ああ、そうか。だから、あの時、穂波は私を見て微笑んだのか。私が生きていると知って、笑ってくれたのだ。最期の力を振り絞って。
目に涙を溜めて、私は俯いた。血が滲むほど強く唇を噛んで怒りを堪える。
「まあ、すぐに飽きちゃったから殺したけど」
「……あなたは……本当に人間?」
「俺が一番人間らしいんじゃない?」
はじめは私の頬に手を伸ばして、唇を歪めた。
「俺はね、物心ついた時から、大切なものを見つけた人間の表情が好きだった。そして、大切なものが目の前でぐちゃぐちゃに壊されて、絶望する瞬間のあの顔が見たくて見たくて堪らないんだよ。やっと見つけた自分の大事なものが! 他人の手によって壊されて! 取り返しがつかなくなる!」
彼の瞳がとろんと溶ける。
「この世に一つしかない、最高の瞬間だ」
そして、彼は少し寂しそうに俯いた。その表情に嘘偽りはない。だからこそ、罪なのだ。
「つぎとにも、俺と同じ幸せを感じてほしかっただけなのに……これが親心じゃないのか?」
「その気持ちだけなら、親心だったかもしれません。でも、あなたは人を殺めて喜びを感じた。それを茜さんにも与えようと言うのなら、それは間違っていると思います」
「……君は穂波と同じだ。結局、こっちには来られない。なら、もういい」
彼の瞳から私に対する興味が失せた。そして、懐に手を入れると、ナイフを取り出した。私は身構えて、彼を見つめる。だが、その時、気がついた。
――――ナイフには、既に血痕が付着している。滴り落ちる赤い滴が、涙のように砂の上に落ちた。
「ま、まさか……綾さんと佐奈ちゃんをッ」
「本当にそう思う?」
彼の瞳がにやりと歪む。
「その二人に関しては、俺、ちゃんと誓ってあげたでしょ」
「え……? いや、だって……そんな……茜さんなわけ、ないですよね?」
恐怖のあまり、私の歯が音を立てて震え出す。
「嫌だ……嫌だ……違うって言ってよッ! ねえッ!」
はじめは笑っていた。私の恐怖ですら、彼にとっては笑えるものらしい。
「そんな……茜さん……」
「早く探しに行ってくれよ。それが俺の楽しみなんだから」
「黙れぇぇぇッ!」
私はボロボロと涙を零して、震える拳を握り締めると、はじめの頬に思いっきりめり込ませた。彼は抵抗することなく私の拳を受ける。
「茜さんはどこにいるのよッ」
「君達の思い出と言えば、さあ、どこでしょう?」
彼は私の手を払いのけると、そう言って校庭を後にした。私は震えて上手く動かない足を殴りつけて、自分を叱りつける。
泣いている暇なんかない。茜の元へ行かなくては。
私は彼との思い出の場所――――河川敷に向かって走った。何度も転びそうになって、それでも。
「茜さんっ、茜さん」
涙で視界が滲む。頭に浮かんでくるのは、茜の笑顔と泣き顔ばかりだった。
どうして、家を出る時、声をかけなかったのだろう。あの時から彼は家にいなかったのかもしれない。はじめは、私と会う前に茜と会って、あのナイフで刺したのだ。実の息子を、無残に。
「ッ」
私はこれ以上、何を失ったらいい。
河川敷が見えてきた。
私は必死に茜の姿を探す。そして、見つけた。
「茜さんッ!」
芝生の上で片膝を突く茜に駆け寄った。彼は浅い呼吸を繰り返しながら、私に目を向けた。
「鈴、葉」
「茜さん……! 傷は……!」
彼は腹部を押さえていた。生々しく、それは彼のワイシャツを真っ赤に染め上げている。
私は救急車を呼ぼうと携帯を取り出した。すると、血塗れの手で茜が首を横に振った。
「さっき自分で通報、した。大丈夫だ。落ち、着け」
言葉も絶え絶えに彼は私を安心させようとそう言った。私は彼の腹部を必死に押さえ、嗚咽を漏らした。
「止まって……止まってよぉッ……!」
「傷は、浅いから……大丈夫、だよ」
「どこが浅いのッ! こんなに……血が出てるのにッ」
「それより、は、早くここから逃げ、ろ」
「嫌、どこにも行かない……!」
あの男は、きっと私の絶望した顔を見にここへ来る。彼を置いてどこへ行けというのだ。どこへも行けない。私は茜がいないとだめだ。
目に涙を溜めて、私は俯いた。血が滲むほど強く唇を噛んで怒りを堪える。
「まあ、すぐに飽きちゃったから殺したけど」
「……あなたは……本当に人間?」
「俺が一番人間らしいんじゃない?」
はじめは私の頬に手を伸ばして、唇を歪めた。
「俺はね、物心ついた時から、大切なものを見つけた人間の表情が好きだった。そして、大切なものが目の前でぐちゃぐちゃに壊されて、絶望する瞬間のあの顔が見たくて見たくて堪らないんだよ。やっと見つけた自分の大事なものが! 他人の手によって壊されて! 取り返しがつかなくなる!」
彼の瞳がとろんと溶ける。
「この世に一つしかない、最高の瞬間だ」
そして、彼は少し寂しそうに俯いた。その表情に嘘偽りはない。だからこそ、罪なのだ。
「つぎとにも、俺と同じ幸せを感じてほしかっただけなのに……これが親心じゃないのか?」
「その気持ちだけなら、親心だったかもしれません。でも、あなたは人を殺めて喜びを感じた。それを茜さんにも与えようと言うのなら、それは間違っていると思います」
「……君は穂波と同じだ。結局、こっちには来られない。なら、もういい」
彼の瞳から私に対する興味が失せた。そして、懐に手を入れると、ナイフを取り出した。私は身構えて、彼を見つめる。だが、その時、気がついた。
――――ナイフには、既に血痕が付着している。滴り落ちる赤い滴が、涙のように砂の上に落ちた。
「ま、まさか……綾さんと佐奈ちゃんをッ」
「本当にそう思う?」
彼の瞳がにやりと歪む。
「その二人に関しては、俺、ちゃんと誓ってあげたでしょ」
「え……? いや、だって……そんな……茜さんなわけ、ないですよね?」
恐怖のあまり、私の歯が音を立てて震え出す。
「嫌だ……嫌だ……違うって言ってよッ! ねえッ!」
はじめは笑っていた。私の恐怖ですら、彼にとっては笑えるものらしい。
「そんな……茜さん……」
「早く探しに行ってくれよ。それが俺の楽しみなんだから」
「黙れぇぇぇッ!」
私はボロボロと涙を零して、震える拳を握り締めると、はじめの頬に思いっきりめり込ませた。彼は抵抗することなく私の拳を受ける。
「茜さんはどこにいるのよッ」
「君達の思い出と言えば、さあ、どこでしょう?」
彼は私の手を払いのけると、そう言って校庭を後にした。私は震えて上手く動かない足を殴りつけて、自分を叱りつける。
泣いている暇なんかない。茜の元へ行かなくては。
私は彼との思い出の場所――――河川敷に向かって走った。何度も転びそうになって、それでも。
「茜さんっ、茜さん」
涙で視界が滲む。頭に浮かんでくるのは、茜の笑顔と泣き顔ばかりだった。
どうして、家を出る時、声をかけなかったのだろう。あの時から彼は家にいなかったのかもしれない。はじめは、私と会う前に茜と会って、あのナイフで刺したのだ。実の息子を、無残に。
「ッ」
私はこれ以上、何を失ったらいい。
河川敷が見えてきた。
私は必死に茜の姿を探す。そして、見つけた。
「茜さんッ!」
芝生の上で片膝を突く茜に駆け寄った。彼は浅い呼吸を繰り返しながら、私に目を向けた。
「鈴、葉」
「茜さん……! 傷は……!」
彼は腹部を押さえていた。生々しく、それは彼のワイシャツを真っ赤に染め上げている。
私は救急車を呼ぼうと携帯を取り出した。すると、血塗れの手で茜が首を横に振った。
「さっき自分で通報、した。大丈夫だ。落ち、着け」
言葉も絶え絶えに彼は私を安心させようとそう言った。私は彼の腹部を必死に押さえ、嗚咽を漏らした。
「止まって……止まってよぉッ……!」
「傷は、浅いから……大丈夫、だよ」
「どこが浅いのッ! こんなに……血が出てるのにッ」
「それより、は、早くここから逃げ、ろ」
「嫌、どこにも行かない……!」
あの男は、きっと私の絶望した顔を見にここへ来る。彼を置いてどこへ行けというのだ。どこへも行けない。私は茜がいないとだめだ。