***

「そうか、アルバムに……」
「全部、あの子が考えたものだとは到底思えないくらい……異常だった」

 学校から帰って来た茜に卒業アルバムのことを話すと、彼は申し訳なさそうに眉を寄せた。

「ごめんな、一人で行かせて」
「学校だし、しょうがないでしょ」

 私の肩に凭れかかる茜にそう言って笑った。

「おじさんっていうのは多分、父さんで間違いないと思う。相田さんとどこで知り合ったかはわからないけど」
「私もそれはわからない。だけど、穂波が生きようとしていたのはわかったよ」

 あのノートに自分の名前が出て来た時は驚いたが、今ならわかる。
 彼女は迷っていたのだ。生きるべきか、死ぬべきか。おじさんの言葉に惑わされて。

「……ところで茜さん、どうしたの?」
「え?」
「このところ元気ないから……何かあった?」

 私は、彼の顔を覗き込んで尋ねた。

「んー、ちょっと熱っぽいだけ。大丈夫」
「本当に?」
「本当だよ。でも、眠れてないんだ。だから、少しだけ肩貸してくれるか?」
「いいよ」

 茜は嬉しそうに笑って、目を閉じた。やがて彼の寝息が聞こえて来て、本当に眠れていなかったのだと知り、私は目を細める。
 前から薄々感じてはいたのだけれど、やはり、様子がおかしい。
 彼に何かあったのではないかと直感的に悟る。取り越し苦労ならそれでいい。だが、そうでないのなら――――。
 私は眠る彼の手を握って、決意した。

***

 今朝も彼の表情はどことなく暗くて、私は居ても立っても居られず、家を飛び出した。

「もう一時間目の授業が始まってる頃か……」

 本当に具合が悪いのなら、早退でも何でもさせて連れて帰ろう。
 私は茜の高校の前まで来ると、立派な建物を見上げた。

「さすが私立……」

 一応、兄の忘れ物を届けに来た妹という設定なのだが、それにしても場違いな気がした。だが、見たところ門は開いていて、警備員もいない。入るなら今だ、と足を踏み入れた時だった。

「ん? 何だろう、あの人だかり……」

 掲示板の前に集って生徒達が写真を撮ったり、笑ったりしている。何となく、嫌な空気を感じ取って、私は静かにそこへ近づいた。そして、掲示板に貼られた『掲示物』を見て、人混みに飛び込む。生徒達を押し退けて、チラシを剥ぎ取った。

「何、これ」

 『桑原茜は殺人鬼の子供』。そう大きく書かれていた。よく見ると、掲示板の裏や校舎にも同様の貼り紙がされている。
 私は、何が起きているのかわからず、怒りで拳を震わせた。

「……何、この貼り紙……何なのよ」
「ちょっと何なの、あんた」
「誰かの妹じゃないの?」

 私を見て、数名の生徒達が騒ぎだす。私は彼等を睨んで、掲示板に貼られていた全ての貼り紙を破り捨てた。そして、踏みつける。

「撮るなよ、こんなもの」

 荒れた口調でそう言って、私は土足のまま校内へ侵入した。脳が警笛を鳴らす。

 彼がこんな目に遭っているだなんて知らなかった。知らなかった――――。

 校舎の中は、外よりももっと酷かった。廊下中に貼られている茜を貶めるチラシを教師達が総出で取り去っているようだったが、一体何時間かかるかもわからない。
 私は面白がって教師達が剥がしたチラシを再び貼りつけている連中の前に立った。そして、チラシを破いて丸めると彼等に向かって投げつけた。

 私の兄が晒し者にされている。
 黙っていられるわけがない。

 私は目に映る全てのチラシを乱暴に掴んで、破り捨てた。

「そこを退いて!」
「うわー……」
「何この子!」
「部外者が入って来んなよ」
「誰か警備呼んでぇ」

 私は歯を食い縛って、教室側の壁を殴りつけた。

「ふざけるなッ! 部外者はあなた達でしょッ! こんな紙切れを信じて何が面白いのッ!」
「何こいつ……? 人殺し庇ってんの? 同罪じゃん」

 一人の男子生徒が嘲笑ってそう言った。私は迷うことなくその男の前に立つ。

「誰が人殺しよ。馬鹿も程々にしな」
「あ?」
「あんたみたいなクズが馬鹿にしていい男じゃない」
「ふざけんなよ、糞女ッ!」
「親が人を殺したから? そんなことを理由に茜さんを傷付けたの? 何も知らないあなた達が!」

 私は彼に詰め寄って胸倉を掴んだ。

「桑原茜はどこにいるの」
「な、何だよこいつ」
「クズでも答えられるでしょ、早く教えて」
「知らねぇよッ」

 私は彼から手を離して、目が合った女子生徒に声をかけた。

「あなた三年生でしょ。知ってるよね?」
「……三階の……階段上がってすぐの教室」
「どうも」

 私は階段にも貼られているチラシの記事を横目で見つめて、舌打ちをした。涙が零れ落ちそうになるのを堪える。
 泣くものか。泣きたいのは、茜の方だ。

「茜さんッ!」

 教室の扉を開けて叫んだ。その瞬間、私の目に飛び込んで来たのは、茜の姿よりも先に彼を取り巻く環境だった。
 茜の机や椅子にもあのチラシが貼られていて、見える限りの彼の私物には落書きが施されている。

「――――お前、何でここに」
「何してるのッ」

 私は教室内に侵入し、茜の傍まで行って彼の机を叩いた。

「何で否定しないのよ! どうして平気そうにしてるの!」

 心ない落書きをされた教科書を彼の手から奪い取り、床に叩きつけた。

「こんなもの使わなくていい!」
「……ハハッ」

 茜は困ったように笑って教科書を拾い上げる。

「すーずーはー、勉強出来なくなっちゃうだろ?」
「使わないでったら!」

 私はもう一度彼から教科書を奪い取り、顔を歪めた。

「何でもない振りはもうやめて! 抵抗してよ! 出来るでしょ!」
「鈴葉……」

 茜の受け入れるような目を見て、私は俯いた。

「……あなたが出来ないなら私がする」
「え……」

 私は彼の教科書を生徒達のいる方へ投げ飛ばした。彼の落書きされた私物も全て、生徒に向けて投げ飛ばし、机を蹴り飛ばした。

ガシャァァアンッ!

「きゃあああっ!」
「うわっ」
「す、鈴葉……! やめろ!」
「茜さんを傷付けたんだから、皆同罪よ! 全員、私が殺すッ!」
「そんなことを口にするな!」
「うるさい!」

 涙が頬を伝った。

「……うるさい……」
「鈴葉……」

 私は涙を拭って、周囲の生徒達を睨む。

「よくもこんな真似をして笑っていられるわねッ」

 私が晒されていた好奇の視線よりも、もっと酷い。あまりにも残酷だ。

「彼の今までの努力を何だと思ってるのよ……! この人は何の関係もないじゃない……! それなのに、どうして、あなた達が彼を責めるの? あなた達が彼を責めていい理由なんてどこにもないッ」

 私は茜を庇うように立って、消え入るように呟いた。