学校が終われば、その日のやるせなさで疲労感が現れる。
 背中を丸めて、ヴィンセントは家路についていた。
 家に戻ってみると、ドライブウエイに見慣れない車があったのを見て不審に思った。
 コンパクトカーで小さいが、シルバー色が光っていて比較的新しく見え、きれいな車体だった。
「客でも来てるのか」
 不思議に思いながら家に入ると、リチャードがニコッと笑って出迎えた。
「よぉ、ヴィンセント、今帰りか」
「ああ、表のあの車は誰のだ?」
 リチャードがヴィンセントに向かって何かを投げつけた。
 ヴィンセントは慌てずパシッと掴む。
「これは、車のカギ……」
「そうだ、お前の車だ。ちょうど同僚が売りに出すとかいって、いい値段で譲ってもらったんだ。車、欲しかったんだろ」
「親父……」
 ヴィンセントはただ突っ立ってリチャードの顔を凝視していた。
「なんだ、気に入らないのか」
「何言ってんだよ、気に入らないわけがないだろ」
 ヴィンセントは嬉しさのあまり、駆け寄ってリチャードに抱きついていた。
「最高だぜ。ありがとよ」
 突然のプレゼントに素直に喜びを表せば、運がむいてきたように心が少し軽くなった。
「ああ、これからお前も素早く移動するには何かと手段が必要だからな。コールの動きが読めないだけに、お前にも手伝ってもらうことがあるかもしれない。何かあったときはそいつで駆けつけてくれ」
「コールはあれから接触してきたのか?」
「いや、直接はない。だが、影を使った犯罪は増えている。まるで私に仕事を増やさせるかのようだ。奴は絶対何かを企んでいる。全く気が抜けない状態だ。そっちは何もかわりないか」
「ああ、一人、変なクラスメートがいるんだが、ダークライトや影の気配は全く感じられない。だけど、やたらと俺に絡んでくる。かといって危害を加える訳でもないんだ」
「お前は私に似て女性にもてるからやっかんでるんじゃないのか。もうすぐプロムもあるしな」
 リチャードは茶化していた。
「何のん気なこと言ってんだよ」
「プロムデートは決まったのか。ベアトリスを誘えないのが残念だが」
「余計なお世話だ。放っておいてくれ」
 ヴィンセントはプロムの計画のことをリチャードに知られたら困ると思うと、突っ張ってしまった。
「すまない。とにかく、気だけは抜くな」
 リチャードは仕事が残ってると言ってまた出かけていった。
 ヴィンセントはカギを見つめる。リチャードの気持ちが有難いと思いつつ、それに反してよからぬことを企んで後ろめたかった。

 リチャードが仕事だと言って向かった先は、安い酒場が集まる、治安の悪そうな地域だった。
 見るからにドラッグの取引きをしそうな怪しげな男達や、コールガールらしき女たちが胸の谷間を強調した派手な格好をして、香水をプンプンと匂わせながら街角に立っていた。
 まともな人間は近づかないだろうが、そこに足を踏み入れれば、誰れもがどこか怪しく見えるようだった。
 賑やかなストリートを離れ、汚らしい人気のいない路地に向かってリチャードは歩いていた。
 そして紫やピンクの光でサイキックと書かれたネオンのサインが飾られているドアを開けて入っていった。
 神秘的な雰囲気を出そうとしているのだろうが、紙一重にただ変と言う言葉しか浮かんでこない。
 どぎつい色の趣味の悪い安っぽい飾りが、占い部屋だと主張するように至るところに置かれていた。
 その奥から魔女を思わせるような紫のロングドレスを纏った女性が振り向いた。ちゃらちゃらとした派手なイヤリングが耳元で忙しく揺れてい る。

「いらっしゃい…… と思ったらまたあんたかい。ほんとしつこいね、リチャード」
「やあ、マーサ。その後コールから連絡は入ってないか」
 マーサと呼ばれたその女性は、目の前の人物が鬱陶しいとばかりにストレートの長い黒髪を片手で強く払った。
 浅黒い肌にグリーンの目が生えて、猫の目のよ うにリチャードを睨んでいる。
「あんな奴知らないよ。私は過去に騙されて捨てられた女だよ。そんなところに戻ってくると思う?」
「奴が頼れる相手は限られてるからな。それに君はコールに惚れていた」
「だから、庇って、かくまってるっていいたいの? アイツがこの町を出て行ってから一度も会ったことなんてないわよ。嘘だと思うのなら隅々までこの部屋探 したらどう」
「この部屋にはコールはいないのはわかる。居たら奴の気が残ってるはずだ。だが、連絡はしてくる可能性は消せない。それを聞きに来ただけだ。あいつとは関わるな。また悲しい思いをするぞ」
「へぇ、私のこと心配してくれてるの。それならあんたが私の相手をしてくれたらいいじゃないの」
 マーサはリチャードの側により、顔に触れようとした。
 そして後ろには水晶の玉を隠し持っている。
 リチャードはすっと一歩下がった。
「おっと、水晶の玉を持って私に触れてどうする気だい。私の過去の記憶でも読み取ろうというのかい。君はダークライトとノンライトの間に生まれたが、普段はノンライトと変わらない。だがその水晶の玉を持ったときだけ、ダークライトの力を発揮することはわかってるんだ」
「やっぱり、リチャードね。全てがお見通し。だけど残念。あなたのような男の過去を知ってみたかったわ。あなたほどの実力とその美貌は何人もの女を泣かせてきたんじゃないの」
「好きに想像してくれ。どうもまだ奴はここには連絡してきてなさそうだ。また出直すよ」
 リチャードは諦めて引き下がった。
 マーサは機嫌を損ね、煙草とライターを手にすると苛立って客用に置いていたソファーにドカッと座り込んだ。
 煙草を加えてライターをつけようとカチッと何度も親指を動かすが、なかなか火がつかない。更にイライラを募らせてるときに、またドアが開いた。
「すまないけど、今日はもう店じまいだよ」
 マーサがドアの方向を見ると、若い男がいやらしい笑みを浮かべて見下ろすように立っていた。
「ちょっと、あんたまだ高校生じゃないの。ガキが来るところじゃないんだよ。とっとと帰りな」
「相変わらず気が強い女だ。元気そうじゃないか、マーサ」
 なれなれしく年下の男に名前を呼ばれて、マーサの怒りは頂点に達した。すくっとソファーから立ち上がり、側によって、人差し指を立てて、忠告のポーズを取る。
「どこの誰だか知らないけど、年上に向かってその態度は失礼じゃない。しかもガキの癖に生意気な。早くママの所に戻ってミルクでも貰いな」
「リチャードがさっきまでここに来てたみたいだな。隠れて見てたよ。俺のこと探し回ってるんだろ」
「えっ、あんた、もしかしてコール? うそっ、いくらなんでもこんなに若返って別人になることはないでしょうに」
 マーサはジロジロ見つめる。しかしどうみてもコールに見えない。
 コールはマーサの腕を掴むと自分に引き寄せ、有無を言わさず唇を重ねる。激しい舌の動きでマーサの表情は一瞬で虜になった。
 唇が離れたとき、マーサは驚きで目をぱちくりする。
「俺のキス、もう忘れたのか?」
「でも、顔が全く違う。だけどそのキスは確かにコール」
「仕方ねぇな、ほらこれをよく見ろ」
 壁にかかってあった鏡の前に二人は立った。それをみてマーサは息を飲んだ。目の前にいるのはコールだった。だが隣を見れば全く違う顔。益々困惑していた。
「コールなの? でも一体これはどういうこと?」
 コールが説明するとマーサはやっと納得して力が抜けたようにソファーに座り込んだ。その隣にコールも腰掛けて鼻でふっと笑った。
「そうだったの。その姿だったら誰もコールって気がつかないはずだわ。だけど、今さらのこのことここへやってこれたわね。私を捨てておいて」
「本気でそう思ってるのか。あの時はリチャードに追い出されて逃げてしまったが、お前には迷惑かけたくなかったから、俺が悪者になっただけだ。俺が裏切らなければ、お前も同罪として扱われて、リチャードに追い出されるところだったろ。俺が愛した女はお前だけさ」
「コール、ほんとなの? 信じていいの?」
「ああ、そうじゃなきゃまたここへ戻ってくるわけがないだろう」
 マーサはコールに抱きついた。その反対側でコールの笑みが邪悪に光る。
「実は、ちょっと協力して欲しいことがあるんだ」
「いいよ、私ができることなら」
 コールは事情を話すと、マーサは頼られて嬉しいとばかりに大きく頷いていた。
「じゃあ、頼むよ」
「だけど、いつまで高校生のままなの? また元に戻れるの?」
「ああ、もうすぐ戻るさ。その時、ホワイトライトの力を得てな」
 コールは待ち遠しいとばかりに、鏡の前に立って自分の顔を見つめていた。

 次の日の朝、パトリックがベアトリスをいつものように学校まで送り届け、そしてまた家に戻ろうとしてるときだった。
 デバイスがアラーム音を発し、パトリックは緊張した。デバイスを取り出し、ダークライトが近くに潜んでないか辺りを確認する。
 先のストリートに車が一台停まっており、言い争ってる声が聞こえてきた。
 運転席側のドアが開けられ、女性がずんぐりムックリの男に手を引っ張られて、引 きずり出されている光景がパトリックの目に飛び込んでくる。
 その男には見覚えがあった。ゴードンだった。
 ──あいつ、モールで赤毛の奴の隣にいた男だ。なんでこんなところにいるんだ。
 その時、女性が悲鳴をあげると、パトリックはデバイスの蓋を開け片手で持った。
 デバイスから光が浮き上がり、ダークライトを感知するとそれはナイフのようになった。それをゴードンに向けて走り寄る。
 デバイスから出る光はナイフや剣に形を変えるが、一般のノンライトからみればただの光にしか見えない。
 だがダークライトや影には充分な殺傷能力がある武器であり、それを見せるだけでもかなりの効果がある代物だった。
 ゴードンはデバイスを見せられ、暫くパトリックを睨んでいたが、諦めて目の前ですっと姿を消した。
 その瞬間手を引っ張られていた女性はがくっと前屈みに倒れそうになり、パトリックは素早く抱え込んだ。
 パトリックに寄り添いながらもその女性の片手には水晶球が握られていた。マーサだった。
「大丈夫かい。怪我はないかい?」
「助けてくれてありがとう。でも、一体どうなったの。急にあいつ姿消しちゃったようにみえたけど」
「あっ、見かけによらず、すばしっこくて走って逃げていったみたいだね」
 パトリックは必死に誤魔化した。マーサはか弱い女性を演じる。
「ねぇ、ちょっとこのままでいい? 気が抜けてまだフラフラしちゃう」
 パトリックは女性を支えたまま暫く立っていた。その隙にマーサは目を閉じると、怪しく水晶がぼわっと光り出した。
 パトリックの過去を読み取っていく。
「落ち着いたわ。ほんとにありがとう。なんかお礼しなくっちゃね。一緒にお茶でもどう?」
 パトリックから離れ、後ろで手を組んだように水晶玉を隠していた。
「いえ、気を遣ってもらわなくても大丈夫です。でもどうして今の男に狙われてたんですか?」
「ああ、あいつ私の働いてる店にちょくちょくきては、口説きに来てたの。でも好みじゃないから突き放したら、逆切れでこの有様」
「あの男の他に赤毛の男も現れませんでした?」
「えっ、赤毛の男? いいえ、どうして?」
「いえ、いいんです。なんでもないんです」
 パトリックが慌てて誤魔化しているその後ろを、ポールに扮したコールが歩いていった。マーサを見て上手く言ったといわんばかりに笑って去っていく。
「とにかく、ありがとうね」
 マーサは車に乗り込んだ。
 バックミラーを覗けば、コールの本当の姿が映っていた。
 パトリックに手を振ってマーサはその場から去っていった。
 デバイスは反応を示さなくなったが、パトリックはまだ警戒しながら辺りを見回している。
 ──やっかいなものが来ちまった。まさかコールって言う奴も近くに潜んでいるんじゃないだろうか。
 パトリックは心配になり、ベアトリスの学校に戻り、ダークライトの気配がないか確認した。デバイスがアラームを鳴らすと、ヒヤッとしたが、目の前の人物を見て挑むように視線を突きつけた。相手も負けじと受けて答える。
 恋の鞘当て、二人は宿敵のように睨み合った。
「パトリック、何してんだ、こんなところで。慌ててるようだが、ベアトリスになんかあったのか」
「ヴィンセント、お前に隠してもしょうがないから言うが、さっきそこでダークライトが女性を襲ってたんだ。そいつが、コールに関係する奴だったんだ」
「お前、コールのこと知ってるのか」
「ああ、一度だけベアトリスと歩いてるときに、すれ違って危機一髪だったことがある。あの時はただのダークライトだと思って、ベアトリスのライトソルーションの効き目もあり、難を逃れたが、後で特徴を知ってコールだとわかった」
「なんだと、まさかベアトリスの正体がばれたんじゃ」
「それは大丈夫だ。ばれてはいない。上手く逃げられた」
「お前が側にいながら、なんて危ないことしてるんだ。事故にも遭うし、それも避けられなかった」
 ヴィンセントはこの時ぞとばかりパトリックを責め立てた。自分が側にいられない私怨と嫉妬が入り乱れる。
「ああ、耳が痛いがその通りだ。それについては弁解はしない。ただラッキーだったかもしれないが、難は逃れている。そしてこれからは絶対そんなヘマはしない。しかしお前も人のこと言えないだろう。一番の原因を作ったのは誰だ」
 今度はヴィンセントの耳が痛くなった。
 二人はお互いの罪を擦り付け合う。
 だがそんなことをしても無駄なのは判りきっていた。
「こんなことを言い合っても仕方ない。とにかく、お前の学校で不穏な動きはないか目を見張っていてくれ。僕は学校の中までは入れない」
 パトリックは落ち着きを取り戻し、ヴィンセントに敵意を向けるのはやめた。
「ああ、言われなくともいつも目を光らせてるよ」
 ヴィンセントがもう話すことはないと校舎に向かおうとしたとき、パトリックが呼び止めた。
「ヴィンセント、一つ聞きたいんだが、プロムには参加するつもりなのか?」
「お前には関係ないだろう」
「それが、関係あるんだよ。僕も誘われたからね。誰だかは言わなくてもわかるよな」
「やっぱりベアトリスと参加ということか。どうせお情けで自分から誘ってくれって頼んだんだろう」
「そんなことはどうでもいいんだ。知りたいのはお前が参加するのかどうかだ」
 パトリックは意地悪く口元を片方上げて聞いた。
「ああ、一応参加することにした(ある計画のためにな)」
 ヴィンセントも受けて立つように答えた。
「そっか、参加するのか。それを聞いて安心した」
「ん? なんのことだ」
「いや、こっちのこと。そうそうもう一つ面白い話をしてやろう。アメリアが僕とベアトリスとの結婚を認めてくれたよ」
 ヴィンセントの顔色が青いインクをかけられたぐらいに、一瞬にして真っ青になった。一生懸命落ち着こうとして、反論の言葉を探す。
「だが、本人は納得してないはずだ。保護者同士が認めたぐらいで結婚なんてできるわけがない」
「さあ、どうかね。とにかくプロムで会おう。ああ、プロムが楽しみだな」
 パトリックはわざとらしい笑みを最後に見せてヴィンセントの前から去った。
 ヴィンセントはパトリックの後姿を焦げ付くくらい睨んでいる。サラから持ちかけられた策にもう躊躇いはなかった。最後の賭けとでもいうべき、強く勝負に出ることを決意した。