──これはパトリックと初めて会ったときのことか。
「ベアトリス、こいつ誰だよ」
 パトリックが露骨にヴィンセントに嫌な顔を見せた。
「ヴィンセントよ。お友達になったの。パトリックも一緒に遊ぼう」
「こいつ、ダーク…… いや、こんな奴と付き合っちゃだめだ、ベアトリス」
「どうして? ヴィンセントはいい子だよ」
 パトリックは不機嫌さを露にし、気に食わないと、憎しみがあからさまに目に表れ、噛み付くような敵意を向けていた。
 ──俺がダークライトだからとはいえ、この瞬間から俺たちは恋敵だったのか。
「パトリック、病気が治る水って、どこにあるか知ってる? どうしてもそれが欲しいの」
「病気が治る水?」
「うん、ヴィンセントのお母さんが病気なの。だから早くその水を見つけてあげたいの。とても手に入れるのが難しそうだけど、パトリックのお父さんお母さんは知ってるんじゃないの? 知ってたら教えて。お願い」
「あっ、水って、まさか……」
 パトリックはヴィンセントをチラリと見た。ヴィンセントは思わず目をそらした。
 ──ディムライトにライトソルーションを手に入れたいなんて思われるのが嫌で、この時俺はプライドを傷つけられたようで悔しかったんだ。
「そんなの僕知らない。ベアトリス、そんな奴なんか放っておいて、あっちで遊ぼう」
 パトリックはベアトリスの腕を引っ張った。
「離して、私水を探すの」
 ──ベアトリスがあまりにも一生懸命で、俺は却って申し訳なくなってしまった。でも彼女を好きになっていく気持ちが、この時もっと強まっていった。
「ベアトリス、もういいんだ。水なんて手に入らないの判ってるんだ。知ってる人がいても誰も教えてくれない。病気が治る水があったら、みんな自分のものに したいだろう」
「でも、困った人が居ればみんなで助け合えないの?」
「人によるのさ。俺みたいなものはどこへ行っても嫌われるんだ」
「そんなことない。私、ヴィンセントのこと大好きよ」
 ──今聞いてもドキッとするもんだ。しかしパトリックの奴、よほど悔しかったんだろうな、唇噛んで震えてやがる。そしてこの後自棄になって暴走したんだっけ。
「わかったよ、水を探せばいいんだろ! 待ってろよ。僕が持ってきてやる。そしたらベアトリスはそいつより僕のこと好きだって言ってくれるかい」
「落ち着いてパトリック。そんなに興奮しなくても」
 ──でも結局、もって来れなかった。ディムライトもライトソルーションを手にするのは必死。容易く人に分け与えることは絶対しない。それでもベアトリスに好かれようと、こいつもこの時から必死だったんだよな。
 ヴィンセントは過去に夢中になっていた。
 ベアトリスを巡って、パトリックといつの間にか張り合ってる自分が可笑しいと笑ってみているくらいだった。
 ダークライトでありながら、ベアトリスを通してディムライトのパトリックと無邪気に遊んでいる姿はまだ子供だったと、すっかり過去の記憶にのめりこんでいた。
 ──パトリックも俺のこと嫌いながら、ベアトリスと一緒に俺んちに遊びに来ていた。この日は親父も楽しそうにハンバーガーなんかテラスのグリルで焼いてちょっとしたパーティ気取りだった。そうこの時まではそれなりに楽しいひと夏だったのかもしれない。
 しかし、次の場面から微笑んでは見られなかった。ヴィンセントの母親が急に苦しみ出すシーンが始まる。
 一度その場面を見ているヴィンセントも辛い苦しい思いが蘇っていた。
 ──そうか、とうとうあの場面になるのか。
 ヴィンセントは一時目を逸らすが、体にぐっと力を込めて再び見ることを選択し、リチャードの隣に立った。
 ベッドルームにリチャードがシンシアを運び、そっと寝かした。後ろから三人の子供達も心配して覗き込んでいた。
 シンシアは痛さを我慢して、心配かけまいと気丈にふるまっていたが、顔は自然と険しくなっていく。痛さまでは誤魔化せなかった。
 ベアトリスは夢中でベッドに駆け寄り、思いを込めて必死にシンシアの手を強く握った。
 そこでシンシアの表情から苦しさが取り除かれていく。
 ──あっ、親父が驚いている。このときすでにベアトリスがホワイトライトだって気がついたんだ。そして母さんも。
「ベアトリス、ありがとう。痛みが和らいだわ。あなた本当に不思議な子ね。まるで…… ううん、なんでもない」
 ベアトリスはベッドから離れ、今度はヴィンセントを気遣った。泣きそうな顔をして突っ立っていたヴィンセントを見ると、状況を察してパトリックの腕を 引っ張り部屋の外へ出ていった。
 ──ここは俺が鮮明に覚えている。また見るのは辛いが、今なら母さんが何を言いたかったかよく理解できる。
「ヴィンセント、そんな悲しい目をしないの」
「母さん、治るよね」
 シンシアは消え行きそうな笑顔を浮かべた。
「リチャード、ヴィンセントをお願いね。私はもう限界だわ」
「何を言うんだ、シンシア。きっとよくなるさ」
 リチャードの瞳は必死に涙をみせないように堪えていた。
「本当ならこんなにもたなかった。あの子がここへやってきてから寿命が少し延びた気がする。さっきも痛みをやわらげてくれて最後の最後まで穏やかな気分だわ。 あの子のお陰で笑ってお別れを言えそうよ。本当にここへ来てよかった」
「母さん」
 ──母さん
 どちらのヴィンセントも呟く。
「ヴィンセント、よく聞いてお母さんは今から旅立つの。決して悲しんじゃだめ。最後の最後で気がかかりなことから解き放たれた。あなたはもう大丈夫。ダー クライトの力をいいことに使いなさい。ベアトリスを守ってあげなさい。その力はそのためにあるのよ。闇に決して負けちゃだめよ」
 ──母さんが気がかりだったこと、感情に左右されてすぐに爆発をする俺の底知れぬダークライトの力。母さんは自分が死んだ後、俺が闇に落ちることを心配し ていた。だけどベアトリスが現れて、彼女の正体を知り、俺の役割ができたことを喜んでいたのか。だが、そんなこと、この時俺がすぐにわかる訳がなかった。
 この後、暫くしてシンシアは息を引き取った。それは安らかに眠るように笑顔を最後に残して──。
 そしてヴィンセントの目が赤褐色を帯び出した。

「くそっ、段々外が暗くなってきた。日没まであと1時間切ってしまった」
 パトリックは、我慢がならないと、片手で拳を作り、もう片方の手で自分のパンチを何度も受けていた。
「パトリック、まだ1時間もあるのよ。悲観するのは早いわ」
「よく落ち着いてられますね。もし、ヴィンセントが戻ってこなかったら、どうするおつもりですか。リチャードだって自分の息子を失えば怒りも収まらないで しょう。そしたらその腹いせにベアトリスのライフクリスタルを奪ってしまうかも」
「あなた、リチャードがそんな人だと思ってるの。それにヴィンセントは必ず戻ってくる。焦る気持ちはわかるわ。だけど信じましょう。必ずヴィンセントはやり遂げてくれるわ」
 パトリックは安易に愚痴をこぼしてしまったことを恥じ、バツの悪そうな顔をしていた。祈るしか他ならないと、椅子に座りり、強く念じるようにびくとも動かなくなった。
 残り1時間を切ってしまった。それでもヴィンセントはまだ過去の映像にこだわっていた。

 ──ここからだ、大変なことが起こるのは。俺は母さんの死に耐えられなくなって外へ飛び出し、ベアトリスとパトリックが心配して後を追いかけてきた。だが、もうその時点で辺りの木をいくつか感情任せで倒してしまった。
「ヴィンセント、落ち着いて」
 ベアトリスがヴィンセントにタックルするように後ろから抱きついた。
「離せ、離さないと君も吹っ飛んでしまうぞ」
「嫌、絶対離さない」
「ベアトリス、危ない。そいつから離れるんだ。うわぁ」
 パトリックの目の前に木が倒れこんできた。リチャードが間一髪のところ、パトリックを抱えて避けた。パトリックを安全なところに置き、リチャードもヴィンセントの後を追う。
「ヴィンセント、やめるんだ。母さんの言ったこと思い出すんだ」
「あー!」
 ヴィンセントの悲痛な叫びが森に響き渡る。ベアトリスは渾身の力を込めて必死に食い止めていた。その時、ベアトリスの体から光が突然放たれた。リチャー ドもパトリックも目を見張った。
 その光はヴィンセントを包み込んだ。
 ヴィンセントは全く動けなくなり、電気ショックを与えられたように目を見開いて痺れていた。
 二人は溶け合って一つの塊になるように光り輝く。
 ヴィンセントの心にベアトリスが入り込み、この時意識が共有された。
「ヴィンセント、落ち着いて。大丈夫だから、私が側にいるから」
 ベアトリスの言葉は直接ヴィンセントの心に届く。
 ベアトリスの肌の温もりのような温かさを体全身で感じ、彼女に優しく撫ぜられている気分だった。心地よい安らぎがじわじわと黒く覆われていた闇の心をほぐしていく。
 ベアトリスは無我夢中で自分の心のままにイメージしたことを実行する。ヴィンセントの悲しみと闇に支配された心を、本来持っていた自分の力をもって取り除く。全てを吸収して自分に取り入れていた。
 その闇の力は幼いベアトリスには許容範囲を超えていたにも関わらず、ヴィンセントを救いたいがために、ありったけの力を出し切っていた。
 ベアトリスが抱きついていた手が緩んだとき、光が消え、ヴィンセントの目の色も元に戻っていた。
「ベアトリス…… 」
 ヴィンセントの心に不安がよぎると同時にベアトリスの手が離れ後ろへ倒れていった。
 大きいヴィンセントですら、自分の体験を再び見ることで圧倒されていた。ベアトリスが必死で助けてくれたことを再確認すると、ベアトリスの存在の大きさが胸いっぱいに広がる。彼女を想う気持ちが一層心に刻まれた。
 その時、記憶の闇が映し出していた映像がプッツリと消えてまた辺りは闇に包まれた。
「どういうことだ。真っ暗じゃないか。この後の続きが見られないのか。あっ、そっか。ベアトリスが意識を失ってこの後の記憶がないということか」
 その時、暗闇からすすり泣く少女の声が聞こえた。
「誰かいるのか」
 ぼやっとうっすら明かりを帯びて少女が座り込んで泣いているのが徐々に現れた。
「ベアトリス!」
 ヴィンセントは走って近寄ると、ベアトリスは顔を上げた。不思議そうな顔をしてヴィンセントを見つめた。
「俺が見えるのか?」
 ベアトリスは頷いた。
「お兄ちゃん誰?」
「俺は、ヴィンセントだ」
「ヴィンセント? ヴィンセントはもっと小さいよ」
「あっ、その、ここでは大きくみえるんだ。だけど、ベアトリス、なぜ泣いてるんだい」
「寒いの。凍えるくらい寒いの。それに暗くて、とても怖い。闇が体に入り込んじゃった」
 ──これはあの続きなのか。ベアトリスが意識を失ってからのベアトリスの心の中。
「ヴィンセントは大丈夫?」
「うん、俺は大丈夫」
「そう、それならよかった」
 ベアトリスは安心して笑みを浮かべると、姿が消えかけていった。
「ベアトリス、消えちゃだめだ」
「どうして? 私疲れちゃった。ヴィンセントを救えたし、これでゆっくり眠れる」
 ベアトリスが目を瞑ると、闇が煙のようにまとわり突き出した。彼女の姿がどんどん薄くなり、消滅しそうだった。
「だめだ、ベアトリス起きて!目を覚ますんだ!」
 この時ヴィンセントは自分の言葉にはっとした。自分の目的を思い出した。
 ──俺、一体何してたんだ。今何時だ。

 パトリックは腕時計を鬼の形相で睨み、窓の外の暗さを恨んでいた。
 残り時間まであと10分あるかないかだった。
 外は夕日が最後に放つセピア色の光を残し、夜がすぐそこまで迫っていた。
「カモン、カモン、カモン、ヴィンセント!」
 アメリアも必死に落ち着こうと、目をぎゅっと閉じていた。信じることで精神が磨り減っている状態だった。それでも信じることをやめない。
「ヴィンセントは必ず戻ってくる」

 ──俺はベアトリスを連れ戻す!
 目の前の小さなベアトリスは闇の中に埋もれていく。
 ヴィンセントは手を差し伸べるが、煙を触れるごとく、手応えが全くない。
 ──落ち着け、落ち着くんだ。あの時もこんな風だった。ベアトリスが意識を失い、息をしていなかった。俺はあの時どうしたんだ。どうやってベアトリスを引き戻したんだ。
 ヴィンセントはあの時の記憶を辿った。
 すると、また辺りは森の中の景色を映し出した。だがさっきと違っていたのはヴィンセント自体が子供の姿になり、ベアトリスを抱えていた。
 ベアトリスの顔は青白く、闇が体を蝕むように入り込んでいた。
 目に涙を溜めて、ヴィンセントはありったけの想いを込めて声にした。
「ベアトリス!行かないで!俺、何でもするから、闇に飲まれちゃだめだ」
 その想いをこめた声は風のようにベアトリスに付きまとった闇を蹴散らした。
 ベアトリスは、こほっと小さく息を吹き返し目を覚ました。
「ヴィンセント? ヴィンセントなの?」
 ベアトリスが言葉を発したとき、その姿は少女ではなかった。高校生のベアトリスだった。そしてヴィンセントも元の姿に戻っていた。
 ヴィンセントはベアトリスを力いっぱい抱きしめた。
 ベアトリスはそれが嬉しいとばかり、自らもヴィンセントの体に手を回した。
 眩しいばかりの光が二人の体から溢れ出てきた。
 辺りは真っ白く強く光り輝き、二人は溶け合い、辺りを明るくして消えていった。

 その頃病室では、完全な日没まであと数秒しか残ってなかった。
「ダメだ! 時間切れだ」
 パトリックが絶望した声を上げたときだった、ヴィンセントの体がぴくっと動いた。
「ヴィンセント!」
 パトリックは慌てて、ヴィンセントの体を持ち上げ、ベッドから急いで離し、病室の外へ出た。
 そこで完全な夜を迎えた。
 パトリックはヴィンセントを抱えたまま、へなへなと壁伝いに、しゃがみこんでしまった。ヴィンセントがパトリックに覆いかぶさるように、二人は病院の廊下で抱き合って座っていた。
 行きかう人がジロジロと見ていく。
 パトリックはそれでもお構いなしに、ふーっと息を吐いた。
 ヴィンセントはようやく意識を完全に取り戻し、ゴツゴツした硬いものに抱きついてるのを不思議に思い、顔をあげた。
 あまりにも近くにパトリックの顔があり、「うわぁ」と悲鳴をあげてのけぞっていた。