***
翌朝、私は家族のいないリビングでテレビのニュースを眺めていた。
茜は、テスト休みが終わり、今日から登校。父は仕事、母はパートの面接に行っている。家に一人でいるのは、何年振りだろうか。
「……ん?」
固定電話の横に見慣れないファイルが置いてあるのが気になり、手に取った。中には書類が数枚入っている。
「これ、履歴書……? えっ、面接に必要なものなんじゃないのッ?」
恐らくこれは母の忘れ物だ。
「届けに行こう……ないと困るだろうし」
一旦ファイルをテーブルに置いて、身支度をしに洗面台へ向かおうとした時、バサッと音がした。振り返ってみると、先程テーブルに置いたはずのファイルが床に落下しており、中の書類が散乱していた。
「やっちゃった……ちゃんと置けてなかったかぁ……」
私は慌てて書類を拾い上げた。ふと、その内の一枚に目が向いて、私はゆっくりとそれを読み上げた。
「戸籍……? 住民票の写しか」
見たことがないものだったので、思わず目が奪われてしまった。
「へー、家族全員の名前が載ってるんだ、これ」
上から順に目を通して、私は動きを止めた。
「……えっ?」
紙がカタカタと震え出す。いや、震えているのは私の指だ。
「お父さんとお母さんと私の名前……だけ? えっ、何で……? 『茜さん』は?」
茜と血が繋がっていないことは知っているし、気にもしていない。だが、これは。こればかりは動揺を隠せなかった。
両親と彼は養子縁組をしているはずだ。彼は桑原茜のはずなのに、名前が載っていないのは一体何故だ。
私は慌てて、携帯を取り出して、ネットで検索をかけた。そして、茜の名前が載っていない理由を調べる。
「……いや、やっぱりおかしい。続柄が養子になっているはずなのに名前すらないなんて……! 何で戸籍に入ってないのッ?」
私は書類を投げ捨てて、階段を上った。
「はあ、はあ」
父の書斎の前で呼吸を整えると、私は心の中で謝罪をしてから、扉を開けた。
八年前、父は、茜を桑原家の戸籍に入れたと私に話した。だが、実際は違った。そう出来なかった理由があるとしか思えない。
私は父の部屋を必死に調べた。本棚、机の引き出し、思い当たるところは全て。
そして、その時――――。
「何だろう、このノート……」
書斎に似つかわしくない古びた子供向けのノートを見つけた。表紙には、子供の字で『日記』と書かれてある。私のものでなければ、もしかすると、幼い頃に茜が使っていたものかもしれない。
私は、躊躇いなく表紙を捲った。そして、最初の一頁目で手が止まる。私は目を見開いて、そこに書かれている言葉を読み上げた。
「『――――俺の父親は、人殺しです』」
そこには、幼い少年の懺悔の言葉が綴られていた。
俺の父親は、人殺しです。
俺は、こわくて、こわくて、にげました。
お母さんをおいてにげました。
きっと、誰もゆるしてくれない。俺には、ふつうは似合わないって、お父さんは言ったから。
誰も俺をゆるしてくれない。ゆるされない。
神様。神様。神様。
お母さん、ごめんなさい。
こわい。あいつが来る。あいつがいつか俺をむかえに来る。
ゆるされないことをしました。
みんなにうそをつきました。
お母さん、ゆるしてください。
まにあわなかった。
お父さんはわらってた。俺を見て、わらった。
俺の父親は、ひとごろし。ひとごろし。
俺もいつか。
お父さんみたくなるのかな。
たすけて、神様。
「……ッ、ぅ」
子供が書いた日記だとは思えないほど、それは苦しみに溢れていた。私はこれ以上頁を捲ることが出来ず、涙を零した。
これは、幼い子供が負った心の傷そのものだ。この日記を書いたのは、恐らく、茜だろう。
「茜さん……」
私は彼のことを何も知らなかった。両親は事故で亡くなったと聞かされていたから。だが、本当は――――父親に母親を殺されていたなんて。一体、どれほど恐ろしかっただろう。幼い子供が父親の存在に怯えて、必死にこれを書いていた。そう考えるだけで呼吸が出来なくなる。
「あなたは、これまでどんな思いで……」
ノートを抱き締めて、私は幼い頃の茜を思い出し、涙を溢れさせた。その時、ノートから折り畳まれた紙が一枚落ちた。私はそれを拾い上げて、中身に目を通す。
それは、彼が最後に書いたであろう日記だった。
くわはらさんが来た。
うそをついた俺をゆるしてくれる。
俺と家族になりたいって言ってる。うれしい。
妹ができるっておしえてくれた。
かわいくて、やさしい子だった。
俺に名前をきいてくれたけど、こたえられなかった。
そしたら、名前をつけてくれた。
あたらしい名前。あかね。
俺は、くわはらあかね。
あの子がくれた。あの子がだいすき。神様がゆるしてくれた。
あの子をまもりたい。
神様。
俺の妹。
くわはらすずは。
「……ああ、そうか。私が茜さんを『茜』にしたんだ」
忘れていた彼との出会いを思い出して、私は目を閉じた。
家にやって来た少年が中々話しかけて来ないことに苛ついて、私が詰め寄ったのだ。
『ねえ、名前は!』
『え……』
『ないの?』
『多分……』
『じゃあ、茜ね』
『あ、かね?』
『そう! かっこいいでしょ! 本当は私が茜になりたいけど、私は鈴葉だから。だから、お兄さんにあげる』
『……ありがとう……』
『私は鈴葉。お兄さんは?』
『……茜』
それが私達の出会いだった――――。
翌朝、私は家族のいないリビングでテレビのニュースを眺めていた。
茜は、テスト休みが終わり、今日から登校。父は仕事、母はパートの面接に行っている。家に一人でいるのは、何年振りだろうか。
「……ん?」
固定電話の横に見慣れないファイルが置いてあるのが気になり、手に取った。中には書類が数枚入っている。
「これ、履歴書……? えっ、面接に必要なものなんじゃないのッ?」
恐らくこれは母の忘れ物だ。
「届けに行こう……ないと困るだろうし」
一旦ファイルをテーブルに置いて、身支度をしに洗面台へ向かおうとした時、バサッと音がした。振り返ってみると、先程テーブルに置いたはずのファイルが床に落下しており、中の書類が散乱していた。
「やっちゃった……ちゃんと置けてなかったかぁ……」
私は慌てて書類を拾い上げた。ふと、その内の一枚に目が向いて、私はゆっくりとそれを読み上げた。
「戸籍……? 住民票の写しか」
見たことがないものだったので、思わず目が奪われてしまった。
「へー、家族全員の名前が載ってるんだ、これ」
上から順に目を通して、私は動きを止めた。
「……えっ?」
紙がカタカタと震え出す。いや、震えているのは私の指だ。
「お父さんとお母さんと私の名前……だけ? えっ、何で……? 『茜さん』は?」
茜と血が繋がっていないことは知っているし、気にもしていない。だが、これは。こればかりは動揺を隠せなかった。
両親と彼は養子縁組をしているはずだ。彼は桑原茜のはずなのに、名前が載っていないのは一体何故だ。
私は慌てて、携帯を取り出して、ネットで検索をかけた。そして、茜の名前が載っていない理由を調べる。
「……いや、やっぱりおかしい。続柄が養子になっているはずなのに名前すらないなんて……! 何で戸籍に入ってないのッ?」
私は書類を投げ捨てて、階段を上った。
「はあ、はあ」
父の書斎の前で呼吸を整えると、私は心の中で謝罪をしてから、扉を開けた。
八年前、父は、茜を桑原家の戸籍に入れたと私に話した。だが、実際は違った。そう出来なかった理由があるとしか思えない。
私は父の部屋を必死に調べた。本棚、机の引き出し、思い当たるところは全て。
そして、その時――――。
「何だろう、このノート……」
書斎に似つかわしくない古びた子供向けのノートを見つけた。表紙には、子供の字で『日記』と書かれてある。私のものでなければ、もしかすると、幼い頃に茜が使っていたものかもしれない。
私は、躊躇いなく表紙を捲った。そして、最初の一頁目で手が止まる。私は目を見開いて、そこに書かれている言葉を読み上げた。
「『――――俺の父親は、人殺しです』」
そこには、幼い少年の懺悔の言葉が綴られていた。
俺の父親は、人殺しです。
俺は、こわくて、こわくて、にげました。
お母さんをおいてにげました。
きっと、誰もゆるしてくれない。俺には、ふつうは似合わないって、お父さんは言ったから。
誰も俺をゆるしてくれない。ゆるされない。
神様。神様。神様。
お母さん、ごめんなさい。
こわい。あいつが来る。あいつがいつか俺をむかえに来る。
ゆるされないことをしました。
みんなにうそをつきました。
お母さん、ゆるしてください。
まにあわなかった。
お父さんはわらってた。俺を見て、わらった。
俺の父親は、ひとごろし。ひとごろし。
俺もいつか。
お父さんみたくなるのかな。
たすけて、神様。
「……ッ、ぅ」
子供が書いた日記だとは思えないほど、それは苦しみに溢れていた。私はこれ以上頁を捲ることが出来ず、涙を零した。
これは、幼い子供が負った心の傷そのものだ。この日記を書いたのは、恐らく、茜だろう。
「茜さん……」
私は彼のことを何も知らなかった。両親は事故で亡くなったと聞かされていたから。だが、本当は――――父親に母親を殺されていたなんて。一体、どれほど恐ろしかっただろう。幼い子供が父親の存在に怯えて、必死にこれを書いていた。そう考えるだけで呼吸が出来なくなる。
「あなたは、これまでどんな思いで……」
ノートを抱き締めて、私は幼い頃の茜を思い出し、涙を溢れさせた。その時、ノートから折り畳まれた紙が一枚落ちた。私はそれを拾い上げて、中身に目を通す。
それは、彼が最後に書いたであろう日記だった。
くわはらさんが来た。
うそをついた俺をゆるしてくれる。
俺と家族になりたいって言ってる。うれしい。
妹ができるっておしえてくれた。
かわいくて、やさしい子だった。
俺に名前をきいてくれたけど、こたえられなかった。
そしたら、名前をつけてくれた。
あたらしい名前。あかね。
俺は、くわはらあかね。
あの子がくれた。あの子がだいすき。神様がゆるしてくれた。
あの子をまもりたい。
神様。
俺の妹。
くわはらすずは。
「……ああ、そうか。私が茜さんを『茜』にしたんだ」
忘れていた彼との出会いを思い出して、私は目を閉じた。
家にやって来た少年が中々話しかけて来ないことに苛ついて、私が詰め寄ったのだ。
『ねえ、名前は!』
『え……』
『ないの?』
『多分……』
『じゃあ、茜ね』
『あ、かね?』
『そう! かっこいいでしょ! 本当は私が茜になりたいけど、私は鈴葉だから。だから、お兄さんにあげる』
『……ありがとう……』
『私は鈴葉。お兄さんは?』
『……茜』
それが私達の出会いだった――――。