「その石は何かね。なんだか中が赤くなっているようじゃが」
 セキ爺は初めて見たように、目をしばたたいていた。
 仁は瞳から貰った経緯を話すと、花梨は自分の娘の行動に優しく微笑んでいた。
「あの子も私に似て、一生懸命になると暴走しちゃうところがあるから。よほど新田さんのことが好きなのね」
 仁は少し困ったような顔でなんとか愛想笑いを試みた。
「いいのよ、無理しなくても。新田さんはユキさんが好きなんでしょ」
 複雑な状況なので、これにも仁は困ってしまった。
 ユキもどう反応していいのか分からず、つい下を向いていた。
 セキ爺は気を遣って立ち上がり、花梨に帰る意志を態度で伝えると花梨も黙って後に続いた。
 仁とユキは二人を玄関で見送る。
「色々と世話になったのう。この恩は忘れん。ほんとうに有難う」
 セキ爺と花梨は深々と頭を下げていた。
「いえ、お気を遣わないで下さい。人間でありながら、こうやってお知り合いになれたこととても光栄に思います。僕達は山神様の秘密は守りますし、どうかその点についてはご安心下さい」
「あんたらの方がわしらの世界以上のことを良く知っていることじゃろう。またいつか力になってもらわんといけないことがあるかもしれん。いい理解者と知り合ったと思っておる。これからも宜しく頼むわい」
 仁もユキもその言葉が嬉しく、二人して顔を見合わせて笑っていた。
 その時、一旦帰ろうとしていたセキ爺の足が止まった。
「あっ、そうじゃ大切なことを忘れておった。トイラの件じゃが、キイトから詳しい話はもう聞いているのかのう?」
「人間にする方法のことですか?」
 ユキが聞いた。
「ああ、そうじゃ。カジビが見つかったらすぐに手伝わせて貰うが、その、なんというか、準備じゃが……」
 セキ爺は少し言い難そうに語尾が弱まる。
 ユキは少し首を傾げていたが、仁が覆いかぶさるように言った。
「はい。その問題については全て僕が準備します。カジビが見つかりましたら、どうかよろしくお願いします」
「そうか、そっちが準備できてるなら何もいうことないわい。それじゃできるだけ早くカジビを見つけないと。皆にも探すように合図を送ってみる。そして他の山にも使者を向かわそう。大々的に捜索願いを出すつもりじゃ」
「宜しくお願いします」
 これでまた一歩前に進んだような気がした。
 セキ爺たちが去った後、仁は力が抜けたようにソファーに座り込んだ。
「仁、お疲れ。一編に事が運んだ感じだったね」
「ああ、なんかどどって疲れがやってきた感じだ」
「ねぇ、いくつか分からない事があるんだけど、さっきのあの石、なんで赤い光を発光してたんだろう。もう一度見せて」
 仁は自分の掌の上に載せて見せたが、ユキが手にしようとすると、引っ込めた。
「ユキは触っちゃだめだ。またトイラの力が強くなって、ユキの意識が引っ込んでしまうかもしれない」
 ユキはなんだか納得いかない気持ちで、頬を膨らませていた。
「でも、不思議よね。センターだけが仄かに赤くなってるなんて。もしかして温まると色が変わるのかな」
「そうかもしれないな」
 仁はユキから遠ざけたいためにポケットに直しこんだ。
「それともう一つ。トイラを人間にする方法の準備って何のこと? 私まだ何もきいてないんだけど」
「ああ、そのことか。ユキは何も心配することはないよ。準備は整ってるから。とにかくカジビを探さないと、何もできやしない。まずはそれからだ」
 ユキはまた不完全にもやもやとしていた。
「僕、とにかく一旦家に帰る。お風呂にも入りたいし、ずっと動き詰めでなんだか疲れちゃった。少し寝て休憩する。また後で連絡する」
「うん、そうだね。ほんと忙しかったもんね。少し休憩した方がいい。だけど仁、そんなんで受験勉強大丈夫? 獣医学のある大学ってとても少ないでしょ」
「そうなんだけど、こっちが片付かなかったら勉強しようという気持ちにもなれない。いざとなったら浪人してもいいよ。ユキも人のこと言ってられないだろ。早く進路決めた方がいいぞ」
「うん、そうだね。ほんと、今は何も考えられないから、私も受験はどうでもいい気分になってきちゃった」
 二人は自虐するようにお互いを笑っていた。

 仁が去ったあとの家の中は、あっと言う間に静寂となり空虚さが現れた。
 静かな場所に一人でいると、燃え尽きたあとのように放心状態になってしまった。
 疲れているのもあったが、ユキも一度お風呂でさっぱりして、体からリフレッシュを試みた。
 その後は、クラッシク音楽を流してリラクゼーションを試みる。
 何も考えないようにしようとしたが、トイラが人間になったときのことを想像してしまう。
 また触れることも、話をすることもできる。
 過去のトイラと過ごした思い出が鮮明に蘇ってくる。
 だがここ一年の記憶では、トイラの思い出よりも仁の事の方が思い出されてしまった。
 仁の支えがあったからこの一年やってこれた。
 こんな事件に巻き込まれなかったら、仁に支えられたままトイラのことを忘れていたのだろうか。
 その時、自分は仁に対してどう思っていたのだろう。
 あまりにも当たり前の存在に感じて、自分のことしか考えてなかったことをユキは悔やんだ。
 仁はいつでもユキのためにと行動を起こして協力してくれる。
 トイラが人間になったとき、仁に対して自分はどう接していけばいいのか分からなくなってきた。
 
『トイラが戻ってきたから、もう仁は必要ないの。さようなら』

 言葉にしたら残酷だが、結局はそういう行動を取ってしまうのだろう。
 ユキはなんだか自分がとてつもない間違いを起こしているようなそんな気分になってくるようだった。
 トイラも大切だが、仁も大切だ。
 上手く言葉にはできないけど、繋がりというかけがえのないものを感じてしまう。
「きっと仁なら、私が望むように、私の幸せを一番に考えてくれるんだろう。自分を犠牲にしてでも……」
 心に溜まった苦しさがため息となって、胸の中から漏れるように出てきていた。