蕎麦が打ちあがるまでの間、瞳は仁を退屈させないように自分の部屋に案内した。
 仁は瞳の家であたふたとして居心地悪く、なすがままについていく。
 急激なストレスを感じ、心なしか体の調子が悪くなっていくようだった。
 無意識に頭を抱えて額を押さえていたが、ついでにこめかみもズキズキしてくる。
「先輩、ここが私の部屋です」
 瞳は恥らいながらも、見せたいというワクワクした気持ちで大胆になっている。頬が突っ張るほどの笑顔がはちきれんばかりだった。
 仁は愛想笑いをしながら、恐る恐る中を覗いた。
 瞳の部屋はシンプルな六畳一間の和室だった。
 部屋が広々として見えたのは、ベッドが置かれてなかったからだった。毎日布団を押入れから出し入れしているらしい。
 優等生らしい整理整頓されたきれいな部屋だ。そこに女の子らしく所々に縫いぐるみや可愛い小物が置かれていた。
 一通り見回した後、仁は気になるものを見つけた。部屋の隅に置かれた石がゴロゴロと入っている段ボール箱。それはそこに場違いで、違和感があった。
 あの石で何をするのだろうと仁は思ったが、部屋の棚に飾られた色とりどりの丸いものを見て気がついた。
 それは彩色された石だった。
 石の形を上手く利用して色が塗られ、それらはかわいい犬や猫、鳥といった小動物の姿が表現されていた。
「これ、瞳ちゃんが描いたの?」
 瞳は恥ずかしいながらも、気に留めてもらったことが嬉しくて、目を輝かせて頷く。
「すごい! 上手いね。石の形からこんな動物たちができあがるなんて。よく考えつくね」
「山や川に行くと変わった石をつい集めてしまうんです。それを眺めてたら動物に見えてきて、絵を描きたくなっちゃうんです」
「それであの箱の中には沢山石が入ってるんだね」
 瞳は話が弾んで嬉しいのか、箱の中から最近見つけた石を取り上げて、それを仁に見せた。
「先輩、ここ見て下さい。ここに巻貝のような模様がついているんですけど、これもしかしたら化石かも」
「あっ、ほんとだ、すごい。もしかしてアンモナイト?」
「かもしれませんね。化石なんかもたまに見つけられるから、益々集めるのが止められなくなります」
「他にもまだ化石見つけたの?」
「はい」
 瞳が部屋の真ん中に箱を引きずって仁に見せ、箱の中から石を取り出して畳の上に並べ出した。
 仁も膝を突いてそれらを覗き込み、手にとって模様がついているのを確かめた。
 夏の暑さもあったが、仁の体は火照り、コメカミ辺りで血がドクンドクンと流れて行くのが感じられる。
 瞳と密室ともいえる部屋で一緒にいるせいなのか、または急激なストレスが体の調子を狂わせたのか、仁は石を手に取りながらまだ他に原因があるのか考えてみた。
 そしてもう一つ思い当たったのは、さっき飲んだ手作り冷やし飴だった。
 あの飲み物に何か特別なものが入っていて、まさか軽くアレルギー反応でも起こしたのだろうか。
 とにかく気分が優れない。特にこの部屋に入ってからそれは酷く感じていた。それでも仁は平常心を装おうと、瞳に合わせる。
「あっ、そうだ」
 その時、瞳は思い出して立ち上がると、机の引き出しを開け、中から何かを取り出した。
「先輩、これ見て下さい。私の一番のお気に入りなんです。形がハートみたいでかわいいでしょ」
 それは掌の中にすっぽり納まるくらいの大きさをしており、表面がつるっとした白っぽい感じの石で、見事なハート型をしていた。
「ほんとだ。かわいいね。半透明っぽい白さだし、形も本当にハートだ」
 仁にとっては愛想笑いのつもりだったが、瞳は自分だけに向けられた笑顔として受け取り、益々気持ちが高まっていった。
「よかったらこれ先輩が持っていてくれませんか? そしたら私も嬉しい……」
「えっ? そんな、いいよ。折角瞳ちゃんが見つけたんだから……」
 形がハートなだけに何やら瞳の特別な感情がそこに表れているように見えて、仁は少し戸惑った。
「だから、先輩に持っていて欲しいんです。こんな石、滅多にないし、実はこれを見つけたときなんだか光って導かれた気がしたんです。手に取ったら不思議と 熱っぽくて、急に体から力が湧いた気分になっちゃいました。それで時々願い事したりしてたんですけど、本当にそれが叶ったんです」
 瞳の願い事は仁と会えたり、話をしたりするということだった。
 すっかり石の信者になったように石を特別なものに思ってる様子だった。
「そんな石なら尚更、瞳ちゃんが持っているべきだよ」
「だから先輩に持っていてほしいんです。先輩が大学に合格しますように。私からのお守りとして」
 その裏には自分のことを好きになってもらえたらと、石が何かの力を及ぼしてくれるのではという期待も瞳は持っていた。
 薄々瞳の企みを感じていても、押し付けられると仁も断るにも断れない。
 お人よしと呼ばれる損な性格が発動してしまった。
 瞳は、仁の手をとってその上に乗せた。
「(そこまでされたら貰うしかないじゃないか)とにかくありがとう」
 断りきれなかったことでストレスをまた感じ、仁は益々体の調子が悪くなっていく。頭もぼーっとしてくるように意識が遠のきかけた。
 そして折角受け取った石が手から滑り落ちていく。
 ゴロンという石が落ちた音ではっとすると、慌てて石を拾い、シャツの胸のポケットに入れた。
「あっ、ご、ごめん」
「先輩、どうかしたんですか? 今、なんかふーって崩れそうだった。もしかして具合でも悪いんですか?」
「いや、なんでもないんだ。でもなんか暑いかも」
「あっ、そうですよね。じゃあ涼しいところ行きましょうか。熱中症だったら危ないです」
 瞳が慌てて立ち上がり、仁もそれに続くが、どうもまだふらついてるようだった。
 頭もズキンズキンと痛み、血もドクンドクンと体の中を駆けていく。
 早く帰りたくてたまらなくなった。

 瞳の部屋を出て、一番最初に通された部屋に戻るとテーブルの上には色々と昼食の準備がされていた。
 野菜の煮炊きや漬物は自家製のものだと、準備をしていたお祖母さんが説明する。
 殆どが手作りで、それを誇らしげにしているようだった。
 そこで仁は先ほどの冷やし飴の原料は何かと訊いてみた。
 冷やし飴に何か変なものが入ってた疑いが濃い。
「あれも自家製の生姜をたっぷり使ってまして、そこに水あめと紅茶を混ぜてるんです。それでその紅茶もですね……」
 まだまだ説明が続くが、生姜と聞いただけで、仁ははっとした。
 風邪を引いたときに生姜湯を母親が作ってくれるときがあるが、あれを飲むと血行がよくなって必ず体が温まってくる。
 この体の火照り感は生姜のせいかもしれない。
 そこに、息苦しさとこの暑さで熱が余計にでてしまったのか、とにかくこれ以上この家にいるとどんどん悪くなっていくような気がした。
 だがさらにもっと居心地が悪くなることが起こった。