彼はまさか、私が先程伝えた言葉の意味を理解していないのだろうか。
「だめ! さっきも言ったでしょ! 私の為にそこまでする必要なんてないっ」
「お前の為だからやるんだよ。わかってないなぁ、鈴葉は」
「でも……」
「俺と一緒に行動しろ。それが許す条件だ」
急に真剣な眼差しに変わった彼を見て、私は息を呑んだ。彼は、私の両手を強く握ったまま言葉を続ける。
「それが嫌なら、相田さんの事件には関わらせない。ごめんな」
優しい声でそう言われて、私は目線を下げた。
彼を巻き込むつもりはなかった。けれど、心強いとも思う。
「――――わかった」
私の答えを聞くと、彼は少し躊躇いながら頬を掻いた。
「ありがとう……あ、あのさ、ちょっと聞いてもいい?」
「うん、いいよ」
「えっと、さぁ……その」
彼の妙な態度に私は眉を寄せる。
「何? そんなに聞き辛いこと?」
「……うん」
彼にしては珍しい。
私は安心させようと笑顔を作って、彼の顔を覗き込んだ。
「もう茜さんを避けたりしないよ。だから、何でも聞いて」
「んー……じゃあ、聞くけど……何の為に家出しようとしたんだ……? そんなことしなくても相田さんの事件を調べることは出来ることだろう?」
「あ、そっか……そのことか。まだ理由を話してなかったね」
全ては、穂波の死の真相を知る為だ。その為に私はずっと調べていた。私以上に彼女のことをよく知る人物のことを。そう、彼女の――――。
「……穂波の『母親』の居場所がわかったの」
「あ、相田さんのッ? 行方不明じゃなかったか?」
茜の言う通り、穂波の母親は、娘の葬儀が終わって次の日に姿を消した。
私は、事件の捜査状況を尋ねる為に、彼女の親戚の家を何軒も尋ねたが、誰一人として母親の居場所を知る者はなく、何とか聞き出せたのは、彼女が亡き両親から土地を相続したということくらいだった。土地がある地区までは調べることが出来たのだけれど、正確な住所まではわからなかった為、そこからは一軒一軒、周辺の家を見て回る日々が続いた。そして、つい最近、ようやく母親の居場所を突き止めることが出来たのだ。
茜に母親を見つけた経緯を話すと、彼は途中から頭を抱え、聞き終わる頃には溜め息を零した。
「お前……毎日毎日、学校に行かずに何をしているのかと思えば……」
「それでも半年かかったよ」
「居場所がわかっただけでも凄いことだ。それもたった一人で……」
「……うん……」
確かに途方もない道のりだった。それでも、諦めきれなかったのは、穂波の死を受け入れられなかったからに他ならない。
彼女の母親の性格はある程度知っているつもりだ。彼女は、娘を殺した犯人を捕まえようだなんて思ってもみないだろう。だが、それではあんまりだ。それでいいわけがない。
「でも、まだ居場所がわかったってだけで何も話せてないんだ。それに、簡単には会えないと思う。朝から夕方まで家にいないみたいだったから。多分、一日じゃ足りない。だから――――……」
「家を出るって発想に至ったわけか」
「数日で帰るつもりだったんだよ?」
「それでも勝手にいなくなっちゃだめだろ」
私はその言葉に何も答えられず、口を噤んだ。
「なあ、鈴葉。まずは、家に帰ろう」
「それは出来ないよ。こうしている間にも、穂波のお母さんがまたどこかに行っちゃうかもしれないし、そうなったら……また……」
不安で俯く私の頭に手を置いて、茜はゆっくりと話し始めた。
「心配なのはわかるよ。だけど、長期の休みを貰うつもりなら、父さんと母さんにも相談しないとだめだろ? 学校にも伝えないといけないし」
「学校……に?」
「ああ」
動くつもりならやるべきことを済ませてからにしろ、ということか。
私は彼の意見に納得し、小さく頷いてから、顔を上げた。
「父さん達には今夜の内に話そう。事件のことは伏せておいて、少し休みたいとだけ伝えるんだ」
「事件の為だなんて言ったら反対されるもんね」
「だろうな。明日の試験が終われば、俺も暫く学校が休みになるから、そうしたら一緒に行こう」
「……うん、ありがとう」
「よし、じゃあ明日はちゃんと学校に行けるな?」
穂波の為に私が今出来ること。その為なら頑張れる。たとえ『悪夢』を見ようとも、耐えられるはずだ。
私は強く頷いて、茜に荷物を押し付けた。
「わかったから、家まで持って」
「えッ、重……」
「一週間分の荷物だもん。そりゃ重いよ」
「それだけの荷物をよく詰めたな……」
「次は茜さんの分も含めるからもっと重いよ。今の内に覚悟しておいてね」
「は、はい……」
不満を口にしない彼に背中を向けて、くすっと笑った。
――――穂波を失って以来、私はずっと一人だった。自らそうなるように茜を避けて、穂波との思い出に縋り続けた。彼女の死を受け入れたら、彼女を忘れてしまうことに繋がると思い込んでいたからだ。だが、そんなことはなかった。寧ろ、受け入れなければ、私は今でも立ち上がれなかった。自分のやるべきこともわからなかったと思う。
茜の優しさを受け取ったら、こんなにも世界が違ったのだ。私はやっと穂波の死と向き合うことが出来る。
ここからだ。穂波の死をなかったことにしない為にも、必ず、私は犯人の手がかりを手に入れる。
――――茜と共に自宅に戻ると、両親は何もなかったかのように『おかえり』と笑った。
私はその日の晩、両親に休学の旨を伝え、その間、茜と共に家を出たいと願い出た。少しは反対されるものだと思っていたのだけれど、そんなこともなく、彼等は快く了承してくれた。ただし、条件として、休学の手続きが終わるまでの間はきちんと学校へ通うように言いつけられた。もしかしたら、私がほとんど出席していないことに薄々気づいていたのかもしれない。
穂波の件は、茜と相談した通り、両親には話さなかった。そのせいなのか、久し振りに両親や茜と自宅で会話をすることが出来た。まだこの日常へ帰って来るには時間が必要だけれど。
「鈴葉!」
「ん?」
「……おやすみ!」
「お、おやすみなさい」
茜はそれだけ言うと、自分の部屋へ逃げるように立ち去った。私は呆然とその場に立ち尽くしてから、唇を開く。
「……そういえば……あれ以来、『おやすみ』も言ってなかった……」
私は本当に周囲に取り残されていた。
いつか、時間に追いつくことが出来たら、その時は――――。
「穂波にちゃんと……言えるかな」
あの時、言えなかった言葉。
葬儀の時でさえ、伝えられなかった最後の言葉を。
「そしたら褒めてね、茜さん」
隣の部屋の扉にそう呟いて、私は自室の扉を開けた。
「だめ! さっきも言ったでしょ! 私の為にそこまでする必要なんてないっ」
「お前の為だからやるんだよ。わかってないなぁ、鈴葉は」
「でも……」
「俺と一緒に行動しろ。それが許す条件だ」
急に真剣な眼差しに変わった彼を見て、私は息を呑んだ。彼は、私の両手を強く握ったまま言葉を続ける。
「それが嫌なら、相田さんの事件には関わらせない。ごめんな」
優しい声でそう言われて、私は目線を下げた。
彼を巻き込むつもりはなかった。けれど、心強いとも思う。
「――――わかった」
私の答えを聞くと、彼は少し躊躇いながら頬を掻いた。
「ありがとう……あ、あのさ、ちょっと聞いてもいい?」
「うん、いいよ」
「えっと、さぁ……その」
彼の妙な態度に私は眉を寄せる。
「何? そんなに聞き辛いこと?」
「……うん」
彼にしては珍しい。
私は安心させようと笑顔を作って、彼の顔を覗き込んだ。
「もう茜さんを避けたりしないよ。だから、何でも聞いて」
「んー……じゃあ、聞くけど……何の為に家出しようとしたんだ……? そんなことしなくても相田さんの事件を調べることは出来ることだろう?」
「あ、そっか……そのことか。まだ理由を話してなかったね」
全ては、穂波の死の真相を知る為だ。その為に私はずっと調べていた。私以上に彼女のことをよく知る人物のことを。そう、彼女の――――。
「……穂波の『母親』の居場所がわかったの」
「あ、相田さんのッ? 行方不明じゃなかったか?」
茜の言う通り、穂波の母親は、娘の葬儀が終わって次の日に姿を消した。
私は、事件の捜査状況を尋ねる為に、彼女の親戚の家を何軒も尋ねたが、誰一人として母親の居場所を知る者はなく、何とか聞き出せたのは、彼女が亡き両親から土地を相続したということくらいだった。土地がある地区までは調べることが出来たのだけれど、正確な住所まではわからなかった為、そこからは一軒一軒、周辺の家を見て回る日々が続いた。そして、つい最近、ようやく母親の居場所を突き止めることが出来たのだ。
茜に母親を見つけた経緯を話すと、彼は途中から頭を抱え、聞き終わる頃には溜め息を零した。
「お前……毎日毎日、学校に行かずに何をしているのかと思えば……」
「それでも半年かかったよ」
「居場所がわかっただけでも凄いことだ。それもたった一人で……」
「……うん……」
確かに途方もない道のりだった。それでも、諦めきれなかったのは、穂波の死を受け入れられなかったからに他ならない。
彼女の母親の性格はある程度知っているつもりだ。彼女は、娘を殺した犯人を捕まえようだなんて思ってもみないだろう。だが、それではあんまりだ。それでいいわけがない。
「でも、まだ居場所がわかったってだけで何も話せてないんだ。それに、簡単には会えないと思う。朝から夕方まで家にいないみたいだったから。多分、一日じゃ足りない。だから――――……」
「家を出るって発想に至ったわけか」
「数日で帰るつもりだったんだよ?」
「それでも勝手にいなくなっちゃだめだろ」
私はその言葉に何も答えられず、口を噤んだ。
「なあ、鈴葉。まずは、家に帰ろう」
「それは出来ないよ。こうしている間にも、穂波のお母さんがまたどこかに行っちゃうかもしれないし、そうなったら……また……」
不安で俯く私の頭に手を置いて、茜はゆっくりと話し始めた。
「心配なのはわかるよ。だけど、長期の休みを貰うつもりなら、父さんと母さんにも相談しないとだめだろ? 学校にも伝えないといけないし」
「学校……に?」
「ああ」
動くつもりならやるべきことを済ませてからにしろ、ということか。
私は彼の意見に納得し、小さく頷いてから、顔を上げた。
「父さん達には今夜の内に話そう。事件のことは伏せておいて、少し休みたいとだけ伝えるんだ」
「事件の為だなんて言ったら反対されるもんね」
「だろうな。明日の試験が終われば、俺も暫く学校が休みになるから、そうしたら一緒に行こう」
「……うん、ありがとう」
「よし、じゃあ明日はちゃんと学校に行けるな?」
穂波の為に私が今出来ること。その為なら頑張れる。たとえ『悪夢』を見ようとも、耐えられるはずだ。
私は強く頷いて、茜に荷物を押し付けた。
「わかったから、家まで持って」
「えッ、重……」
「一週間分の荷物だもん。そりゃ重いよ」
「それだけの荷物をよく詰めたな……」
「次は茜さんの分も含めるからもっと重いよ。今の内に覚悟しておいてね」
「は、はい……」
不満を口にしない彼に背中を向けて、くすっと笑った。
――――穂波を失って以来、私はずっと一人だった。自らそうなるように茜を避けて、穂波との思い出に縋り続けた。彼女の死を受け入れたら、彼女を忘れてしまうことに繋がると思い込んでいたからだ。だが、そんなことはなかった。寧ろ、受け入れなければ、私は今でも立ち上がれなかった。自分のやるべきこともわからなかったと思う。
茜の優しさを受け取ったら、こんなにも世界が違ったのだ。私はやっと穂波の死と向き合うことが出来る。
ここからだ。穂波の死をなかったことにしない為にも、必ず、私は犯人の手がかりを手に入れる。
――――茜と共に自宅に戻ると、両親は何もなかったかのように『おかえり』と笑った。
私はその日の晩、両親に休学の旨を伝え、その間、茜と共に家を出たいと願い出た。少しは反対されるものだと思っていたのだけれど、そんなこともなく、彼等は快く了承してくれた。ただし、条件として、休学の手続きが終わるまでの間はきちんと学校へ通うように言いつけられた。もしかしたら、私がほとんど出席していないことに薄々気づいていたのかもしれない。
穂波の件は、茜と相談した通り、両親には話さなかった。そのせいなのか、久し振りに両親や茜と自宅で会話をすることが出来た。まだこの日常へ帰って来るには時間が必要だけれど。
「鈴葉!」
「ん?」
「……おやすみ!」
「お、おやすみなさい」
茜はそれだけ言うと、自分の部屋へ逃げるように立ち去った。私は呆然とその場に立ち尽くしてから、唇を開く。
「……そういえば……あれ以来、『おやすみ』も言ってなかった……」
私は本当に周囲に取り残されていた。
いつか、時間に追いつくことが出来たら、その時は――――。
「穂波にちゃんと……言えるかな」
あの時、言えなかった言葉。
葬儀の時でさえ、伝えられなかった最後の言葉を。
「そしたら褒めてね、茜さん」
隣の部屋の扉にそう呟いて、私は自室の扉を開けた。