10
 八月に入って暫くした頃、夏祭りが始まった。
 山神様を祭り、山や畑の豊作と平和、そして人々の絆を願って祭りは山の麓の大きな神社で盛大に賑わった。
 ユキは紺色で花柄をあしらった浴衣を着て、仁と一緒に参加した。
 沢山の夜店も出ていたが、一際目を引いたのが山神の住む山に向けて、しめ縄と御幣を飾って特別お供えコーナーというべき場所が設けられていた所だった。
 米、酒、野菜、果物といったお供えものに紛れて、町の商店街や団体からの多数のギフトが包装紙に包まれてお供えされていた。
 そこは花梨が中心となって仕切っており、次から次へとお参りに来る人々の案内役となっていた。
 その傍で八十鳩家の祖父母も見受けられた。
「なんだか忙しそうにしてるよね」
 仁は挨拶に行くのが躊躇われた。
「そうだね、邪魔しちゃ悪いし遠慮した方がいいかもね。また後でチャンスがあったらでいっか」
 ユキも気が引けた。
 次から次へとお供え物を持って人が現れる様子を見ると、手ぶらな自分たちでは側に寄ることが憚られた。
「それじゃ、僕たちはまずはこっちを楽しもうか」
 仁は夜店の並ぶ場所を見つめた。
「うん。それじゃ、まずはあれ食べようか」
 ユキが指差したところはたこ焼きだった。
「オッケー」
 仁はデートのリードを任されたように張り切って一皿買いに行く。
 それを二人で分け合って食べた。
 仁の口元についたソースを見ながらユキが笑うと、仁は慌てて拭い取ってはお互い顔を見合わせてにこりと微笑みあっていた。
 その時、わざとらしく喉をエヘンと鳴らして、ふたりの前に躊躇って人影が現れた。
「ふたり仲良く楽しんでいるようじゃな」
「セキ爺!」
 二人は再び会えた事を嬉しく思い、つい声を荒げてしまった。
 セキ爺は一般の年寄りと見分けがつかないくらい祭りに溶け込み、声を掛けられなかったらすっかり見過ごすところだった。
 少し話がしたいと、セキ爺は賑やかな祭りからそれた人気のない木々が密集しているところにふたりを連れ出した。
「楽しんでいるところをすまないな。どうしてもふたりには改めて礼を言いたかったんじゃ」
「そんな、礼だなんて」
 仁が却って恐縮した。
「いやいや、ニシナ様から話を全て聞かせてもらった。今回のことはふたりの協力がなければ解決できなかった。そしてわしが余計なことをしたために、トイラを失い悲しませてしまった。それも心から詫びたかったことじゃ」
 ユキは強く首を横に振った。
「セキ爺、そのことは気にしないで下さい。私は全てのことに意味があったように思います。ねぇ、仁」
 ユキは明るく振舞う。
「うん。僕もそう思う。だから悲しんでばかりいられないし、僕たちは精一杯進まなくっちゃ」
 セキ爺は何度も頭を下げては感謝の気持ちをふたりに向けた。
「でもニシナ様が亀だったなんて考えもよりませんでした。僕、その亀を捨てにいったんですから、僕こそお詫びしなきゃ」
 仁はバツが悪そうに頭をかいていた。
「いや、ニシナさまはいい冒険だったと喜んでおられた。良子先生に面倒をみてもらえたことも嬉しかったみたいじゃ。また会いたいとか言い出して困ってるんじゃ。時々、連れて行ってもらえると助かるんじゃが」
 それを聞いて、ふたりは笑ってしまった。
「ニシナ様ってお茶目なんですね」
 仁はこの山には沢山の幸せが詰まっているように思え、賑わっている祭りを見渡した。
「それから、あの、キイトのことなんですけど……」
 ユキがいいにくそうに尋ねる。
「キイトはカジビだってことは山の人たちは皆知ってるんですか?」
「いいや、それを知っているのはわしらだけという事になった。カジビはキイトとしてキイトが果たせなかった使命をすることになったんじゃ。それはニシナ様 も理解してのことじゃ。その方が、山の者たちも騒ぎ立てることもないじゃろうて。わしもこのことには賛成じゃ。これでより一層山の平和が守られることじゃ ろう」
 セキ爺は山を見つめ、それにつられてユキと仁も一緒に見ていた。
 この山のどこかで、赤石が一際赤く光っているようなイメージがユキの頭に浮かぶ。 
 セキ爺はこの後、花梨の元へ向かった。そこで話を始め、花梨にユキと仁の事を伝えているのだろう。ユキと仁がいる場所を知った花梨は手を振って挨拶をしてくれた。
 ふたりも気軽に手を振って返した後は、花梨はまた忙しく訪問客の相手をしていた。
 セキ爺がお供え物を指差しながら色々と話し合っているところをみると、山の者が欲しがっているものを伝えているのだろう。
 あのお供え物のいくつかは後にニシナ様の祠にも祀られることになる。
 ユキと仁の目から見れば、お祭りにも意味があるんだと感慨しく思っていた。
「子供の時は、綿アメ食べたり、金魚すくいして楽しんだりと、お祭りって遊ぶものだって思っていたけど、それは山神と人間を結ぶ架け橋だったんだね。こんなこと考えたこともなかったよ」
 仁は賑わっている祭りの様子を見ている。様々な人たちが、楽しそうにしている姿は見ていてほっこりするものがあった。
「そうよね。世の中には人間には見えないことがいっぱいあって、知らないだけなのかもしれない。でも私たちはそういう世界と交わってしまった」
 夜店の光に照らされて浮き上がるユキの表情がとても可愛く見える。
 仁は手を握ろうかどうかと葛藤していた。
 その時肩をぽんと叩かれた。
「新田先輩!」
「あっ、瞳ちゃん」
 ピンクの浴衣を着た瞳が楓太を連れて祭りに来ていた。
「こんばんは」
 ユキも挨拶をするが、瞳は露骨に無視をする。
「ねぇねぇ、先輩、あっちで遊びません? 八十鳩家がこのお祭りを中心になって一役買ってるので、私が居ると色々とおまけしてくれたり、無料で遊べるんです」
「いや、遠慮しておくよ。僕は今ユキと一緒だ」
 仁はきっぱりと断った。それが瞳を傷つける。
 瞳は敵意をむき出しにしてユキに不満げな目を突きつけた。
 薄暗さの中、何を考えているのかわからないユキの表情。
 瞳はそれに苛立って気持ちが高ぶってしまった。
「春日先輩、先日いいましたよね。気持ちをはっきりしてほしいって。その答えを今ここで教えて下さい。新田先輩のことをどう思っているんですか!」
「瞳ちゃん、そうつっかかるのは止めろよ」
 仁は注意する。
「でも先輩、いい加減に気がついたらどうですか。この人は先輩を利用しているだけなんですよ」
 ユキがはっきりとした態度に出てこないと計算して、瞳はユキを追い詰めて仁を目覚めさせたかった。
「瞳ちゃん、いい加減に……」
 仁が言いかけたとき、ユキは仁と向き合いまっすぐに見つめた。
 この時こそ自分の気持ちを仁に伝えるべきだ。
「いいえ、そんなことはないわ。仁は私には必要な人なの。この先もずっと。だから、私たちは付き合っているわ!」
「えっ?」
 瞳だけではなく仁まで一緒に声を上げて驚いていた。
「仁、あっちに行こう」
 ユキは仁の手を取って引っ張っていく。仁は放心したま躓きそうになって足をよたつかせていた。
 取り残された瞳は、呆然として固まっていた。
「そんな……」
 思ったようにならなくてかなりのショックを受けていた。
 足元で楓太が浴衣の裾を噛んで引っ張った。
「ほら行くぞ」
「えっ、誰?」
 瞳は辺りを見回す。
 足元で楓太はあどけなく「ワン」と吼えていた。

 お祭りを後にして、ユキと仁はお互いの手を繋ぎながら無言で暫く夜道を歩いていた。
 聞き間違いじゃないだろうか。
 しかし、はっきりと自分の耳に聞こえた。
 そんな事を思いながら、仁は時折りユキの横顔をそっと見る。
 暗くてぼんやりとした中で見えたその表情は、優しく微笑んでいるようであり、またどこか無理をして前を向こうとしているようにもみえた。
 トイラの意識が消えてからそんなにまだ時は経っていない。
 気持ちなどすぐには切り替えられるものではないけども、ユキは自分を受け入れてくれた。
 もう一度それを確かめたくて仁は恐々と声を出した。
「ユキ、さっきの言葉だけど……」
「うん? なあに?」
 仁を見つめる笑顔が暗闇で光を放っているように見えた。
 それは確かに仁だけに向けられた笑顔だった。
 仁が息を飲み込んだときだった。ドンと響いて突然大きな花火が夜空に上がっていた。
 二人はすぐに夜空を仰ぎ見つめた。
 また一つ上がり、爆発音がお腹にぐっと響く。
「うわぁ、きれい」
 次から次へと花火は大きな音とともに真っ暗な夜空に向かって、派手にそして一瞬の光を潔く散らす。
 ドンと鳴り響く音は体の中にまで届いてくる。
 音と共鳴した、体にぐっと響く力強い思いが、握っていたお互いの手に伝わってしっかりと絡みついた。
「花火は今その瞬間が豪快で美しいよね。そしてとても儚い……」
 花火が消え行くとき、仁の胸は無性に切なくなる。
 そう感じたのはそれがトイラの命と重なったからだった。
 その仁の気持ちをユキは素直に受け取った。
「だからこそ最高に輝いて美しいんだと思う。その瞬間がかけがえのない大切なもののように、精一杯の力を出し切っている。それが一瞬で終わろうとも、強烈に忘れられないものを心に植え付ける。まるであの人が残したもののように……」
 敢えて名前を出さなくともユキの言いたいことが仁にはよく分かっていた。
 打ち上げられる花火を見ながら、ふたりは同時にトイラのことを思っていた。
 ふたりが一緒にトイラを思う。
 そしてお互い納得して笑顔で見つめ合った。
 そこにはかけがえのない、大切な絆がしっかりと絡み合うように、またこの先も忘れないと言い聞かせるように、ユキと仁は何もかも受け入れた上でお互いの事を見つめている。
 再び次の花火が勢いよく上がると、二人はしっかりと手を握り寄り添って夜空を仰いでいた。
 花火は一層艶やかに美しく、豪快に夜空を彩りよく賑わせていた。
 暫く黙って花火を観賞する。
 その時、ここ一番大きな花火が空高く上がった。
 そして見事な緑色と赤色が交わる大輪の花を咲かせていた。
 儚く散った時、ユキの目頭が熱くなる。ぐっとこみ上げる思いに仁の手を強く握ってしまう。
 仁もまたユキの思いをしっかりと受け止め、力をこめてユキの手を握る。
 ユキと仁の絆が結ばれる――。
 ユキは仁に振り返って、微笑んだ。
「この山のどこかで赤い石がきっと赤く反応しているね」
「ああ、そうだね」
 また花火が上がる。
 ふたりの表情は花火の光に照らされてどこか洗練され大人びて見えていた。
 それが寂しくもあり、嬉しくもある。
 これからどんな大人になるのだろうか。
 それでも心に抱いた輝かしい思い出はいつまでも心にしまっておきたい。
 恋したことも忘れない。
 それは宝石のようにいつも自分の胸でキラキラと煌いている。
 それがあるから自分は強くなれる。
 恋をしてよかった。あなたに会えてよかった。
 ユキも仁も大切な事を教えてくれたトイラに感謝していた――。