日が落ちても外の温度は下がることなく、もわっとした空気が立ち込めていた。
 腹ごしらえをした後、ふたりは神社に向かいキイトの名前を呼んでみた。
 電灯もなく、ひたすら周りが薄暗くなっていくと、仁は暗闇が怖く感じ出した。
「この時間はあまりこういうところ来るもんじゃないね」
「やだ、仁、怖いの?」
「完全な夜を迎えて、真っ暗になったらやっぱり怖いよ」
 ユキが突然パチッと自分の腕を叩くと、仁はどきっとしてしまった。
「脅かすなよ」
「蚊がいたの」
「ここにじっとしていたら蚊に刺されちまうだけだな。また明日来てみよう」
「でも明日もキイトがここにいなかったらどうやって探せばいいの」
 ユキは手を振って蚊をよけていた。
「そうだな。連絡先きいてないし、連絡のつけようがないな。あっ、もしかしたらニシナ様を祀っているところにいるのかも」
「仁はその場所知ってるの?」
「いや、わからない。でも、花梨さんに聞けば教えてくれるかも。花梨さんの家は山神様のお世話をするとか言っていたから。だけどあんな事があったからまたあの家に行くのはやだな」
 仁は昼間の出来事を思い出し、つい身震いしてしまった。
「瞳ちゃんのお母さんか。それじゃ私が明日訪ねて訊いて来ようか」
 暗闇の中、仁はユキの顔を見て少し考える。
 刻々と辺りは容赦なく暗くなっていくように、ユキの意識も消えつつあるかもしれない。
 闇が仁を突然不安にさせていく。
 トイラの力が増しているのなら早いうちに行動した方がいい。
 恥もマナーも捨てて決心した。
「それなら二人で行こう。どうせ訊くなら、今から行こう。僕たちは少しの時間も無駄にできない」
 仁は力をこめる。
「わかったわ。善は急げね」
「あっ、でも手ぶらじゃまずいかな」
「それだったら父宛に届いたお中元がいくつかあるんだけど、それもって行こう」
「いいのかい?」
「中身が重複してるのもあるから全然構わない。渡すときはもらい物ですけど、お昼を頂いたお礼にとか言えばいいんじゃない? とにかく祠の場所が訊ければいいんだから」
 ふたりは黄昏の中、顔を見合わせて頷いた。
 一度家に戻ってから、ユキは棚から取り出した素麺の詰め合わせの箱を引っ張り出して、自転車のカゴに放り込む。
 準備が整ったふたりは、瞳の家を目指し、殆ど暗くなった夜道を目的地目指してペダルを漕いでいた。

「あっ、蛍だ」
 緑色の小さな光が一つ、淡く儚げにユキの目の前を横切った。
「昔はこの辺りにもっといたんだけどね。山の小川の方に行けばまだまだ沢山生息してるかも」
 仁の目の前にもすっと蛍が現れた。
「私は少し離れてたからこの地域のこと把握し切れてないけど、ニシナ様っていう山神様はずっと崇められていたの?」
「僕も地元ながらなんとなくしか知らないんだ。小さい頃は悪さをしたら山神様が懲らしめに来ると脅かされたレベル。地域独特の民話とか神話も聞いた覚えはあるんだけどうろ覚えになってるし」
「そういえば、私もこの辺りの狐や狸が人を化かすって小さい頃に父から聞いた覚えがある。人の姿に変わる動物は本当のことだったんだね」
 ユキにとっては感慨深い。
「だけどさ、ニシナ様ってどういう動物なんだろう。まさかトラとかライオンとかいうんじゃなないだろうな」
 少し斜面になったところを仁は力を入れてペダルをこいだ。
「ここにそんな動物がいる訳ないでしょう。やはり白蛇、鹿あたりじゃないかな」
 ユキも仁の後に続いて、しっかりとこぐ。
「もしかして日本狼ってこともありえるかも。神様になって生息していたらかっこいいな」
「狼か……そう言えばキースは元気でいるのかしら」
「ジークも真面目に森の守り主に仕えているんだろうか」
 ふたりは夜空の星を仰ぎながら懐かしい友を思い馳せる。
「トイラが人間になったら、皆に会いにあの森に行ってみたい。その時は歓迎してくれるのかな」
 ユキは心からそう願う。
「もちろん喜んでくれるさ。でもそうなるとトイラが二人分かれて存在することになるのかな。それよりも、トイラが人間になったら戸籍とか問題になるかも。それがなかったらパスポート取れないし、日本からじゃ想い出の森にもいけない」
 目先の問題だけしか考えてなかったので、その後のことを想像すると、ありとあらゆる問題が圧し掛かってきた。
 ユキも仁もそれから黙り込んでしまった。仁は言い出した責任を感じてなんとか取り繕うとする。
「大丈夫だよ。きっといい方法があるよ。能力を捨てて人間と結婚する獣人たちもいるんだし、きっと面倒な書類手続きもなんとかできる手があるんだよ。そういう問題は後で考えよう。今やらなければならないことは、カジビを見つけること。話はそれからだ」
「そうだよね」
 ユキも納得して、ペダルに力をかけて強く踏む。
 仁はいつも励まして気分をよくしてくれる。
 暗い中で薄っすらと見える仁の背中をユキはじっと見つめていると、肩幅が広く前年より男らしくなっているように見えた。
 ヘラヘラとした部分が時折り目立っても、仁の背中は大人になろうとしていた。
「さて、あの大きな家が八十鳩家だ」
 田畑に囲まれたこの辺りは真っ暗だったが、その中で一際目立つ灯りが目に入った。家の電気が明々と窓から漏れている。
 側にある電灯も弱々しい光を発し家のシルエットを浮かびあがらしていた。
 自転車を適当に停め、仁は手荷物を小脇に抱え、ユキはその後を慎重についていく。
 瓦の屋根つきの門の前で暫し立ち止まり、敵陣に乗り込むような気分でいると、何者かが声を掛けてきた。
「お前さんたち、何しに来たんだ?」
 ふたりはビクッと体を縮め後ろを振り返るが、真っ暗の中、目を凝らしても視界に何も入らない。
「ここだここ。お前さんたちの足元だ」
「楓太!」
 仁が名前を呼ぶや否や、しゃがんで柴犬を撫で出した。
 楓太は大人しくされるがままになっている。
 そしてユキを見上げた。
「お前さんは確かユキとかいうお嬢さんだな」
「えっ、私のこと知ってるの?」
「ああ、初めて会ったときは変な女子高生三人に、因縁つけられてたのを追い払ったときだったけど」
 ユキは「ん?」っと首を傾げたが、前年トイラとキースがここにやってきて間もない頃の不思議な出来事のことだと思い出した。
「えっ、もしかしてあの時、あの三人を追っ払ってくれた犬?」
「そうだ。ニシナ様が黒猫と狼の言うように黙って力を貸してやれと言われてたから、そうしたまでだ」
「あの時はありがとう」
 ユキはすっかりあの時の事を思い出し、そういえば楓太という名前のタグを見た事を思い出した。
「しかし、こんな時間にここに何をしに来たんだ? 泥棒とも思えないが」
 楓太は仁とユキをつぶらな瞳で見ていた。
「まさか、僕たちがそんなことするわけないだろ」
「もしかして赤石がどこにあるかわかったのか」
 楓太から赤石と聞いて、仁もユキもハッとした。
 仁の顔つきが険しくなる。
「楓太、どういうことだよ。なんで僕たちが赤石を探しているって知ってるんだ」
 楓太は一瞬、間を置いた。
「拙者と病院で話をしただろう」
「僕はニシナ様の事は話したけど、赤石を探していることは何一つ喋ったことはなかったはずだ」
 自分が口を滑らしたことに気がついて楓太は黙り込んでしまった。
「楓太、正直に話してくれ。楓太はこの事件の真相について何もかも知っているんじゃないのか」
 楓太は躊躇している。話したくとも話せないジレンマに体を強張らせてじっと仁を見上げていた。
「仁、ちょっと静かにして。玄関のライトがついて、人影が見える。家から誰か出てくるわ」
 ユキが指摘すると、咄嗟にふたりは門の端に隠れるようにして中の様子を窺った。