「……茜さん」

 私は彼の両手を温めるように包み込んで、そして、まだ涙の痕が残る頬を彼の肩に埋めた。

「ありがとう」

 彼がいたから、私は穂波に別れを言えた。

「穂波の葬儀の時も、私のところに来てくれたのはあなただけだった」

 土砂降りの雨の中、傘も差さず、葬儀場の外にいた私の隣に彼はずっといてくれた。私がどれだけ突き放しても、涙を流しても、彼は私の傍から離れようとしなかった。私の叫びを受け止めてくれた。

「あの時からずっと……茜さんに救われていたんだよ。助けてくれてありがとう。私、茜さんのこともとても好き。穂波と同じくらい、大切です」
「鈴、葉……」
「私の兄があなたでよかった」

 茜は、私を引き戻してくれた。私の時間を進めてくれた、たった一人の人。穂波を守ってあげることは出来なかったけれど、彼だけは絶対に守り抜く。私の全てを懸けて。

「ごめん、俺……多分、鈴葉が想ってくれているよりもずっと、お前が好きだ」

 茜の指が私の頬を撫でる。私は弾かれるように顔を上げて、それから少し目を伏せると、小さく笑った。その時だった。

「これは一体何の騒ぎだ? ほら、チャイム鳴ってるぞ! 全員校舎に入れ! 校庭なんか見てないでさっさとしろ!」

 教師の怒号に私はビクッと肩を揺らした。私と茜の視線は自然と校庭のフェンスへ向く。そこには案の定、生活指導の教師が数名いて、校庭にいる私達を見物していた生徒達を校舎へ押し込んでいるところだった。

「あー……騒ぎになってるな」
「茜さん、他校の制服だしね……」
「なっ、お前……! 桑原か!」

 私と目が合ったクラスの担任が、慌てて私の元へ駆け寄って来た。そして、隣にいる茜に目を向けると、大きく溜息を吐く。

「おいおい、一体何をやってるんだ……また、例のあれか? それに隣の君は……その制服、渋木学園の生徒だろ?」
「兄の桑原茜と申します。勝手に入ってすみませんでした」

 茜は立ち上がって、担任に頭を下げた。私も慌てて立ち上がる。

「いや、まあ……ご家族だし、そこまで問題にはならないけど、念の為、ご両親に連絡だけさせてもらいますよ?」
「はい、すみません」

 その言葉を聞いて、私はほっと息を吐いた。
 茜の内申点に響いてしまったらどうしようかと思っていたのだが、その心配はないようだ。よかった。
 安心して力が抜けていく私とは違って、茜の視線は校庭の外へと向けられていた。

「ちょっとすみません。妹を頼みます」
「え? ちょっとお兄さん! どこ行くんですか!」
「あ、茜さんッ?」

 茜は早歩きで生活指導の先生達のところへ向かった。私と担任も慌てて彼の後を追う。

「――――ん? 何だ、君は」

 茜はにこりと笑って、すみません、と声をかけた。

「そこの二人なんですけど、まだ校舎に入れないでもらえます?」
「は? 何言って……」

 私は、茜が指を差した先に目を向けた。
 ――――そこにいたのは、先程、私と穂波を嘲笑っていた生徒達だった。

「あんた達……まだいたの?」

 あれからずっと飽きもせず、私達のことを見ていたのか、この人達は。
 私が睨むと、彼等は対抗するように私を睨み返して来た。茜は私と彼等の間に入ると、顔から笑顔を消した。

「俺の妹と親友を散々侮辱していたのは、お前達だよな」

 茜の声が恐ろしいほど低く聞こえた。

「な、何だよ、それ」
「知らないし、そんなの! ねえ、先生、この人怖いんですけど! どうにかしてよ!」

 女子生徒の方が叫ぶようにそう言った。茜の瞳に脅えているのか、声が酷く震えている。見かねた担任が茜の肩に手を置いて、彼を止めようと動いた。

「お兄さん、落ち着いて下さい。彼等には私の方から注意しておきますから」
「落ち着けって? あなたなら出来るのか? 妹を笑い者にされて黙っていられるわけがないだろ」

 私は、彼が他人に怒りを露わにするところを見たことがない。だからなのか、一歩も動けなかった。

「お、お兄さんの方が大人なんですから、そこは冷静に……」
「すみませんが、俺はまだ子供ですよ」

 目を逸らす生徒二人に茜は詰め寄っていく。

「なあ、下らない噂話ってまだあるのか? なら全部、今ここで俺に聞かせてくれよ。遠巻きにぼそぼそ言う必要はないだろ?」
「っ、い、いえ、その」

 男子生徒の方は、助けを求めるように教師に視線を向けたが、最早止める者はいなかった。女子生徒は完全に言葉を失っている。

「どうした? さっきみたいに話せばいいだけだぞ? 言えよ」
「ッ、ま、待って!」

 無表情の茜を見た瞬間、私は彼の腕にしがみついた。どくん、と跳ね上がった心臓を落ち着かせるように私は息を吸う。

 どうして、私は、今。
 彼を恐ろしいと思ってしまったのだろうか。

 茜が一瞬、私の知らない『誰か』に見えたような気がして、思わず身体が動いていた。