「居場所がわかったのは最近ですよ」
今すぐにでも怒りで叫び出しそうだった。それでも、必死で堪えて、笑顔を作る。
「お久しぶりです、おばさん」
「……そうね」
彼女は私から目を逸らした。そして、ドアノブの鍵を回すと、ガチャッという音と共に扉を開いた。
「……帰りなさい。あなたと話すことなんて何もないわ」
「私にはあります!」
私は、彼女の腕を掴んで引き止めた。
何もないだと。ふざけるな。
「本当に何もないんですか……!」
私は泣きそうな声で叫んだ。だが、彼女の表情は変わらない。
「私は、あなたの娘の親友です。今でもずっと」
「それが迷惑なのよ」
凛々子は、私を睨むわけでもなく、静かに見つめ続ける。その瞳には、私に対する感情は何も感じ取れない。
「私はもう忘れたの」
力のない声でそう言われて、私は呆然と目の前の彼女を見つめた。
「何ですか、それ……まさか、諦めたんですか……?」
「ええ」
「犯人も捕まっていないのに納得したのッ?」
「その通りよ」
全身の血が沸騰する。
怒りで、何も考えられなくなる。
「ふざけないで……ッ」
「……ッ」
私の指が彼女の腕に食い込んだ。爪が刺さったのか、凛々子は僅かに眉を寄せて、私を睨んだ。だが、私は力を緩めない。
「母親でしょ、あの子の。どうしてそんなことが言えるのよ!」
優しいあの子を知っていて、どうして忘れたいだなんて言える。何故、彼女の死に納得が出来るのだ。私よりも、何倍も、犯人を恨んでいるべきなのに、どうして――――。
「……穂波は、おばさんのことをいつも心配してました。おばさんのことが大好きでしたよ……」
私はそれを誰よりも理解している。母親に愛されようと、穂波がどれだけ努力を重ねてきたか。私はずっと隣で見続けてきたのだ。
「だけど、あなたは、穂波に目も向けなかった」
私は、ずっと、それが許せなかった。いつも、彼女の寂しそうな笑顔を見る度に胸が痛くて、何も出来なくて、無力な自分が嫌になった。母親を求める子供の気持ちを、私では満たしてあげられなかったから。
「どうしてですか……! 穂波がどんな子か知ってるでしょうッ!」
「だからこそよ」
「は……?」
凛々子は冷たい目をして、私の腕を振り払った。そして、低い声で私を見下ろす。
「愛していたら、きっと今でも辛かったんでしょうね」
母親とは思えない彼女の言葉を聞いて、私は脳がぐらりと揺れるような感覚がした。身体の中心に重い何かが燻り始める。
怒りより、重い。憎しみより、重い。悲しみよりも、重い。
「おば、さん……」
「楽でとてもいいわ」
この女は、一体何を言っているのだろうか。理解が出来ない。腹が立つ。だが、それ以上に――――悲しすぎる。
「……最低だ」
目に涙を溜めて吐き捨てた。すると、彼女は、そんな私を嘲笑うように唇を歪めると、こう言った。
「あの子だって同じじゃないの。親を置いて死ぬような薄情な娘なんだから」
「っ」
「あなたもいい加減、忘れなさい。穂波はもう死んだのよ」
「あなたが……あなたがそれを私に言うんですかッ」
私が掴みかかろうとした時、彼女は素早く扉の中に身体を滑り込ませた。バンッと音が鳴って、扉が閉まる。
「おばさん! おばさん!」
私は、苔だらけの扉を何度も叩いて叫んだ。ドアノブを捻っても、ガシャガシャと音を立てるばかりで、回らない。
深夜に響き渡る甲高い声に気づいて、近所の家の電気が点いた。住人は、迷惑そうな顔をして、私の様子を窓から覗き込んでいる。それでも、私は止まらなかった。
「嘘ばかり言わないでッ! 何でそんなこと言うんだよッ!」
ダンッ、と最後に強く扉を殴りつけて、その場に崩れ落ちた。
「穂波が悲しむこと、言わないでよぉッ」
あの子が悲しむ顔を見るのが辛かった。助けてあげたかった。だが、私には何も出来なかったから。今でも、それが悔しい。こんな母親を愛した彼女が不憫でならない。
穂波は何故、ここまで救われない運命なのだろうか。
「鈴葉ッ! どうしたッ! 大丈夫かッ?」
コンビニから戻って来た茜が私の身体を抱き上げた。汚れた私の拳を自分のワイシャツで拭うと、泣きじゃくる私を抱き締める。
「鈴葉……!」
「……愛していないんだって、穂波のこと……もう忘れたって、そう言われた」
私は呆然と茜の腕の中で呟いた。
「それが、娘を亡くした母親が言う言葉なの? 穂波を忘れていい理由になるの?」
私にはわからない。大切なはずの娘の死をあんなにも簡単に受け入れられる彼女のことが。
『あなたもいい加減、忘れなさい。穂波はもう死んだのよ』
娘の最後を看取った私に何故あんな言葉が言えた――――。
「鈴葉。それが、彼女のお母さんが出した答えなら、俺達が口を挟めることじゃないよ」
「……! 何で……どうしてよッ!」
私は茜を突き放して、彼を睨んだ。
茜まで、私にそんなことを。
「強要してどうにかなることじゃないだろう」
彼の言い聞かせるような声を聞いて、私は唇を噛み締めた。そして、止まらない涙を何度も拭いながら、自分の心臓を殴りつける。
「どうして……? わかんないよッ! 何で、何で私が……彼女のいない世界で生きていかなくちゃならないの……! どうしろって言うの。どうして忘れられるのよッ!」
「……どうしたらいいのかなんて、俺にもわからない。それでもきっと、相田さんのお母さんは答えを出したんだ。前に進む為に」
「あの人の目は、未来を見てなんかいなかったよッ!」
茜はもう一度、抵抗する私を抱き締めた。暴れる私を包み込んで、頭を撫でる。
「離してッ、もう一回あの人に会わなきゃいけないの! 本当のことを聞き出さなきゃ……私が、私が……!」
穂波の代わりに生きている理由を見失ってしまう。
「今日は帰ろう、鈴葉。ここにはお前の求めている答えはないよ……」
茜に手を引かれて、私は歩き出した。
彼女の死は、一体何だったのだろうか。どうして、忘れられてしまうのだろう。ずっとこのままなのだろうか。
その時、私の携帯が音もなく揺れた。マナーモードにしてあった携帯をパーカーのポケットから取り出し、届いた新着メッセージを何も考えずに開く。そして、目を見開いた。
――――私は、何の力も持たない子供だ。どれだけ足掻いても、現状は変えられない。
茜の背を見て歩きながら、私は開いたメッセージを削除した。
今すぐにでも怒りで叫び出しそうだった。それでも、必死で堪えて、笑顔を作る。
「お久しぶりです、おばさん」
「……そうね」
彼女は私から目を逸らした。そして、ドアノブの鍵を回すと、ガチャッという音と共に扉を開いた。
「……帰りなさい。あなたと話すことなんて何もないわ」
「私にはあります!」
私は、彼女の腕を掴んで引き止めた。
何もないだと。ふざけるな。
「本当に何もないんですか……!」
私は泣きそうな声で叫んだ。だが、彼女の表情は変わらない。
「私は、あなたの娘の親友です。今でもずっと」
「それが迷惑なのよ」
凛々子は、私を睨むわけでもなく、静かに見つめ続ける。その瞳には、私に対する感情は何も感じ取れない。
「私はもう忘れたの」
力のない声でそう言われて、私は呆然と目の前の彼女を見つめた。
「何ですか、それ……まさか、諦めたんですか……?」
「ええ」
「犯人も捕まっていないのに納得したのッ?」
「その通りよ」
全身の血が沸騰する。
怒りで、何も考えられなくなる。
「ふざけないで……ッ」
「……ッ」
私の指が彼女の腕に食い込んだ。爪が刺さったのか、凛々子は僅かに眉を寄せて、私を睨んだ。だが、私は力を緩めない。
「母親でしょ、あの子の。どうしてそんなことが言えるのよ!」
優しいあの子を知っていて、どうして忘れたいだなんて言える。何故、彼女の死に納得が出来るのだ。私よりも、何倍も、犯人を恨んでいるべきなのに、どうして――――。
「……穂波は、おばさんのことをいつも心配してました。おばさんのことが大好きでしたよ……」
私はそれを誰よりも理解している。母親に愛されようと、穂波がどれだけ努力を重ねてきたか。私はずっと隣で見続けてきたのだ。
「だけど、あなたは、穂波に目も向けなかった」
私は、ずっと、それが許せなかった。いつも、彼女の寂しそうな笑顔を見る度に胸が痛くて、何も出来なくて、無力な自分が嫌になった。母親を求める子供の気持ちを、私では満たしてあげられなかったから。
「どうしてですか……! 穂波がどんな子か知ってるでしょうッ!」
「だからこそよ」
「は……?」
凛々子は冷たい目をして、私の腕を振り払った。そして、低い声で私を見下ろす。
「愛していたら、きっと今でも辛かったんでしょうね」
母親とは思えない彼女の言葉を聞いて、私は脳がぐらりと揺れるような感覚がした。身体の中心に重い何かが燻り始める。
怒りより、重い。憎しみより、重い。悲しみよりも、重い。
「おば、さん……」
「楽でとてもいいわ」
この女は、一体何を言っているのだろうか。理解が出来ない。腹が立つ。だが、それ以上に――――悲しすぎる。
「……最低だ」
目に涙を溜めて吐き捨てた。すると、彼女は、そんな私を嘲笑うように唇を歪めると、こう言った。
「あの子だって同じじゃないの。親を置いて死ぬような薄情な娘なんだから」
「っ」
「あなたもいい加減、忘れなさい。穂波はもう死んだのよ」
「あなたが……あなたがそれを私に言うんですかッ」
私が掴みかかろうとした時、彼女は素早く扉の中に身体を滑り込ませた。バンッと音が鳴って、扉が閉まる。
「おばさん! おばさん!」
私は、苔だらけの扉を何度も叩いて叫んだ。ドアノブを捻っても、ガシャガシャと音を立てるばかりで、回らない。
深夜に響き渡る甲高い声に気づいて、近所の家の電気が点いた。住人は、迷惑そうな顔をして、私の様子を窓から覗き込んでいる。それでも、私は止まらなかった。
「嘘ばかり言わないでッ! 何でそんなこと言うんだよッ!」
ダンッ、と最後に強く扉を殴りつけて、その場に崩れ落ちた。
「穂波が悲しむこと、言わないでよぉッ」
あの子が悲しむ顔を見るのが辛かった。助けてあげたかった。だが、私には何も出来なかったから。今でも、それが悔しい。こんな母親を愛した彼女が不憫でならない。
穂波は何故、ここまで救われない運命なのだろうか。
「鈴葉ッ! どうしたッ! 大丈夫かッ?」
コンビニから戻って来た茜が私の身体を抱き上げた。汚れた私の拳を自分のワイシャツで拭うと、泣きじゃくる私を抱き締める。
「鈴葉……!」
「……愛していないんだって、穂波のこと……もう忘れたって、そう言われた」
私は呆然と茜の腕の中で呟いた。
「それが、娘を亡くした母親が言う言葉なの? 穂波を忘れていい理由になるの?」
私にはわからない。大切なはずの娘の死をあんなにも簡単に受け入れられる彼女のことが。
『あなたもいい加減、忘れなさい。穂波はもう死んだのよ』
娘の最後を看取った私に何故あんな言葉が言えた――――。
「鈴葉。それが、彼女のお母さんが出した答えなら、俺達が口を挟めることじゃないよ」
「……! 何で……どうしてよッ!」
私は茜を突き放して、彼を睨んだ。
茜まで、私にそんなことを。
「強要してどうにかなることじゃないだろう」
彼の言い聞かせるような声を聞いて、私は唇を噛み締めた。そして、止まらない涙を何度も拭いながら、自分の心臓を殴りつける。
「どうして……? わかんないよッ! 何で、何で私が……彼女のいない世界で生きていかなくちゃならないの……! どうしろって言うの。どうして忘れられるのよッ!」
「……どうしたらいいのかなんて、俺にもわからない。それでもきっと、相田さんのお母さんは答えを出したんだ。前に進む為に」
「あの人の目は、未来を見てなんかいなかったよッ!」
茜はもう一度、抵抗する私を抱き締めた。暴れる私を包み込んで、頭を撫でる。
「離してッ、もう一回あの人に会わなきゃいけないの! 本当のことを聞き出さなきゃ……私が、私が……!」
穂波の代わりに生きている理由を見失ってしまう。
「今日は帰ろう、鈴葉。ここにはお前の求めている答えはないよ……」
茜に手を引かれて、私は歩き出した。
彼女の死は、一体何だったのだろうか。どうして、忘れられてしまうのだろう。ずっとこのままなのだろうか。
その時、私の携帯が音もなく揺れた。マナーモードにしてあった携帯をパーカーのポケットから取り出し、届いた新着メッセージを何も考えずに開く。そして、目を見開いた。
――――私は、何の力も持たない子供だ。どれだけ足掻いても、現状は変えられない。
茜の背を見て歩きながら、私は開いたメッセージを削除した。