カオリ・ラヴィナーレのその言葉の意味が理解できなかった。
この部屋がもう、存在しない? 
それはどういうこと?
だって引っ越しだってしていないのに、部屋はあのままのはず。それなのに存在しないって言うのはどういうことなの?
まさか異次元でも迷い込んでしまっているの。私たち……。
「ねぇ、ねぇ、カオリちゃん。何言ってるのよ。確かにあの有様の部屋だから、人はあげることすらできないけど、確かにまだちゃんと家賃も払っているし、部屋自体が存在しないって、消えちゃったってことなのかしら。そんなことってあるの?」
カオリ・ラヴィナーレは少し困った表情で。
「正確には存在しないんじゃなくて、見つけ出すことが出来ないって言った方がいいのかぁ」
「それってどういうことなの」
浴室から出てあの散らかり放題の居間に行くと、がらんとした空間だけが広がっていた。
何もなくなっていた。
家具も何もかも……。
「どうしたのこれ?」
「覚えていないの? あなたがすべて片付けたのよ」
そんなはずはない、だって、私片付けた記憶なんて何もないんだもの。そもそもいつやったったの? この子が私の所にやってきてから、まだ1日もたっていないっていうのに。
「楽し時はすぐに消えてしまう。私はあなたと出会ってからもうすでに1週間という時間が過ぎているのを、あなたは気づいていないの?」
「1週間? そんな。だって」
「あら嫌だスレイユ、ボケちゃったの」
記憶の断片をつなぎ合わせるように思い出してみる。
だけど、その1週間の記憶はすっぽりと抜け落ちたように、浮かんでこない。
「もう、ここには私たちいることも出来ないのよ」
「ちょっと、ちょっと待って」
混乱する頭の中を必死に冷静にしようと努力しているんだけど、どうしても信じられない。
「だって、私たちさっきまでベッドで一緒だったじゃない。絶対、そうよ。1週間もずっといたって言うの?」
「さぁ、どうでしょ。うふふ、それは私にもわからないわスレイユ。でもあなたは私にこう言ったのは確かよ」

すべてをなくして片付けて、て。

私そんなこといつ言ったの?
そんな記憶さえもなかった。

「でもそれはあなた自身が望んで願った事なのよ」
カオリ・ラヴィナーレは私の横でつぶやくように言った。
「私はその願いを、かなえてあげただけ。声には出さなくてもあなたの心の叫びが、私に届いた。だから私はあなたの願いを叶えただけ」
すべてを失った私の心の叫びを彼女は、叶えたという事なの。
もう時期死を迎えるこの私。
仕事も地位も全てを奪われたこの私。
確かにすべてをもう片付けたかった。だから、私自身のこの存在も消そうとした。でも……それは出来なかった。
この子、いいえ、彼女が私の元に現れてから、私はその事を忘れていた。
思い出そうともしていなかった。それがすでに1週間という時間の中であったと言うの。
楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまう。
私は最後に彼女と楽しい時間を過ごすことが出来たんだ。だから思い残すことなく記憶もなくしていたんだ。
そう思うしかなかった。
だって事実だもん。
会社を首になってすべてと失って、この命さえもあと2か月で消えてしまう。
だから私はすべてを消し去ろうとしたんだ。
そしてカオリ・ラヴィナーレは、私のこの願いを叶えたという事なんだ。
不思議な出会い。
彼女から感じる何となく不思議な感じが、これは現実であるということを強く感じさせている。
「さぁ、私たちもここから出ましょ」
脱衣所にはきちんと衣服が用意されていた。
まるで夢を見ているようだ。
すべてが夢の中で起きているような、そんな出来事ばかりが私をずっと追いかけて、そして包み込んでいた。

私が求めている夢。
それは何だったんだろう。

ふと頭の中に浮かんだ想い。

すべてが順調に進んでいた。
何もかも、仕事も、恋人も。
それが一瞬に無くなった時、私はどうするんだろうか?
前からそんなことを頭の片隅にずっとあった。
そんなことはあり得ない事実だとわかっていても現実に、もし、起こったら。
私はどんな行動をして、どんな思いになるんだろう。
幸せすぎてはいないのか?
ずっと思っていたその不安……それが現実となり今私を襲っている。

思っていたことが夢であり、その夢が現実となって姿を現し。その夢の中で私はまた夢を見ているかのような出来事に巡り合っている。

頭の中が混乱しすぎている。

「私たちもここから出るって、私はどこに行ったらいいの? もう行く場所なんかないわよ」
「大丈夫ですよ。主の御心のままに、私と共に最後の日まで一緒に……」
「一緒にって?」
「大丈夫です。スレイユ、あなたが求めているその世界に私がいざないます。あなたはただ信じてくれればそれでいいんです」
やっぱり、カオリ・ラヴィナーレは私を導きに来てくれたんだ。
にっこりと微笑んだその笑みに吸い込まれるように
「さぁ、目を閉じて。祈りましょう」
言われるままに祈った。彼女と共に。

静かに目を開けると、そこはすでに私のいた部屋ではなかった。



Pays de reve ペイドゥリーヴ社

ペイドゥリーヴ。フランス語で夢の国。
私の会社の名。
私は人々に夢を見てほしかった。
始めは夢という漠然としたイメージしかなった。
夢って何だろう?
そう考え、自分が抱いている夢をいつも追っていた。
寝ている時に見る夢。目標に向かう夢。
夢と言ってもいろんな形がある。
そんな漠然とした夢という現象を形に出来ないだろうか?
そこからだ。私は……そうだ。
私は研究者だった。
夢を形にする研究。周りの人たちはそんなバカげた事に何の価値があるんだと、相手にもされなかった。
それでも自分の想いは消すことは出来なかった。
そしてようやく、研究の成果が見え始めた時。彼が現れた。
そう、片岡和樹《かたおかかずき》だ。
片岡和樹。彼は本当に実在した人物だったんだろうか?
彼自身、もしかしたら私の夢の中で描かれた男性だったのではないのか?

Pays de reve ペイドゥリーヴ社もほんとうに存在している会社なのか?
ステンドグラスに反射する陽の光が私の瞳に映りだされている。
そして私の横には、あの片脚のないシスター。カオリ・ラヴィナーレの姿があった。
「カオリ」
一言彼女の名を呼ぶ。
「はい、なんでしょう。スレイユさん」
彼女のその微笑みは、私が追い求めていた姿だったのかもしれない。
「ねぇ、あれからどれくらいの時間がたったの?」
「さぁ、どれくらいなんでしょうね」
返す彼女の言葉に、私は覚る。
もう時期私の命の火が、消えようとしているんだと。
「ここは、教会?」
「そうですよ、スレイユさん」
「そっかぁ、どこの教会かはわからないけど、できれば最後は自分の生まれた国に帰りたかったなぁ」
「そうですか。でも残念ながら、ここはスレイユさんの生まれ故郷ではありません。申し訳ありません」
「何もあなたが謝ることじゃないわよ」
軽く微笑んで見せた。
その私の姿を見て彼女は
「スレイユさん、あなたが望んでいた夢とはなんだったんでしょうね」
「さぁ、なんだったんだろう。私もよくわかんないよ」
「そうなんですか? でもあなたは自分の追い求めている夢をちゃんと見ていたんじゃないんですか」
自分の追い求めている夢。
記憶が少しづつ戻って来るような、不思議な感じがする。
そうだ、私は夢を追い求めていたんだ。
「ねぇ、聞いてくれる? 私の夢の話を……」

カオリ・ラヴィナーレのその微笑みは、私が追い求めていた人の幸せの微笑みだと。
今気が付いた。

今私に残されたものは……

「残ったのはこの白い肌の躰だけ。もう好きにしていいよ」

スレイユ……スレイユ・ミィシェーレ。

「あなたの夢を私に聞かせてくださいませんか。スレイユ・ミィシェーレ」
すべてを失い何もかも残すことなく、この世界から私は消えたかった。
でも、最後に私のこの夢の話だけは、誰かに聞いてもらいたかった。
その最後の夢を私は今から語る。
この水先案内、カオリ・ラヴィナーレに。
「少し、長くなるけど……いいかな?」
「ええ、大丈夫ですよ」
陽の光が私たち二人を包み込む。暖かい光の中、私の意識は静かに薄れていった。

被験者ナンバー001
スレイユ・ミィシェーレ
「あなたはこれからあなたが求める夢の世界で、生きることを望みますか?」