彼の指が何度も私の涙を拭う。『泣くな』と言うように、何度も。
私に茜を助けた記憶はない。だが、彼が涙を流すほどの何かがあったのは確かなのだろう。
「お前が死にたいほど辛いのはわかってる。それなのに、今まで気づいてやれなくてごめんな」
「え……?」
「学校に行けないのには、理由があるんだろう?」
「……!」
私はあの悪夢を思い出して、吐き気を堪えるように唾を飲み込んだ。茜はそんな私の背中を優しく撫でながら、睫毛を伏せた。
「学校で何があったんだ……?」
「…………」
「俺を信じて話してくれない?」
あの光景が目に浮かぶと、今でも体が震えて、涙が溢れそうになる。正直、怖くて堪らない。だが、このままでは私はまた選択を誤って逃げる道を選んでしまう。
私は、私を生かそうとしてくれる茜を信じる。
意を決して、口を開いた。
「……穂波がいるの」
「……うん」
「雪に埋もれた、あの子が……血塗れで校庭に倒れてる。学校に行くと必ず現れるの」
足元まで迫って来る雪を思い出しながら、私は彼に打ち明けた。震える両手で顔を覆って、私は言葉を吐き出し続ける。
「あれは、私にしか見えない私の悪夢だから、自分じゃどうしようも出来ないの。だから、茜さんが……茜さんが穂波を助けて……! お願いッ、私じゃだめなの!」
「鈴葉」
彼は私の名前を呟くと、泣きそうな顔で、苦しそうな瞳をして、私のことを抱き締めた。
「鈴葉……」
私は彼の優しい声の温もりに目を閉じた。乱れていた呼吸が段々と正常に近づいていくのがわかる。
「お前を無理に学校へ行かせようとして悪かった。本当にごめん」
「……どうして、謝るの」
「……ごめん」
謝り続ける彼の背中に腕を回して、私は首を横に振った。
何故、彼が謝る必要があるのだろうか。穂波以外の人間を信じず、悪夢を受け入れた私が悪いのに。
「茜さんの『ごめん』は、もう聞きたくないよ……」
気がついたら、私の方が強い力で彼の身体を抱き締めていた。
私にとって、茜はいつの日からか、とても大切で、かけがえのない何かになっていた。だから、こんなに胸が締めつけられるのだろう。
「ごめんなさい。私は最低な方法で穂波から逃げようとした」
「……わかったなら、もういいんだ。もしまた同じことが起きても、俺が絶対に止めてやるからな」
「……うん」
触れた彼のワイシャツは、汗でびっしょりと濡れていた。横断歩道で私を見つけるまでの間、この炎天下の中、走って探し回っていたのだろうか。
こうして抱き締めるまでわからなかった。彼がどんなに私のことを探してくれていたのか。そんな彼の目の前で私は死のうとしたのだ。それなのに、彼はこうして今も私を優しく抱き寄せてくれる。
「茜さん」
「ん……?」
「私を、助けて」
もう、一人になりたくない。これ以上、抱えられない。
「助けて下さい」
私の命乞いにも思える言葉を聞いて、茜は笑顔を浮かべた。そして、私の頭を撫でる。
「ああ、わかった。二度と不安にさせない。もう大丈夫だからな」
「本当に……?」
「本当だよ。俺が絶対にお前を助けるから」
彼の指が私の髪をすり抜けて、後頭部に回った。首を屈めた茜の顔が、私の肩の上に乗る。彼の息遣いが感情と共に伝わって来るようで、私はまた涙を流した。
私の心を繋ぎ止めてくれている彼を失ったら、私はどうしたらいい。
――――失いたく、ない。
「……置いて、行かないで」
嗚咽混じりの声で、彼にそう願う。
「茜さんがいないと……寂しいよ」
言い知れない孤独の中で、誰とも生きていけないのだと思っていた。けれど、もしも、それが許されるのなら私は彼の傍にいたい。
穂波を失った私に残された唯一の光。
それが、茜だから。
「私の傍にいて」
想いを告げるようにそう言った。
数秒間の沈黙の後、茜は私の肩から顔を上げると、まるで口づけるように私の頬に鼻を押し当てた。そして、私の想いに言葉で応える。
「――――お前を置いてはどこへも行けない」
その言葉で十分だった。
『家族』でも、『兄妹』でも、どんな関係であったとしても、茜が私の傍にいてくれるのなら構わない。私達が互いにどこへも行かないと誓うのならば、形なんて何だっていいはずだ。
「鈴葉の行く場所に俺も行く。お前の未来に俺もいたい」
茜は、私が彼を助けたと言ったけれど、それ以上に私の方が彼に救われている。
周囲に取り残されて、穂波の死を受け入れられなかった私の傍にずっといてくれた。私が歩き出すのを隣で待ってくれていた。そんな茜にいつの間にか、私は――――。
気の迷いなんて思えないほど、恋をしていた。
私に茜を助けた記憶はない。だが、彼が涙を流すほどの何かがあったのは確かなのだろう。
「お前が死にたいほど辛いのはわかってる。それなのに、今まで気づいてやれなくてごめんな」
「え……?」
「学校に行けないのには、理由があるんだろう?」
「……!」
私はあの悪夢を思い出して、吐き気を堪えるように唾を飲み込んだ。茜はそんな私の背中を優しく撫でながら、睫毛を伏せた。
「学校で何があったんだ……?」
「…………」
「俺を信じて話してくれない?」
あの光景が目に浮かぶと、今でも体が震えて、涙が溢れそうになる。正直、怖くて堪らない。だが、このままでは私はまた選択を誤って逃げる道を選んでしまう。
私は、私を生かそうとしてくれる茜を信じる。
意を決して、口を開いた。
「……穂波がいるの」
「……うん」
「雪に埋もれた、あの子が……血塗れで校庭に倒れてる。学校に行くと必ず現れるの」
足元まで迫って来る雪を思い出しながら、私は彼に打ち明けた。震える両手で顔を覆って、私は言葉を吐き出し続ける。
「あれは、私にしか見えない私の悪夢だから、自分じゃどうしようも出来ないの。だから、茜さんが……茜さんが穂波を助けて……! お願いッ、私じゃだめなの!」
「鈴葉」
彼は私の名前を呟くと、泣きそうな顔で、苦しそうな瞳をして、私のことを抱き締めた。
「鈴葉……」
私は彼の優しい声の温もりに目を閉じた。乱れていた呼吸が段々と正常に近づいていくのがわかる。
「お前を無理に学校へ行かせようとして悪かった。本当にごめん」
「……どうして、謝るの」
「……ごめん」
謝り続ける彼の背中に腕を回して、私は首を横に振った。
何故、彼が謝る必要があるのだろうか。穂波以外の人間を信じず、悪夢を受け入れた私が悪いのに。
「茜さんの『ごめん』は、もう聞きたくないよ……」
気がついたら、私の方が強い力で彼の身体を抱き締めていた。
私にとって、茜はいつの日からか、とても大切で、かけがえのない何かになっていた。だから、こんなに胸が締めつけられるのだろう。
「ごめんなさい。私は最低な方法で穂波から逃げようとした」
「……わかったなら、もういいんだ。もしまた同じことが起きても、俺が絶対に止めてやるからな」
「……うん」
触れた彼のワイシャツは、汗でびっしょりと濡れていた。横断歩道で私を見つけるまでの間、この炎天下の中、走って探し回っていたのだろうか。
こうして抱き締めるまでわからなかった。彼がどんなに私のことを探してくれていたのか。そんな彼の目の前で私は死のうとしたのだ。それなのに、彼はこうして今も私を優しく抱き寄せてくれる。
「茜さん」
「ん……?」
「私を、助けて」
もう、一人になりたくない。これ以上、抱えられない。
「助けて下さい」
私の命乞いにも思える言葉を聞いて、茜は笑顔を浮かべた。そして、私の頭を撫でる。
「ああ、わかった。二度と不安にさせない。もう大丈夫だからな」
「本当に……?」
「本当だよ。俺が絶対にお前を助けるから」
彼の指が私の髪をすり抜けて、後頭部に回った。首を屈めた茜の顔が、私の肩の上に乗る。彼の息遣いが感情と共に伝わって来るようで、私はまた涙を流した。
私の心を繋ぎ止めてくれている彼を失ったら、私はどうしたらいい。
――――失いたく、ない。
「……置いて、行かないで」
嗚咽混じりの声で、彼にそう願う。
「茜さんがいないと……寂しいよ」
言い知れない孤独の中で、誰とも生きていけないのだと思っていた。けれど、もしも、それが許されるのなら私は彼の傍にいたい。
穂波を失った私に残された唯一の光。
それが、茜だから。
「私の傍にいて」
想いを告げるようにそう言った。
数秒間の沈黙の後、茜は私の肩から顔を上げると、まるで口づけるように私の頬に鼻を押し当てた。そして、私の想いに言葉で応える。
「――――お前を置いてはどこへも行けない」
その言葉で十分だった。
『家族』でも、『兄妹』でも、どんな関係であったとしても、茜が私の傍にいてくれるのなら構わない。私達が互いにどこへも行かないと誓うのならば、形なんて何だっていいはずだ。
「鈴葉の行く場所に俺も行く。お前の未来に俺もいたい」
茜は、私が彼を助けたと言ったけれど、それ以上に私の方が彼に救われている。
周囲に取り残されて、穂波の死を受け入れられなかった私の傍にずっといてくれた。私が歩き出すのを隣で待ってくれていた。そんな茜にいつの間にか、私は――――。
気の迷いなんて思えないほど、恋をしていた。