9
「お印とはなんだ?」
「神の使いに選ばれし者。それは特別な意味を与えられる」
「例えば?」
「それは自分で考えな。それがつけられたのなら、お前さんは気に入られたってことだ」
「気に入られた? とりあえず有難いってことか。まあいっか。ところでさ、ニシナ様のことだけど、風太はニシナ様がどこにいるか知っているのか」
仁の問いに楓太は何も答えなかった。ひたすらむしゃむしゃと餌を食べている。
「どうして黙ってるんだ」
仁が催促すると、楓太はゆっくりと顔を上げた。
「今それを拙者の口から言うことはできないからだ」
「と、言うことは知っているのか? それなら無事かどうかくらい分からないか?」
「ニシナ様はとても危ない状態とだけ教えといてやる」
「えっ、危ない状態? それって危篤ってことなのか? それとも命を狙われてるっていう意味? どっちなんだよ」
仁が責め立てるように訊けば、楓太は頑なに口を閉ざしてしまった。ひたすら餌を食べている楓太。仕方なく仁は話題を変える。
「それじゃ、カジビはどこにいるか知ってるか?」
「ん? カジビ?」
楓太は反応し、じーっと仁を見つめる。
「な、なんだよ」
「カジビがどこにいるのか、本当にお前さんはわからないのか?」
「分からないから訊いているんだよ。僕はただの人間だぞ。本当なら楓太のような仲間たちと交わることなんてないんだぞ」
「いや、お前さんはカジビがどこにいるかわかるはずだ」
「えっ? なんでそう思うんだよ」
「自分でよく考えな」
そしてそれ以上、仁がどんなに声を掛けても楓太は再び言葉を発することはなかった。
手伝いが済み、良子の動物病院から開放されると、仁はユキの家へ向かった。
途中神社に立ち寄り、キイトを探したが会うことはできなかった。
仁はキイトにキスをされた額に手を当てて、暫く蝉の鳴き声を聞いて佇んでいた。
自分に何ができるのか考えたとき、仁は覚悟を決めた。
その気持ちのままユキの元へと向かった。
ユキの家に近づけば、ふんわりと甘い匂いが漂っている。
家に上がれば、暑い中、汗を欠きながらオーブンを使ってクッキーを焼いているユキがいた。そのエプロン姿が可愛い。
「仁、ちょうどよかった。ちょっと味見して」
焼いて間もないふにゃっとしたクッキーを手渡され、仁は口に頬張る。
その様子を不安げに見詰めながら、ユキは仁の言葉を息を飲んで待っていた。
「うん、おいしいよ」
聞きたかった言葉が聞けて嬉しかったのか、ユキはほっと一息つく。
「よかった。これならキイトも食べてくれるね。今日はキイト、神社にいないのかな」
「さっき見てきたけど、居なかった」
「そっか。すぐに腐るもんじゃないからいいけど、焼きたて食べてもらいたかったな」
ユキはキッチンに戻り、使った道具の片づけをし始めた。
「なあ、ユキ、ちょっとトイラと話できないかな」
「うん、いいけど、ちゃんと何を話したか、後で必ず教えてよ」
「分かってるよ」
そういうや否や、ユキはダイニングテーブルに向かって座りだした。
「で、俺に何の用だよ」
「おお、もうトイラなのか。出てくるのが早いな」
仁もまたダイニングテーブルを挟んだ正面に腰を落ち着けた。
仁はカジビのこと、ユキと意識を離した後も人の姿になれる方法があること、そして楓太のことを話した。
トイラは黙って聞いていたが、時々考え込むように何かを思いつめる。
それはトイラの意思だが、見かけはユキだ。
仁は複雑な思いで、その様子を見ていた。
「なんだかややこしいことになりそうな気がする」
気難しそうに懸念しているトイラ。
「なんでだよ。トイラは人間になれるんだぜ。まずはいい話じゃないか」
「お前、なんか俺に隠してることないだろうな」
「何を隠すんだよ。全て今話したじゃないか」
トイラは目の前にあったクッキーを一つ手にして食べた。
「甘いな」
その言葉は自分の話に対して言われたように聞こえ、仁は喉の奥で声が詰まった。
「だから、カジビを探し鏡を手に入れ、トイラの意識をそこに閉じ込めてから人の姿にする。これが分かっただけでも少し前に進んだじゃないか」
「で、ニシナ様の件はどこに組み込むんだ」
懐疑心を持った目。トイラの意識だが、ユキの顔でみられると仁は居心地が悪い。
「ニシナ様はもちろん探すのを手伝うよ。犬の楓太の口をもっと割らすこともできるかもしれないし、カジビが何か知ってるかもしれないじゃないか」
「もし、カジビが悪い奴だったらどうするんだよ。キイトの話じゃ赤石を手に入れようとしたことがあるんだろ。そんな奴を信用できるのか?」
トイラなのにユキにお説教されてる気分を仁は味わう。ユキならこの話に賛成するだろうに、トイラが乗り気にならないのが仁を焦らせる。
「それを言ったら、ジークだってそうじゃないか。ジークは改心してきっと今頃一生懸命森の守り主に仕えてると思う」
「でもカジビがジークのように改心した保障はないんだぞ。俺たちを騙す可能性だって考えられる」
「トイラはどうしてそう疑り深いんだ」
仁は目を逸らす。
「それを言うなら、仁はどうして騙されやすいんだ」
「なんでそうなるんだよ。騙されてなんかないよ」
自分を否定され仁はイライラしていた。
「いいえ、仁は本当に騙されやすいわ。私もそう思う」
「えっ、今はユキなのか?」
仁は戸惑い、自分が誰を見ているのかわからなくなっていた。
「ほら、騙されたじゃないか。俺がユキのフリをしただけだ」
「なんでそんなややこしいことするんだよ。顔はユキのままなんだからそれは誰でも騙されるよ」
話にならないと、仁は首をうな垂れた。
「お印とはなんだ?」
「神の使いに選ばれし者。それは特別な意味を与えられる」
「例えば?」
「それは自分で考えな。それがつけられたのなら、お前さんは気に入られたってことだ」
「気に入られた? とりあえず有難いってことか。まあいっか。ところでさ、ニシナ様のことだけど、風太はニシナ様がどこにいるか知っているのか」
仁の問いに楓太は何も答えなかった。ひたすらむしゃむしゃと餌を食べている。
「どうして黙ってるんだ」
仁が催促すると、楓太はゆっくりと顔を上げた。
「今それを拙者の口から言うことはできないからだ」
「と、言うことは知っているのか? それなら無事かどうかくらい分からないか?」
「ニシナ様はとても危ない状態とだけ教えといてやる」
「えっ、危ない状態? それって危篤ってことなのか? それとも命を狙われてるっていう意味? どっちなんだよ」
仁が責め立てるように訊けば、楓太は頑なに口を閉ざしてしまった。ひたすら餌を食べている楓太。仕方なく仁は話題を変える。
「それじゃ、カジビはどこにいるか知ってるか?」
「ん? カジビ?」
楓太は反応し、じーっと仁を見つめる。
「な、なんだよ」
「カジビがどこにいるのか、本当にお前さんはわからないのか?」
「分からないから訊いているんだよ。僕はただの人間だぞ。本当なら楓太のような仲間たちと交わることなんてないんだぞ」
「いや、お前さんはカジビがどこにいるかわかるはずだ」
「えっ? なんでそう思うんだよ」
「自分でよく考えな」
そしてそれ以上、仁がどんなに声を掛けても楓太は再び言葉を発することはなかった。
手伝いが済み、良子の動物病院から開放されると、仁はユキの家へ向かった。
途中神社に立ち寄り、キイトを探したが会うことはできなかった。
仁はキイトにキスをされた額に手を当てて、暫く蝉の鳴き声を聞いて佇んでいた。
自分に何ができるのか考えたとき、仁は覚悟を決めた。
その気持ちのままユキの元へと向かった。
ユキの家に近づけば、ふんわりと甘い匂いが漂っている。
家に上がれば、暑い中、汗を欠きながらオーブンを使ってクッキーを焼いているユキがいた。そのエプロン姿が可愛い。
「仁、ちょうどよかった。ちょっと味見して」
焼いて間もないふにゃっとしたクッキーを手渡され、仁は口に頬張る。
その様子を不安げに見詰めながら、ユキは仁の言葉を息を飲んで待っていた。
「うん、おいしいよ」
聞きたかった言葉が聞けて嬉しかったのか、ユキはほっと一息つく。
「よかった。これならキイトも食べてくれるね。今日はキイト、神社にいないのかな」
「さっき見てきたけど、居なかった」
「そっか。すぐに腐るもんじゃないからいいけど、焼きたて食べてもらいたかったな」
ユキはキッチンに戻り、使った道具の片づけをし始めた。
「なあ、ユキ、ちょっとトイラと話できないかな」
「うん、いいけど、ちゃんと何を話したか、後で必ず教えてよ」
「分かってるよ」
そういうや否や、ユキはダイニングテーブルに向かって座りだした。
「で、俺に何の用だよ」
「おお、もうトイラなのか。出てくるのが早いな」
仁もまたダイニングテーブルを挟んだ正面に腰を落ち着けた。
仁はカジビのこと、ユキと意識を離した後も人の姿になれる方法があること、そして楓太のことを話した。
トイラは黙って聞いていたが、時々考え込むように何かを思いつめる。
それはトイラの意思だが、見かけはユキだ。
仁は複雑な思いで、その様子を見ていた。
「なんだかややこしいことになりそうな気がする」
気難しそうに懸念しているトイラ。
「なんでだよ。トイラは人間になれるんだぜ。まずはいい話じゃないか」
「お前、なんか俺に隠してることないだろうな」
「何を隠すんだよ。全て今話したじゃないか」
トイラは目の前にあったクッキーを一つ手にして食べた。
「甘いな」
その言葉は自分の話に対して言われたように聞こえ、仁は喉の奥で声が詰まった。
「だから、カジビを探し鏡を手に入れ、トイラの意識をそこに閉じ込めてから人の姿にする。これが分かっただけでも少し前に進んだじゃないか」
「で、ニシナ様の件はどこに組み込むんだ」
懐疑心を持った目。トイラの意識だが、ユキの顔でみられると仁は居心地が悪い。
「ニシナ様はもちろん探すのを手伝うよ。犬の楓太の口をもっと割らすこともできるかもしれないし、カジビが何か知ってるかもしれないじゃないか」
「もし、カジビが悪い奴だったらどうするんだよ。キイトの話じゃ赤石を手に入れようとしたことがあるんだろ。そんな奴を信用できるのか?」
トイラなのにユキにお説教されてる気分を仁は味わう。ユキならこの話に賛成するだろうに、トイラが乗り気にならないのが仁を焦らせる。
「それを言ったら、ジークだってそうじゃないか。ジークは改心してきっと今頃一生懸命森の守り主に仕えてると思う」
「でもカジビがジークのように改心した保障はないんだぞ。俺たちを騙す可能性だって考えられる」
「トイラはどうしてそう疑り深いんだ」
仁は目を逸らす。
「それを言うなら、仁はどうして騙されやすいんだ」
「なんでそうなるんだよ。騙されてなんかないよ」
自分を否定され仁はイライラしていた。
「いいえ、仁は本当に騙されやすいわ。私もそう思う」
「えっ、今はユキなのか?」
仁は戸惑い、自分が誰を見ているのかわからなくなっていた。
「ほら、騙されたじゃないか。俺がユキのフリをしただけだ」
「なんでそんなややこしいことするんだよ。顔はユキのままなんだからそれは誰でも騙されるよ」
話にならないと、仁は首をうな垂れた。