キイトを連れて再び家に戻れば、知らぬ間にキッチンが散らかっていてユキは驚いた。
「ごめん、ユキ。トイラが勝手に食べていいっていうもんだから、つい」
 仁が傍でシュンとしていた。
「ちゃんとご飯作れた? 私も食べたんでしょ」
 中身はトイラであっても体は自分だから、ユキは責めるよりもしっかり食べたことの方が気になる。
 仁が頷くとユキはにっこりと微笑んだ。
「それならよかった」
 ユキが片付けようとしたとき、仁はそれを遮った。
「ユキ、とにかく片付けは後にして。今は時間がないんだ。昨晩のこと全部話すからとにかくキイトと一緒に座って」
 一分一秒でも無駄にしている時間はない。
 仁はユキとキイトの前で八十鳩家の祠のことを話した。
「それは本当か。ほんとにそんなところに赤石があったのか」
 すぐさまキイトが反応し、興奮して立ち上がる。
「楓太もそれは本物と認めていた。なぜそこにあったのか理由は言わなかったけど」
 仁は楓太の事情のことも説明する。
 キイトはソファの上で胡坐を掻いて座りなおすと、腕を組んで静かに考えた。
「成る程、私にはなぜそこに赤石が隠されていた理由がわかった。そこまでよく調べてくれたな。これで誰が犯人か分かりかけてきた。大方の問題は解決しそうだ」
「えっ、理由も犯人もわかったって、一体どういうこと? 僕たちにも教えてくれないか」
 仁がその先を知りたいと催促する。
「いや、ここからは私の問題だ」
「ちょっと待ってよ。カジビの件はどうするの? 犯人ってやっぱりカジビなの? 私たち、カジビを探さないと困るんだけど」
 ユキはカジビを探す事を優先して欲しい。
 キイトにすがる目をむける。
「ユキの問題も分かっておる。もう暫く待て。私の問題が解決したら必ずトイラの手助けをすると誓おう」
「でもそれはカジビを見つけないと」
 今にも飛び出そうとしているキイトの腕をユキは掴んだ。
 このままキイトに行かれたら、カジビを見つけ出すのがまた遅れてしまう。
 ユキはキイトの関心を得ようと、白い石が見せた映像の事を仄めかした。
「待って、キイト。一つだけまだ話してないことがあるわ。私、あなたと誰かが戦っている映像を見たの」
「ん? 何のことだ?」
 キイトは眉間に皺を寄せた。
 仁はこの時、自分のポケットにあの白い石が入っていることを思い出し、軽くジーンズに触れた。
 ユキも白い石のことは言わずに、様子を見ながら映像のことを説明する。
「偶然何かの拍子で、目の前にあなたが鋭いものに胸を引っかかれて血を流している姿が現れたの。あれはどういうことか説明してくれない?」
 キイトの呼吸が急に乱れ出した。
 目を見開き、手元が少し震えている。
「ユキは全てを見たのか?」
「やはり、何か重要なことみたいね」
 キイトは黙り込んでしまった。ぐっと拳を強く握って、葛藤している様子にも見える。そして少し間を置いてから小さく訊いた。
「…… その時、私は誰に切られていた?」
「えっ?」
 その質問はユキには滑稽に聞こえた。切られた本人は確かに相手を知っているはずだったからだ。お互い向き合って顔を見ていたはずだった。
 ユキが不思議そうな表情を見せたので、キイトははっとした。
「いや、何でもない。もちろんその相手は分かっている。すまないが、先を急ぐ。また連絡する」
「ちょっと、キイト」
 キイトは軽々とソファから飛び降りると、一目散に玄関に向かって、あっと言う間に去っていってしまった。
 玄関までユキは追いかけたが、その後は諦めるしかなかった。
「仁、一体どうなってるの? なんだか余計にわからなくなっちゃった」
「こうしてはいられない。キイトを追いかけよう。きっと八十鳩家に向かったはずだ。そしてあの祠にあった赤石を手に入れるつもりだろう」
「ねぇ、もしキイトが赤石を手に入れようとしている一番の人物だったらどうしよう。それっていい事なんだろうか、それとも悪いことなんだろうか。楓太は私 たちにニシナ様の元に返して欲しいと頼んできたんでしょ。だったら周りの人たちを誰も信用してないってことじゃないの?」
 仁は益々困惑して眉根を寄せた。どうすれば一番いいのか、それを考えたときはっきりするまで赤石を誰の手にも渡らせてはいけないと感じた。
「ユキ、八十鳩家の電話番号を調べてくれないか」
 ユキは町の電話帳を引っ張り出してきた。珍しい名前なので一軒しかなく、すぐに番号がわかった。
「でもなんて説明するつもり?」
 仁は考えている暇がないと、すぐに受話器を取ってプッシュしていた。
 そして電話は運良く、花梨本人に繋がった。
 ユキは自分も聞きたいとばかりに、オンフックボタンを押して相手の声がスピーカーから聞こえるようにした。
「あっ、あの、八十鳩さんのお宅でしょうか。ぼ、僕、新田仁と申します」
 ──あら、新田さん。
「昨晩はどうも失礼しました。あの、その」
 ──あっ、もしかして瞳ですか? 申し訳ないんですが、瞳は今日友達と約束があって、出かけてしまったんです。
「いえ、ち、違うんです。どうか聞いて下さい。理由は後で話しますから、庭にある祠の中の赤石を今すぐ隠して下さい」
 花梨は息を飲んで、その後暫く黙り込んでしまった。
 微かに喉に詰まった喘ぎ声が聞こえ、受話器の向こうでかなり驚いている。
 ──新田さん、一体どういうことかわからないんですけど……
 花梨は知らぬふりをしてごまかそうとしていた。
「花梨さん、時間がないんです。よく聞いて下さい。驚かれるでしょうが、僕は山神様についてある程度のことを知っています。今、あの赤石を狙ってそちらに 誰かが向かっているんです。突然こんな話を聞かされてびっくりでしょうが、今はとにかく赤石を安全な場所に隠して下さい。お願いします」
 仁は必死で訴えた。その迫力で花梨は戸惑い声を失っている。
 受話器から伝わるその静かな間が仁とユキにも居心地が悪く、息苦しくなってゆく。
 ──……新田さん、今どちらからお掛けになってるんですか。ご自宅じゃないですよね。こちらのディスプレイには春日さんというお名前が出たんですけど。
「はい、友達の家から掛けてます」
 ──そうですか。少し詳しい話が聞きたいので、そちらに向かってもいいでしょうか。新田さんがおっしゃった赤石もお持ちして。
 さっきまで明るかった花梨の声が棘を含んだ響きを帯びた。
 仁はゴクリと唾を飲み込み、横で心配しているユキと目を合わせた。
 ユキは静かに頷く。
「はい、その方がいいかもしれません。すぐに来て下さい」
 ユキはメモ用紙に素早く住所を書き込み仁に見せた。
 仁はそれを伝えて、こちらに来易いようにと簡単な道順の説明も添えた。
 そして電話を切ったとき、仁は急に足が震えてきた。
 ユキも血の気が引いて青白い顔になっていた。
「仁、なんか怖くなってきた」
「僕もだよ。だけどこれでキイトより先手を打った。次は花梨さんがここへやってきたときどう説明するかだ。赤石を守ることだけ考えていたから、その後のことなんて何も考えてないよ。一体どうすればいい?」
「まずはなぜ花梨さんが赤石を持っているかってことを聞かないと話にならないんじゃない? そこからどこまでこっちの事情を話せるか様子見ないと、花梨さんがどこまで信用できる人なのか、それによって変わってくると思う」
 花梨は車でやってくるに違いない。あの後すぐに家を出たとしても、10分後にはここにやってくるだろう。
 仁は壁にかかってあった時計を見つめ、秒針が動く度に切羽詰った気持ちが高まった。
 ユキも緊張していたが、目の前の散らかりようを見て、慌ててキッチンを片付け始めた。