***
昨日の茜の様子を思い出しながら、私は商店街を歩いていた。
今日はこのまま凛々子のところへ行くつもりで手土産を買いに来ている。茜はまだ寝ているようだったから、起こすのも悪いと思い、黙って出て来てしまった。
「おばさんの好きな食べ物とか知らないなぁ」
ケーキなら間違いないだろうか。
「おばさんって誰?」
「ッきゃあ」
耳元で声がして、思わず飛び跳ねた。そして、くすくすと笑うジャージの男を睨んだ。
「またあなたですか……! 何なんですか、いきなり!」
「そろそろ教えてくれてもいいのに」
「はい……?」
「つぎと。君のところにいたんだな」
「え……? な、何言って」
「初めまして、妹さん。つぎとの父の須崎はじめです」
どくん、どくん。
男の言葉の意味を瞬間的に理解した心臓が飛び上がる。
「――――あ、今は『茜』だっけ?」
男の唇が弧を描いたその瞬間、私は目を見開いて、走り出した。
――――まさか、まさか、まさか。
私は昨日の茜の言葉を思い出す。
――――万が一、またお前の目の前に現れたら、その時は――――……何をしてでも、逃げろ。
「ハアッ、ハアッ……!」
あの男、『須崎つぎと』を息子だと言っていた。茜がつぎとなら、あの男は茜の実の父親だ。つまり、九年前の事件の真犯人で、穂波を殺した張本人。
何故、平然としていられる。私達の大事な人を殺しておいて――――。
無我夢中で走ったせいか酸欠で息が苦しい。ぎこちない呼吸を繰り返していると、携帯が鳴った。
「知らない、番号……」
嫌な予感がする。
私は応答をタップして、耳に当てた。
「――――もしもし」
『まさか逃げられるとは思わなかったな』
「ッ」
あの男の声だ。
「……あなたが茜さんの本当の父親なんですか?」
『うん。死んでることになってるけどな』
「一体、何が目的なの!」
『目的? あー……一つは結構前に達成したぞ?』
「え?」
『よく知ってるだろ? 相田穂波の親友、桑原鈴葉ちゃん』
背筋を冷たい感覚が過った。私は震える唇を手で押さえる。
『……やっぱり驚かないのか。つぎとは賢いし、とっくに俺の仕業だって気づいてたんだな。嬉しい嬉しい』
「何笑ってんのよ……!」
『えっ? だって、いい見世物だったからさー』
あの男が電話の向こうでにこにこと笑っている姿が目に浮かんだ。
『毎日毎日、あいつが壊れるまでチラシを貼りつけた甲斐があったよ! 筋肉痛の代わりに苦しむあいつが見られたからな!』
「あんたがやったの……?」
あの騒ぎでどれだけ茜が傷付いたと思っているのだ、この悪魔は。
「父親のすることじゃない……!」
――――だめだ。この男は、茜と会わせたらいけない。
『ね、今どこにいるんだ? 鈴葉ちゃん』
茜とよく似た声で名前を呼ばれると腹が立った。私は憎しみを込めて、吐き捨てる。
「あなた、いずれ捕まりますよ。商店街には防犯カメラが何台も設置してあるんですから」
『それは困ったなぁ。でも、その前に母娘を刺し殺すことくらい造作もないんだが』
「ッ、まだ罪を重ねるつもりですかッ!」
『――――神田綾、神田佐奈』
私は目を見開いた。そして、スカートの裾をぎゅっと握り潰す。
『どっちにする? 娘を殺して母親に見つけさせてもいいし、逆でもいいよ?』
「それ以上喋ったら私があなたを殺す。彼女達に手を出したら許さない……!」
あの優しい人達を巻き込むなんて、この男には心がない。
『まあ、とっくに君のことは調査済みってこと。来てくれるなら何もしないよ。どうする?』
「彼女達に指一本触れないと誓ってくれるなら」
『うん、いいよいいよ。じゃあ、会いに来てくれる? 場所は君もよぉく知ってるところ』
男の唇が緩やかに弧を描き、電話口の向こうから、私に笑顔を向ける。
『――――相田穂波の死に場所に』
昨日の茜の様子を思い出しながら、私は商店街を歩いていた。
今日はこのまま凛々子のところへ行くつもりで手土産を買いに来ている。茜はまだ寝ているようだったから、起こすのも悪いと思い、黙って出て来てしまった。
「おばさんの好きな食べ物とか知らないなぁ」
ケーキなら間違いないだろうか。
「おばさんって誰?」
「ッきゃあ」
耳元で声がして、思わず飛び跳ねた。そして、くすくすと笑うジャージの男を睨んだ。
「またあなたですか……! 何なんですか、いきなり!」
「そろそろ教えてくれてもいいのに」
「はい……?」
「つぎと。君のところにいたんだな」
「え……? な、何言って」
「初めまして、妹さん。つぎとの父の須崎はじめです」
どくん、どくん。
男の言葉の意味を瞬間的に理解した心臓が飛び上がる。
「――――あ、今は『茜』だっけ?」
男の唇が弧を描いたその瞬間、私は目を見開いて、走り出した。
――――まさか、まさか、まさか。
私は昨日の茜の言葉を思い出す。
――――万が一、またお前の目の前に現れたら、その時は――――……何をしてでも、逃げろ。
「ハアッ、ハアッ……!」
あの男、『須崎つぎと』を息子だと言っていた。茜がつぎとなら、あの男は茜の実の父親だ。つまり、九年前の事件の真犯人で、穂波を殺した張本人。
何故、平然としていられる。私達の大事な人を殺しておいて――――。
無我夢中で走ったせいか酸欠で息が苦しい。ぎこちない呼吸を繰り返していると、携帯が鳴った。
「知らない、番号……」
嫌な予感がする。
私は応答をタップして、耳に当てた。
「――――もしもし」
『まさか逃げられるとは思わなかったな』
「ッ」
あの男の声だ。
「……あなたが茜さんの本当の父親なんですか?」
『うん。死んでることになってるけどな』
「一体、何が目的なの!」
『目的? あー……一つは結構前に達成したぞ?』
「え?」
『よく知ってるだろ? 相田穂波の親友、桑原鈴葉ちゃん』
背筋を冷たい感覚が過った。私は震える唇を手で押さえる。
『……やっぱり驚かないのか。つぎとは賢いし、とっくに俺の仕業だって気づいてたんだな。嬉しい嬉しい』
「何笑ってんのよ……!」
『えっ? だって、いい見世物だったからさー』
あの男が電話の向こうでにこにこと笑っている姿が目に浮かんだ。
『毎日毎日、あいつが壊れるまでチラシを貼りつけた甲斐があったよ! 筋肉痛の代わりに苦しむあいつが見られたからな!』
「あんたがやったの……?」
あの騒ぎでどれだけ茜が傷付いたと思っているのだ、この悪魔は。
「父親のすることじゃない……!」
――――だめだ。この男は、茜と会わせたらいけない。
『ね、今どこにいるんだ? 鈴葉ちゃん』
茜とよく似た声で名前を呼ばれると腹が立った。私は憎しみを込めて、吐き捨てる。
「あなた、いずれ捕まりますよ。商店街には防犯カメラが何台も設置してあるんですから」
『それは困ったなぁ。でも、その前に母娘を刺し殺すことくらい造作もないんだが』
「ッ、まだ罪を重ねるつもりですかッ!」
『――――神田綾、神田佐奈』
私は目を見開いた。そして、スカートの裾をぎゅっと握り潰す。
『どっちにする? 娘を殺して母親に見つけさせてもいいし、逆でもいいよ?』
「それ以上喋ったら私があなたを殺す。彼女達に手を出したら許さない……!」
あの優しい人達を巻き込むなんて、この男には心がない。
『まあ、とっくに君のことは調査済みってこと。来てくれるなら何もしないよ。どうする?』
「彼女達に指一本触れないと誓ってくれるなら」
『うん、いいよいいよ。じゃあ、会いに来てくれる? 場所は君もよぉく知ってるところ』
男の唇が緩やかに弧を描き、電話口の向こうから、私に笑顔を向ける。
『――――相田穂波の死に場所に』