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「こんにちは!」
「えっ?」

 突然、幼い声に呼び止められて、私は自分の膝の辺りに目を向けた。すると、私のスカートの裾を掴む幼い少女と視線が絡んだ。

「あ……」

 この子には、見覚えがある。
 この間、公園で私に声をかけてきた子だ。

「こ、こんにちは。一人なの?」
「ううん! あっちにママいるよ!」

 少女の指差す方へ目を向けると、顔立ちのよく似た女性が軽く会釈をしてきた。私も同じように少し頭を下げる。

「お姉ちゃんは?」
「……私は一人だよ」
「じゃあ、じゃあ、一緒に遊ぼ? だめ?」

 少し恥ずかしそうにして、少女は言った。この状況で今回も断るのは気が引ける。私は躊躇いがちに微笑んで、頷いた。

「えっと、うん……じゃあ、遊ぼうか」
「やったぁ! あっちにブランコあるから行こー!」

 少女に手を引かれて、ブランコの傍へ行く。どう遊ぶのだろうか、と悩んでいると、少女は迷わずブランコに飛び乗った。

「お姉ちゃん、押してっ」
「わ、わかった!」

 彼女に言われた通りに軽く押してみると、小さな体は容易く揺られ、ブランコが軋んだ音を立てた。楽しそうに笑っているのを見て、私も釣られて笑う。一通り公園の遊具で遊び終わった頃を見計らって、少女の母親が缶ジュースを二つ手に持ち、私達の傍へ来た。

「ごめんなさいね、娘がすっかり遊んで頂いちゃって」
「あっ、いえ……そんな。楽しいですから」
「この子の母の神田綾と申します。よろしくね」
「く、桑原鈴葉です、よろしくお願いします」
「よかったらこれどうぞ!」
「あ……すみません。頂きます」

 私が綾から缶ジュースを受け取ると、足に少女が抱き着いてきた。

「お姉ちゃん、もっと遊びたいよー!」
「コラッ、佐奈! お姉ちゃん、疲れちゃうでしょ!」

 母親に叱られて、少女は唇を尖らせた。私はそんな彼女の頭を撫でる。

「佐奈ちゃんって言うの?」
「うん……」
「じゃあ、佐奈ちゃん。一緒にジュースを飲んで、少し休憩してからまた遊ぼう?」
「! うん!」

 笑顔が戻った佐奈と綾と共にベンチに座る。
 
「お姉ちゃん、鈴葉ちゃんって言うんでしょ? 可愛いねぇ!」
「えっ、何急に……」
「ほんと! 可愛らしいお名前よね!」
「そ、そうですか……? 普通ですよ……」

 親子に揃って褒められると、気恥ずかしい。
 私は貰ったジュースをぐっと飲み込んで、頬の赤さを誤魔化した。そんな私を見上げて、佐奈は小首を傾げる。

「鈴葉ちゃんは、お母さんと一緒じゃないの?」
「うん」
「お友達はー?」

 一瞬、彼女の言葉に息を呑んだ。それから、意識をして、笑顔を作る。

「……いるよ」
「ほんとっ? どんな子? 一緒にいないの、何で?」

 悪気のない、子供の言葉だ。深い意味はないとわかっているのに、上手く言葉が出て来ない。
 困惑する私を見て、綾が娘の唇を指で突く。

「佐奈、あっちで遊んでなさい」
「えー! 何で!」
「少しだけ。ね?」
「……はぁい」

 佐奈は先程のように唇を尖らせると、渋々返事をして、砂場の方へ走って行った。

「ごめんなさい。子供って、何も考えずに話を切り出すものですから……」
「い、いいえ! 私がちゃんと答えられなかったのが悪いんです!」

 ジュースの缶を両手で握って、私は少し遠くにいる佐奈に目を向けた。

「……私にも、佐奈ちゃんくらいの歳の頃から、ずっと一緒の友達がいたんです。小学校、中学校も一緒で、高校も同じ学校へ進学しました」
「あら、素敵! とても仲がよかったのねぇ!」
「はい。気がついたら、いつも傍にいるような関係で……だけど……」

 今は、この世のどこを探しても、彼女の影すら見当たらない。

「本当に……何で、今、一緒にいないのかな」

 佐奈に言われた言葉が胸につかえていた。

「……私にもわからないんです」

 彼女に話したところで困らせるだけだとわかっているのに、何故だか言葉が止まらなかった。

「これからもずっと、変わらずに……一緒にいられると、そう思っていたんです。そのはずだったのに、どこを探してもいなくて――――……」

 溢れ出しそうになる涙を堪えて、私が唇を噛むと、綾が私の肩を優しく叩いた。

「鈴葉ちゃん」

 綾は、私の手からジュースの缶を取り上げて、ベンチの上に置いた。そして、空いた私の両手を握ると微笑んだ。

「鈴葉ちゃん、その子のことが大好きなのね」
「……はい」
「そう。とても大事にしていたのね」

 優しく言い聞かせるようなその声に、私は気がついたら涙を零していた。

 私にとって、彼女は大切過ぎたのだ。だから、今も忘れられず、一人でいる。

「いい子ね、鈴葉ちゃん。友達という言葉を聞いて、一番初めにその子を思い浮かべたんでしょう?」
「だって、私の友達は……彼女だけだから」
「それでも、その子はとても幸せだと思うわよ。友達にそこまで思われて、嬉しくないわけがないもの」

 本当にそうだろうか。
 だって、私は。
 私は、彼女のことを――――一人にしてしまったのに。

 私は俯きながら、綾の言葉を聞いていた。

「鈴葉ちゃん、私ね」
「……はい」
「佐奈の他にもう一人、子供がいたのよ」

 その言葉を聞いて、私は跳ねるようにして、顔を上げた。彼女の言葉は、過去形だったから。

「佐奈の妹だったんだけれどね。生まれてすぐ、心臓に疾患があることがわかって――――……」

 彼女は佐奈に視線を移すと、私に向かってゆっくりと話し始めた。

 ――――綾は、今から二年前に女の子を出産した。だが、医者は、その産まれて間もない幼い命が余命数時間であることを宣告した。心臓に重い疾患が見られた彼女の赤ん坊は、長時間にも及ぶ手術に耐え切れるような状態ではなく、仮に手術が成功したとしても、余命は変わらないと告げられたのだ。

「……それでも、私と夫は手術を望んだわ。でも、あの子が……佐奈が言ったの」

 ――――赤ちゃん、もう、痛がってるよ。パパとママのおてて、にぎにぎしたいって、言ってるよ。

「……言われてから気づいたわ。それまで、私達は、あの子の手を一度も握っていなかったって。だから、せめて最期の瞬間だけは、あの子の一番近くにいることを選んだ」

 一体、どれほどの悲しみの中で、その道を選択したのだろう。他人には計り知れない葛藤があったはずだ。

「息を引き取るほんの少し前にね、やっと手を握り返してくれたのよ。初めて、あの子の泣き声を聞いたわ。それまで、一度も私達の手を握り返すことが出来なかったのに……不思議でしょう? 私には、お別れの挨拶みたいに思えたの」
「……きっと、そうだったと思います」

 私がそう言うと、綾は私の頬に残っていた涙を拭った。

「私達には、別れる時間があったけれど……あなたは違ったのね」
「! ど、どうして……」
「だって、鈴葉ちゃん、あの子の余命を聞いた時の私と同じ目をしているんですもの」

 その言葉に目を見開いた。戸惑う私の頭を撫でて、綾は言う。

「だから佐奈は、あなたに声をかけたんだと思うわ」
「……ッ」