病院の部屋は完全個室でバスルームが完備されている。ホテルの部屋にも見えるが、違うのはベッドには緊急用にすぐにでも運び出せる車輪がつき、ボタン一つで好みの位置にリクライニングできることだった。
そしてそこには青い顔をしたアメリアが横たわっている。部屋がどんなに快適でも病人の症状が悪ければ居心地悪い空間に他ならない。そのベッドの側でベアトリスは椅子に腰掛けて涙目になっていた。
 一通りの検査を受け、命の別状はないと知らされたが、首を強く締められたためにダメージを受け暫く動かせない。アメリアの首には固定するギプスが痛々しくはめられていた。
「なぜこんなことに。どうして」
 ベアトリスは何もかも自分のせいだと責めていた。我慢できずアメリアのベッドに顔を伏せて泣いてしまう。
 ふと、頭を優しく撫でられ、ベアトリスははっとして顔を上げた。
 アメリアが一生懸命笑顔を作って、心配するなと知らせていた。
 ベアトリスの目から溢れる沢山の涙は、心配、悲しみ、そして意識が戻った喜び、全てを表していた。
「ベアトリス、心配かけてごめんね。私は大丈夫だから安心して」
 メガネをかけていないアメリアの表情は普段の厳しさまではずしていた。
 自分のことより、ベアトリスが無事だったという喜びが表情に出ている。
「アメリア、ごめんなさい。私が現をぬかして、一人で騒いだばっかりに、こんなことになってしまって」
「何を言ってるの。それは違う。あなたはすぐになんでも自分のせいだと思ってしまう。それは悪い癖よ。ほんとに悪いのはこの私……」
 アメリアは遠い目で語っていた。ベアトリスの知らないことを心の奥で悔やんでいる。
 ベアトリスには真実を知る由もなく、ひたすらそうじゃないと首を横に振っていた。
「アメリア、まだショックが大きくて不安定になってるのね。とにかく今は休んで。私、側にずっとついてるから」
 まだ自由に首を動かせずどうすることもできないアメリアは、ベアトリスの言われるままに目を閉じる。
 素直に言うことをきくアメリアにベアトリスは少しほっとした。
 病室の壁際には小さなソファーが設置されていた。ブランケットも用意されており、ベアトリスが丸まればなんとか横になって眠れそうだった。この夜はベアトリスもそこで一休みすることにした。

 病室に朝の光が入り込んだ頃、コンコンとノックする音が聞こえた。
 スキンヘッドの医者と少し太った看護師が、入ってきてはアメリアの体のチェックをしだした。
 ベアトリスはむ緊張してさっと立ち上がると、医者が「おはよう」と声を掛けてくれた。
 一通り容態を確認すると、何も問題はないと言い切った。
 当分の安静は必要だが、昼には家に帰っていいと許可もでて、ベアトリスはほっと肩の力が抜けたのを感じた。
 学校も前日の騒ぎで休みなこともあり、しばらく付きっ切りで側についてあげられることもちょうどよかった。
 看護師はベアトリスに書類を渡し、受付で手続きをとることを指示した。
 アメリアはごめんねと謝るが、アメリアのために自分が何かできることの方が嬉しかったくらいだった。
 心配はいらないとにこやかな笑顔で、ベアトリスは看護師と一緒に受付へと向かった。
 医者は二人が部屋から出て行くのを最後まで確認し、アメリアと二人っきりになるとそれを待ってたかのように話し出した。
「あなたには、ホワイトライトの光が少し見えるのですが、怪我をしたのはダークライトのせいではないですか」
 アメリアは驚きもせずに冷静に答えた。
「ええそうです。やはりあなたはディムライトでしたか。そうじゃないかと思ってました」
「あの一緒にいた女の子もホワイトライトですか? 光は見えないのですが、何かを被せてさえぎっているような感じがしました」
「いえ、あの子は関係ありません」
 アメリアは咄嗟に嘘をついた。
「そうですか。それならいいんですが、ここ二、三日でダークライトの動きが活発になってきてるように思うのです。なんていうのでしょうか、不自然な事故に巻き込まれた患者が増えたというのか、あきらかにバックにダークライトの存在を私は感じてしまうんです。もしかしてホワイトライトを探しているのかもしれません。あいつらが活発に動くのはいつもそういうときですから…… 私の気にしすぎだといわれればそこまでかもしれませんが」
 ちょうどそこにノックの音が聞こえ、医者が入るのを許可したとたん、入ってきた人物に怯えた。
 適当に挨拶をすまし、その医者は他に仕事があるからとそそくさと出て行ってしまった。
「おっと、今のはディムライトだったんだね。私が来たことで脅かしてしまったようだが」
「リチャード、別にお見舞いなんてよかったのに。もしかして今回の事件の担当はあなたなの? それで事情聴取?」
 突然現れたリチャードに、アメリアは少しつんとした態度を取った。
「違うんだ、昨晩、君がくれた電話なんだが、ちょうど君に事件が起こってるとき繋がっていたんだね。すまなかったすぐに応対しなくて。それでベアトリスが、その後その電話を取って、それがその、ヴィンセントが側で口を挟んで、その…… 事態はややこしく……」
 はっきり話しなさいと、アメリアはいらっとして単刀直入に変わりに言ってやった。
「つまり、私があなたに助けを求めたばっかりに、ベアトリスに私とあなたが繋がってるってバレちゃったってことね」
「そっ、そうなんだ。どう説明したものか。だが、今はそんなことよりも、まず君やベアトリスが無事でよかった」
「ベアトリスにはなんとか誤魔化せるとして、問題はダークライト。私を襲ったのは何かを嗅ぎ付けたダークライトだった。さっきの医者も言ってたけど、ここ二、三日で急に動きが活発になってきた気配を感じたらしいわ。ちょうどベアトリスの力が解放された時期と重なる。油断してたわ。そういう情報はそっちには入ってないの?」
「実は、アイツがこの町に戻ってきた。ヴィンセントが昨日会ったそうだ。その時はっきりとホワイトライトの存在を感知したと言ったらしい」
 アメリアの顔が露骨に歪んだ。
「そんな、コールは5年前に姿を消したと聞いて、そしてあなたの側に居れば安全だと思ってこの土地を選んだのに」
「すまない。息子が馬鹿なことをしたばっかりに」
「ヴィンセント…… 彼もほんとはかわいそうよね。自分がダークライトであるが故に苦しみを背負っている。あなた達親子は信頼できるとわかっているけど、 ベアトリスを守るためにはダークライトは近づけさせられない」
「それは判っている。息子も今はわきまえてる。もう近づくことはない。そしてコールは私が始末をつける」
「そう…… 信用していいのね」
「ああ、あの時と同じように」
 二人の重苦しい会話は一言で片付けられない問題が複雑に絡み合う。アメリアとリチャードだけが知る事情──。ベアトリスには決して知られてはいけない真実だった。
「それじゃ私は失礼する。ベアトリスもいつ戻ってくるか判らないし、この後、事情聴取に誰かがやってくるだろう。その前に姿を消すとしよう。何かわかったらまた連絡をするよ」
 リチャードは病室を去っていった。
 アメリアはぼんやりと天井を見ていた。リチャードにはいくつも借りがありながらそれを返すこともなく、例えアメリアが弱みを握られている立場であっても決してリチャードはそれを押し出さない。ダークライトでありながら、紳士的で誰よりも礼儀正しい。
 アメリアにはそれが滑稽に思えた。高貴な種族にこだわる者達の方がよほど程度が低いと感じていた。

 ベアトリスは書類とにらめっこしながら、受付で説明を受けていた。
 何もかもアメリア任せにしていたことが、自分が全てをやらなければならない。責任をひしひしと感じて奮闘していた。
 といっても、いきなり慣れないことをするのは大変だった。保険のこと、お金のこと、この辺はアメリアに聞かないとわからない。やはり一人で自立するには まだまだだと、早くも自信喪失気味になっていた。
 出来る限りのことをして、残りは後ほど片付けることになり、とにかく終わったと病院のロビーのソファーに腰掛けて息抜きした。
 息をついたのもつかの間、目の前で人が不自然に立ち止まった。
 下から上へと徐々に視線をずらすと、薄いブルーのジーンズを穿き、白いポロシャツを着た髪の短い男性が大輪の花のような笑顔を咲かせて立っていた。
 ベアトリスがあっけに取られて疑問符をアンテナのように頭に立てていると、その男性はいきなり目をうるわせて抱きつこうと近づいた。
「ベアトリス! 会いたかった」
 ベアトリスはさっと横に滑るように立ち上がって逃げた。
「ちょっと、待って、あなた誰?」
「僕だよ、忘れたのかい。婚約者のパトリックだよ」
「へっ? パトリック? 嘘!」
 いくつもあるベアトリスの記憶の引き出しの中で、パトリックの記憶は一番開かない引き出しにはいってるのか、すぐには彼だと理解しがたい。
 戸惑ってる隙を狙われて、パトリックがぎゅっと抱きしめてきた。
「くっ、苦しい。離して。でも、どうしてここにあなたがいるの」
 ベアトリスは必死で突き飛ばした。
「ひどいな、久しぶりに会ったのにこの仕打ちは」
 パトリックはがっかりと肩を落とし、顔に暗雲が立ちこめたように落ち込んだ。
 その落ち込み方は周りの見るものには何が起こってるのかと注目を集めるほどだった。
 ベアトリスは辺りを見回して気にしている。目立つのはごめんだと咄嗟に待合室のソファに腰掛ける。
「パトリック、とにかく落ち着いて。あのね、私も色々あって、その、訳がわからないの。お願い私に考える時間をちょうだい。まずはここに座って整理しましょう」
 隣の席をとんとんと叩いた。パトリックは素直に言うことを聞く。しかしベアトリスは何を話していいのかわからない。二人ともモジモジするが、暫くお互いをじっと見詰め合った。
 ベアトリスは子供の頃のパトリックの姿を思い出していた。
 活発でリーダータイプだったが、がさつで大胆なことをいつもしていた。
 覚えていることは近所に住み、高いところにすぐに上っては飛び降りたり、大きなカエルを捕まえてはベアトリスに見せて怖がらせたり、逃げれば何かと追いかけてきたことだった。
 パトリックの両親もベアトリスとパトリックが仲良くするのはあまり好ましく思っていなかった。 
 しかしある日を境に、急に優しくなり、自分の親たちと意気投合してそこから深い付き合いが始まった。その時、すでにパトリックと結婚の約束を親同士がしていたのだろうとベアトリスはこの時になって思う。
 父親は金持ちになるとか、騒いでいたことも思い出した。パトリックといえばあの町では大金持ちの一人息子で結婚すれば玉の輿だった。
 思い出せば思い出すほど、やっぱり良くわからないとベアトリスは困った顔になった。
「いつか会えると信じてずっと君のこと探してたんだ。こうやって会えて嬉しい」
「あの、パトリック、また会えて嬉しいことは嬉しいけど、でも、婚約者とかはなかったことにならない? どうせ親が決めただけで無理に従わなくても」
 パトリックはまた落ち込んだ。
「僕はずっと君に気持ちを伝えてたの知ってるだろう。これだけ愛してるんだって高いところから飛び降りて勇気を見せたり、僕の大切な宝物のカエルを君にプレゼントしたり、ずっと君だけを愛し続けると君の後ろをついて回った。伝わってるって思ってた。親が決めたとかじゃなくても僕達は運命の糸で結ばれてるって思ってた」
「えっ! あれは嫌がらせじゃなかったの?」
 ベアトリスは真実に仰天した。そこまで自分のことを思ってくれてたとは驚きに値する。
「あの、その気持ちは嬉しいけど、ほら私もあの時と比べたら随分変わってしまって、まず太っちゃったし、パトリックが抱いている記憶と比べたら全然違うよ」
「多少のことはお互い変わったとは思う。でも本質的な中身は変わってない。第一、僕は君をテレビで見かけてすぐにベアトリスだってわかったんだ。君が太ってようが髪の色が違ってようが、僕には関係なかった」
 ベアトリスは改めて太ってるといわれて顔が引き攣りそうだったが、それよりもテレビでみたという言葉が気になった。
「テレビて私を見たってどういうこと?」
「君の学校が竜巻で被害にあったニュースが流れただろ。たまたまそれをみてたら、ちらっと君が映ったんだよ。だからすぐに飛んできた。そしたらまた偶然、アメリアの事件のことが耳に入って警察に問い合わせたら、今病院にいるって聞いて、ここを探し当てたというわけ。君は大丈夫そうだから安心したけど、アメリアの具合はどうなんだい」
 ベアトリスはパトリックの行動力にあっけにとられる。
 どこをどうやってそんな情報を見つけるのか、FBI並みの行動に圧倒された。
「首を怪我したけど、命には別状はないから大丈夫。でもショックは大きいと思う。だって通り魔に襲われたんだもの。私もほんとに怖かったわ」
 通り魔という言葉にパトリックは反応した。それがどういうものか判っていた。普通じゃない犯人の行動。だからこそすぐにダークライトと結びつき、大体の見当がついた訳だった。
「そっか、でももう大丈夫だよ。僕が側にいる。これからもずっとベアトリスの側にいる。あっ、その前に結婚だね」
「ちょっと待ってよ。パトリックは私より一年上だけど、まだ同じ高校生でしょ。結婚なんて早すぎるし、もっとやるべきことだってあるでしょう」
「心配はいらないよ。君と離れ離れになってから僕は一生懸命勉強した。そしてもう大学も卒業して、今は社会人としてそこそこのお金も稼いでいる。充分君を養っていけるよ」
 ベアトリスは絶句した。何も言葉が出てこない。
「そんな驚くことないよ。飛び級なんて珍しくないし」
 ベアトリスはパトリックがどれだけ飛び級して何歳で大学入ったのか考えていた。
 やっぱりありえない。この人一体何者?
 ベアトリスがあっけにとられているときも、パトリックは嬉しそうに笑っている。長いこと会ってなくとも、その笑顔は昔に見た子供の頃のあどけなさが確かに残っていた。
 真っ直ぐな性格で、何事にも一生懸命の眼差しはどこか懐かしい気持ちにさせてくれた。
 くすっとベアトリスが笑った。
「やっぱりパトリックだ。その笑顔は小さい頃のままだね」
「僕はあのときから何も変わってないよ。ずっとずっと君の事思ってた。無理やり連れて行かれたあの日から」
 ベアトリスの脳裏にパトリックが手を差し伸べて必死に叫んでいた姿がよぎった。
 パトリックの手を見れば、あのときよりも逞しく、筋肉がついて男らしくなっていた。一歳年上なだけなのにベアトリスよりも幾分も大人に見える。
 それに比べて自分は何も成長してないとベアトリスは急に恥ずかしくなってしまった。
 パトリックはベアトリスの手をそっと握った。子供のときは小さすぎて自分の思うように行かなかった無念をこの時晴らすように伝えた。
「ベアトリス、好きだ。もう離さない」
 真剣な瞳。パトリックの気持ちがストレートに伝わってくる。それが自分に向けられてると思うとベアトリスは落ちつかなくなった。ベアトリスの心はパトリックの気持ちを受け入れられない。
「ごめんなさい、パトリック。正直あなたのこと忘れてたし、それに子供の頃仲良かったかもしれないけど、今の私はあの時とは違う。だから……」
 全てを言い終わる前にパトリックが突然笑い出し、ベアトリスはきょとんとしてしまう。
「ハハハハハ、最初から君が素直に受け入れるなんて思ってなかったよ。連絡も取れずこんなに会ってなかったんだ無理もない。だけど今から君は僕のこと真剣に考えることができるだろ。昔の僕よりも、今の僕の姿を見て欲しい。僕は君に似合う男だということを証明するよ。そして君は必ず僕を好きになる」
 暗示をかけるくらいの強気の台詞にベアトリスはどきっとしてしまった。
 確かにパトリックは男らしく、大人の魅力が溢れている。
 ダークな短髪がアウトドア系で活動的な印象を与えていた。
 そして世間一般にいうカッコイイ要素も一杯含まれている。
 普通の女性なら放っておけないのも理解できるが、ベアトリスには既に心を支配している思い人がいた。
 例えそれが叶わぬ恋だとわかっていても、ベアトリスが恋焦がれるのは一人だけ──。
 ベアトリスは息を漏らすようにふっと寂しく笑った。
「パトリック、私はもう誰も好きにならないの。早く他の人を見つけた方がいいよ」
「なんだそれは。最近失恋でもして、恋に怯えた発言だな。そんなの僕が変えてやる。僕は諦めないから。だってずっとずっと君を思って生きてきたんだ。それに第一僕達は婚約してるしね」
 ベアトリスは頭を抱えた。親同士の口約束の婚約などということが、絶対的なものなのか疑問が湧いてくる。
「あのさ、親同士が勝手に決めただけで、その婚約は無効な気がするんだけど、何を根拠に婚約って言い切れるの」
 パトリックは用意していたのか紙切れをベアトリスに見せた。それは正式な文面でパトリックとベアトリスの両親の署名まで入っている。
 パトリックとベアトリスは将来結婚の約束を書類上の上で交わしたことになっていた。ベアトリスはそれを見て驚愕した。
「こんなの嘘よ。紙切れ一枚でどうして私はあなたと結婚しないといけないのよ」
「結婚自体、紙切れで証明書作るじゃないか。マリッジライセンス(結婚証明書)がそれだろ。神父の前で宣誓して署名を貰って初めて結婚となる。全ては書類作りからじゃないか」
「そんな、婚約証明書なんて聞いたことない」
「君はなくとも、これから結婚する二人の約束を目で見える形で作っただけのことさ。だから心配することないって。君は僕を好きになるから」
 ベアトリスはこの時初めてパトリックとの婚約が正式なものだと知った。話には聞いていたが、これほどシリアスな状態だとは夢にも思わなかった。パトリックをまじまじと見る。
──これが未来の私の旦那様……
 パトリックは白い歯を見せてウキウキと笑っている。
 それとは対照的にベアトリスはくらくらしていた。