人間
今日は、三島まで出かけてまいりました。
十年来続いている、ある方と会うために行ってきました。
あいに行けば嫌がらずに話を聞いてくれる、本当にうれしい存在です。なんでも話を聞いてくれて、答えを出してくれるわけではないけれど、でも、いてくれるだけで心が軽くなるような存在です。
人間って、人の間って書くけど、そういう存在がなければ、生きられないんだなって改めて思いました。確かに嫌うのも人ですが、癒してくれるのも人で、機械ではありません。例えばCDは音楽を聞かせてはくれますが、一方的にかけるだけで、それをどうしたらいいか非批評するとか、コミュニケーションという物は提供してくれません。そういうところが、やっぱり、人間なのではないかなと思いました。
でも、私が、大学時代のころは、大学教授が、自分の野心のための道具しか見ていなかったので、それを知ったときは、愕然としました。まあ確かに、出世のために、生徒を使うんだろうけど、その先生にとっては、私はただの道具だったですね。私はピアノの技術を学びたかっただけなんですけど、先生には、それが気に食わなかったようで、私が、個性的な曲の解釈を始めると、質問にも答えなかったし、邪見に扱うようになって。例えば、授業中に質問しても、うるさがるとか。こんな問題もできないのかと逆上するとか。音楽大学のころは、そういうことばっかりでした。これでは、なんのために大学にいったんだと自問自答ばかりして、満足的な答えは得られなかった音大生活でした。
何だろう?ただ純粋に音楽の勉強をしたかっただけなんだけど、変なところで質問するなとか、逆に叱られたりして。できの悪い生徒なのかと思って、さらに一生懸命課題をこなしましたが、そうなると、余計にわからないことが出るの繰り返し。霧がありません。でも、
学問という物はそういうもんだと思っていたんですが、なんか一生懸命はかっこ悪い的な環境しか得られなかったなあという気がいたします。大学だから、それでいいじゃないかと思っていたけど。
本当に、人の世の幸不幸は、出会いからだと誰かの詩に書いてあったけど、まさしくそうなんです。大学では、変な先生ばかりに出会ってしまったなあという感じで、それからも、あまりいい人生ではありませんでした。今でこそ、前述した三島市の方のような素晴らしい方もいますが、本当に、あのころは、辛かった時代でした