトラ イトが姿を現し、何かを喋っていたけど、声まではわからない。三人はぶつけ合うように話し合ってた。女の子は気を失ったまま、側で金髪の男の子に抱きかか えられて見守られていた」
「金髪の男の子、ヴィンセントのことか。それからどうなった」
「この時の映像はここまでだった。その後は女の子が誰に引き取られるかでもめて、そして眼鏡をかけた冷たい女が無理やり連れて行って、ディムライトの男の子が必死に止めようとしてる感じの映像だった」
「断片的な記憶では詳しいことはわからないが、ベアトリスには何か秘密があるようだ。それにリチャードとヴィンセントがかなり昔から噛んでいたのか。通り でヴィンセントはベアトリスに執着している訳だ。小さいときから好きだったってことか。恐らくベアトリスはリチャードによって記憶を塗りつぶされているん だろう。しかしなんのためにベアトリスの両親は殺されて、ベアトリスも命を奪われかけ、そしてノンライトとして正体を偽って生活しているんだ? 謎だらけ だな」
「そんなことはどうでもいいじゃない」
 マーサはコールに近寄った。そしてキスを求める。
 コールはゴードンに席を外せと指でさしずすると、ゴードンは姿をすぐに消した。
「中身はコールだけど、体は高校生で顔も違う。本当のコールはあそこで寝てるし、なんか変な感じ」
 マーサが人差し指でコールの胸元をそそる様に撫ぜた。
「目を瞑ればいいんじゃないか」
 コールの言葉でマーサは目を閉じる。唇が重なりあい、舌を絡ませたキスが始まり、そして耳元へ移動してその下の首筋を柔らかい舌先でくすぐるように舐められるとマーサは声が洩れるように喘いだ。
「やっぱりコールだ。私の感じるとこちゃんと覚えてる」
「この体も鍛えてやったからそんなに悪くないぜ。試してみるか」
 マーサはそれに答えるようにその体を強く抱きしめていた。

 夕方、食卓を囲んでベアトリス、パトリック、アメリアが食事をしていた。
「パトリック、いつも夕食まで作って貰ってありがとう。とても助かるわ」
 アメリアが言った。
「お世話になってますし、当然です。でもお味の方はアメリアの腕には敵いません」
「そんなことない。とても美味しい。ねぇ、ベアトリス」
「えっ、あ、うん」
 ベアトリスは突然振られて生半可に答えてしまった。
「最近元気がないけど学校で何かあったの」
 アメリアにはヴィンセントが絡んでいると容易に推測できた。
「ううん、なんでもない。学校を暫く休んでたから勉強が遅れてちょっと心配なだけ」
「なんだ、そんなことだったら、僕が教えてあげるよ」
 パトリックは得意分野だと胸を張っていた。
「もうすぐプロムがあるけど、それが終わったらファイナルイグザムも迫ってくるからね。でもベアトリスは大丈夫よ。あなたは充分にトップクラスよ。心配しなくてもあなたならちゃんとできる」
「えっ、なんだかアメリアらしくない言葉。今まであんなに厳しかったのに、急にどうしたの」
「今までが厳しすぎたのね。ほんとにごめんね。親代わりになろうと私も必死だった。でも私の手から離れる時期が来たように思うわ。それだけよ。ところで、 プロムはパトリックと行くんでしょ。その日、門限はないからゆっくり楽しんできなさい。パトリックならベアトリスのこと任せられるから、私も安心だわ」 
 言い難そうに、それでもこの先のことを示唆しながら遠まわしにアメリアは伝えていた。だがまだパトリックとの結婚に賛成したとははっきり言葉にできなかった。
「アメリアにそこまで信頼されて僕嬉しいです。一生懸命ベアトリスをエスコートします。それからあの賭けのこと、ベアトリス忘れてないよね」
「賭け?」
 アメリアが質問した。
「なんでもベアトリスは一大決心をするそうで、それの賭けなんです」
 ベアトリスは無表情でお皿の食べ物を見つめていた。その隣でパトリックは自信たっぷりと勝利をすでに感じにこやかに食事を取っている。
 アメリアは何か釈然とせずベアトリスが壊れてしまいそうで不安になっていた。
 食事の後、ダイニングエリアのテーブルに着いてパトリックが早速ベアトリスの勉強をみていた。ベアトリスが心配するほど勉強は全く遅れてなかった。スラスラと問題を解いていくベアトリスに、パトリックの方が感心するほどだった。
「さすがベアトリス。これなら何も心配することないと思うよ。次こっちの問題もやってみる?」
「ねぇ、パトリック。もし私の両親が生きてたら、私ずっとあの町に住んでたのかな」
「どうしたんだい、急に」
「こっちに来なければ、今背負ってることで色々悩まなくてすんだのかなって」
「過去のことはもうどうしようもないだろ。今の方が大事だよ。これからベアトリスは幸せになればいい。そのために僕がいる」
 パトリックは胸を張っていつもの前向きな姿勢を取っていた。
「でも、過去のこと私、あまりにも覚えてないんだ。両親の事故のことも何一つ知らされてないし、パパとママの写真もいつの間にか消えてるの。あの町で最後に過ごした夏の思い出が特に全く思い出せない。パトリックは覚えてる? あの最後の夏、私と何をしたの?」
「何をしたって、一緒に遊んだよ。木に登ったり、草原を走ったりしてたかな」
「他の友達は居なかったの?」
「近所の子供達と多分遊んだと思うよ。だけど僕はいつも君の後ばかり追いかけてたから、他の子と遊んだ記憶があまりないってとこかな」
「またあそこに戻れば、何か思い出すだすかな」
「今度一緒に帰ろうか。僕の両親もベアトリスの顔見たら喜ぶと思う」
「そう言えば、私がパトリックと初めて仲良くなったとき、パトリックのご両親にあまり好かれてなかったような気がしたんだ。でもあの夏が過ぎてから、何か が変わった。うちの親とも急に仲良くなったし、そして私の知らないところで親同士が勝手に決めた婚約。なぜ私はパトリックと婚約させられたの? あんな小さいうちから婚約だなんてよほどの理由がない限りおかしい」
「どうしたんだい、今さらそんなこと」
 パトリックは詮索が深くなっていくことにあまり良い顔をしなかった。
「パトリックは不思議に思わないの? 親が勝手に結婚相手決めるんだよ」
「僕は君のこと好きだったし、今も大好きで結婚するつもりでいるもん」
「でも婚約証明書を破ってそれはもう無効になったはずでしょ」
「だからあの紙切れはいらない。大切なのは二人の気持ちだろ」
「でも、私はまだ結婚だなんて考えられない」
「いいんだって、まずは結婚してからゆっくり考えれば」
「えっ、ちょっと待って、そんな考え方あり?」
「うん」
 ベアトリスはパトリックの強引なまでの前向き発言にやり込められそうになってしまった。拉致があかないと、これ以上この話をするのをやめた。
 しかしベアトリスは過去のことに拘っていた。全く思い出せないことに益々疑問を抱いてしまった。
 ──私には一体どんな過去があったんだろう。思い出したら何かが変わるんだろか。
 ベアトリスは思いつめた顔をして鉛筆の端を軽く噛んでいた。
 そしてふと台所のシンクの隣のカウンターに目を移すと、そこに青緑色のガラスの壷が隅にあることに気がついた。
 ──あれっ? アメリアの部屋にいつもある壷だ。
 ベアトリスは何気なくそれを見ていた。しかし次の瞬間、目が丸くなった。空の壷の中でごぼっと大きな水泡が現れ突然水が湧き出てきたからだった。
 ぼっーっとしてた一瞬の出来事だったために、それが元から水が入っていて見間違えたのかよくわからない。暫く眺めていたが、それ以上の動きはなかった。
「ベアトリス、どうかしたのかい?」
「えっ、なんでもない。ちょっとぼーっとしてただけ。 なんかもう疲れちゃったから、今日は寝るね。パトリック付き合ってくれてありがとう」
 ベアトリスはテーブルの上の片づけをしながらもう一度壷を見ると、真珠のような飾りがぼわっと神秘的に光ったように見えた。
 その光に魅了されるようにベアトリスは我を忘れて壷の側まで行き、無意識に人差し指で触れた。その時静電気に触れたようにビリリとショックを感じると同時に映像が一瞬フラッシュした。
 パトリックが異変に気がつき、壷を詮索されてはまずいと慌ててベアトリスに近づいた。
「ベアトリス、何してるんだい」
「えっ、なんでもない。それじゃおやすみ」
 ベアトリスは逃げるようにその場を後にする。
 部屋に入りパタンとドアを閉め落ち着こうとするが、脳裏に浮かんだ映像が頭から離れなかった。
 ベアトリスはベッドの淵に座り、目を瞑った。
 脳裏にフラッシュした鮮明な映像──ペールブロンドの長髪、美しき男性が口元を少し上げ微笑していた。
 ──この人を見たのは二度目だ。一度目のときは思いつめて歩いてるときだった。あれは幻だと思って何を見たのか訳がわからなかったけど、また思い 出すなんて。

『君は真実を知りたく ないのかい? 私は君の魂をいつでも自由にすることができる。私が必要になったとき、強く私のことを念じて欲しい。その時私は迎えに行く』

 ──あの時あの人が言った言葉。真実…… 真実を知る? 一体どういうことなんだろう。それって私の過去のことなんだろうか。
 ベアトリスは迷った。言葉を信じて念じて呼べば出てくるのかも半信半疑だった。だが、まずあの男の存在が何なのかがはっきりとせず、残像が残っていても信じられない。
 次から次へと自分の周りで何かが起こることに疑問ばかりが生じ、どんどん問題が膨らんでいく。
 ──あの人は一体誰? 私に一番近い存在とか言ってたような気がする。私に一番近いってどういうことなんだろう。でもあの壷を触ってどうして思い出したんだろう。それにあの水……
 水泡が膨れ上がって突然湧き出た水を思い出しはっとした。
 ──水! いつもアメリアが飲んでる水はもしかしてあの壷に入ってる水だったら。水…… あの壷には何か隠されてるんだろうか。
 真実が知りたい。
 突然好奇心に駆られて、ベアトリスは衝動的に行動を起こした。
 部屋のドアを開け、その隙間から体をかがめてそっとパトリックの様子を伺った。
 自分の家でこそこそするのは初めてでドキドキと心臓が高鳴っていた。
 しかしなぜこそこそする必要があるのかと思うと、急に馬鹿らしくなり背筋が伸びた。怪しまれることは何もないと思うと、堂々と部屋を出て台所に入った。
 だがすでにパトリックもあの壷も台所から姿を消していた。
 ベアトリスが壷を探しているとき、部屋の開閉の音が聞こえたので、そっと覗くように廊下を伺う。
 パトリックが自分の部屋から出てきて着替えを持ちバス ルームへと入っていく様子が見えた。
 ベアトリスはまたよからぬ事を思いつく。
 ──もしかしたらあの壷をパトリックが自分の部屋に隠したのでは……
 パトリックがバスルームに入っているのをいいことに、ベアトリスはまた黙って彼の部屋にもぐりこもうとした。ちょうどシャワーのお湯が出る音が家の中で響いた。
 今がチャンスとばかりに黙ってパトリックの部屋に入る。
 電気はついたままだった。
 今度は悪いことをしている認識が強く心臓が高鳴った。
 辺りを見回すがどこにもあの壷は見当たらない。
 しかし机の上に目が行くと、視線がそこに集中した。
 結婚式に関する雑誌、衣装のカタログ、そして招待状の見本が置かれていた。
 ──なんでこんなものがここにあるの?
 何気なしに手に取ると、その下から書類もでてきた。それは公式文書でパトリックの両親が未成年の息子の結婚に同意すると書かれていた。
 それだけではな かった。もう一枚同じようなものがアメリアの署名入りであった。
 ──これって、どういうこと? パトリックと私が結婚するってことなの? 反対していたアメリアもどうして同意書なんて作るの。
 ベアトリスは手に取ったものを元の場所に置き部屋を飛び出した。そしてアメリアのドアをおもむろにノックした。
 裏切られた気持ちで体が震える。
 アメリアの許可で部屋に入れば、アメリアはベッドの上で本を手にしていた。それを手元に置いてベアトリスを見つめる。
「どうしたの? 何か用?」
 ベアトリスは感情のままにここまで来たが、頭の中が整理できないまま、何をどのように聞いてよいのかわからないでいた。
 側で何かが光ったように感じ、ふとそちらに目を向けると、そこには さっきまで台所にあったあの壷が置かれていた。そしてその時また水泡がぼこっと現れ、先ほどよりも水かさが増えたのを今度はちゃんとした意識の中で目撃した。
 驚きはストレートに顔に出たが、声は出ない。
 不思議そうにアメリアがベアトリスを見ている。
 ──私の知らない何かが起こっている。そして二人はそれを隠している。
 そう確信したとき、背中に冷たいものがすーっと通り抜け、ベアトリスは急にアメリアとパトリックに不信感を抱いてしまった。
 信じていたものが一瞬にして崩れ去っていく。
 自分の疑問をぶつけたところできっとまともに答えてもらえず、はぐらかされると思うとこの場は知らないフリをする方が賢い選択だと思えた。
 ぐっと体に力を入れて平常心を装う。
「ご、ごめんなさい。何がいいたかったか忘れちゃった」
「変な子ね」
 アメリアは笑ったので、ベアトリスもそれに合わせて必死に笑顔を見せようとするが、笑えば笑うほど、虚しさで心はとても悲しく冷えていった。
 アメリアの部屋を出ると、パトリックがバスルームからちょうど出てきてかち合った。
 白いバスローブを纏い、濡れた髪がしんなりと垂れ、お風呂上りのいつもと違う雰囲気でベアトリスを見つめていた。
 しかしベアトリスは、黙って部屋に入って要らぬものを見てしまったせいで、後ろめたさと怒りが同時に現れて、パトリックをどうしてもまともに見ることができなかった。
「どうした? なんかあったのか。あっ、もしかして風呂上りの僕の姿にちょっとぐっときたとか?」
 ベアトリスは元気なく首を横に振るだけだった。
「ほんとどうしたんだよ。いつもなら食いかかってくるのに、その反応はつまんないな」
「ほんとなんでもない。それじゃお休み」
 ベアトリスはパトリックとすれ違い、自分の部屋へ向かった。
 パトリックは声を掛けようと振り返るが、この時ばかりは、近寄られたくない冷気をベアトリスから感じ、気の利いた言葉が出てこずに黙りこんでいた。
 そうしてる間にベアトリスは自分の部屋に入って静かにドアを閉めた。
 ベアトリスは不信感を一気に募らせた。
 不思議なことが起こってもあやふやにされ、確かめる術もないままに、誤魔化されて意図的に何かを隠されている ──。
 アメリアの厳しい規則と過保護、パトリックのつきまとうような気遣いと親同士が決めた婚約、両親の不慮の事故と失った写真、ヴィンセントの正体と不可解な行動、 突然現れた謎の男と壷から湧き出る不思議な水。
 それらは化学反応のように混ざり合い、ベアトリスの思考に変化をもたらした。
 ──私だけが知らない何かがあるとしたら、真実を私から遠ざけて何をしたいのだろう。
 ベアトリスは突然大きな穴に落ちたように、そこから抜け出せなくなった。そしてその穴の淵からみんなに見下ろされているように思うと突然怖くなり、ベッ ドの中に潜り込む。沢山の手が上から自分を押さえ込んでコントロールしてるように思えた。
 ──私は一体誰なの? どうして誰も何も教えてくれないの? 私が知らないことってなんなの?
 ベアトリスは隠された真実に脅かされていくようだった。

 次の朝、いつもの時間になってもベアトリスが中々起きてこない。寝坊だと思い、パトリックは部屋をノックする。
「ほら、いつまで寝てるんだ。学校に遅れるぞ」
 しかし反応がない。パトリックは寝起きのベアトリスにいたずらでもしてやろうと笑みを浮かべてドアを勢いよくあけた。
「まだ起きないのか…… あれっ、いない。ベアトリス? どこにいるんだ?」
 バスルームを覗いても居間を覗いても、アメリアに聞いても家の中にはベアトリスの姿はなかった。
「一体どうしたんだ。昨晩ベアトリスと何かあったんですか」
 パトリックがアメリアに聞いた。
「そう言えば、何かを言いに来たけど、話したいこと忘れたとかいって何も聞いてないわ」
 ──まさか、あの壷を見て何かに気がついたのでは……
 パトリックは不安になり車のカギを手にすると外に飛び出した。学校の通学路を車で走り、ベアトリスを探す。
 学校の近くまで来たとき、ベアトリスが歩いているのを見つけた。車を止め、慌てて外に飛び出して走って追いかけた。
「ベアトリス!」
 パトリックに呼ばれてベアトリスは振り返った。
「パトリックどうしたの?」
「どうしたもこうしたもない。どうしてそんなに早く黙って学校に行くんだ」
「えっ、遅れるよりいいじゃない。それに私が何時に学校行こうとパトリックには関係ない。どうしてこんなことも好きにできないの?」
「何かあったのか?」
 ベアトリスはパトリックの質問に顔を背けた。震える声で戸惑うように訴える。
「私、一人になりたいの。パトリックももう迎えに来たりしないで。少し放っておいて欲しいの」
「僕、なんか気の障ることしたのか。そうなら謝る。だから……」
「違う! そんなんじゃない。私、少し一人で考えたいの。自分でいろんなことを決めたいの。人に決められるのなんてもう嫌! 結婚も、人生も!」
 その言葉はパトリックの胸を貫いた。
 ベアトリスは振り返りパトリックの目を見つめた。青い瞳が揺らいでいる。動揺、恐れ、苦痛、不安が交じり合いながら、その瞳の奥は何もかも見てきたと物語っていた。それは真実を見た目。
「パトリック、いつか本当のことを話してくれない? あなたは何かを知ってるんでしょう」
 そういい残すと、ベアトリスはパトリックを置き去りにして学校に向かって歩き出した。
 パトリックはベアトリスの言葉に動揺してその場で金縛りにあったようになっていた。確実に何かに気がついてると確信した。だが彼女をこのまま放っておく わけにはいかない。なんとかしなくては ともう一度ベアトリスに近づく。
「ベアトリス待って」
 先走る不安は言葉よりも行動を起こさせる。パトリックは失うのを恐れ、思い余って力強くベアトリスを後ろから抱きしめてしまった。そしてとうとうこれ以上隠せない と気持ちをぶつけてしまった。
「いつか、いつか時がきたら、必ず君に何もかも話すと約束しよう」
「パトリック……」
 離すまいとパトリックの腕は強くベアトリスの体を締め付ける。パトリックの抱きしめる力強さはその真実の大きさを知らされているようだった。それはとてつもなく大きな衝撃的なもの──。 
 自分で言い出したとはいえ、普段冷静さを欠かさないパ トリックの取り乱した行動はベアトリスを不安に陥れた。
「僕は君を守りたくて、君を幸せにしたくて、ついやりすぎてしまったかもしれない。でも子供の頃から君の事がずっとずっと好きで、その気持ちには嘘偽りは ないことだけは忘れないで欲しい。君を失うのだけは絶対いやだ。君が無理やり連れて行かれて引き離されたあの日のように、僕の前から二度と消えないで欲し い」
 苦しくなるほどのパトリックの想い。ベアトリスはその重さに耐えられず飲みこまれてしまいそうだった。
「私、そろそろ学校に行くね。レポートの提出期限が迫ってるんだ。その資料をロッカーに置いたままだから、早くしあげないと。また後で」
 這い出すようにベアトリスはパトリックの腕を振り払い、走って学校に向かった。レポートの提出など全く嘘だった。その場を逃げるための都合のいい理由にすぎなかった。
「ベアトリス……」
 パトリックの胸は張り裂けんばかりだった。ベアトリスが何かに気がつけば、それが危険なことに繋がると充分パトリックは知っていた。
 ベアトリスの耳にパトリックの言葉がいつまでも残る。何かを隠していることだけは確かだったと思うと、真実が自分の手に負えない大きさに思え、この時になって真実を知ることに怖気ついてきた。
 自分がどうあるべきか、何をしたいのか、それを知った後、自分はどうなるのか、強くパトリックに抱きしめられたことでそれと向き合う ことに覚悟を決めろと警告を発されたようだった。
 ベアトリスはその重みに耐えられず、自分が起こした行動が果たして正しかったのか判らなくなっていく。
 パンドラの箱を開けてしまったようで、自分の行動に責任が取れず動揺しだした。
 パトリックも同様に、感情に押され余計なことを口走ってしまったと、この時になって後悔しだした。しかしもう後にはひけない。暫く立ち尽くし、ベアトリ スが見えなくなるまで目を潤ませて見つめていた。

 誰も居ないと思っていた、早朝の学校の廊下でベアトリスは意外な人物を目にした。それはポールの仮面を被ったコールだった。
「よぉ、ベアトリスじゃないか。早いんだな」
「ポールこそどうしてこんなに早いの」
「トレーニングさ。ここには体を鍛える道具が揃ってるからいつも使わせてもらってるのさ」
「だから痩せたのね。ほんと、今じゃ全くの別人だもの」
「全くの別人か。ほんとその通りさ。こいつも俺に感謝して貰わないと。まあ体を借りたお礼ってところかな。この体とももうすぐお別れだし」
「えっ?」
「いや、こっちのことこっちのこと。それより、あんた、なんか色々問題抱えてそうだな。今日も顔色悪いし、良かったら相談にのってやるぜ。ちょっとしたサー ビスってところだ」
 コールはもうすぐその日がくると思うと、高揚して調子のいいことを口走る。
「遠慮しておくわ」
「そういうなよ。これでも俺は結構千里眼だぜ。あんたの両親は車の事故で死んだことになってるんじゃないのか。そして、親同士が決めた婚約者もいる」
 ベアトリスは一瞬にしてコールの話に引き込まれた。
「どうして知ってるの?」
「その事故、ほんとに事故だったと思うかい? そしてどうして子供の時に婚約させられたかも不思議に思わないのかい?」
 目を丸くしたベアトリスの顔つきが、思ったとおりの展開で、コールは意を操ったような得意げな表情になった。
「やっぱり、あんたも疑問に思ってたんだ。俺、その理由知ってるっていったらどうする? 知りたいか?」
 得意の意地悪い顔でコールはじらした。
「どうしてあなたがそんなこと知ってるの? 全く関係ないじゃない。また意地悪しようとどこかで情報を仕入れていい加減なことをいってるんでしょ」
「どう思ってくれてもいいけどね。こんなことは俺の知ったことではない。でも俺はあんたの人生に手っ取り早く影響を与えることができる。もしそれを望むな ら力になって やるぜ。なーに、容易いことさ。あんたは目を瞑っているだけでいいんだ。そうすれば全ての悩みから解放されるってな訳。楽だぜ。あんたが嫌がっても、俺おせっかいだから、そのうち自ら仕掛けにいってやるよ」
 コールは楽しみと言わんばかりに大声で笑った。
「どういう意味?」
「そのうちわかるさ。さあてと、シャワーでも浴びてくるか。そんじゃクラスでな」
 コールは意気揚々と去っていった。
 ベアトリスは暫く廊下で立ったままコールが言った言葉を考えていた。
 ──両親が事故に遭ったこと、確かに誰も詳しいことを教えてくれなかった。アメリアも絶対にそのことには触れない。それって事故じゃなかったってことなの? 私が子供の頃パトリックと婚約させられたこ とも理由がなければおかしい。だけどもっと他に判らないことが沢山ありすぎる。全てのことを知ってしまったら、私は耐えられるのだろうか。
 ベアトリスは自分の中で溺れ苦しみ喘ぐ。
 誰にも相談できずに一人で抱え込み、真実の詰まった箱を抱きながらどんどん奥深く底が見えない底へと自分が沈みこんでいくよう だった。
 みんなが隠すほどの真実。
 それがいいものではないことはベアトリスにも推測できる。苦しさをこれ以上背負い込むほどベアトリスには余裕がない。
 少しの救いを求めて足はある場所へと向かった。
 ベアトリスが向かった場所。そこはかつてヴィンセントと過ごした物置部屋だった。
 ここの他に行く場所がなかった。想い出の中に救いを求める。
 そっとドアを開け、一度全体を見回してから部屋に足を踏み入れる。
 中は全く何も変わっていない。あのとき焦げ付いた血の痕も床にそのまま残っていた。
 ベアトリスはヴィンセントに抱かれて寝ていたことを思い出し、同じ場所に壁にもたれて腰掛けた。
 あの時の感情を思い出し、暫し現実逃避を試みるが、それが却って辛い気持ちを呼び起こさせた。
 ベアトリスの胸は切なさでキリキリとする。そしてその苦しみが体中にいきわたると、最後に視界がぼやけ、頬に水滴が滴り落ちた。
 ──どうしてこうなっちゃったんだろう。思いを貫くなんてできなかった。自分を変えることもできなかった。何も変えることができずに結局は逃げてる。私は 何をやってもダメなんだ。こんな私が真実を全て知りたいなんて言えた義理じゃない。
 ベアトリスはすっかり自信を失くし、また殻に閉じこもってしまった。
 立ち向かおうと自分の気持ちに正直になろうとしても、無駄だと判断してしまった。絶望感は簡単に入り込み、心は閉ざされ、再び固い殻に覆われていく。
 ──こんな私でもパトリックはどうしてあんなに思ってくれるのだろう。この先もっといい人が現れる可能性もあるのに、こんなに早くから結婚したいなんて、 パトリックにはなんのメリットもないのに。こんなダメな私だからほっとけないんだろうか。決められた人生なんて嫌だといったけど、一人で何も出来ない私が 言えるような台詞じゃなかった。人から決めてもらわなければ自ら何も出来ないくせに…… パトリックに謝らなくっちゃ。真実もどうだってよくなってき ちゃった。知ったところできっと今以上に私は押しつぶされそう。もう疲れた、疲れちゃった、このまま消えてなくなってもいいくらい……
 朝早く起きすぎたためにベアトリスは睡魔という魔のつく魔物に弱気にさせられ、襲われるままに寝てしまった。
 クラスが始まる数分前、コールはベアトリスの机を見ていた。近くにいたアンバーに声をかける。
「お前、ベアトリス見なかったか?」
「また事故にでもあって休んでるんじゃないの」
 アンバーは気分を害して、いやみったらしくつっけんどんに答えた。
「おかしい。朝、廊下で会ったのに、なんでクラスに来ないんだ。どこで何をしてるんだ」
 コールは首を傾げていた。
 ヴィンセントはその会話を耳にして、何かに巻き込まれていないか心配になり、探しに教室を出て行った。
 何も巻き込まれてないとしたら、ベアトリスが行きそうなところに心当たりがあった。そしてそこはヴィンセントにとっても特別な場所である。
 ヴィンセントがベアトリスを見つけるのに時間はかからなかった。だが容易に近づけない。胸を押さえながら、そっとドアを開け覗く。ベアトリスが壁にもたれて寝ているのを見つけると、苦しさの中でも、安堵の表情になった。
 ヴィンセントはどうしても側に近づきたくて、ベアトリスが寝ていることをいいことに姿を変えて忍び寄る。
 目は赤く染まり体は黒く光っている。口をあければ尖がったキバをむき、野獣の姿にも見え、または絵でよく表現されるような悪魔の姿にも見える。しかし恐ろしい風貌でもヴィンセントの美しい顔はそこにも反映されていた。
 ヴィンセントは恐ろしい姿をさらけ出してまでベアトリスの隣に座った。
 多少のリスクはあるが、もしベアトリスが気がついても機敏な動きでそこから姿を消すことは容易いことだった。
 野獣の姿では人間の姿をしているときの全ての能力を遥かに超越する。
 野獣は恐ろしい姿でも絹のように滑らかな繊細な心でベアトリスを気遣う。
 赤くきつい目をしていても、瞳はベルベットのような光沢を帯び優しさに溢れている。
 こういうときでもないと二人っきりになれないと、ベアトリスがこのまま少しでも長く寝てくれることをヴィンセントは願っていた。側にいるだけでもささや かな幸福のときだった。
 ベアトリスは隣に野獣がいるとも知らず、無防備に眠りこける。寝ているときだけは全てを忘れ安らかだった。
 朝日が窓から斜光し、その光は二人を繋ぎとめてやりたいかのようにスポットライトを当てる。
 ベアトリスの首がうなだれ、ヴィンセントの肩に寄りかかる。ヴィンセントはそれが嬉しいかのように自分の頭もベアトリスに傾けた。
 ベアトリスの側で聞く彼女のかすかな寝息に癒され、ヴィンセントは目を閉じる。
 体が触れ合ったことで、意識を共有するには絶好のチャンスだった。ヴィンセントはベアトリスの意識にまた入り込んでいく。
 意識の中までは野獣の姿にならなくても、ヴィンセントのそのままの姿でいられた。
 ベアトリスは夢を見ていた。白いウエディングドレスに身を包み、真紅のバラのブーケを持って赤い絨毯をの上を歩いている。その先には誰かの後姿が見えた。そこへ近づいたとき、その顔を見てベアトリスは驚いた。
「ヴィンセント」
 ヴィンセントはにっこりと微笑み、ベアトリスを優しく見つめている。アイボリー色のタキシード姿が眩しい。
「君と結婚できるなんて夢の中でも嬉しいよ」
「えっ、夢? 夢なの?」
「ベアトリス、夢の中では信じてもらえないかもしれないけど聞いて欲しい。僕は君を愛してるんだ…… ずっとこの言葉を伝えたかった」
 ヴィンセントは真剣な面持ちで瞳を輝かせていた。そしてベアトリスの手を取り優しく微笑む。
 ベアトリスは驚いて声もでなかった。沈黙のまま暫くお互いを見つめていた。
 ヴィンセントが話したいことも話せずに夢の中の時間はいたずらに過ぎていく。そうしてるうちに徐々に辺りが明るくベアトリスに光が当たりだした。
「残念だけどそろそろ君は目覚めそうだ。願わくは、もう少しこうしていたかった」
 ヴィンセントは夢の中でも一つの希望に賭けた。心のどこかに自分のことを考えて貰えるように。そして笑顔で消えていく。
「ヴィンセント、待って、私も私も、あなたのことが……」
 ベアトリスは最後を言い切れずに目が覚めて徒爾に終わった。床に転がっている自分に気がつくと、本当に夢だったと現実に引き戻され虚脱感に襲われた。
 ──とてもリアルだった。忘れようと思っていたときに皮肉すぎる。
 ベアトリスは、所詮、夢は夢として、現実ではないことをあっさりと受け止めると、体を起こしまた暫くそこで座り込んでいた。その姿は魂がぬけてしまった抜け殻のようでもあり、自分の意思をもたずにただ体が存在している状態だった。
 ──夢を見たからといって何も変わるわけはない。
 ヴィンセントが想いを伝えても夢の中では全く届かず、益々空虚なものとなった。皮肉にもベアトリスはその想いを閉じ込める選択をする。想いだけじゃなく自分自身をも否定した。
 ベアトリスの瞳から輝きが失われていた。何も関わりたくないと自ら全てを放棄した虚しさが現れる。自分に臆病になり、自分を否定することで全てのことを妄想で終わらせようとする。それが一番楽な対処方法だった。
 ベアトリスはこの時点でもう壊れていた。これ以上の問題を持ち込まれたら再起不能な状態まで追い込まれるくらい、心の中は苦しさで飽和状態になっていた。
 ──ポールが言っていた目を瞑っているだけで全ての悩みから解放されるってどういうことなんだろう。それは私を本当に解放してくれるものなんだろうか。
 本当の意味も知らずに、ベアトリスは楽な道ばかりを模索する。そしてゆっくり立ち上がり、部屋を出る前にもう一度物置小屋を見渡すと、それが最後とでも いうように「さようなら」と呟いた。
 静かにドアを閉め、クラスへと向かった。

 全ての授業が終わった後、ベアトリスはそれすら気がつかないほど、ただ座わり続けていた。
「おい、ベアトリス、大丈夫か? 今日一日おかしかったぞ。お前、鬱が入ってるんじゃないのか。あんまり思いつめて自殺なんてするなよ。それは困るぜ」
 コールが話しかける。
「えっ、自殺?」
「もうすぐプロムだろ。せめてそれくらいは楽しめよ。俺がそう言ってるんだから、従っておけ」
 コールは人生最後を楽しくしておけという意味で言っていた。そんなことも判らずベアトリスは心配してくれてると勘違いした。
「ありがと……」
 コールはまた上機嫌で去っていった。
 ヴィンセントは一部始終を見ていた。あの物置部屋から戻ってきた後、ベアトリスの様子がおかしいことにヴィンセントも気になっていた。
 声を掛けてやりたいが、近づけずヤキモキする。
 そんな時、一部の女子生徒たちが騒ぎ出した。
「あの人誰だろう。見かけないね」
「でもちょっとかっこいいじゃない」
 彼女達の会話が突然ヴィンセントの耳に入ってくる。ヴィンセントが振り返ると教室の入り口にパトリックが立っていた。
 ──なんであいつがここにいるんだ。
 ヴィンセントが睨みつけた。
 パトリックはヴィンセントに構うこともなく、教室に入ってベアトリスの机の前までやってきた。
 他の生徒達もその様子を見ていた。何人かの女生徒たちはベアトリスの知り合いだと知って仰天していた。
 ベアトリスもパトリックの存在に気がついて目を丸くする。
「パトリックどうしてここに」
「ベアトリス、僕やっぱり放っておけない。嫌われるのを覚悟で迎えに来た」
「私も、朝、生意気なこと言ってごめんね。パトリックはいつだって私のこと第一に考えてくれてるのに、それなのに私、勝手にバカなこと考えて八つ当たっちゃった。私間違っていた。本当にごめん。迎えに来てくれて嬉しい」
 ベアトリスはパトリックを受け入れた。
 ヴィンセントのことを考えないようにするにはそれが一番の策であり、自分のことを求めてくれるのならそれに甘えるのが楽だと気がついた。
 自分を見失い、全てにおいて流され始めた。
 パトリックはベアトリスの心境の変化にキョトンと突っ立ったまま目をぱちくりした。ベアトリスは穏やかに立ち上がり、バックパックを肩に掛ける。
「パトリック、帰ろうか」
 そう言うと、ベアトリスは自分を引っ張って欲しいとパトリックの手を握った。パトリックは信じられないと驚いた眼差しをベアトリスに向けると、ベアトリ スは頷いて微笑み返した。
 パトリックもそれに答えるように、ベアトリスの手を握り返す。しっかりと手を繋ぎベアトリスを引っ張って導いた。
「僕を頼ってくれて嬉しいよ」
 パトリックに引っ張られてベアトリスはこれでいいんだと自分に言い聞かせていた。
 周りから見れば二人は恋人同士に見えた。ヴィンセントですらそう感じてしまい、耐えられなくなりプイッと横向いてさっさと教室を出て行った。
 ヴィンセントは悲しみと悔しさが入り乱れ、発狂しそうだった。
 感情は辛うじてコントロールされているが、本当のところはまた何かに八つ当たりしたいと葛藤していた。
 「くそっ!」
 絶望感で意識が遠のきそうだった。意識を失わないためにも、誰も居ない校舎の裏で、拳で壁を何度も殴る。拳から赤い血がポタポタと地面に落ちていた。
 ベアトリスはパトリックと手を繋ぎながら帰り道をぼうっと歩く。
 前をしっかり見てなくとも、パトリックに引っ張られることでぶつかることもなく安全に歩くことができた。
 パトリックについていけば何も心配することはない。それがとても楽に思えた。だが表情は魂のない人形のようで感情に欠けていた。
「今朝、話したことだけど」
 パトリックは敢えてそのことに触れるが、それ以上聞きたくないとベアトリスは遮った。
「もうどうでもいい。私どうかしてたんだ。私には自分で勝手に思い込んで妄想する癖があるみたい」
 パトリックはベアトリスの変わりように、却って心配になった。心が閉ざされ生気がなく弱々しく感じる。
「なんかベアトリスらしくないな。だけど僕も少し反省してるんだ。君に不安を持ちかけてしまったんじゃないかって」
「ううん、そんなことない。お陰で自分がどうすべきか答えを見い出せた気がする。私にはパトリックが必要なんだって思えたから」
「えっ? 僕が必要……」
「うん。甘えちゃだめかな」
「そんなこといいに決まってるじゃないか」
 パトリックは舞い上がり嬉しさで顔がにやける。ベアトリスが本当に抱えている気持ちに気づくことなく、目の前の幸福で頭が一杯になっていた。そしてヴィ ンセントに勝ったと優越感に浸る。
 パトリックが喜んでいる側で、ベアトリスは手を引かれて必死に後をついていく。もう周りすら見ていない。
 街路樹がきれいな花を咲かしていても、人懐っこい犬とすれ違っても、鳥のかわいい囀りが聞こえようとも、感心をなくしていた。
 パトリックの手を強く握り、依存という逃げ道をベアトリスは選んだ。
 その一方で、ベアトリスがパトリックの手を握った光景にショック受け、ヴィンセントは家に帰っても何もする気がおきず、ベッドの上でやるせない気持ちを抱いてうつぶせに寝ていた。
 日が暮れても電気もつけなかったので、リチャードが帰宅したとき異変が起こったと勘違いされる始末だった。
 リチャードは警戒しながら家の中へ入り、辺りを調べ、ヴィンセントの部屋を確認したときだった、ベッドの上で手に血がついたヴィンセントが寝転がっているのを見ると顔を青ざめた。
「ヴィンセント、大丈夫か」
「ん? なんだ親父か。ただ寝てただけだよ。何慌ててんだよ」
「その手の傷はどうした?」
「心配ねーよ。ちょっとぶつけただけだから」
「またコールが襲撃してきたかと思った。あれから奴の動きが止まってるだけに、いつ襲ってきても不思議はない。そっちは何か変わった動きはないか。奴ならお前もターゲットにしているはずだ。ベアトリスの存在は気づかれてないだろうな」
「ああ、目立った動きはない。ベアトリスの存在がばれれば奴はすぐに襲ってくるはずだ」
「奴の行動を決め付けるのはよくない。私もそれで危ない目にあった。奴は何を企んでいるかわからない。目を光らせておいてくれ。もうすぐプロムもある。大勢集まるところで影でも仕込まれたものが紛れ込んだら大変だ」
「ああ、そうだな」
 ヴィンセントは投げやりに答えた。
「どうした。なんかあったのか」
「なんでもねーよ」
「お前、浮き沈み激しいな。どうせ原因はわかってるけどな」
 リチャードは仕方がないと同情する表情を見せ部屋を出た。
 ヴィンセントはまたそれが気に食わないと、枕を投げつけた。虚しくドアに当たっただけだった。
 その頃ベアトリスはパトリックと食事の用意をしていた。パトリックが全てを教えてくれる。その通りに動き、パトリックのすることをじっと見ていた。
「ベアトリス、それ砂糖だよ。塩はこっち」
「あっ、ごめん。私はパトリックが居ないと何もできそうもないね」
「ああ、それでいいんだ。僕は頼られるのが好きだから、僕についてくればいいんだ」
 パトリックはえへんと咳払いをわざとして、胸をはって背筋を伸ばす。
 ベアトリスはそれに合わせようと笑顔を作るが弱々しかった。
「それにしてもアメリア遅いな。仕事が急に入ったのかな」
 パトリックは腕時計を見ながら呟いた。
「パトリックがいるから、安心して仕事ができるんだよ。今までだったら、私のことが心配で定時間に終わらせようと無理してたのかもしれない。私って本当に重荷だったんだろうな。一人で何もできないんだもん」
「どうしたんだ。自信喪失みたいなこといって。ベアトリスは昔、何事にも向かって一人でなんでも解決してたんだよ。怖いもの知らずなところがあった。こっ ちが見ててハラハラしたぐらいだった。好奇心溢れすぎて余計なことに首突っ込んで、ベアトリスの両親も後ろからあたふたと追いかけてたっけ」
「やめて! もう過去のことはいいの。あまり覚えてないし、知りたくもない。パトリックだって過去よりも今が大切だっていったじゃない」
 過去の自分の記憶がないだけでも惨めになるときに、昔の自分と現在の情けない自分を比べられるのはベアトリスには耐えられなかった。
 その上に恐怖心を植えつけられるほどの真実が何かもわからないまま、それを知ることを放棄してまで自分を守ろうと必死になってしまう。
「ご、ごめん。でしゃばりすぎた」
「ううん、パトリックは何も悪くない。私こそ叫んでごめん」
 ベアトリスは全てを受け入れて欲しくて、パトリックに抱きついた。抱きつくことでまた依存しようとしていた。何もかも忘れるために。
 パトリックもしっかりと受け止めた。
 急激なベアトリスの変化だった。
 自分が仄めかした真実にベアトリスが怯えているんだと直感的に感じていた。
「ベアトリス、安心して。僕がずっと側にいるから。僕が全てのことから君を守って見せる。何も心配することはない」
「うん……」
 ベアトリスは返事をするも、目はうつろだった。
「それにしても、アメリアは遅いね」
 パトリックは話を振って、この時の雰囲気を変えようとしていた。
 アメリアはその頃、予期せぬ渋滞に巻き込まれ、迂回をして遠回りをせざるを得なかった。
 信号に何度もひっかかり、すぐに帰れずアメリアはイライラしていた。
 そんな時、サイドウォークを高校生らしい男の子が、ロングストレートの黒髪の女性に腕を組まれながら後方に向かって歩いているのが目に入る。
 女性が年上に見えたので、アンバランスなカップルだと暫く眺めていた。
 信号が変わり、アクセルを踏む瞬間、ふとバックミラーを見ると、赤毛のコールのような姿が目に飛び込んだ。はっとして後ろを振り返るが、そこにはコールの姿はなく、さっき見たカップルが歩いているだけだった。
 もたもたしてると思われ、後ろからクラクションを鳴らされて、アメリアは慌てて車を走らせた。見間違えたのかと半信半疑ながらコールが身近にいることを再認識させられて寿命が縮まった思いだった。
 暫く車を走らせもう少しで帰宅というときだった。不意に見たバックミラーに写ったものに再び突然肝を冷やされた。
「ブラム。脅かさないでよ。それに車の中ではシートベルト締めてよね」
 後部座席にベールを被ったブラムが腕を組んでふんぞり返って座っていた。
「麗しのアメリア。君は相変わらずつっけんどんだ。まるでトゲに囲まれたバラのようだよ。美しいが近寄ると痛い目にあう」
「ところで要件は何? いい話? それとも悪い話?」
「理由なしに君に会いに来てはいけないのかい? 折角地上界に降りているんだ、また昔みたいにどこかへ一緒に出かけないか。あの時の君は私に甘えてとてもかわいかった」
「そんな昔のこと。それに私はあなたに裏切られたも同然。あなたは私を捨てた」
「誤解だ。だがそう思われても仕方ないことはしてしまったのは認める。それでも心の底ではまだ私を愛してくれてるだろう」
「そんなことはどうでもいいわ。とにかく今はコールのことが気がかり。何か情報を得たの?」
「安心しなさい。コールはベアトリスのライフクリスタルを手に入れられない。彼は失敗する」
「それに越したことはないけど、なぜそれが判るの?」
「私の勘とでも言っておこうか」
「ちょっと悪ふざけもいい加減にして。どうしていつもそんなにいい加減なの。それにいつも振り回される身にもなってよ」
「私はいつも真剣だよ。昔からずっと。そして今回も。君を愛していることだって嘘偽りはない。専ら君に拒否されて悲しいけどね」
「よく言うわ。私が本当に側にいて欲しかったときあなたは私から去ってしまったじゃない」
「それについてはすまないと思っている。私も辛かった。でもいつか理解して貰える日が来ると思ってる。その日はそんなに遠くないかもしれない」
「さあどうかしら。それに別れたあの人のことまだ引きずってるんでしょ」
「エミリーのことか……」
「過去にあなたが一番愛した人だったわね。あなたはあの人に愛想つかされて…… そして捨てられた。彼女も苦しんでいたわ。そして彼女はもうこの世にはい ない。自殺だった…… あなたと彼女のせいで、その後、私はかき回されてしまった。あなたが中途半端なことするから私も不幸になってしまったわ」
 嫌味を込めて意地悪くなりながらも、アメリアは言ってしまったことを悔やむかのように顔を歪ませた。
「全ては私の責任だ。だがすまないが彼女のことは君とは話したくない」
「もうなんとも思ってないわよ。私だっていつまでも過去のことにこだわりたくないの。だからあの時、私はあなたの言うことを聞いた。その見返りにいつまでも私を付きまとうあなたと縁を切りたかったから。でもそれがきっかけでまだ縁が続くなんて皮肉なものね」
「あの時、リチャードが現れそして邪魔されて、ベアトリスのライフクリスタルを奪い損ねたことか」
「そうよ、あなたは私にベアトリスを抹殺しろと命令したも同然だった。ライフクリスタルが彼女の命そのものだなんて知らされずに、ただホワイトライトの資格を奪えとだけしか言われなかった。リチャードがあの時現れなかったら私はベアトリスを知らずに殺していたのよ」
「ダークライトのリチャードがホワイトライトを救った…… 本来なら奪う立場なのに」
 ブラムは軽く笑った。
「何がおかしいの。あなたたちが勝手に作ったルールでベアトリスは命を脅かされてるのよ」
「仕方ない。それが我々のルールだから。彼女は気の毒だが運が悪すぎたとしか言えない。彼女は我々の世界では不吉の存在であり締め出され、この世界では、 ダークライトの格好の餌食となり力を奪われれば我々を脅かす懸念となる。抹殺は苦肉の策。ホワイトライト界の秩序を保つには仕方がない。彼女がホワイトラ イトの力を目覚めさせなければ、10歳を過ぎれば自然と力は消滅し、普通の生活が約束されていた。そのギリギリでヴィンセントによって目覚めてしまった。 何もかも奴のせい」
 アメリアは反論する言葉を失ってしまった。だが淡々と語るブラムに憤りを感じる。
「だから私達は必死でベアトリスを守りたいの。抹殺なんて絶対にさせない。あなただって、本当はそれを避けたいんでしょ。だからベアトリスのライフクリスタルを自ら奪えずに理由も言わず私に押し付け、卑怯な手を使った」
「卑怯な手か…… まさにその通りだ。私は卑怯ものさ。君の言う通りだ。命令されても私は、自ら、同士の命は奪えない。しかしこれも私の仕事でありどんな 方法をとってもやり遂げねばならなかった。半分ホワイトライトでありながらそのことを良く知らない君の存在はあの時ありがたかったよ。結局は失敗してし まったがね」
「あなたってどこまでも冷血なのね。目的を達成させるためには手段を選ばない」
「そうさ、その通りさ。だが君は、こんな私の助けを求めた。君こそ目的のためには手段を選んでないじゃないか。みんなそうなんだよ。優先順位ってものがある。何かを犠牲にしてまで、何かをやり遂げたい。そういうものじゃないのかい」
「そうね。そうかもしれない。でもあなたはもう私達に加担したのと同じ、上のものにばれればあなたの地位も危うくなるんでしょ。あなたが自らの手で使命を果たせないのなら、私達と一緒にベアトリスを守るしかない。それがあなたの今の優先でしょ」
「だからできる限りのことをしているじゃないか。だが派手に手助けができない、君の言う通りばれれば私の立場が危うくなるからね。私は最後の手段で何かあれば自ら手を下すが、それまではサポートという形を取らせて貰う」
「それでもいいわ。手助けが必要なのは素直に認める」
「しかしいつまでこういうことが続くのかね。君にも限度というのがあるだろう」
「その後はパトリックが引き継いでくれる。二人はそのうち……」
「結婚っていうことか。パトリックもあの時隠れて我々のやり取りを見ていた唯一事情を知るディムライト。しかもベアトリスに惚れている。中々好都合な存在だ」
「そうなの…… あの時彼もあそこにいたのね。だから何もかも知っていたと言う訳ね」
「しかし、ベアトリスは果たして結婚に前向きなのかい? ヴィンセントもこのまま黙って見てるとは思えないが」
「それこそあなたが言う、何かを犠牲にしてまで何かをやり遂げるってことじゃないのかしら。ベアトリスを守るにはヴィンセントには理解して貰うしかな い。ヴィンセントが近づけなければベアトリスはいずれ諦め、パトリックを受け入れるようになるわ。あれだけ愛されて大切にされたら女っていつしか心なびくものよ」
「君もそういう人がいるのかい?」
「もしいたらあなたは気が気でなくなって心配?」
「ああ、もちろん」
「そういうときだけ都合がいいもんだわ。さんざん放っておいたくせに」
 嫌味をちくりと言いながらもアメリアの表情から寂しげな陰りがみえた。
 アメリアの車が家に着くと、ブラムは無理に作ったような微笑みを浮かべてミストを蹴散らすように消えていった。
 アメリアはドライブウエイに車を止め、消化不良の気持ちを押さえこもうと暫くハンドルを握って運転席に座っていた。
 落ち着きを取り戻すと、助手席においていた鞄から携帯電話を取り出し、リチャードに電話をかける。
 コールに関しての情報はないか確認するためだった。
 特に変わったことはないとリチャードの口から直接聞くが、全く新たな動きがないのも不気味でならない。
 そして見間違えたものが頭から離れず、リチャードにも一応報告した。
「一瞬のことだったから、見間違えの線が強いんだけど、あまりにもコールの姿を思い出さされて少し怖かったわ」
「そっか、しかしなんかちょっと引っかかる。その隣に居た女だけど、ストレートロングの黒髪だったんだな。コールの恋人だったマーサと被るところがある」
「でも側にいたのはちょっと体を鍛えた高校生くらいにみえたわ。バックミラーを見たとき、赤毛の男が近くにいたのかもしれない。コールは機敏な動きで移動するから」
「もしその女がマーサだとしたら、動きを監視して近くにいたということも考えられる。場所はどの辺だ、一応調査しておこう」
 アメリアは場所を告げると電話を切った。

 腹が減ったとヴィンセントが台所に現れると、リチャードは背広に袖を通して出かけようとしていた。
「また事件か」
 ヴィンセントが聞く。
「ああ、コールがうろついてる情報が入った。調べてくる」
「俺も一緒に行くよ。家にいても気が滅入るだけだし、いざというときには力にもなる。気晴らしに暴れてもみたい」
「遊びじゃないんだぞ」
 リチャードは警告するが、ヴィンセントはちゃっかりとついていった。
 アメリアが目撃したという場所に車を止め、二人は手分けして辺りを調査し始めた。
 ヴィンセントが住宅街を歩き回っていると、暫くして、後ろから声を掛けられた。ポールだった。だがそれは外面だけで内面はコール。まさにこの時探していた人物だったが、ヴィンセントはまだ気がつかない。
「よお、こんなとこで、何、歩き回ってるんだ」
「なんだ、ポールか。ちょっと人探しだ。この辺りで赤毛の怪しげな男は見なかったか」
「は? なんだそれ。そんなの見たことないけど、なんでそんな男この辺りで探してるんだ?」
 場所を特定されたことに多少驚いたが、本人を目の前にばれてないことがおかしく笑いそうになるのをコールは堪えていた。
「ちょっとな」
「ふーん、どうでもいいけどね。それより、お前ベアトリスになんかしたのか。アイツ益々おかしくなってきたぞ。自殺しないように見張っとけよ」
「自殺? どういうことだ」
「お前、気がつかないのか。彼女、かなり精神をやられている。何かに直面して、それから逃げようとしている感じだ。あれ以上問題を抱え込んでしまったら、 彼女はつぶれるかもしれない。原因はお前じゃないのか。お前に冷たくされて、ショックとか、それとも他に抱えている問題があるのかもしれないが」
 意味ありげにコールは言った。
 もし自分が原因だったとしたら──。ヴィンセントが思い当たるのは真実を受け入れようとしていたベアトリスを否定してしまったことだった。
 ヴィンセントはいたたまれなくなって、顔を背けて歯を食いしばっていた。
「そんなに辛いんだったら、ベアトリスの側にいてやればいいじゃないか(できればだがな)」
 コールは鼻で笑っていた。
 そのとき、後方からリチャードが近づく。コールは一瞬ひやりとしたが、リチャードも気がつかないことに気を取り直し小馬鹿にした目つきで言った。
「あんた誰?」
「ヴィンセントの父親です。君はヴィンセントの友達かい?」
「まあ、そういうところかな。同じクラスをいくつか取ってるだけだが。それじゃ俺、帰るな。ヴィンセントまたな」
 コールはリチャードも欺き笑いを堪えて、少し肩を震わせていた。
 リチャードを尻目に得意げに去っていった。
 その後姿をリチャードは鋭い目で見ていた。
 アメリアが言っていた体を少し鍛えた高校生の表現と一致するだけに、怪しく感じていた。
「今の子はフットボールの選手でもしてるのか。かなり体を鍛えてそうだが」
「あいつはこの間まで脂肪の塊だったんだが、ここ最近急激に痩せやがった。以前も話したけど、俺に絡んで来た奴ってあいつなんだ。体も痩せて中身も別人みたいになっちまいやがった」
「別人?」
 リチャードは何か引っかかったが、ダークライトの気は一切感じなかったと暫く後姿を見ていた。もう少し調べた方がいいかと思ったとき、ヴィンセントが話の腰を折った。
「なあ、親父。ダークライトの気も感じないし、やっぱりアメリアの見間違いだったんだよ。それより俺、腹減った。飯食いに連れてってくれ」
「仕方ないな」
 リチャードはすっきりしないまま、その場を離れた。
 その後二人はレストランへ向かう。そこでヴィンセントは自棄食いした。未成年なので酒が飲めないが、お変わり自由なストロベリーレモネードを何杯も飲んでいた。
 リチャードはまだまだ子供だと呆れてみている。しかしベアトリスのことで悩み、問題を抱えている息子が不憫でならなかった。
 ヴィンセントは黙々と食べる。プロムが最後のチャンスだとばかり、ベアトリスと二人っきりになることだけを考えていた。
 日がすっかり落ち、空には星が無数に広がる空の下、草原の中でブラムは根の生やした木のように動かずじっと立っていた。
 アメリアにエミリーのことを言われ心をかき乱されていた。
 アメリアの言う通り、エミリーはブラムが過去に恋焦がれた女性だった。その思いはまた蘇り、会いたい気持ちが募っていく。
「まさかアメリアにあんな風に言われるとは……」
 ブラムは一点の輝く星を見る。太陽の光があるうちは気づかれもせず、暗くならないと輝かない星の光。だがその輝きは夜力強く光る。誰にも気づかれない自分の本心のようだとふと笑った。
 アメリアの誤解が解けても、決して許されることがないのはブラムには充分すぎるほど判っていた。だがブラムは自分を貫く。
「私は誰にでもいい加減な奴だと思われやすい性質のようだ。その方が自分には都合がいいのかもしれない。しかし本当の私を知ってくれていたのはエミリー、 君一人だった」
 夜空の星を観客に見立て独り言を呟いた。
 ブラムが忘れられない女性、エミリー。彗星の尾のようにずっといつまでも後を引き続けていた。
 しかしこの時は忘れようと、ブラムも必死に無になろうとしていた。暫し過去のことは封印しておきたかった。
 気を取り直し、ブラムはベアトリスのことを考える。目つきが急に厳しくなった。自分がこの時やらなければならないことは何か再確認しているようだった。

 時は5月に入り、初夏を通り過ごした暑さがやってきた。そして学校ではプロムの話題が後を絶たなくなった。
 相手が既に決まっているものはワクワク、ドキドキと気持ちが浮かれ、まだ決まってないものはハラハラと焦りが出てくる。諦めているものは、アルバイトがあるからとわざとバタバタと忙しさを演じた。相手がいれば、仕事など入れないというものである。
 この時期、相手がいないものは誘って貰いやすく友達に噂を広めて貰う。
 例えば、「友達の友達が言ってたけど、あの子があなたに興味があるみたいでプロム一緒に行きたいって言ってたのを聞いた」とかという言い方をする。
 この友達の友達が言ってたというところがキーポイントなのである。これだけ離れた間柄ならそれは噂らしく聞こえるというものだ。本当は本人がそう言ってくれと言っても。
 その噂が故意で行われていてもそれは皆見て見ぬフリ。方法はどうであれとにかく相手を見つけるためにみんな必死だった。
 これが結構効果があり、それを聞いた相手は電話をして誘いやすくなるという。学校は至るところでそんな意図的な噂が飛び交っていた。
 ベアトリスは本来なら参加しないはずだったが、パトリックとの約束で、急遽参加する事になり、すでにドレスも全ての準備が整っていた。
 しかし、あまり乗り気ではなく、周りが騒いでいても見てみぬふりをしていた。
 話す相手もいないこともあるが、元々人ごみに出るのが苦手だった。
 そんなところにドレスアップして行くのは気が進まない。しかしパトリックを誘ってしまった手前、取り消すわけにもいかず、不安の気持ちを抱いたまま本番を迎えようとしていた。
 ヴィンセントが誰を誘うか気にならないと言えば嘘になる。何も考えないようにすればするほど、プロム自体が頭の中から消えていくのだった。
 何も考えなくとも、本番はパトリックに任せていればそれでいいと、最終的には投げやりになっていた。
 プロムは通常男性が先頭に立ってエスコートする公式なデートの場であって、女性に気配りができないといけない。
 その点パトリックはベアトリスには適役ともいえ、もちろんパトリックはこの日を楽しみにしている。
 そしてその時ヴィンセントが参加することも知っている。もう賭けなど必要とはしないが、ベアトリスがきれいさっぱりヴィンセントを忘れることができる特別な日になるとパトリックは陰で笑みを浮かべていた。
 しかし、ヴィンセントは違っていた。
 ヴィンセントがサラと参加するのには計画があった。ベアトリスと二人っきりになるチャンスを作り、これに賭けていた。
 サラもまたそれに協力する。ベアトリスとパトリックの邪魔をして、ヴィンセントをベアトリスと二人っきりにさせる。それだけが目的だった。
「とうとう本番は今週の土曜日よ。準備はいい?」
 サラがヴィンセントと廊下で話している。
「ああ、覚悟はできている。少し高校生には無理があるかもしれないが、めったにできることでもないし、ディムライトの君の厚意に感謝するよ」
「当日は、私の両親はどちらも仕事でいない。家には身の回りの世話をしてくれる人がいるだけ。その人はノンライトだから、あなたのダークライトの気は感じないわ。だから安心して迎えに来て」
「ああ、君の両親がいれば、俺が現れればパニックになるだろうからちょうどいい。でも君は金持ちの娘なんだな。父親が医者、母親がホテル経営者だとは」
「ディムライトがライトソルーションを手に入れると能力はノンライトと差がつく。そしてお金の稼ぎ方に賢くなるってことよ。プロムの会場も私の母の経営するホテルのチェーン。何かと融通が利くわ」
「当日、君が父親から手に入れた睡眠薬をベアトリスとパトリックの飲み物に入れる」
「そうよ。ベアトリスが眠ってる間に彼女の体の中のライトソルーションを燃やして、そして私が用意した部屋であなたとベアトリスは朝まで二人っきり。後はあなた次第」
「最初聞いたときは無理な設定にぎょっとしたが、今はそれを望んでしまう。いや、別にそのなんだ、そいうことではなく……」
「何を言ってるの? 別にあなたがどうしようと私の知ったことではないわ。あなたたちがきっちり話し合うためにも、ベアトリスのシールドは邪魔。それを取 り除いて思う存分近づいて二人で話し合えばいい。なんならそのまま二人でどこか遠くへ行けば? 誰にも邪魔されないくらい遠くへ」
「えっ?」
「それくらいの覚悟でこのチャンス逃さないでよね」
「あっ、ああ、わかった。ありがとう。だけどその間パトリックはどうなるんだ」
「ベアトリスはライトソルーションのせいで、睡眠薬の効き目はせいぜいもって2,30分くらい。でもパトリックなら朝までぐっすりよ。ホテルには私のこと を知ってるスタッフもいるし、疲れて寝てしまったといって運ぶの手伝って貰うわ。ホテルの部屋なら一杯あるし、私もそこでパトリックの寝顔をみて一緒に朝 まですごすわ。その後のことは考えてないけど、とにかくあなたは朝までベアトリスと一緒にいられるってことよ。だから必ず成功させてよね」
「わかった。俺も後のことはその時でいい。とにかくベアトリスの誤解を解かなければ。このままでは本当にパトリックとくっ付いてしまいそうだ」
「私もそれは嫌だわ」
 二人は真剣な表情で語っていたが、ふと顔を見合わせると笑ってしまった。自分たちの腹黒さを笑うことで浄化しようとしているようだった。
 ヴィンセントとサラが話している様子を仲睦まじくと取らえて、ベアトリスは遠くから隠れるように見ていた。
 ため息が出るが、自分が選んだことの結果であり、ヴィンセントも仲がいい相手ができたことでよかったと納得しようと必死だった。
 ただその相手が自分の良く知る人物なのが複雑なところだった。
 しかし知らない相手であっても同じ気持ちでいただろうと思うと、真実も知らないまま、二人に気がつかれないように歩いていっ た。
 今度はその様子をジェニファーがベアトリスの知らないところで見ていた。
 かつての自分が味わった気持ちをベアトリスが味わっていると思うと、少し気分が晴れる。ベアトリスに対しての憎しみもやや和らいでいた。
 それに影響され、ジェニファーに仕掛けられた影も勢いをなくし、ただ大人しくジェニファーの中に滞在するだけとなっていた。
 そして最後にニヤリと笑みを浮かべ、全てを見ていたものがいた。ポールに扮したコールだった。
 高校生達が繰り広げるドラマなど何一つ興味がなかったが、ベアトリスのライフクリスタルをもうすぐ手にできると思うと血が騒ぐ。
 ライフクリスタルを手に入れる前夜祭だと、プロムも一騒動起こしてかき乱すつもりでいた。
 人々をパニックに陥れ、自分の欲しいものを手に入れる最高の日になりそうだと笑いが腹からこみ上げてきていた。
「みんなの忘れられない最高の日にしてやるよ」
 コールはそう呟いて、ロッカーの前でリップクリームをつけているアンバーの元へと行った。
 アンバーはロッカーの扉の裏側の鏡を見て、唇を重ねてリップクリームをなじませてるところだった。
 鏡に突然赤毛の男の顔が映りこみそれが近づいてくる。誰だろうと後ろを振り返ったときポールが側にいてキョトンとした顔になった。
「なんだよ、俺が側にきちゃ悪いか。気分がいいから折角相手してやろうと思ったのに」
「えっ、何よその言い方。こっちが相手してあげるわよ」
 アンバーは訳がわからないままも、つい素直になれずに意地を張る。その時は深く鏡に映っていた人物について追求しなかった。

 本番当日まではそれぞれの思いの中過ぎていく。
 そして決戦の時がとうとうやって来た。この日に何かを期待し、企んでいるものは真剣勝負で挑む。
 一番中心人物であるベアトリスだけが、始まる前から早く終わって家に戻って来たいと願っては憂鬱になっていた。
 そんな当日の土曜日の遅い朝のこと。
 パトリックの作ったブランチをベアトリスとアメリアは食べていた。
「夕方6時からでしょ、プロム。ここは何時に出るつもり?」
 アメリアが聞いた。
「会場まで余裕をもって3,40分としたら、5時過ぎくらいかな。他の参加者はグループでその前にどこかで集まってると思うけど、ベアトリスは行かなくていいのかい」
 パトリックはどこへでもお供すると嬉しくてたまらない様子で浮かれていた。
「私はただ参加するだけだから、直接そこに行くだけでいい。それにあまり長居もしたくない」
 ベアトリスは対照的に、元気がない声でぼそぼそ答えた。
「あら、折角のプロムなのよ。大人の仲間入り、豪華なデートができるチャンスよ。きっと行けば楽しくなるわ。そしてパトリックが完璧にエスコートしてくれ る。思いっきり甘えてくればいいのよ」
「アメリア、なんかほんとに変わった。以前ならそんなこと絶対言わなかった。よほどパトリックのことが気に入ったのね(結婚を認めるくらい)」
 ベアトリスの言葉で今度はアメリアが黙り込んでしまった。二人の仲を取り繕うと言い過ぎてしまったと自分でも不自然さに気がついていた。
「やだな、二人ともどうして暗くなるの。僕はすごく楽しみでどれだけこの日を待ってたことか。今夜は必ず素晴らしい夜にすることを誓うよ。僕のタキシード姿を見たらベアトリスだって放っておけないんだから」
「それじゃ私も後でベアトリスのドレスアップの手伝いをするわ。パトリックがドキドキするくらいね」
 アメリアは気を取り直して笑顔をベアトリスに向けた。
 ベアトリスも二人に合わせようと笑顔を作る。そしてパトリックを見つめる。
「そうよね、私も今夜は楽しむようにするわ。自分の想像もつかないことが待ってるかもしれない」
「そうだよ。僕は絶対君にがっかりなんてさせないからね」
 ベアトリスはパトリックの嬉しそうに笑う笑顔を見て、自分が受け入れたことなんだと再確認していた。パトリックを好きになろうと自分に言い聞かせているようだった。
 同じ頃、ヴィンセントもまた、挑むようにこの日を迎えた。
 冷蔵庫をあけ、にんじんを手に取りそのままかじって食べだした。それをリチャードがからかった。
「滅多に生でかじったこともないにんじんなんか食べて、今日はそれだけ特別だってことか。だけどプロムデートは誰を誘ったんだ。それとも誘われて断れな かったんじゃないのか。お前がベアトリス以外の女性を誘うこと自体考えられない。こんなパーティに参加しようとするのもなんかお前らしくないというの か……」
「うるさいな。放っておいてくれ」
「まさかお前、よからぬ事を考えてないだろうな。要らぬことを言われたらすぐにそういうのがお前の癖だ」
 ヴィンセントはさすが自分の父親だと思った。読みが鋭い。しかし気づかれてはまずいとひたすらにんじんをバリバリ食べだした。
「腹が減ってるんだよ。いつもこの冷蔵庫の中はろくなものがはいってないじゃないか。そんなこと言う前に何か食べられるものでも買って入れておいてくれ」
「そう言えばその通りだ。すまん。この家は家具もないし、本当に何もないところだ」
 話が違う方向に行ってヴィンセントはほっとした。
「今日は俺、遅くなる。友達と朝まで騒いでくる」
「ああ、わかってるよ。プロムはそういう夜だ。だが、プロムデートには紳士的にするんだぞ。まあお前はそんなことないと思うが」
 ヴィンセントはなんて答えて言いか判らず、ひたすらにんじんをかじっていた。
 実際のプロムデートのサラとは何の問題もないが、計画実行後の相手はベアトリスであり、ホテルの部屋で二人きりとなると、内心紳士的にいられるか正直わからなかった。つい要らぬことを考えてしまった。
 想像したことに罪悪感を感じるのか、ヴィンセントは頭を掻き毟るように引っ掻かずにはいられなくなった。そして横目でコーヒーを飲むリチャードをジロジロみていた。
 ばれたら追い出されることも覚悟して、そんなことを怖がっている暇はないと、もうこのプロムに自分の人生を賭けるつもりでいた。
「なんだお前、さっきからにんじんかじりながらジロジロみて。まるであのウサギのキャラクターみたいだな」
「What's up, Doc? (なんか変わったことある?)」
 ヴィンセントはどうにでもなれと開き直ってそのキャラクターの口癖を真似した。
 リチャードはコーヒーカップをシンクの中に置き、仕事場に向かう準備をする。ヴィンセントに笑顔で楽しんで来いと声を掛けて出て行った。
「明日はあの笑顔が鬼になって、そして俺は地獄行き…… って筋書きかな」
 ヴィンセントは気持ちを奮い起こすために自分の頬をピシャピシャと叩いていた。
 そしてプロムまであと数時間と迫った。まるで決戦のように、それぞれの野望を抱き力が入る──。
 時計の針はプロム開始の時間に刻々と迫っていった。
 参加するものは心躍らせてドキドキしているというのに、支度するギリギリまで自分の部屋のベッドの上で寝転がり、ベアトリスだけは時計を見つめてため息を一つこぼしていた。
「ベアトリス、そろそろ支度しないと間に合わないわよ。早く私の部屋にいらっしゃい」
 いつまでも準備をしようとしないベアトリスをせかすようにアメリアが呼びに来た。
 ベアトリスは立ち上がり、アメリアの部屋へ向かった。
 パトリックがその様子を見ながら廊下でニヤニヤしているとアメリアは忠告する。
「いい、準備が完全にできるまで、覗きはだめよ」
「はいはい。その時を楽しみにしてますよ」
 アメリアはベアトリスを自分の部屋に入れ、気合を入れるような眼差しを向けニコッとした。自分以上にテンションが高くなってるのを見ると、ベアトリスはアメリアが自分の代わりにプロムに行けばいいのにと思ってしまった。
 アメリアの手伝い方は、プロのスタイリストかと思う程、爪の手入れ、髪のスタイリング、そしてメイクと全てをこなす。
 ベアトリスはベッドに腰掛け、されるがままになっていたが、無表情で感情が抜け落ちていた。
 時々部屋の隅にある壷に目をやっては、自分の知ってはいけない真実に悩まされ心を締め付けられた。
「どうしたの? 全然楽しくないみたい。何かあったの? もしかして…… ヴィンセントのこと?」
 アメリアは手元を止めて、心配そうにベアトリスを見つめた。
「ううん、ヴィンセントのことはもうどうでもいいの。もう忘れた。今はパトリックのこと真剣に考えてるわ」
 ベアトリスは目を少し伏し目にして寂しげに語る。アメリアにはそれが無理をしていることくらいすぐに判った。
 だが、助言も確認も何もできない。重苦しい空気を吸いながらアメリアは苦しいながらもそれでいいと肯定するしかできなかった。
「そう、ベアトリスがそう決めたのなら、私も何も言えないわ」
「アメリアは一度学校に来たことがあったね。私の友達を知っておきたいとかいって、私が、ジェニファーとヴィンセントを紹介したんだよね。今だから言うけど、アメリアはあの時ヴィンセントにあまりいい印象を持ってないように見えたんだ」
「そうだったかな。親代わりとしては異性の友達はやっぱり警戒してしまうところがあったのかもしれない」
「アメリアはいつも私に対して何かを心配していた。だけどパトリックがやってきたとき、あんなに警戒していたのに、あっさりと彼のこと気に入っちゃったんだね。それだけパトリックが信用できるって思ったんでしょ」
「そうね、彼の両親とは面識があったし、パトリックも全く知らない子ではなかったわ。それに暫く一緒にいたから彼のことよく見えたっていうのもあるわ」
「そっか、だから結婚を認めたってことなのか」
 アメリアは言葉を失い、手元が完全に静止した。
「私、偶然書類を見ちゃったんだ。最初はショックと怒りで裏切られた気持ちになったけど、今はそれでもいいかって思ってるんだ。私みたいな何もできない人 間にはもったないくらいのいい話だよね。しかもパトリックは私のこと好きでいてくれてとても大切にしてくれる。こんないい条件ほんとないよね」
「ベアトリス……」
「私がここを出たらアメリアも楽になるよね。だから私、パトリックと……」
 ベアトリスが言いかけたことを我慢できず、畳み掛けるようにアメリアは言葉を発した。
「私は、親代わりとして書類を作ってしまった。あれは私にもしものことがあったとき、パトリックが適任だと思ったからなの。あなたの意見を無視してこんな ことが許されるなんて本当は思ってないわ。でも私はこれからのことを思うと、これももう一つの方法かもしれないってそう思ったらあの書類を……」
 アメリア自身、矛盾を充分承知した苦しい言い訳だった。
「もう、いいの。アメリアを責めるために言ったんじゃないの。私も気がついたの。ヴィンセントとはすれ違ってばかりで、私が思うほど彼はなんとも思ってな いんじゃないかって。そう思うのは辛かったけど、これ以上苦しむのも嫌だった。だから距離を置くことにしたの。そしてもう一つ、きっかけになったことがあ る。それは私が背負ってるものがあるって気がついたこと」
 アメリアの顔が真っ青になった。
「アメリアもパトリックも何かを隠してるんでしょ。私が知ったら困ること。私が問い詰めたらパトリックはいつか話してくれるって言ったけど、彼のあまりにも真剣な態度でそれを知るのは私には耐えられそうもないって直感で感じたの」
 アメリアはただ驚いていた。ベアトリスがここまで知って、自分に話してくるのが恐怖でならない。逃げ道がないと追い詰められていくようだった。次第に目も赤くなり、涙が溢れ出しそうになってきた。
「アメリアのそんな表情を見てたらやっぱり隠し事があるんだってまた確信しちゃった。よほど私が知っちゃいけないことなんだね。だったら私も知りたくない。このままでいたい」
「ベアトリス、本当にごめん。ごめんなさい」
 アメリアはとうとう泣きだしてしまった。そしてベアトリスを抱きしめた。
「以前なら知りたいって無理にでも聞き出そうとしたかもしれない。だけど私、これ以上何かを抱え込むともう耐えられないんだ。ずっとずっと体に鉛を抱えて いるような気分なの。だからもう私も聞かないし、私が放棄したんだからアメリアも隠してるからとか罪悪感なんてもたないでね。あっ、こんなことしてたら遅れちゃう。早く準備しなくっちゃ。アメリアも泣いてないで最後まで手伝って」
 アメリアはぎゅっと唇を噛んで落ち着こうとしていた。ベアトリスはそれすら目をそらし、もう何も考えないことにした。
 ベアトリスの思考回路は遮断されたように、都合が悪いことだけは排除された。そしてどんどん心から感情が消えていく。無理に笑うことすらできなくなっていくよ うだった。
 楽しいはずのプロムのドレスアップだが、アメリアはただ必死でベアトリスを着飾っていた。
 ベアトリスはどこを見ているのかわからない焦点をぼかした瞳で黙って従っていた。
 そこにはワクワクするような気分など見当たらない。ベアトリスもアメリアも言葉を交わせず沈黙が暫く続いた。
 準備が整ったとき、アメリアはベアトリスをウォークインクローゼットの中の鏡の前に連れて行く。
「ほら、とてもきれいよ」
「ほんと、私じゃないみたい。ありがとう。アメリア」
 光沢のある薄っすらとした優しげなピンク色のドレス。肩は露出され、胸のふくらみが強調される。下は沢山のレイヤーがあるふわっとしたフレアタイプのドレス。アクセントに大きなリボンが左前についていた。
「ベアトリス、今日は思う存分楽しんでらっしゃい」
「うん。判ってる」
 ベアトリスは安心させようと一生懸命に笑おうとするが、それは却ってアメリアを苦しめた。我慢できずに、ベアトリスを強く抱きしめてしまった。
「アメリア、大丈夫だから。もう忘れよう。私がそれでいいって言ってるんだから、アメリアは何も気にすることはないんだって」
 ベアトリスはもう一度鏡の中の自分を見つめる。ドレスアップした姿は別人だった。
 虚ろな目でみる自分の姿は、表面はきれいに飾り立てても、中身は空っぽで空疎に見えた。
 しかし自分が選んだことに、もうとやかくいうこともなかった。
 全ては流されるままに、そして自分という自我を閉じ込めた。
 居間では黒のタキシードに着替えたパトリックがそわそわしながら待っていた。
 部屋のドアが開く音がすると、ぱっと目を大きく見開きその瞬間を楽しみにドキドキしだした。そして後ろを向いて大人しく立ち自分の襟元を正して、にやけていた。
「パトリック、お待たせ」
 ベアトリスが声を掛けると、ゆっくりとパトリックは振り返る。その瞬間、声を失い、ベアトリスに目が釘付けになり動かなくなった。
「パトリック? どうしたの? もしかして気に入らなかった?」
「違うよ。その反対。あまりにも美しいから、僕、その、心臓止まった気分」
「ありがとう。パトリックもとても素敵」
 パトリックはピンクのバラの花をあしらったコサージュをベアトリスの左腕に飾り付ける。ベアトリスも赤いバラのブートニアをパトリックの襟元につけた。
 アメリアが二人の姿を写真に収めていた。
「二人とも本当に素敵よ」
「それでは、責任を持ってベアトリスを今夜預からせて頂きます」
 パトリックは真面目な顔つきで、アメリアに訴える。最後まで紳士的でいると誓っているようだった。
 二人は車に乗り込み会場へと向かった。

 プロムがある日は、着飾ったカップル達が団体でレストランや誰かの家に集まってパーティが始まる前に先に食事を済ませたり、本番の前のウォーミングアップで友達と軽く騒ぎあう。至る所で華やかなドレスやタキシードに身を包んだ高校生達を見かけることも多い。
 リチャードも外で仕事中、着飾った高校生達を見かけていた。
 自分の息子もプロムに参加してるんだと軽く同僚と話しているときだった。
 事件の連絡が入り、緊張感が走った。現場に出かければダウンタウンの近くの川に死体が上がっていた。損傷が激しかったが、リチャードはダークライトの残り香を一瞬で感じ取った。
 鋭い目つきで、目の前の遺体を隅々まで見渡す。遺体は鑑識に回さないと身元がわからないが、半信半疑になりながらも、急ぎ足で心当たりのある場所へとやってきた。
 そこはザックのアンティークショップだった。店は閉店と書かれたサインが窓際に飾られている。中は荒らされた様子もない。
 近辺の聞き込み捜査を開始すると、ザックの店はここ数週間閉まったままだと知らされた。
「ザックは年も取りダークライトでも全く力をなさないタイプだ。まさか何かコールと関連性でもあるというのか」
 リチャードは更にマーサの店へと足を運んだ。
 リチャードは自分の勘を頼りに確認を急いだ。

「ベアトリス、会場に着いたよ。なんだか僕も緊張するよ」
 パトリックがホテルの駐車場に車を停める。辺りは同じように駐車し、車から出てきた着飾ったカップルが駐車場の暗いコンクリートの建物の中で花を咲かせたように目立っていた。
 パトリックが先に車を降り、助手席に回るとベアトリスの車のドアを開け、手を差し伸べた。ベアトリスは彼の手を取り、覚悟を決めたように、力を入れて立ち上がった。
 二人が会場に向かって歩いていると、後ろから声を掛けられた。
「よぉ、ベアトリス! へぇ、なかなか、いかしてるじゃないか。いつものお前じゃないな。最後の…… いや最高の日にふさわしい艶姿だぜ」
 ポールの皮を被ったコールだった。隣でアンバーが露骨に気を悪くしていた。早く行こうと催促するが、コールはベアトリスの側から離れたくないと、一緒に行動をしようとした。
 これにはアンバーだけでなくパトリックも驚く。ベアトリスの手を握り、急ぎ足になった。それでもコールはぴったりとついてきた。
 そしてホテルの会場の入り口に来たときだった。ベアトリスが目を見開いて突然立ち止まった。
 目の前にはアイボリー色のタキシードを来たヴィンセントがクリムゾンのカクテルドレスを纏ったサラと一緒に会場に入ろうとしている。
 ベアトリスは見なかったことにしたかったのに、パトリックが積極的にベアトリスをそこへ連れて行く。ヴィンセントがいることで賭けを思い出させようとしていた。
「パトリック、ちょっと待って。もうちょっとしてから会場に入ろう。今はその……」
 ベアトリスの言葉など耳に入ってないように、パトリックはサラに声をかけた。
「やあ、サラだったよね。君も来てたんだ」
 その言葉でサラとヴィンセントは振り返る。サラはパトリックの姿に惚れ惚れするような表情でにこやかになり、ヴィンセントを放っておいて、パトリックの側に寄って話しかけた。
 ヴィンセントは少し離れてベアトリスの姿に暫し見とれていた。だがベアトリスはヴィンセントから目を逸らした。
 後ろでコールが待機していた。アンバーは何が起こってるのかわからずそれぞれの様子を唖然とみていた。
 ヴィンセントがベアトリスに近づくと、パトリックは顔をしかめた。
──なぜヴィンセントがベアトリスに近づけるんだ。
 パトリックは辺りを見回すと、アンバーの存在に気がついた。アンバーが嫌な顔をしているのを見て、ベアトリスのシールドに影響を与えていると思い込んで しまい、本当の原因がサラだとはこのときまだ気がつかなかった。
「ベアトリス、とても美しいよ。あの時の白いドレスもよかったけど今日のドレスもかわいいね」
 ヴィンセントが優しく微笑んで語った。
「あの時の白いドレス?」
 ベアトリスは、はっとした。彼のアイボリーのタキシードには見覚えがあった。そして自分がその時白いウエディングドレスを着ていたのを思い出す。
──どういうこと。あの時の夢のことヴィンセントが知ってるなんて考えられない。でもなぜ……
 ベアトリスが混乱しているとき、パトリックが意地悪い笑みを浮かべヴィンセントに向けた。
「サラ、紹介してくれないか、君のプロムデートを」
「ああ、この人はヴィンセントといって、ベアトリスのクラスメートよ。今回私がプロムに参加したくて無理に相手として私がお願いしたの。だって行きたい人と行けないから誰ともいかないとか言ってたのよ。勿体無いじゃない。だから、渋々って感じで無理に参加させちゃった」
 それを聞いてベアトリスは驚いてヴィンセントを見つめた。ヴィンセントはその通りだと頷いていた。
 パトリックは嫌な方向に流れる懸念を感じて、ベアトリスを自分の側に引っ張った。彼女は自分のものだとアピールしているつもりだった。
 ヴィンセントはパトリックといつものように暫く睨みあってる間に、サラはベアトリスに近づき女同士を強調してさっさと会場に足を向けた。
 大人しく先についてきたのはコールだった。慌てて、アンバーが駆け寄ると、ヴィンセントとパトリックもこんなことはしていられないと後を追いかけた。
 会場の入り口に一歩踏み入れると、そこは舞踏会のように華やかに飾られ、着飾った人々でごった返しになっていた。
 前にはステージも設けられ、催しの準備が整っているのか飾りや小道具が置かれ何かが用意されてそうだった。これからまさに大イベントが始まる雰囲気がどこを見ても伝わってくる。
 大きなホールの中では6人掛けの丸テーブルが幾つも並べられ、それぞれ席についていた。アンバーがジェニファーを見つけ側に行こうとしてもコールは無視をしてベアトリスと一緒のテーブルについた。
「ちょっとポール、なんでこの人たちと一緒に座るのよ」
「仕方ねぇだろ、ジェニファーの隣にはブラッドリーがいるんだから。アイツ俺のこと恐れてるし、離れてやった方がいいんだよ」
 アンバーはそうだったと諦めて、がっくり感が拭えなかった。諦めて大人しくコールの右隣に腰掛けようとさらに自分の右隣のパトリックに軽く会釈をして席に着いた。
 コールの目の前にはベアトリスがいる。隣のアンバーよりもベアトリスばかり見ていた。アンバーは益々不機嫌になり、ベアトリスを見ては露に不快感を見せ付けて睨んでいた。
 アンバーの負の感情のためにヴィンセントがベアトリスの側に来てもシールドが効かないと、側に座るアンバーにパトリックは苛立っていた。
 サラはベアトリスに負の感情を持ってることをパトリックに悟られないことでアンバーに感謝したい気持ちだった。この計画がうまく行きそうとニヤリと笑っては目の前のパトリックをチラリと見つめた。
 ヴィンセントは左隣に座るサラを飛び越えてベアトリスに熱い視線を送り続ける。この日何が起こるかもう後には引けないと最初から飛ばしてい た。
 またそれを見たパトリックはヴィンセントの態度に心かき乱された。そして疑念が沸々とわいてくる。
 ──あいつ、何か企んでいるに違いない。サラも無理に頼んだとはいえ、自分のプロムデートが他の相手に気を取られて、どうしてあんなに平気で僕を見て笑っ てられるんだ。さっきはヴィンセントがプロムに参加した姿をベアトリスに見せることに気を取られて深く考えなかったが、よく考えたら、ディムライトがダー クライト と一緒に行動すること自体変だ。まさかサラも一枚噛んでるのか。
 ヴィンセントの右隣にはコールが座っている。コールはパトリックとヴィンセントがベアトリスの取り合いに必死になってる様子に気がつき、最後に笑うのは 自分だと、二人を嘲け笑っていた。
 ベアトリスはこのテーブルのメンバーに落ち着かず、ただ下を向いていた。そしてヴィンセントが言った言葉に惑わされていた。
 ──自分しか知らない夢なのに、ヴィンセントは知ってるような口ぶりだった。でも、あの時ヴィンセントが口にした言葉……  まさかそんなことありえない
 閉じ込めていた思いがヴィンセントを目の前にしてまたくすぶり始める。
 そして、プロムの開始。
 会場が一気に盛り上がる中、このテーブルだけはベアトリスを見つめるそれぞれの目が怪しく光る。各々の計画のために──。
 会場は色とりどりに着飾った高校生達が、各々の思いを抱き、いつもは味わえないパーティに酔いしれていた。
 ステージでは催しが始まり、それに合わせて盛り上がる人もいれば、無視 して好き勝手に騒いでいる人もいたりと楽しみ方も人様々だった。
 全てのものが正装しているために、パーティは格式高く、見る者全てが豪華で夢のような一時を過ごしている。
 そう、誰もが楽しく過ごしているはずだった。しかしベアトリスが座るテーブルだけは違った空間のように重たい空気がどんよりと漂っていた。
 パトリックは油断ならないとヴィンセントを警戒し、火花を散らせるように見つめている。
 ヴィンセントは計画を成功させたいためにパトリックに注意を払いながら、平常心を装うが、時折ベアトリスを見つめては実行のときのことを考えると緊張感で目つきが真剣になっていた。
 そこにコールがまた視線を投げかけていやらしく笑みを口元に浮かべている。
 ただならぬ雰囲気が漂い、ベアトリスは落ち着かず下を向いていると、サラが話しかけた。
「ねぇ、ベアトリス、少し痩せたんじゃない?」
 サラはベアトリスの体をまじまじ見つめて言った。
「そうかな。そうだったらいいけど」
「だけど、ベアトリスって結構胸あるんだね」
 サラは少し嫉妬の目で眺めてしまう。自分でも気になって見てるくらいだったので、パトリックは当然ジロジロ見ていたと思うと、無性に悔しくなってきた。
 それでもこの日の計画を無事に終わらせたいと、それだけを考えて無理に笑顔を顔に浮かべる。
 二人が女同士の会話をしている最中も、パトリックとヴィンセントは気が抜けないとテーブルを挟んであからさまに睨み合っていた。
 アンバーは仲良くない連中と同じ席に座っていることに不満を抱き、始まったばかりなのに折角のプロムが台無しだと嫌な顔をして、テーブルに肘を突き、頬に手をあて拗ねていた。
「アンバー、つまんなさそうだな。まだ時間もたっぷりあるし、それじゃ踊ってやろうか」
 コールがそういうと、アンバーの顔は晴れやかになり、勢いよく立ち上がった。
「お前も来いよ、ベアトリス。そこのパートナー誘って。だけど本当はヴィンセントと踊りたいんじゃないのか」
 これにはパトリックが憤慨した。即座に立ち上がり、コールの前に立ちふさがる。
「君、失礼じゃないか」
「パトリック、止めて! この人にかかわっちゃだめ」
 ベアトリスが二人の間に入り、パトリックの体を押さえた。
「ポール、パトリックは私の大切な人なの」
 ベアトリスの言葉に、パトリックはすぐに落ち着きを取り戻し、身を引いた。
「ふん、相変わらず煮え切らないぜ、お前は。正直になればいいものを」
 コールはアンバーを連れてダンスホールへと向かった。
 ベアトリスは何事もなかったようにパトリックしか見ていないという目を向けた。必死にパトリックが大切だと訴えている。
 そしてパトリックの手を取り、自らダンスホールへと向かった。
 サラはそれを危機感とばかりに眉間に皺を寄せて見ていた。
「ヴィンセント、気合を入れないといけないわよ。ベアトリスは本気でパトリックのことを考えているわ」
「えっ、どうしてそんなことがわかるんだ」
「ポールとかいう人の言葉に挑発されて、必死にそうじゃないと打ち消そうとしてる。目立つことが嫌いなベアトリスが自分からダンスホールにパトリックを連れて行ったのよ。これって、それだけムキになってパトリックとの関係を深めようとしてるっていうのがわからないの」
 ヴィンセントは言葉を失った。
「だけど、あのポールって人、なんか怪しい。なんだろう、あの人、妙にベアトリスに絡んでくるというのか、ただの意地悪ってだけじゃない感じがする」
「あいつ、昔はあんな奴じゃなかった。太ってて自分に自信がなくて大人しかったのに、急に別人になっちまいやがった」
「だけど、今はあいつのことを議論してる場合じゃないわ。勝負はこれからよ。それに今が飲み物に睡眠薬を入れるいいチャンス」
 サラはホテルのスタッフに手を上げると、新しい飲み物を持ってこさせた。テーブルに赤いカクテルを思わせるような飲み物の入ったグラスが置かれた。ヴィ ンセントは辺りを見回し、ばれないように気を配りながら、パトリックとベア トリスのグラスにサラが薬を入れるのを手助けした。
 薬は赤い液体の中で怪しく混ざり合う。ヴィンセントとサラにだけ毒薬の様に見えた。
「後はあの二人がこれを飲み干すように仕向けないと」
 サラがそう言うと二人はグラスを静かに見つめていた。
 ベアトリスはパトリックをダンスに誘ってみたものの、どうしていいのかわからなかった。焦りながら気まずい思いを抱き、苦笑いして誤魔化していると、パトリック が大丈夫だと微笑み、ベアトリスの腰に手を回し体を左右にゆっくりと動かした
「僕の腰に手をまわして、僕に合わせるように体を動かしてごらん。それだけで踊ってるように見えるから」
 背筋が伸びたパトリックは優雅に体を動かす。踊ることよりもベアトリスと二人で密着して向かい合ってることの方が嬉しいとばかりに笑っていた。
 パトリックの笑顔にベアトリスも次第とリラックスしていく。
 ──パトリックに合わせてついていけば本当に楽だ。
 そう思ったとき、またコールがアンバーと踊りながらわざと絡んできた。
「さっきは変なこと口走ってすまなかったな。あまりにもベアトリスがじれったいから、つい意地悪してしまった。だけどあんたはなんでベアトリスが好きなんだ。彼女に隠された魅力でもあるのか。例えば自分の利益になるとか」
 ニヤリと意地悪い笑みを浮かべてパトリックを挑発する。
「君は謝りながらも、とことん失礼な奴だな。君の質問に何一つ答える義務はない」
「まあ、いいさ。ベアトリス、その男には気をつけるんだな」
「気をつけるのは君のことのようだが」
「それも、そうだ。一番気をつけるのはこの俺様だ。そうだった。ははははは」
 コールは愉快とばかりに大笑いする。
 パトリックは頭のいかれた奴だと軽蔑の眼差しを向けた。
 アンバーはコールに合わせながらも、この状況にどう反応していいのかわからず、困惑したまま黙って踊り続けていた。
 ベアトリスは、コールが以前言っていた言葉を思い出し、妙に気になり始めた。
 ──あの人、私のことについて何かを知っていて、そして悩みを解放してやるとか言っていた。こんなにも絡んでくるのは何か意図があってのことなの? だけど利益になるってどういうこと?
 ベアトリスが沈んだ顔になっているのをパトリックが気づくと踊るのをやめた。
「大丈夫かい。僕が無理に頼んだばっかりに嫌な思いさせてしまったね」
「そんなことない。こんなにきれいに着飾って、パトリックと一緒に来れたんだもん。よかったと思ってる。パトリックは頼れるし、一緒にいてて安心す る。本当にありがとう」
 ベアトリスの笑顔を見ると、パトリックは事をはっきりさせたくなり話を切り出した。
「一つ聞いていいかい、ベアトリスが思いを寄せていたのは、あのヴィンセント…… って男なんじゃないかい」
 パトリックは、初めて事実を知ったフリをする。
「もう隠す必要もないから正直にいうと、その通り。でももういいの。私はパトリックの側に居たいから、彼のことはどうでもいいの」
「えっ? それは本当かい」
「うん」
「それじゃ、結婚のことも」
「前向きに考えてる。あっ、だけど、今すぐにはちょっと、まだ高校生だし」
「ああ、式は先でもいい。君が側にずっといてくれるなら」
 あまりの嬉しさに、パトリックは飛び上がって発狂しそうになった。それを必死に押さえるが、顔のにやけが止まらない。
 暫く二人の世界に浸り見つめて突っ立っていると、混み合ったダンスホールでは邪魔だとどんどん端においやられ、仕舞いにはフロアーから追い出されていた。二人は居場所がないと笑ってしまい、そして席に戻ることにした。
 席に戻ると、パトリックはヴィンセントに勝利の笑みをきつく投げかけ、ベアトリスの手を握ってわざと見せ付けた。
 ヴィンセントはパトリックの策に冷静さを失い焦りを感じ、テーブルの下で片足をゆする。サラが足で軽く蹴っては落ち着けと牽制していた。
 サラにもこの状況は耐えられない。望みの綱はヴィンセントの行動にかかっていると思うと、年下でありながらも司令塔のように指図をせずにはいられなかった。
 ヴィンセントもサラも睡眠薬が入ったグラスに視線を注ぐ。
 早く飲めとどちらも心の中で願っているが、パトリックもベアトリスもそのグラスに見向きもしなかった。
 時間だけが刻々と過ぎ、グラスの氷も溶け出した。
 痺れを切らしたサラは次の作戦を考える。
「ねぇ、乾杯しようか」
 サラは自分のグラスをもちベアトリスに向けた。
「何に乾杯するの?」
 ベアトリスは、ただ合わせてグラスを持つが、あまり乗り気ではなかった。
「とにかくなんでもいいわよ。折角のパーティなんだから」
 サラは無理にベアトリスのグラスに自分のグラスをぶつけ、そしてパトリックにも催促する。
 パトリックも圧倒されて一応グラスを手にして、サラのグラスと合わせた。
 サラはヤケクソになって飲み干すが、ベアトリスもパトリックも唖然とそれを見ているだけで一向に飲まない。
 イラッとしながら、サラはまたヴィンセントの足をテーブルの下で蹴った。
 ヴィンセントも何とかしなければと自分のグラスを手にして宙にあげる。
「今夜という日が素晴らしい日となるように、僕も乾杯」
 ヴィンセントがそういうと、パトリックはそれにのせられてニヤリと笑った。
「ああ、そうだな。今夜は本当に素晴らしい日だよ。特にベアトリスと僕にとっては。乾杯しなくっちゃな」
 パトリックはベアトリスとグラスを合わせた。
 ヴィンセントはパトリックの鼻の付く態度に腹を立てながらも、とにかくそれを飲めと歯を食いしばって耐えていた。
 そしてパトリックが飲み始めると、ベアトリスもつられて飲みだした。
 ヴィンセントもサラも固唾を呑んでその様子を見ていた。
 その時パトリックはふとこの状況がおかしいことに気がついた。
 ──ちょっと待て、今ここにベアトリスに負の感情を持っているあの女性がいない。しかし、なぜヴィンセントはこんなにベアトリスの近くで平然としていられるんだ。まさか、負の感情を持っているのはサラなのか?
 パトリックは半分も飲まないうちにグラスを置いた。
 ヴィンセントはチェッと小さく舌打ちする。
 ベアトリスも全てを飲み干してないことにサラも焦りを感じ出した。もう勢いで実行するしかないとサラが立ち上がった。
「ベアトリス、ちょっと付き合ってくれない」
「ちょっと待って、どこへ行くんだ」
 パトリックがサラに警戒の眼差しを向けた。
「やだ、女性にそんなこと聞くなんて。もちろん化粧室に決まってるでしょ」
 パトリックが何も言えないまま、サラはベアトリスの手を取って無理やり引っ張っていった。そしてヴィンセントに何かを伝えるような視線を投げかけた。計画の実行の合図だった。
 残されたヴィンセントとパトリックは対峙し合う。
「正直に話せ。何か企んでいるんじゃないのか」
 パトリックが噛み付かんばかりに攻撃の目を向けた。
「なんのことだ」
「なぜベアトリスの側に平然とお前がいられるんだ。サラが負の感情を持ってるからじゃないのか」
「だったらどうなんだよ」
「それを利用してお前が何か企んでいるってことじゃないのか」
「俺は別に何もしてないじゃないか」
「ああ、今はな。でももう何をしたところで無駄さ。ベアトリスは僕の側にいたいと言ってくれた。それに僕との結婚を前向きに考えてくれている。だからもう僕たちの邪魔をしないでくれ」
「俺はまだ彼女の口からは何も聞いていない。お前が諦め悪いように、俺も諦めが悪いものでね」
 二人が険悪な雰囲気の中、コールとアンバーが席に戻ってきた。
「おっ、なんか一触即発って感じだな。ところでベアトリスはどうした?」
「トイレ!」
 ヴィンセントとパトリックは声を揃えて言った。二人はお互いを殴り飛ばしたいほどに苛立っていた。

 その頃、リチャードはマーサの店のドアを叩いていた。
 怪しげな色合いに光るネオンのサインの電源が入っていない。ドアノブをガチャガチャするが中から何の応答もなかった。
 気を研ぎ澄まし、辺りにダークライトの気配が残ってないか確かめ、うろうろしていたときだった。
 近辺に住んでいる年寄りのおばあさんがお節介に声をかけ てきた。
「あんたマーサのいい人かい?」
「いえ、私はただの知り合いでして」
「どうでもいいけど、マーサは今若い男に夢中だよ。しかも高校生くらいのね。今日もデートなんじゃないかな。昼間も来ていたようだ」
「高校生?」
「ああ、最近頻繁に現れていたよ。私もね、あまりにも若い男の子だったからちょっと気になって観察してたんだけど、その子もマーサに恋をしてからなのか最初は太っていたのに、急に痩せ出して、かなり体が締まっていったよ。恋はマジックだね」
「痩せた? ばあさん、その高校生だけどどんな感じの子だ」
「そうだね、ちょっと人を小馬鹿に見るようなきつい目つきで、体が締まってからはフットボール選手みたいになってたね」
「まさか…… 」
 リチャードは顔を青ざめた。
 ──あの遺体がザックだとしたら、コールはザックを使ってノンライトに成りすまし、ヴィンセントに近づいた。そしてザックは口封じに殺された。そう考 えればヴィンセントが言っていた絡んでくる奴がいると言う話の辻褄が合う。アイツはヴィンセントから情報を得ようとしてたんだ。あのときアメリアが言って いたコールの姿を見たときの話もバックミラーを通じてだった。なぜ気がつかなかったんだ。ザックが力のないダークライトだと思い込みすぎて見落としてい た。油断していた。なんてことだ。
 自分の思っていることが正しければベアトリスが危ない。慌ててプロムが開かれているホテルへとリチャードは足を向けた。
 ベアトリスはサラに引っ張られてホテルのエレベーターに乗せられた。
「どこへ行くの?」
「実は部屋を取ってあるの。ほらこんな格好でしょ、お化粧崩れにも気を遣わないといけないし、大人数のパーティだとトイレって混み合うから、ゆっくりできるように個室のトイレを確保したって感じね」
 ベアトリスは唖然と聞いていた。
 エレベーターが止まると、サラは真剣な顔になり、部屋へ向かう。ベアトリスはただ言葉なく後をついていった。
 カードキーを差込みドアを開け、二人は部屋へ入る。サラの緊張感が高まり、事がうまく行くことを願いベアトリスを見つめて静かに微笑した。
 ベアトリスは何も知らず、部屋を見渡した。
 クィーンベッドが一つあり部屋の真ん中辺りに置かれている。ベッドの前には引き出しつきの棚、その上には大きなテレビも置かれ、窓際には小さなテーブル とゆったりと座れる椅子が二つ置かれていた。その端にはデスクがあった。
 壁紙や絨毯の色合いも暖かみのある暖色で落ち着き、高級感が漂っていた。
「きれいなお部屋なんだね」
 ベアトリスが窓際に寄って景色を眺めている。そして大きく欠伸をした。その欠伸をサラは見逃さなかった。
「ベアトリス、ちょっと疲れたんじゃない? 時間かかるかもしれないからベッドで少し横になってていいよ。それじゃ、バスルームでちょっと身支度してくるね」
 サラがバスルームのドアをバタンと閉めると、ベアトリスはベッドの端に腰掛けた。座りながら窓の景色を見ている。
 そしてまた欠伸が出て、それが短い間隔で何度も出るようになってしまった。
「やだ、なんか眠たくなってきた」
 堪えようとするが、強い睡魔が瞼を重くする。何度抵抗しても、その眠気は決して追い払えなかった。そして10分経ったころには、ベッドに体を横たわらせ眠りについていた。
 バスルームのドアをそっと開け、サラはベアトリスの様子を見る。ベッドに倒れこんだように横になっているベアトリスを見ると、息をふぅーっと吐いた。
「薬が効いたみたいね。だけど、あまり長く持ちそうにないわ」
 サラはベアトリスの足をベッドに乗せ体をごろんと押してベッドの中央付近に来るように寝かせてやった。横向きになりベアトリスは無防備に眠っていた。
「これを見たらヴィンセントは理性を保てないかも」
 そんなこと言ってる暇はないと、サラは大急ぎで会場に戻って行った。

 同じ頃、ヴィンセントと睨み合いを続けていたパトリックが睡魔に襲われ、こっくりと何度も首をうなだれ始めた。
 ヴィンセントが静かに笑う姿が何重にもダブってみえていた。
「くそっ、急に眠たくなってきやがった。しかも抵抗できないくらい、体が沈むように眠たい。ヴィンセント、まさかお前、飲み物に何かいれた…… ん じゃ……」
 パトリックは立ち上がろうとするが、突然がくっと電池が切れたロボットのようにテーブルの上に顔を伏せて崩れた。
 ヴィンセントは静かに立ち上がり、テーブルを後にする。
「おい、ヴィンセント、どこへ行くんだ。お前こいつに何をしたんだ」
 ヴィンセントはコールを無視した。そしてこれからが本番と気合を入れた。
 ホテルの廊下でサラと出会う。言葉を交わさず、目だけで合図をしてすれ違った。
 テーブルにサラが戻ってくると、コールは怪しげに見ていた。
「おい、ベアトリスはどうしたんだ?」
「あら、先に戻ってるっていってたけど、まだ戻ってなかったのね」
 サラはパトリックの側に寄り、辺りを見回してホテルのスタッフを呼んだ。
「ん? お前ら一体何を企んでいるんだ。ベアトリスはどこなんだ」
 サラもまたコールを無視をする。そしてホテルのスタッフが二人が現れると、パトリックの腕をそれぞれの肩に抱えてどこかへと運ぼうとしていた。サラはその後をついていった。
「ちょっと待てよ」
 コールが立ち上がろうとすると、アンバーが彼の腕を掴み、睨みつけた。
「もう、いい加減にして、私がプロムデートなのに、ベアトリスのことばかり。もう我慢ならない。最後まで私に責任もって付き合ってよね」
「おい、放せよ」
「嫌っ!」
 アンバーも必死ですがりついていた。

 上昇中のエレベーターの中でヴィンセントはタキシードの襟元を正した。これからが勝負と、強張った表情でかなり緊張している。
 エレベーターが止まり、ドアが開く。それぞれのドアの部屋番号を確認しながら、サラから予め与えられたカードキーを持つ手に力が入った。
 そして頭に描いていた番号と一致するドアの前に立つ。一度大きく深呼吸をしてカードキーを挿入し、カチッとロックが解除された音と共に、ドアノブ附近に付いていたビーズほどの小さなランプが赤から緑へと変わった。
 息を飲んでドアをそっと開けた。
 心臓がドキドキと激しく高鳴り痛いほどだった。ベアトリスのシールドも働き体も締め付けられる。それをぐっと堪えて、部屋に進入──。
 ベアトリスが何も知らず眠らされてベッドに横たわっている姿が目に飛び込むと、罪悪感が突然襲い一度顔を背けてしまった。
 息苦しくなり、蝶ネクタイを外した。
 体をくの字にかがめながら、暫く顔を背けたままだったが、過去に二度ベアトリスに近づけても満足に何もできなかったと思うと、ヴィンセントは腹の底から力を込めて覚悟を決めた。
 ベアトリスと向かい合い、右手をあげて、指をパチンと鳴らすと、青白い炎がベアトリスに放たれた。
 あっという間に青白い炎はベアトリスを包み込み、体の中のライトソルーションを激しく燃やしていく。
 ごくりと唾を飲み込み、ヴィンセントは不安になりながら燃えるベアトリスを静かに見つめていた。
 ベアトリスは何も気がつかず、炎に覆われながらも安らいで寝ている。やがてその火は勢いをなくし、そしてすっと消えていった。
 ヴィンセントはゆっくりとベアトリスに近づき、苦しくないのを確認した。
 ベアトリスの頬に触れようと、手を伸ばす。その手は神聖なものに触れるかのように恐々と震えていた。
 温かく柔らかい頬に触れると、ほっとした笑みが自然とこぼれたが、次の瞬間突然表情が厳しくなった。それが何を意味しているか、ヴィンセントにはよくわ かっていた。
 ベアトリスがもっとも危険な状態。
 もう後には引けない、そして失敗もできない。このチャンスを逃せば、ベアトリスはパトリックのものとなってしまう。
 相当な覚悟を持ち、ヴィンセントは暫くベアトリスの顔を眺めていた。ベアトリスが目覚めるその時を静かに待った。

 パトリックが二人のホテルのスタッフに抱えられ、エレベーターに乗せられようとしているときだった。
 突然ぱっと目が覚め、抱えられている手を払いのけた。
 一瞬のうちに置かれている立場を把握する。
「何をするんだ」
 パトリックは少しふらつきながら、普段見せない恐ろしい怒りの目を側に居たサラに向けた。
「卑怯じゃないか。飲み物に薬なんか入れて、僕を眠らせるなんて。ベアトリスはどこにいる。ヴィンセントは? まさか、あいつベアトリスを眠らせて手を出そうとしてるんじゃ」
 サラは血の気が引いた。睡眠薬入りの飲み物を半分しか飲んでないとはいえ、異常な程に効き目が短かったことに計算が狂った。
 サラの誤算だった。パトリックはベアトリスと一緒に住んでいる間、ライトソルーションの影響を受けたバスルームで、ベアトリスと同じように表面から吸収 していた。普通のディムライトよりも摂取量が増え、その能力も増し、薬の効き目も効果が薄れた。
 サラはその場で崩れるように泣き出した。何度もごめんなさいと繰り返した。パトリックに嫌われてはもうお終いだった。
 パトリックは機転を利かす。脅してはいけないと急に優しい態度を見せ、サラに近づき肩に軽く手を置いた。
「サラ、落ち着くんだ。全てはヴィンセントが企んだことなんだろう。君は利用されただけなんだ。ベアトリスはどこにいるんだ。お願いだから教えて欲しい。 正直に答えてくれたら僕は君の事を許すよ」
 パトリックの巧みな言葉にサラは呑まれ、部屋のカードキーを渡し、フロアーとルームナンバーを呟いた。
 パトリックはそれを受け取り、エレベーターのボタンを押して、開いたドアに滑るように乗り込み、フロアーのボタンを拳で叩いた。
 上昇する間、フロアーの数字を睨みつける。目的の階につくと、ドアが開く前から真正面に立ち、少しの隙間をこじ開けるように飛び出した。
 慌てて、つんのめりそうに走りながら言われた部屋の番号を見つける。そしてカードキーを差込み、部屋に入り込んだ。
 物音に驚きヴィンセントが振り返ると、そこにはパトリックが恐ろしい表情で立っている。計画の失敗に髪が逆立ちそうなぐらい驚き、ヴィンセントは目を大きく見張っていた。
 パトリックはベッドに横たわるベアトリスの側でヴィンセントが立っているのを見ると、腹の底から煮えくり返った怒りが噴出する。
「ヴィンセント、なんて卑怯な。見損なったぜ」
 パトリックはヴィンセントに近づき、殴りかかろうとすると、ヴィンセントは素早く避け、パトリックの腕を掴んだ。
「くそっ! あっ、お前、ベアトリスのシールドを……」
 ヴィンセントがベアトリスの側で平然としていることにパトリックがすぐに気がついた。
「ああ、解除したよ。こうするしか俺はベアトリスに近づけない」
「お前、何をやってるのかわかってるのか」
「ああ、判ってるさ。何もかも承知の上さ」
 パトリックはもう片方の手で殴りかかろうとするがどちらもヴィンセントに掴まれ手の自由を失った。
「放せ」
「殴られるのはごめんだ」
 二人が怒りをぶつけ言い争いに気をとられているとき、ベアトリスは目が覚めるが、暫く状況を把握できずにベッドでぼーっと横たわっていた。
 ──あれ、ヴィンセントとパトリック?
「卑怯なことをしておいて、何が殴られるのはごめんだ。やはりお前はダークライトだ。やり方が汚すぎる」
 ──ダークライト? どっかで聞いたことがある。
「ディムライトのお前だって卑怯なところがあるだろうが。お前の親がベアトリスの正体に気がついたとたん彼女の親に金と権力を見せびらかせてその地位を約 束し、ベアトリスの意思も無視して親同士で勝手に婚約させちまいやがった。地位を手に入れるためなら手段を選ばない。そしてお前もホワイトライトの力が欲 しかったんじゃないのか。だから親の言いなりになって婚約した」
 ──ディムライト? 私の正体? ホワイトライトの力が欲しくて婚約? 
「違う、僕はお前があの夏現れる以前からずっとベアトリスのことが好きだった。お前があの夏僕たちの町にやってこなければ、ベアトリスはこんなことにならなかったんだ。全てはダークライトのお前のせいだ」
 ──あの夏、ヴィンセントが町にやってきた? どういうこと?
「全ては俺が引き起こしたことなのは認める。だが俺もベアトリスがホワイトライトだと気づく前から彼女のことを好きになっていた。ずっとずっとその気持ち を抱いて今に至る。だが、俺がダークライトのせいで、彼女に近づけなかった。不公平じゃないか。彼女のシールドを取り除かない限り、俺は近づくことも自分 の気持ちも伝えられない。それなのに、お前はアメリアの弱みに付け込んで、ベアトリスとの結婚を認めさせた。そっちこそ卑怯じゃないか」
 ──二人は何を言ってるの。
「それは自分の都合だろ。そこまで僕に責任転嫁されても困るぜ」
「俺が近づけないことを良いように利用してそう仕向けただけだろ。俺がベアトリスと意識を共有したとき、彼女は俺を抱きしめてくれた。そして意識が戻ったとき一番に俺の名前を呼んだのをお前も聞いたはずだ」
「ヴィンセント、見苦しいぞ。それは過去のことだ。今は違う。今は彼女は僕を選んだんだ。それに、お前の父親がベアトリスの両親を殺したこと知ったらどうなると思う」
 ──ヴィンセントのお父さんが私の両親を殺した? 
「違う。親父は誰も殺してなんかいない。あれは……」
 ベアトリスはもう黙って聞いていられなくなった。
「止めて! 一体どういうことなの。何を話しているの。これが私の知ってはいけない真実なの?」
 ベアトリスはベッドから体を起こした。両親の死因を聞いてショックで放心状態になっていた。
「ベアトリス、聞いていたのか」
 パトリックが、しまったと顔を歪めた。
 ヴィンセントも掴んでいたパトリックの手を離し、自分の頭を抱える。我を忘れて言い争ってベアトリスが起きていたことに気がつかなかったことを悔やんだ。
「二人は知り合いだったの? そしてあの夏ヴィンセントが私の住んでた町に来ていたの? 私も小さい頃にヴィンセントに会ってたってことなの?」
 ベアトリスはもう真実から逃げられなくなった。ヴィンセントとパトリックを交互に見て、失望を抱いたように潤んだ瞳で震えている。沈黙が暫く続く。
 パトリックが近づいてベアトリスに触れようとする。
「触らないで、側に来ないで」
 ベアトリスはコールが言っていた言葉を思い出した。
『その事故、ほんとに事故だったと思うかい? そしてどうして子供の時に婚約させられたかも不思議に思わないのかい?』
 頭の中が混乱する。一つ判ったことは、自分は何かに利用されているということだった。
 ──だったら私は一体何者?
「ベアトリス、落ち着いて」
 パトリックが焦りながら対応する。
「落ち着くのはお前の方だろうが」
 ヴィンセントがつっこんだ。
「お前は黙っていろ。元はといえば全てお前が引き起こしたこと。お前が卑劣な方法でベアトリスに手を出そうとしたからこうなった」
「俺はただ、ベアトリスと二人きりになりたかったんだ」
「だからといってこんな手を使うことないだろう。卑怯者」
「こんな手でも使わないと二人っきりになれなかったんだよ」
 パトリックは腹立たしさでヴィンセントに殴りかかる。不意をつかれてヴィンセントは頬を殴られると、一気に怒りが湧き起こり、応戦した。
 目の前で激しい殴り合いをする二人に、ベアトリスの心に怒りが吹き荒れた。それと同時に眠っていた力が呼び覚まされる。
「もう二人とも止めて!」
 そう叫んだとき、眩しいばかりの閃光が爆発のごとくベアトリスの体から四方八方に放たれた。
 ヴィンセントもパトリックもその眩しさに目をやられて動けなくなった。ベアトリスは自分自身が恐ろしくなり、気が動転して部屋から飛び出した。
 ちょうど階に来ていたエレベーターに乗り込んだ。
 ヴィンセントとパトリックの視界が徐々に元通りになると、目の前にベアトリスがいないことに気がつき、慌てて、部屋を飛び出し追いかけた。
 ベアトリスが乗ったエレベーターのドアが直前で閉まるところを見て、不安に襲われた。
「ベアトリス!」
 二人とも大声で叫ぶ。パトリックはそのまま、次のエレベーターを焦る気持ちの中待っていたが、ヴィンセントは階段を使った。そして飛ぶように駆け下りた。
 その頃コールはアンバーにまだ手を引っ張られたまま、テーブルから動けないでいた。
「アンバー、いい加減に放せ」
「嫌よ」
「しょうがねぇーな」
 コールは口笛を吹いた。すると突然目の前にゴードンが現れ、赤い目で辺りを見回していた。
 アンバーは突然現れた男にビックリして、手を緩めた。コールがその隙にアンバーから離れた。
「ゴードン、暴れる時間だぜ。頼むぜ」
 ゴードンは各テーブルに次々に瞬間移動しては、テーブルの飲み物や食べ物を投げつけた。ゴードンの動きが早いために皆、目の前の人物にされたと思い込 み、衣装を汚されたものは仕返しとばかりに手当たり次第のものを投げつけた。誰もが怒り喧嘩をし始めると、あっという間に辺りは蜂の巣を突付いたような大 混乱となっていった。こ れも余興の一種だと思うものまでいて自ら参加するものも現れた。
 そして、ベアトリスがロビーに到着すると、すぐに電話を探した。化粧室の隣に電話があるのを見つけると、コレクトコールでアメリアに電話をする。
「アメリア、お願い。迎えに来て」
「どうしたの? ベアトリス」
 そのときジェニファーが化粧室から出てきた。ベアトリスには以前ほど抱いていた怒りはなく、落ち着いた行動で無視をしてそのままふんと通りすぎていく。 しかし体に潜んでいた影がベアトリスの正体に気がつき、自らジェニファーの体を抜け出した。
 ベアトリスは何者かに見られている気配と、肌を突き刺す殺気を感じ後ろを振り返った。
 そこに、恐ろしい形相の黒い影が自分に襲い掛かろうとしていたのを見ると、悲鳴をあげた。
「キャー」
 その声はちょうどエレベーターから降りたパトリック、階段を下りてロビーに到着したヴィンセント、そして辺りをうろついていたコールにも届いた。
 三人はすぐに駆けつける。
 ベアトリスは電話の受話器を投げつけ必死に逃げる。
「ベアトリス、どうしたの? 何があったの」
 ただならぬ事態にアメリアは顔を青ざめ、車に飛び乗りホテルへと向かった。
「あの時と同じだ」
 ベアトリスは全てが夢じゃなかったと気がついた。
「ベアトリス!」
 パトリックがデバイスを取り出し、光の剣を構えて影に立ち向かう。
 ベアトリスは身を縮めながらそれを見ていた。
 影はパトリックの攻撃をかわし、そして容赦なくパトリックに襲い掛かった。
 そこへヴィンセントも加わり、手だけ黒く変化させ長い爪を影に向かって引っ掻いた。
 影はそれも避けるがすぱっと体の一部が切られて動きが鈍くなった。
 一瞬の怯みをついてパトリックが影の頭に剣を貫くと、影は消滅していった。
 ベアトリスは息をするのを忘れるぐらい、その光景に目を見開き、二人を凝視していた。
「ベアトリス大丈夫か」
 パトリックが声をかける。
 ヴィンセントも心配そうにベアトリスを見つめている。
「嫌っ、側に来ないで、お願い、一人にして」
 ベアトリスは走り出す。混乱して怖くなり、この状態でまともに二人と話などできないと思うと逃げることしかできなかった。
「ベアトリス!」
 ヴィンセントもパトリックも同時に叫んでいた。
 コールは一部始終見ていた。影が自ら襲ったことでベアトリスのシールドがなくなっていることに気がつくと、チャンスだとばかりに笑みを浮かべ、その瞳は邪悪に輝きだした。決行の時が来たと脳内で歓喜の音楽が流れていた。
 ベアトリスは無我夢中でホテルの外に飛び出すと、そこで人とぶつかってしまった。
「ベアトリス…… じゃないか」
「あなたは、ヴィンセントのお父さん」
 ──どういうことだ、ベアトリスのシールドが完全に解除されている。
 ヴィンセントとパトリックが後を追ってくる姿にリチャードが気がついた。
 「何かあったのかい」
 優しそうな目でベアトリスを気遣うが、ベアトリスは急に怯え出した。
 ──この人、私の両親を殺した?
 ベアトリスは咄嗟にリチャードをも避けた。
 そしてさらに走り出す。
 そこに車が滑り込むように止まって助手席のドアが開いた。
「ベアトリス、さあ、乗れよ。送っていってやるよ。悩みのない場所にな」
 コールだった。
「だめだ、ベアトリスその男に近づいちゃいかん」
 リチャードがベアトリスを捕まえようとすると、ベアトリスはそれに恐れて、却ってコールの車に乗り込む選択しかなくなってしまった。
 ベアトリスは車に乗り込んでしまった。そしてドアが閉まり、車は猛スピードで走り去っていく。
「しまった」
 リチャードが慌てた。
 コールの車は後を追いかけられないくらいにあっという間に視界から消えていった。

 その時、ホテルがパニックに陥ったように沢山の悲鳴が一つになって大きく辺りを震撼させた。ゴードンは影も呼び寄せ、辺りは殴り合いの派手な喧嘩になっ ていた。
 冷静なリチャードが顔を歪ませて焦った。
「一体ホテルで何が起こってるんだ。とにかくヴィンセント、よく聞け、何がなんでもベアトリスを見つけろ。あの車に乗っていた男はコールだ」
「なんだって。どうみたってアイツはポールじゃないか」
 ヴィンセントが驚いた。
「あの男がコールだって? どういうことなんだ」
 パトリックは驚きのあまり、呼吸困難になりそうだった。
「大変な誤算をしていたんだ。コールはノンライトに成りすましていた。それがお前のクラスメートだったんだ。まんまとコールの策略に我々はひっかかってしまったんだ」
 リチャードが悔しさを滲ませながら、ベアトリスを救える方法を同時に模索する。
「くそっ、なんで気がつかなかったんだ。あんなにポールがおかしくなってたのに、ダークライトの気ばかり気にしすぎて目に見える事を見逃していたなんて」
 ヴィンセントは己の愚かさを呪い、ベアトリスのことが心配で気が狂いそうになっていた。体を震わせ、息を激しくしては爆発しそうな怒りを必死に体に封じ込めていた。
「今、後悔している暇はない。なんとしてでもベアトリスを見つけなければ、ライフクリスタルを奪われてしまう。きっと共犯者がいるはずだ。そいつが会場を荒らしているに違いない。そいつを捕まえて場所を聞くんだ」
 パトリックが助けられる方法があると二人に叫んだ。
「ゴードンか」
 リチャードはゴードンを探しに混乱している会場に乗り込んだ。その後をヴィンセントとパトリックも続く。会場は既にプロムの華やかさはなく、狂気に満ち溢れた闘技場となっていた。