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 芝生の上に腰を下ろして、私は川の流れをじっと見つめた。泥臭い香りが鼻についたけれど、何故か視線が逸らせなかった。夕陽が水面に反射しているその光景は、どこか寂しくて、綺麗だと思った。

 昨日、茜に向かって叫んだ私の想いは、全て、あの子を失ってから胸の内に隠し続けてきた言葉ばかりだった。私は既に抱えきれなくなっている。このままでは、私は――――。

「私が忘れたら、あの子は……どこに残るのかな」

 『彼女』の最期を忘れてしまったら、彼女の存在自体が消えてしまうような気がした。それは、どうしても嫌だった。
 悪夢を見続けても、そこに彼女がいるのなら、耐えられる。だが、私以外の時間はどうやったって止められない。もうすぐ、制服も夏服に変わってしまうだろう。あの子を置き去りにして、季節はどんどん過ぎて行く。私もいつか、彼女を置いて行ってしまうのだろうか。その時は、きっと、今以上に辛い思いをすることになるだろう。

「いつまで耐えたらいいんだろう……」

 自分でもどうしたらいいのかわからない。彼女なら――――□□□なら、わかるだろうか――――。
 失った親友の名を心の奥底で呟いて、私は抱えた膝の上に顔を埋めた。
 夕陽が眩しくて、痛い。

「今日はここだったんだなー、鈴葉」

 聞き慣れた声に顔を上げると、予想通りの人物がそこにいた。

「……茜さん、何で私のいる場所がわかるの? 気持ち悪い」
「気持ち悪いって何だよ……兄なんだから当然だろ」

 そう言いながら、茜は私の隣に腰を下ろした。
 昨日、言い合いをしたばかりなのに、気まずさの一つも感じさせないところは、確かに兄らしいと言えるが。

「なあ、鈴葉、お前ちゃんと学校行ってる?」
「え……」

 何故、急にそんな話を――――。

「茜さんこそどうなんですか?」
「話を逸らすんじゃありません」

 ふざけた口調なのに、彼の目は真剣に私を見つめていた。

(これは逃げられそうにない、か)

 私は溜め息を吐きながら、彼から目を逸らした。

「……学校から連絡が来たんでしょ?」
「ああ、お前の担任からな。たまたま電話に出たのが俺だったからよかったけど、父さん達に知られたらどうするつもりだったんだ?」
「どうもこうもないよ。お父さん達が怒るならそれでいいし、何も言わないならそれでもいい」

 捻くれた私の答えを聞いても、茜は嫌な顔せず、くすっと笑った。

「じゃあ、俺の高校に来る? 鈴葉」
「はっ?」
「うん、そうしよう! その方が俺も嬉しいし」
「いや、それは……」

 私と彼は、二歳年が離れていて、別々の高校へ通っている。
 茜の通っている高校は、毎年、有名大学へ多くの合格者を出しているような私立校で、私は地元の何の変哲もない小さな高校。互いの学校の距離は、さほど離れてはいないのだけれど、偏差値にはかなりの差があるのだ。

「無理だよ。レベルが違うし、それに――――」

 私は、どこの学校でも、多分だめだ。
 彼にそうは言えず、私は目を伏せた。すると、私の様子を見た茜が躊躇いつつ、自身を指差した。

「お、俺がいるから嫌なの?」
「それだけが理由ってわけじゃないけど……」
「んー、わかった。でも、これからも無断で学校休むなら、無理にでも俺と同じ高校に行かせるからな」

 私は眉を寄せて、茜を睨んだ。

「だから、それは無理だってば。しつこいな」
「『無理にでも』って言っただろ?」

 背中が汚れることも気にせず、芝生の上に寝転がって、彼はそう言った。

「鈴葉の為なら、俺は何だってする」
「……!」

 ――――茜は、十歳の時に本当の両親を事故で亡くして、それから私の両親に引き取られた。その時も、彼は私達にこう言っていた。

『何でもします。だから、俺を家族にして下さい』

 茜の言葉はいつだって真剣だ。人一倍優しくて、家族との繋がりをとても大切にしている。けれども、それでも私は――――彼に何の感情も抱けなかった。実の妹でもないのに、どうしてここまでするのか不思議でならない。

「私のことより自分のことを考えたら? 来年受験でしょ、茜さん」
「そ、そうなんだよなぁ……」
「勉強もしないで、こんなところまで探しに来て……本当、馬鹿みたい」

 茜は目を丸くして、私を見つめた。それから砕けたように笑って、私の手を握った。

「鈴葉の傍にいる方が俺にとっては重要なんだよ」
「……それが馬鹿みたいだって言ってるのに」

 繋がれた手が振り払えなかった私は、再び抱えた膝に顔を埋めた。
 隣にいるのは、私が求めている人物ではないのに、繋いだ手は同じように温かいのだと知って、スカートに涙が滲んでいった。

「――――夕陽が目に染みる」

 そうくぐもった声で呟いた私に、茜は短く『そうだね』と返した。