「守ってあげられなくて、ごめん」

 私が守ると誓ったのに。彼を苦しめる全てから、命を懸けて。それなのに。

 茜は私にゆっくり微笑んだ。額にはびっしりと大粒の汗が浮いている。

「……鈴葉、頼むから……行ってくれ」

 彼はまだ私を守ろうとする。

「もう喋らないで!」
「ッ、来た……!」

 茜の視線の先に勢いよく顔を向けた。ジャージの一部が血の染みで汚れ、手にはナイフを持ったはじめの姿がそこにはあった。

「しぶといな、お前。まだ生きてるのか」
「あんたッ、実の息子に何てことしたのよッ!」
「うるさいな。さっさと壊れろ」

 はじめから私を庇おうと茜が動く。

「鈴葉に近づくなッ! この子に手を出したら、俺の全部を懸けてあんたを殺すッ!」
「お父さんに冷たいなぁ」
「お前は俺の父親じゃない。俺の父は桑原葉介だッ!」

 茜は私の手を握ってそう言った。だが、その手にはもう温もりは感じられない。力だってほとんど残されていなかった。崩れるように私の腕の中で血を吐き出した彼の身体を支えて、私ははじめを見つめる。

「穂波の次は、茜を殺すの……? 私の大切な人をどうして奪うの? どうして、こんなこと……!」

 意識を失いかけている茜の頬に手を添える。

「何度、茜を殺せば気が済むのッ! この人はもうボロボロだったのよ! どうしてこんなことしたんだよッ! どうしてぇぇええッ!」

 茜は、私の人生を変えた、かけがえのない大切な居場所。
 失うわけにはいかない。死なせられない。
 だが、私がどれだけ叫んでも、彼の腹部の出血は治まらず、はじめの心にも届くことはなかった。

「いっそのこと私も殺してよ……!」
「……鈴葉」
「ッ」

 茜の指が私の頬を撫でた。彼は私の涙を掬って、いつもと同じように優しく笑う。

「……お前はさ、俺の神様だった」

 まるで、別れの挨拶みたいだ。

「嫌だ……だめッ、茜! もう少し頑張って! お願い……!」
「……俺はどこにも行かないよ」
「茜……!」
「俺を助けてくれてありがとな」

 その言葉を最後に、彼の指が力なく落ちていった。私の身体に彼の体重が重く圧し掛かる。

「え……? だめだよ、ねえ……! 返事をしてよ……目を開けないと許さないッ!」

 彼の顔を震える両手で包み込んで、抱き締めた。

「私を……置いて行かないって言ったじゃない」

 私はまだ伝えていない。まだ、彼に何も。

「――――あれ? 変だな」

 私達の様子を傍観していたはじめが呟く。

「大事なもの、壊したのに。俺の手で、ぐちゃぐちゃにしたのに」

 ――――ぽた、ぽた。

「――――幸せじゃない」

 大きく見開かれた彼の瞳から零れ落ちる涙を見て、私は怒りを露わにする。

「あなたが幸せなものか……ッ! 妻を殺して、息子を刺して、笑っていられるはずがない。笑っていたらだめなんだよッ! そんなものに幸せを感じるなんて、絶対にだめだ……!」

 救急隊と拳銃を構えた警官達が駆け寄って来るのを見て、私は最後にはじめに伝える。

「あなたの偽物の幸せなんかの為に、茜がこれまでどれほど傷ついてきたか思い知れ。私は絶対にあんたを許さない」

 はじめは呆然と私の言葉を聞いていた。そして、警察官によって取り押さえられ、私達の元に救急隊員がやって来た。

「お願いです、助けて下さいッ、助けて……」
「鈴葉!」
「お父さん……!」

 パトカーから降りて来た父が私と一緒に救急車に乗り込んだ。私はずっと茜に呼びかけ続け、想いを伝えた。

「あなたは、私の人生を変えたの! 穂波と一緒に終わろうとしてた、私の人生を……」

 彼がいなかったら、私は、茜と同じ時を生きられなかった。

「責任を取ってよ……勝手にいなくなるなんて許さない! 茜さんいないと生きていけないよ……!」

 涙が幾つも頬を伝って、茜の頬の上に落ちていく。

「死なないでッ、お願い……!」
「鈴葉……大丈夫だ。茜はきっと助かる」

 病院に着くまでの間、私と父は冷え切った茜の手を握り続けた。