「ちぇっ、今頃になって腹が減っちまった」
 ヴィンセントは台所に入り、何か食べるものはないかと辺りを見回す。
 広い台所では、調理台がアイランドのように台所の真ん中に設置されている。調理側の反対はそこで食事ができるように足の長いスツールの椅子 も二つ置かれていた。
 ヴィンセントは調理台の上を唖然として見つめた。
「親父の奴、夕飯に何作ったんだ。包丁とまな板とレタスが半分に切れてそのまま置いてあるだけじゃないか。また事件かどうか知らないが、慌ててどこかへ出かけちまいやがった。これを俺に食えってか。他になんかないのか」

 大きな冷蔵庫のドアを開けば中はスカスカで、それでも食べられるものはないかじっと見ていた。
 そして赤ピーマンを掴むと、後ろを振り向いて咄嗟に投げた。
「誰だ! そこにいるのは」
 赤ピーマンは何もない空間で払いのけられた。
「さすが、リチャードの息子。良く気がついたな」
 徐々にベールを被った男の姿が光の粒が集まるように現れる。
「お前はブラム。こんなところに何のようだ」
 ブラムは頭のフードを外すと、ニヤリと微笑を浮かべた。
「地上界に降りたので、リチャードに挨拶しにきた。だが彼は留守なようだ。ヴィンセントだったな。お前に会うのも久しぶりだ。まだ心はベアトリスに支配されてるのか」
「どういう意味だ」
「お前の母親が息を引き取った日。お前は悲しみから自分を抑えられなくて、感情を高ぶらせてしまった。そのとき、側にいたベアトリスがお前の心に入り込みホワイトライトの力でお前の感情を吸収した。その力を極力浴びたお前はベアトリスに心を支配されたということさ」
「あれは支配なんかじゃない。彼女は必死で俺を助けてくれたんだ。人から聞いた話を元に勝手に内容を作り変えるな」
「同じことさ。ホワイトライトが心の中に入り込み直接語りかけ、そして心を奪うように何もかも吸収する。我々には支配するということさ」
「違う。俺はそれ以前からもう彼女のことが好きだった。それが一層強くなっただけだ」
「まあ理由はどうであれ、そのせいでベアトリスは眠っていたホワイトライトの力を目覚めさせてしまった。彼女はその力を使うことは許されず、本人も知らずに封印されていた。あのまま知らなければ、時と共にあの力は自然と消滅するはずだった。あともう少しで消滅だったというのに、封印はその前に解けてしまった。 一度あの力を得るともう二度と封印できない。そして彼女は我々の世界にも戻ることはできない」
「ああ、俺のせいだよ。ベアトリスの人生を狂わせたのは全部俺のせいだ。そんなことをわざわざ言うためにやってきたのか」
「いや、そうではない。コールとか言う、力を持つダークライトが動き出したからリチャードに用があってやってきた」
 ヴィンセントはその原因も自分にあると思うと言葉につまった。
 ブラムは何もかもお見通しのように、鼻で小さくくすっと笑って話を続けた。
「そいつがベアトリスを狙うとまずいんでね。奴の狙いはライフクリスタルだ。あれがダークライトの手に渡れば、大変なことになるからね。そして私にも責任重大だ」
 ヴィンセントは責任を感じ、下を向きながら曇った小声で救いを求めるように声を発する。
「俺にも何かできることはないのか」
「愛する人を守りたいってところか。でもお前の出る幕はないようだ。ほらこれを見るがいい」
 ブラムは手を広げて宙を撫ぜるような仕草をした。そこだけ光がぼわっと浮き出ると、スクリーンに映し出されるように、映像が浮かび上がった。
 ヴィンセントは一瞬にして頭に血が上り目を見開いた。醜い嫉妬がこみ上げて、拳を握り震えている。
 そこにはベッドの上で、パトリックがベアトリスを抱いている姿が映し出されていた。
 ブラムは、あまりのタイミングの良さに口笛を思わず一吹きした。
「少々刺激が強すぎるようだな。だがベアトリスはパトリックが守っているということだ」
 ヴィンセントは顔を真っ青にしながら、立ってるのがやっとの思いでふらついていた。
「相当ショックを受けたみたいだね。すまなかった」
 謝っている割にはブラムの顔は意地悪く笑っている。ヴィンセントを虐めて楽しんでいた。
 映像は次第にフェードアウトしていった。
「おっと、変な感情をもって、ダークライトの力でパトリックを殺すなよ。そんなことするんだったら、正々堂々とパトリックと勝負してベアトリスを手に入れ るがいい。だが、お前には不利な条件が揃いすぎているけどね」
 ヴィンセントの正気は埋もれようとしていた。また感情の渦がうねりを上げて暴れている。ヴィンセントは必死に耐えながらハアハアと呼吸が荒くなると、目の色がじわりと赤褐色を帯び出した。
「ヴィンセント、このままではお前は感情を吐き出してしまいそうだ。そんなことされては私も困る。この辺一体が爆発して死者でも出たら、私は責任はとりたくないからね。どうだろう、お詫びと言っちゃなんだが、一度だけベアトリスと過ごせるように手助けをしよう。あのシールドがあっても近づけるようにしてやろう」
 ブラムはヴィンセントの目の前にクリスタルの小瓶を出した。ひし形を形取りトップに尖った蓋がついている。中の液体がダイヤモンドの輝きのように見る角度を変えるとキラキラと光を発していた。
 その光を見たヴィンセントの瞳は徐々に元の色に戻っていった。落ち着きを取り戻し、ヴィンセントはその小瓶に釘付けになった。
「これはライトソルーションで作ったポーションだ。これを飲めば、ダークライトの気配を隠し、お前はシールドからはじかれない。ベアトリスに思う存分近づけて、触れることもできる」
 ヴィンセントはその小瓶を戸惑いの目で眺めていた。
「どうした、いらないのか」
 ブラムの言葉にはっとして、ヴィンセントはおどおどとそれに手を伸ばし掴んだ。
「但し、使い方は、必ず朝日を浴びて飲むこと。そして効き目は日没までとなっている。ダークライトのお前が一度それを使用すると、次回からはどんなにお前に与えても、二度と効き目がなくなる。たった一度きりのチャンスだ。よく考えて使うんだな。それじゃ、リチャードも居ないことだし、また出直すとしよう」
 ブラムは含み笑いを浮かべながら消えていった。
 先ほど見た映像がヴィンセントの記憶に焼き付いてしまった。必死に逃れようと救いを求めて力強くポーションの小瓶を握りしめる。
 期待する欲望の炎が点火する。しかしチャンスは一度だけ──。
 ヴィンセントはブラムにもてあそばれているような気分にさせられた。弱みを握られ弄られる悔しさがこみ上げながらも、目の前の欲望を満たしてくれるポーションに素直に尻尾を振る自分がいた。
「俺も落ちぶれたものだ」
 プライドも捨て、なりふり構わずにポーションの煌く光に蝕まれていくようだった。

 ベアトリスはパトリックに抱かれているのをヴィンセントに見られていたとも知らず、抱かれるままにパトリックの胸の温もりと鼓動の響きを感じていた。
 自分のことをこんなにも思ってくれてる。しかしそれに応えられない。この状況でも自分を見失うことなく落ち着き、心ははっきりと答えを出していた。
 パトリックの抱きしめていた腕の力が弱くなったとき、突然ベアトリスの顔が自分の意思とは関係なく上を向いた。パトリックがベアトリスの顎を指で支えていた。
 パトリックはベアトリスの瞳をじっと見つめ、そして目を閉じ近づく。
 ベアトリスは咄嗟のことに震え出した。お互いの唇が重なり合う寸前、震えは強くなり、パトリックの目を覚まさせた。彼ははっとして目をぱっと開き、失敗を認める歪んだ顔つきを見せ、ベアトリスを自分の腕から解放して首をうなだれた。
「ごめん、ベアトリス。こんな状況では、ただの男になってしまう。頭ではわかっても感情は抑えられないや。僕スケベだし。僕の気が変わらないうちに、早く部屋から出たほうがいい。そうじゃないとほんとに狼になっちまう」
 パトリックは苦笑いをしていた。
 しかしパトリックの正直に気持ちを述べる言葉は、ベアトリスには憎めなかった。何もなかったように振舞おうと背筋を伸ばし立ち上がった。
「パトリック、謝るのは私の方よ。ごめんなさい。勝手に入ってしまった私が悪いの。でもこれからは寝るときは電気消してよ」
 何も言わずただ首を縦に振ってパトリックは笑っていた。
 ベアトリスは静かに部屋を後にした。ゆっくりとドアを閉めると、ふっと吐き出す息と共に力が抜けた。
 パトリックは電気を消し、くすぶる感情にイライラさせられながら枕を抱きかかええると同時に、寸前で理性を取り戻してよかったと胸をなでおろしていた。一度ならぬ二度までもと、自分で自分の頭を殴っていた。

 そしてこの日もう一人、頭を悩ませるものがいた。
 リチャードは夕飯の支度中、同僚から事故の連絡が入り、慌てて現場に駆けつけていた。自分の担当する地区ではないが、不思議な要素が含まれる事件は些細なことでも連絡をして欲しいと仲間に告げていた。
 事故もまた、目撃証言から得た『突然目の前に二人現れて空中で消えた』という言葉のために連絡を受けていた。
 事故現場でリチャードはダークライトの残留を感じようと感覚を研ぎ澄ます。強い気をもつ者は去った後でも多少の存在をリチャードは感じられた。この時、ほんの微量のダークライトの気を感じていた。
「やはりそうか。コールは動き出した。そして仲間がいる。瞬時に移動できるもの……ゴードンか。奴はゴードンを利用してホワイトライトを見つけようとしている。きっと罠も仕掛けているに違いない。なるほど、これでわかった。アメリアを襲ったのもゴードンという訳か」
 リチャードは車に乗り込み、おもむろに町中を走り出した。鋭い眼差しを至る所に向けた。そして赤く滲んだレーザー光線を絡ませたような気の糸を見つけると、スナップでパチンと指を鳴らし、指先から出た青白い炎で焼き尽くしていった。
「こんなことをしても、全部は把握しきれず、いたちごっこになるのは判っているが、ゴードンがこの事に気づくには時間を要するだろう。その間に少しでも危険を回避しなければ」
 リチャードはベアトリスの行動範囲と人が集まりそうな場所を検討しながら一つ一つ罠がないか確認していった。
 そして夜も更け、疲れも出てくるとリチャードは作業を切り上げようとした。家路に向かってるときだった。針を突き刺されたような危険信号を、突然肌で感じとった。
 素早く車の向きを変更すると血相を変え車を走らせた。そこは自分のテリトリーでもあり、ベアトリスの住んでる住宅街附近だった。
「コールが近づいた。なぜあそこがわかった。偶然にしてはおかしい」
 テリトリーといっても、すぐ側まで近づかなければそれはわからないようにしていた。安易に縄張りを主張すれば、却って怪しまれてしまう。
 そしてあの附近にはいくつもそういった場所をカムフラージュで作っていたにも関わらず、そこに引っかからずに一番知られたくないテリトリーが最初に見つかったことが腑に落ちない。
 リチャードがそこへついたときは、コールの姿はどこにもなかった。だが残留の気は残っていた。
「奴はいずれ本格的に動く。これはその奴からの挑戦状なのか。それとも一体何を意味している」
 リチャードはいつもになく動揺していた。
 ブラムが気まぐれに動いたことで、ベアトリス、パトリック、アメリア、ヴィンセント、コールそしてリチャードまでもがこの金曜の夜に心乱されていた。
 ブラムはそれを知ってか知らずか星空の下、広い草原の中で真紅のバラを一本夜空に投げ飛ばした。
「この赤いバラはベアトリス、君に捧げよう。まだ何も知らぬ君。だがそのうち真相から君に近づいていくことだろう。その時は覚悟してくれたまえ……本当に君には誰もが魅了されるよ。この私でさえも」
 空を見上げるブラムの微笑は夜空の星の輝きで憂いを帯びたように見えた。ブラムはこれからの成り行きを見守るように星に願いを込めた。