序
弄斎(ろうさい)と言いますのは、江戸時代に流行った、流行歌謡の事です。この言葉の語源は「気病み」から来ているそうで、それと、労働災害「労災」をひっかけて、この日記を雲井弄斎日記といたしました。
まあ、読んで字のごとく、気病みですから、気が病んでいる者の日記ということになります。日記というよりも、随筆的なものに近いでしょうか。
内容は、日常生活のこと、他サイトを含めて、執筆活動のことなどを、あげようと考えております。執筆関係だけでなく、作曲や、演奏などそれ以外の事もあげようかと。
まあ、さほど長いものではありませんので、お気軽に読んでみてくださいね。
ちなみに、私の事を少し話しますと、まあ、平凡な家庭に生きた、ただの馬鹿な女というわけです。それが、どういうわけか、障碍者として生活するようになったわけで。その理由は、私もわかりません。まあ、大学時代とか、高校時代は、本当に、ひどいことばっかりでしたけどね。家庭的にも、さほどいい家庭ではなかったかなあと言われたこともありました。
障害に重い、軽いなど、勝手につけてほしくはないです。要は、本人と周りの人がどれだけ苦労しているかだと思います。足が悪くても、明るい人であれば、あまり苦労しないでも生きられると思いますが、歩けても、ひどく落ち込んでいれば、そちらの方で、非常に苦労すると思いますので。関係ないですね。よく、君は障害としては軽いほうだといわれるんだけどね。
お医者さんから言われれば、いろいろ注意点が出てしまうのですが、それを無視してやることもたまにあり、これでかえって大損害をすることも多く、そうなると、ものすごく落ち込みます。
仕事の遍歴としては、一般的なことは何一つしてはおらず、曲を書いたり、演奏をしたり、箏の指導をしたり、はたまたこうして文章を書いたりしております。大学生まではピアノをやっていたのですが、終わってからは、箏に変わってしまいました。そのことは本文で詳しく書きます。タイトルの雲井というのは、箏の有名な調弦法の名で、全体が重い雰囲気になる調弦の事です。重たい描写もあるという意味で付けました。
基本、千文字以内でまとめようと思っていますが、時には上下に分けるかもしれないです。
日記なので、さほど劇的な展開があるわけでもなく、文学性があるものでもありませんが、読んでみて。
弄斎(ろうさい)と言いますのは、江戸時代に流行った、流行歌謡の事です。この言葉の語源は「気病み」から来ているそうで、それと、労働災害「労災」をひっかけて、この日記を雲井弄斎日記といたしました。
まあ、読んで字のごとく、気病みですから、気が病んでいる者の日記ということになります。日記というよりも、随筆的なものに近いでしょうか。
内容は、日常生活のこと、他サイトを含めて、執筆活動のことなどを、あげようと考えております。執筆関係だけでなく、作曲や、演奏などそれ以外の事もあげようかと。
まあ、さほど長いものではありませんので、お気軽に読んでみてくださいね。
ちなみに、私の事を少し話しますと、まあ、平凡な家庭に生きた、ただの馬鹿な女というわけです。それが、どういうわけか、障碍者として生活するようになったわけで。その理由は、私もわかりません。まあ、大学時代とか、高校時代は、本当に、ひどいことばっかりでしたけどね。家庭的にも、さほどいい家庭ではなかったかなあと言われたこともありました。
障害に重い、軽いなど、勝手につけてほしくはないです。要は、本人と周りの人がどれだけ苦労しているかだと思います。足が悪くても、明るい人であれば、あまり苦労しないでも生きられると思いますが、歩けても、ひどく落ち込んでいれば、そちらの方で、非常に苦労すると思いますので。関係ないですね。よく、君は障害としては軽いほうだといわれるんだけどね。
お医者さんから言われれば、いろいろ注意点が出てしまうのですが、それを無視してやることもたまにあり、これでかえって大損害をすることも多く、そうなると、ものすごく落ち込みます。
仕事の遍歴としては、一般的なことは何一つしてはおらず、曲を書いたり、演奏をしたり、箏の指導をしたり、はたまたこうして文章を書いたりしております。大学生まではピアノをやっていたのですが、終わってからは、箏に変わってしまいました。そのことは本文で詳しく書きます。タイトルの雲井というのは、箏の有名な調弦法の名で、全体が重い雰囲気になる調弦の事です。重たい描写もあるという意味で付けました。
基本、千文字以内でまとめようと思っていますが、時には上下に分けるかもしれないです。
日記なので、さほど劇的な展開があるわけでもなく、文学性があるものでもありませんが、読んでみて。