どれだけ見ても、誰かの不満や悪口はひとことも出てこなかった。誰かが話しかけるといつも喧嘩腰で返すのに、すぐに反省したりもする。
はじめは怖かったあの態度も、今ではすっかり怖くなくなってしまった。
むしろ無理して悪者を演じているような気がして心配になってくるくらいだ。
そのせいか、私はなんとなく彼を手助けするようになった。
手助けといっても「伊藤くんはあそこだよ」と、こっそり掃除区域を教えたり提出物を代わりに出してあげたりするような細かいことばかりで、それ以外で話したことは一度もない。
別に伊藤くんのことを気遣っているのではなく、単に彼が困っていることを私しか知らないというだけのこと。善人ぶるつもりは微塵もない。
それでも、伊藤くんは心の中で『ありがとう』なんてまっすぐに私を褒めてくれる。決して口に出して言ってくれないのが少し寂しいけれど、それが伊藤くんなのだと思えば大して気にもならなかった。