湖のほとりにある“仙家”は、皐月のボート小屋からわりとすぐだ。

自転車のない私は、彼方の自転車の後ろに乗せてもらった。私と彼方、それから日方を乗せた二台の自転車は、颯爽と竹林の道を走り抜けていく。竹林の途切れた先には、エメラルドグリーンに輝く湖があった。

祠の前にはもう皐月の姿はなく、代わりに背中の曲がったおばあさんがいた。小豆色の着物に手ぬぐいのほっかむりという恰好で、祠に向かい両手を合わせしきりにブツブツと祈っている。

「あのおばあさん、まだお参りしてるのね」

名前も知らないそのおばあさんは、子供の頃からよくこの祠で祈っているのを見かけた。階段の上まで参拝に行きたくとも、足腰が弱っていけないのだろう。

「この町のお年寄りは、龍神伝説を本気で信じ込んでいるからな」

背中越しに、彼方が言った。

「龍神伝説って?」

「え、この町に住んでたのに、知らないの?」

隣を自転車で走行している日方が、驚いたように声を上げる。

「この湖に伝わる伝説だよ。昔、俺らが生まれるよりもずっと前に、この湖に子供が落ちていなくなってしまったらしい。その子が龍神になって、この田舎町を世俗から守ってくれてるって話。この辺じゃ有名だよ」

「ふうん、知らなかった」

「田舎町にありがちな伝説だよ。そんな民話のひとつでもなけりゃ、ほんとになーんもない町だから」

茶化すように、日方が笑った。

私は後ろを振り返り、いまだに祠に手を合わせ続けているおばあさんを見つめる。輝く湖畔とは対照的に、竹林に面したその祠には陰が落ちていて陰鬱としていた。やがてカーブにさしかかると、おばあさんの姿は完全に見えなくなってしまった。

「響~」

うなぎの“仙家”の前に自転車を停めるなり、双子は慣れた様子で店内へと入って行く。

「響~、優芽が帰って来たぞ~!」

”仙家”は、テーブル席が四席ほどのこぢんまりとした食事処だ。お昼を過ぎたこの時間、お客さんは全くいなくて閑散としている。

すぐに、響が慌てた様子で奥から姿を現した。

「何だよ、お前ら。勝手に入ってんじゃねーよ」

「誰もいないんだからいーじゃん」

「ていうか大丈夫なの? こんなガラガラで潰れない? この店」

去年までは黒髪だったのに、響の癖がかった髪は茶色に染まっていた。ジーパンにTシャツ、それに黒のバンダナにエプロン姿という店員スタイルだ。

もともと背が高かったけどさらに伸びていて、彼方と日方よりは頭ひとつ分近く差がある。男の子というよりも、もう男の人と呼んだ方が合っている気がした。

「ただいま、響」と挨拶すれば、響は私を見て「おう」と小さく返事をした。