6
「ニシナ様をお救いするのは私の使命。ニシナ様はあの女に連れ去られたに決まってる。あの大きな黒い猫の幻影を持つあの女に。あいつは今どこにいるの?」
獲物を狙うように鋭い目をし、四本の足をバネのようにはずませて、しなやかな体をもつ狐が駆け抜けていく。
学校の裏手の林まで降りてくると、鼻をくんくんとさせユキの匂いを追う。
狐の姿では人間の世界に出られないと人の姿に代わるが、自分の服が巫女装束だということに気が付き、慌ててその辺の葉っぱをかき集めた。
それを上に放り投げて呪文を唱えると、あっと言う間に高校の制服へと早代わりした。
「これなら、怪しまれることはないでしょ」
我ながらキイトは自分の変装に満足する。誰も自分を怪しむものはいない。背筋を伸ばし、長い艶のある黒髪を風になびかせる。微かに残るユキの匂いを頼りに探し始めた。
駅前の賑やかな繁華街は、この辺りでは栄えてるが都会と比べればまだまだ洗練されてない。
田舎の一番人通りの多い街並みは、昔ながらの商店街や近代の建物がごちゃ混ぜになっている。
人が集まるだけに、そこには名の知れた飲食チェーン店も集まり、ユキと仁も最近できたカフェで冷たい飲み物を飲んでいた。
そこは高校生がたむろするにはもってこいとばかりに、制服を着た生徒達が明日から始まる夏休みで楽しげに語らっていた。
ユキと仁は窓際の隅で周りとは対照的に陰りのある表情を見せていた。
「ユキ、この夏はどうするつもり? 塾の夏期講習に参加するの? ユキは英語が完璧だから他の教科に集中できていいな」
仁は褒め言葉のつもりでそんなことを言ったが、却って逆効果だった。
「いくら英語が話せたって英語の勉強をやらないわけにはいかないわ。日本人が国語を勉強するのと同じことでしょ」
「まあ、そうだけど、でもなんか話せるだけで一目おいちゃうっていうのか」
苦笑いをするように、仁はユキに気を遣う。
「ねぇ、仁。もうやめて。仁はあれ以来、腫れ物に触るみたいに私のこと気遣ってくれるけど、私達、ここらで離れた方がいいんじゃないかって思う」
「なんでそうなるんだよ。僕はただ好きでユキの側にいるだけだし、僕が唯一、君のこと理解できるから……」
「だから、それがやっぱりダメなんだって今になって気が付いたの。私、仁に甘えすぎていた。でもそれって自分がトイラとの想い出を忘れたくなくって、仁を 利用してたことになる。さっきだって、こんなに仁のお世話になってるのに、自分のことしか考えられなくって仁の気持ち踏みにじってしまった」
ユキは視線を落とし、手持ちぶたさに飲み物のストローを指先でつまんでいた。
「そんなことないよ。まだあれから一年しか経ってないじゃないか。僕はまだまだ時間がかかると思ってる。それに……」
仁はその後の言葉をいい出せなかった。
そこにはトイラはもう居ないんだと、いつかは必ず忘れる日が来ると信じている自分がいることをこの場で口にはできなかった。
仁の方こそトイラの死を利用している自分に負い目を抱いてしまう。
暫く沈黙が続いた。
これでは埒があかないとユキは正直になることにした。
「あのね、実は今日、八十鳩さんに言われたの」
「あっ、もしかして一年の八十鳩瞳? 一体何言われたんだ?」
「仁のことどう思ってるかって、はっきりしろって忠告されちゃった」
ユキはあの時抱いた悲しい感情を打ち消すように、ストローを口元に持っていき、思いっきりすすった。
「あの子さ、勘違いするというのか、一人で大げさに舞い上がるんだよ。良子さんの病院に来る患者さん。この場合、犬なんだけど、その飼い主が瞳ちゃんなわ け。地元の子だし、前から知ってたから、ついこの間も良子さんの病院でばったりあっちゃって、それで話をしただけなんだけど。何か言われても気にしない で」
仁は手をひらひらとさせてそのことには軽くあしらう。
ユキはそんなに簡単に片付けられないと、気持ちが重苦しくなった。
「私、やっぱり仁とは一緒にいたらいけないんじゃないかって思う。仁もあの時の言葉に自分を縛り付けないで欲しいんだ」
「縛り付けてるってどういうことだよ。僕がいつまでも待つって言ったからか? それはユキの事が好きだし、本当に僕は待てるし、時間がかかるかもしれないけどユキがいつかきっとその悲しみから解放されるって分かってるからさ」
仁は必死に弁明するが、ユキは素直にそれを受け入れられなかった。
「仁にこれ以上甘えたくないし、仁だってもっと周りを見た方がいい。仁は真面目だからどこかで意地になってそれを遣り通さなければって思い込んでるだけだよ。仁は意固地になってるだけ。あの時だって一生懸命になり過ぎて、それで簡単にジークに騙されてしまったし」
「ユキこそ、どこかで罪悪感を抱いてしまってるだけだろ。何も僕に気を遣うことなんてないんだよ。僕はユキの力になれることが嬉しいくらいだよ」
仁は優しくにこりと笑った。
ユキはその笑みについ下唇を噛んでしまう。仁の優しさが歯がゆくてならなかった。
「あのさ、そこ怒るとこだと思う。私、失敗談を持ち出して仁のこと貶したんだよ。それなのにどうして笑ってられるの?」
「ユキこそどうしたんだよ。まるで僕と喧嘩したいみたいだ。それじゃ僕もはっきり言うけど、トイラは死んだんだ。もう居ないから僕は何も恐れるものはない。僕だってトイラに負けないくらいユキのこと好きなんだ。だから僕はユキのこと待てるんだ」
「仁、もうやめて。トイラの死のことはあなたの口から聞きたくない。やっぱり私達、離れた方がいい」
ユキは耳を塞ぎたくなった。
「どうしてだよ。今は想い出を共有するように一緒にいるだけでもいいじゃないか。僕たち二人しかこの町で起こったこと知らないんだから」
「違うの、やっぱり私はトイラが好きだって気が付いた。そしてそれはずっと手放したくないし、誰とも共有したくない。一生一人でその思いを抱いて生きていきたいって思う。そしてやがて命を全うして私はいつしか彼の元へ……」
「何、バカなこといってんだよ。美談もいいとこだよ。その長い人生ずっと死んだ奴のこと思って暮らすっていうのか」
「うん」
ユキこそ意固地になっていると仁は感じた。
「ユキ、いい加減に現実を見ろよ。僕を重荷に感じるのなら、他の奴を好きになったっていい。僕はユキが今抱いている苦しみから解放されることを一番に願ってるだけだ。それができるのは今は僕しかいないってそう思うだけだ」
「ごめん、仁」
これ以上話し合いなんで無意味だ。ひとりになりたい。
ユキは立ち上がり、飲んでいたカップを手にしてそれをゴミ箱に捨てると、仁を置いて外へ出た。
仁もその後を追いかけユキの腕を掴むが、ユキはただ黙り込んで涙を溜めた目で虚ろに下を向いていた。
仁は折れるしかなかった。
「ユキ、分かったよ。そこまで言うのなら一度離れてみよう。でもあの葉っぱのこともあるし、もし何か起こったら、必ず僕に連絡するって約束してくれる?」
ユキは首を一度縦に振った。
「それから、何か勉強でわからない事があれば遠慮なく相談して。離れるっていっても喧嘩して絶交したわけじゃないし、そのなんていうか、臨機応変に」
「わかった。仁、色々とありがとう」
ユキはゆっくりとした動作で背中を向けて去っていった。
仁も自分が口走ったことが、ユキを追い詰めてしまったんじゃないかと、苦虫を噛んだような顔をして見送っていた。
車が多く行き交う大通りに面したその通りで、沢山の人が行き交う中、二人はそれぞれ反対方向を歩いていく。
その様子を向かい側の通りからキイトがじっと見つめていた。
「ニシナ様をお救いするのは私の使命。ニシナ様はあの女に連れ去られたに決まってる。あの大きな黒い猫の幻影を持つあの女に。あいつは今どこにいるの?」
獲物を狙うように鋭い目をし、四本の足をバネのようにはずませて、しなやかな体をもつ狐が駆け抜けていく。
学校の裏手の林まで降りてくると、鼻をくんくんとさせユキの匂いを追う。
狐の姿では人間の世界に出られないと人の姿に代わるが、自分の服が巫女装束だということに気が付き、慌ててその辺の葉っぱをかき集めた。
それを上に放り投げて呪文を唱えると、あっと言う間に高校の制服へと早代わりした。
「これなら、怪しまれることはないでしょ」
我ながらキイトは自分の変装に満足する。誰も自分を怪しむものはいない。背筋を伸ばし、長い艶のある黒髪を風になびかせる。微かに残るユキの匂いを頼りに探し始めた。
駅前の賑やかな繁華街は、この辺りでは栄えてるが都会と比べればまだまだ洗練されてない。
田舎の一番人通りの多い街並みは、昔ながらの商店街や近代の建物がごちゃ混ぜになっている。
人が集まるだけに、そこには名の知れた飲食チェーン店も集まり、ユキと仁も最近できたカフェで冷たい飲み物を飲んでいた。
そこは高校生がたむろするにはもってこいとばかりに、制服を着た生徒達が明日から始まる夏休みで楽しげに語らっていた。
ユキと仁は窓際の隅で周りとは対照的に陰りのある表情を見せていた。
「ユキ、この夏はどうするつもり? 塾の夏期講習に参加するの? ユキは英語が完璧だから他の教科に集中できていいな」
仁は褒め言葉のつもりでそんなことを言ったが、却って逆効果だった。
「いくら英語が話せたって英語の勉強をやらないわけにはいかないわ。日本人が国語を勉強するのと同じことでしょ」
「まあ、そうだけど、でもなんか話せるだけで一目おいちゃうっていうのか」
苦笑いをするように、仁はユキに気を遣う。
「ねぇ、仁。もうやめて。仁はあれ以来、腫れ物に触るみたいに私のこと気遣ってくれるけど、私達、ここらで離れた方がいいんじゃないかって思う」
「なんでそうなるんだよ。僕はただ好きでユキの側にいるだけだし、僕が唯一、君のこと理解できるから……」
「だから、それがやっぱりダメなんだって今になって気が付いたの。私、仁に甘えすぎていた。でもそれって自分がトイラとの想い出を忘れたくなくって、仁を 利用してたことになる。さっきだって、こんなに仁のお世話になってるのに、自分のことしか考えられなくって仁の気持ち踏みにじってしまった」
ユキは視線を落とし、手持ちぶたさに飲み物のストローを指先でつまんでいた。
「そんなことないよ。まだあれから一年しか経ってないじゃないか。僕はまだまだ時間がかかると思ってる。それに……」
仁はその後の言葉をいい出せなかった。
そこにはトイラはもう居ないんだと、いつかは必ず忘れる日が来ると信じている自分がいることをこの場で口にはできなかった。
仁の方こそトイラの死を利用している自分に負い目を抱いてしまう。
暫く沈黙が続いた。
これでは埒があかないとユキは正直になることにした。
「あのね、実は今日、八十鳩さんに言われたの」
「あっ、もしかして一年の八十鳩瞳? 一体何言われたんだ?」
「仁のことどう思ってるかって、はっきりしろって忠告されちゃった」
ユキはあの時抱いた悲しい感情を打ち消すように、ストローを口元に持っていき、思いっきりすすった。
「あの子さ、勘違いするというのか、一人で大げさに舞い上がるんだよ。良子さんの病院に来る患者さん。この場合、犬なんだけど、その飼い主が瞳ちゃんなわ け。地元の子だし、前から知ってたから、ついこの間も良子さんの病院でばったりあっちゃって、それで話をしただけなんだけど。何か言われても気にしない で」
仁は手をひらひらとさせてそのことには軽くあしらう。
ユキはそんなに簡単に片付けられないと、気持ちが重苦しくなった。
「私、やっぱり仁とは一緒にいたらいけないんじゃないかって思う。仁もあの時の言葉に自分を縛り付けないで欲しいんだ」
「縛り付けてるってどういうことだよ。僕がいつまでも待つって言ったからか? それはユキの事が好きだし、本当に僕は待てるし、時間がかかるかもしれないけどユキがいつかきっとその悲しみから解放されるって分かってるからさ」
仁は必死に弁明するが、ユキは素直にそれを受け入れられなかった。
「仁にこれ以上甘えたくないし、仁だってもっと周りを見た方がいい。仁は真面目だからどこかで意地になってそれを遣り通さなければって思い込んでるだけだよ。仁は意固地になってるだけ。あの時だって一生懸命になり過ぎて、それで簡単にジークに騙されてしまったし」
「ユキこそ、どこかで罪悪感を抱いてしまってるだけだろ。何も僕に気を遣うことなんてないんだよ。僕はユキの力になれることが嬉しいくらいだよ」
仁は優しくにこりと笑った。
ユキはその笑みについ下唇を噛んでしまう。仁の優しさが歯がゆくてならなかった。
「あのさ、そこ怒るとこだと思う。私、失敗談を持ち出して仁のこと貶したんだよ。それなのにどうして笑ってられるの?」
「ユキこそどうしたんだよ。まるで僕と喧嘩したいみたいだ。それじゃ僕もはっきり言うけど、トイラは死んだんだ。もう居ないから僕は何も恐れるものはない。僕だってトイラに負けないくらいユキのこと好きなんだ。だから僕はユキのこと待てるんだ」
「仁、もうやめて。トイラの死のことはあなたの口から聞きたくない。やっぱり私達、離れた方がいい」
ユキは耳を塞ぎたくなった。
「どうしてだよ。今は想い出を共有するように一緒にいるだけでもいいじゃないか。僕たち二人しかこの町で起こったこと知らないんだから」
「違うの、やっぱり私はトイラが好きだって気が付いた。そしてそれはずっと手放したくないし、誰とも共有したくない。一生一人でその思いを抱いて生きていきたいって思う。そしてやがて命を全うして私はいつしか彼の元へ……」
「何、バカなこといってんだよ。美談もいいとこだよ。その長い人生ずっと死んだ奴のこと思って暮らすっていうのか」
「うん」
ユキこそ意固地になっていると仁は感じた。
「ユキ、いい加減に現実を見ろよ。僕を重荷に感じるのなら、他の奴を好きになったっていい。僕はユキが今抱いている苦しみから解放されることを一番に願ってるだけだ。それができるのは今は僕しかいないってそう思うだけだ」
「ごめん、仁」
これ以上話し合いなんで無意味だ。ひとりになりたい。
ユキは立ち上がり、飲んでいたカップを手にしてそれをゴミ箱に捨てると、仁を置いて外へ出た。
仁もその後を追いかけユキの腕を掴むが、ユキはただ黙り込んで涙を溜めた目で虚ろに下を向いていた。
仁は折れるしかなかった。
「ユキ、分かったよ。そこまで言うのなら一度離れてみよう。でもあの葉っぱのこともあるし、もし何か起こったら、必ず僕に連絡するって約束してくれる?」
ユキは首を一度縦に振った。
「それから、何か勉強でわからない事があれば遠慮なく相談して。離れるっていっても喧嘩して絶交したわけじゃないし、そのなんていうか、臨機応変に」
「わかった。仁、色々とありがとう」
ユキはゆっくりとした動作で背中を向けて去っていった。
仁も自分が口走ったことが、ユキを追い詰めてしまったんじゃないかと、苦虫を噛んだような顔をして見送っていた。
車が多く行き交う大通りに面したその通りで、沢山の人が行き交う中、二人はそれぞれ反対方向を歩いていく。
その様子を向かい側の通りからキイトがじっと見つめていた。