◆
薬も過ぎれば毒となる
◆
「おはよう、姉ちゃん。」
まだ眠っている爽築へと小声で告げた挨拶。
この日の譲琉の朝はいつになく早かった。
「ねぇ、姉ちゃん。男ってなにかな?女ってなにかな?俺には分からないんだ。理解したくもないけれど。俺は姉ちゃん以外に要らないし、俺は自分自身‐ユズル‐だからさ。男と女だけじゃないのに、線引きするなんておかしいよね。」
人を好きになるってどういうことですか?
付き合いたい?キスしたい?
それ以上?結婚したい?
確かにそれらもしたいけれど、法律は感情では作られてはいない。
「ジェンダー論争なんて言われているみたいだけど、クダラナイよね。」
人間が作ったのに人間の為のものではないの?
俺は人間ではないの?
「人間じゃないなら俺は何なんだろうね。」
ねえ、教えて下さい。
「あの時からずっと考えているんだけれど、分からないんだ。」
どうしたら愛する人を好きと、法律は認めてくれますか?
愛の形は、みんな同じでなければならないのですか?
「でもね、これだけは変わらないよ。」
どんな手を使っても。
「姉ちゃんは俺が守る。」
◆
「ゆ…ずる…?」
起床時間よりも早くに目覚めると譲琉はもういなかった。
ここのところ、毎日来ては爽築と過ごしていたのに。
「バイトでも入ったのかしら?」
枕元の机の上に置かれていたメモには何故か、また後で、の文字。
「もう少しだけ…」
護衛の件で喝宥と揉めてから数日、仕事中は気を遣いすぎて、帰ってからも気になってあまり眠れていない。
譲琉がいれば朝食の準備でもするのだが、いないのでメモの意味も考えることなく二度寝を決めた。
狩人はララバイを奏でる。
「どうすりゃいい…」
護衛を断られて為す術無く、かといってこういう事に頭が回る克治に相談も出来ず。
爽築に見付からない程度の距離から護衛というか、張り込みにすらならない距離だがあれからの日課だ。
Ready or not?(もういいかい?)
網を張って策を講じるは
「これでよし。」
Here i come(探しに行くよ)
此度の謀(ハカリゴト)
「行きますか。」
I see you(見ぃつけた)
全ては姉の御ために
「初めまして、お兄さん。」
ツ・カ・マ・エ・タ。
◆
「監視カメラの解析の結果、重要人物が判明しました。」
「この男です。」
左隈と岐微浜が追う、梺屓賤恭が置き引きした酒を買い毒を盛ったであろう人物の写真だ。
映像が不鮮明で解析に時間がかかったが、男の容姿は鮮明に判別出来るまでになった。
「よくやった。聞き込みは?」
「今のところ成果はなにも。店員もただ若い男としか。」
「中肉中背。典型的な記憶に残らない普通の男ですね。」
記憶に残らなかったのは、その男が怪しげではなく人懐っこい笑顔を見せ普通を装っていたからだ。
「(……この顔どこかで…)」
「どうかしたの?難しい顔して。」
写真を睨み付けるように、克治は眉間にシワを寄せている。
「ん?ああ…、こいつの顔」
「課長!大変です!大変なんです!」
「栃元、大変だけじゃ分からないだろう!」
「どうしたんですか?」
栃元を注意するものの、普段声を荒げない矛桶まで焦ったように言うものだから、岐微浜は思わず声が裏返る。
「氏家縊頗を呼び出した貸別荘の借り主、業者に聞き取りして書いた似顔絵にそっくりの人物が」
「いたんですよ!この中に!」
◆
この中……、栃元が見せたのは卒業アルバム。
それも栃元が纏めた資料にあり爽築の卒業校でもある、丙高校のアルバム。
「ここ!似顔絵と比べてください!」
「桧亨譲琉…?桧亨?!」
確かに似顔絵とアルバムの写真はそっくりだったが、驚いたのは名前の方。
「思い出した…」
「毯出くん、何を?」
「そいつは係長の弟だ。中学の時、よく教室に来ていたり、うろちょろしたりしていたんだ…!」
思い出せなかったのも無理はない。
上級生の教室に来ても譲琉は誰にも話し掛けず、爽築が気付かなければ見ているだけだったから。
それほど譲琉の印象は薄いものだった。
「クラス委員でペアだったから係長は覚えていたが、まさか弟が…」
転校し卒業アルバムに載っていないのだから、爽築のことだって辛うじてだ。
ましてや学年の違う譲琉を覚えている方が驚きだろう。
「桧亨譲琉を重要参考人として」
「ちょっと待ってください。もしかしてこの男も桧亨譲琉では…?」
監視カメラの写真に写る男は正に譲琉だ。
「何故そこで繋がるんだ…!桧亨は?鳴鎧もいないが、二人ともどこへ行った?」
◆
「係長は組対です。ヒロは知りません。あいつ、あれから係長にべったり張り付いていたから一緒じゃないですかね。俺からの電話に出られないくらい忙しいみたいなんで。」
「分かった。桧亨には俺から連絡を入れておく。」
電話に出ないことにイラついているのか若干語尾が強めになるが、超坊は巻き込まれるのは御免だと気付かないふりをした。
「左隈と岐微浜は店員に確認、矛桶と栃元は桧亨譲琉を任同。その後、毯出は桧亨譲琉宅のガサだ。桧亨と鳴鎧を合流させる。」
譲琉の家は爽築の家からそう離れていない八戸ほどの小さいアパートだった。
「ずいぶん質素ですね。殺害には金の掛かる方法とっているくせに。」
「さあな。考えは分からん。とりあえず行くか?」
「そうですね。」
捜索差押え許可状を携えインターホンを押したのだが。
「反応が無いな。」
「栃元、そっちは?」
「動きはありませんね。」
逃走も考慮しベランダ側へいた栃元に確認したが、いないようだ。
「仕方がない、ガサを先にするか。殺害に使った毒薬なんかが出てきたら一番いいんだがな。」
似顔絵以外の物的証拠を期待する。
◆
「聖書って確か新旧あるんでしたっけ?」
「ああ。旧約聖書がキリスト誕生前で、新約聖書がキリスト誕生後だったか。なんで今そんなことを聞く?」
「いや、パンフがあったんで。なんとなく。」
玄関には、国の登録有形文化財に指定されている那釜ロゼ教会のパンフレットが落ちていた。
「キリシタンですかね?」
「敬虔なキリスト教信者がこんな乱雑に扱わないだろ。電気付けてくれ。」
玄関から見えるのは右手のキッチンだけで、日当たりが悪くカーテンも閉めきっている為に室内は暗くよく見えない。
「まさか……」
「なんだこれ……」
先頭にいた矛桶がカーテンを開け、左手にある電気のスイッチを栃元が付けると、そこには。
「係長…か…?」
部屋中に貼られた写真。
そのどれも爽築なのだが、制服やスーツだったり私服だったりとバラバラな上に、目線はレンズを向いておらず隠し撮りしたのは明らかだ。
異様な光景に三人が絶句していると、克治の携帯へ超坊から着信が入る。
『左隈から今連絡があってな、桧亨譲琉に間違いなかった。それと、桧亨とも鳴鎧とも連絡が取れない。そっちに連絡ないか?』
◆
「いや、ないですけど…」
『鳴鎧は組対にはいなかった。桧亨は組対にいたんだが、きたメールを読んだ後、慌ててどこかに行ったままらしい。』
爽築はコールはするが出ないし、喝宥に至っては携帯の電源すら入っていない。
超坊が焦っている理由は、二人が何も告げずに連絡を絶っているということ。
そして。
「課長、桧亨譲琉は部屋にいませんでした。それに、」
目の前に広がる部屋の状況を説明した。
『………。分かった。矛桶と栃元は桧亨譲琉の捜索、お前は手掛かりがないか部屋を調べろ。緊配を掛ける。』
超坊により緊急配備が発令され、矛桶と栃元は急ぎ捜索を開始した。
六畳ほどのワンルームには、布団と小さい机に置かれたノートパソコン、ラックに掛けられた服と、写真を除けば生活感があまりない質素な部屋。
幸運なことにロックがかけられていなかった一番めぼしいノートパソコンを開くと、表示された画面には繋がったままのインターネット。
「くそっ、ビンゴかよ…」
劇薬を販売する会員制の裏サイトらしく、閲覧履歴や購入履歴には栃元の資料にあった被害者に使用された薬物名が幾つも並んでいた。
◆
譲琉は爽築に愛情…、それもかなり歪んだシスターコンプレックスを抱いている。
その中で何らかの理由が生じ、その歪な想いが爆発し複数人を殺害するにまで至った。
だから関係のある爽築の(譲琉のでもあるが)卒業校の人物ばかり狙った。
そう考えると、全て辻褄が合う気がした。
「で、本題は桧亨譲琉が何処にいるかだ…」
急を要するは、桧亨譲琉の居どころ。
そして、連絡の取れない爽築と喝宥の行方だ。
「那釜ロゼ教会……」
パンフレットがありノートパソコンの閲覧履歴にもその名があるのだが、部屋を見る限りでは宗教を信じているようには見えない。
しかし。
「まさか……な…」
拭えない不安は不釣り合いな違和感によって増幅され、数十分前に降りだした雨音さえ迫り来るようで。
「行ってみるか……」
緊急配備が敷かれている中で、自身の根拠の無い刑事の勘のようなものだけで他の捜査員を動かす訳にはいかない。
だけど。
「俺は後悔も被疑者死亡も勘弁だからな…!」
唯一突き動かされてしまう、制御盤が内に秘めし熱き情熱。
腐れ縁だって捨てたものではないのだ。
◆
「凄い雨だ。てるてる坊主でも作っておけばよかったかな。でも、前歯をひっくり返すと顔の形とほぼ同じで身元確認に使われるって書いてあったから、これを使うには最高か。」
これとは数袋にもなる石灰。
水分を吸収することで熱出す性質があり、どしゃ降りの中で遺体の周りに撒けば雨水で腐敗速度が早まり短期間で骨となる。
照合は歯形になる場合が多いので念入りに掃除…つまり隠滅をしないと証拠は残るから気を付けよう。
などと食い入るように見たサイトには書いてあった。
「おま、え……な、にが目的だ…」
「うるさいなぁ。せっかく俺が気付いてお前から姉ちゃんを守ったのに、また近付きやがって。」
克治の読み通り譲琉は那釜ロゼ教会にいた。
最前列の椅子に座る譲琉は、数メートル先の主祭壇に凭れ掛かり息も絶え絶えな喝宥を睨んだ。
……遡るは今朝のこと。
出勤時間が近付き爽築に見付からないよう家付近から離れようとした時、背後から声が聞こえ間髪入れず嗅がされたモルヒネによって喝宥は気を失ってしまった。
そして目覚めたはいいが見知らぬ教会な上に、酷いめまいと感覚が麻痺しているのか呼吸さえもし辛い。
◆
「近付いた……?守る…?姉ちゃん?一体なんの、誰のこと…、言っている?」
克治が辛うじて思い出したこと、直感的に動く喝宥が譲琉を覚えている訳がない。
しかも、喝宥にとって身に覚えのないことなら尚更だ。
「まぁだからこうやって、神様に俺の偉業を見て貰えるんだから、結果オーライかな。あの時は知らない内に終わっていたからさ。」
譲琉の中の重大な使命は、二十年ほど前に家の中の暴君を倒したことから始まっていた。
「譲琉っ…!!」
息を切らして教会へと飛び込んで来たのは爽築。
組対にいた時、もらったメールには那釜ロゼ教会で待っているよ。という文章と、気を失って倒れている喝宥の添付写真だった。
「さつ、き……なんで…」
「ヒロ……!譲琉、一体何をしているの!ヒロに何をしたの!?」
「何をって姉ちゃん為だよ。っていうか、姉ちゃんずぶ濡れだ、風邪引いちゃうよ。ほら、拭いてあげる。」
動揺する爽築に構わず譲琉はハンカチを取り出し、濡れた髪や服に染み込んだ水分を優しく拭き取っていく。
「はい、これで少しはマシになったよ。姉ちゃんは俺がいないとほんと駄目なんだから。」
◆
「私の為って…どういうこと?」
「はいこれ。あいつに飲ませて。」
譲琉から渡された蓋の開いた小瓶には、無色透明な液体が入っている。
「なに、これ?」
「ヒ素だよ。ネットで買ったんだ。」
「ヒ素って…」
無邪気に言った譲琉のせいでもあるが、水みたいなものをヒ素とは信じられない。
「ほら早く飲ませて。あいつがいるから姉ちゃんがいつまで経っても俺と一緒にいてくれないんだ。あいつがいなくなれば、姉ちゃんは安心出来るし安全だよ。」
闇の様な犯罪の行いの中に輝かしい光が、させようとしている悪事とは裏腹な正義がハッキリと見える。
実現死に逝くは守るという名の善力の悪。
「ほら聞こえるでしょ?拍手の音。神様だって応援してくれているんだよ。」
打ち付け強くなる雨音が、譲琉には異論を呈さず称賛してくれているように聞こえるらしい。
「ほら!姉ちゃんの手で殺らないと意味がないんだよ。悪の糸を断ち切る為には、姉ちゃんが頑張らないといけないんだよ。」
何故、殺すことを頑張らなければならないのか。
爽築の為というのは譲らず、爽築の背に回り喝宥の目の前へと押しやる。
◆
「譲琉、もう止めよう…。ねっ、もういいから…」
「姉ちゃん、駄目なんだってば!ほら早く!」
「や、止めっ…!……っ!」
「さ、つき…!」
ヒ素を喝宥に飲ませようとする譲琉と飲ませまいとする爽築。
揉み合う内、爽築は譲琉に突き飛ばされて主祭壇の右側へ倒れ込んでしまった。
ヒ素入りの小瓶も転がって中身が零れてしまい、使い物にならなくなってしまう。
「そうか……、あんたは姉ちゃんじゃないんだ…。姉ちゃんの皮を被った悪魔なんだ……。」
「譲琉……?……」
呟くように言った言葉が聞き取れず、譲琉に近付こうとしたその時。
「…っ……、や、め……ゆず…」
「さつき…!」
「姉ちゃんから出ていけ!出ていけ!!俺の姉ちゃんを返せ!」
「ゆ…………ず……、」
「や、めろっ!」
大分モルヒネが抜けて、体を大きく動かし伸ばした手は爽築に馬乗りになり首を絞める譲琉を掴んで後ろ…つまりは主祭壇の左側へと引き剥がし、更には爽築との間に割り込むことに成功した。
「げほげほげほ………」
喝宥は主祭壇に手をつきながらも、譲琉から爽築を守ろうと立ち塞がる。
◆
「係長!ヒロ!」
「ハル…?」
教会の扉を開け放ち叫んだのは克治で、左隈と岐微浜も後ろに見えた。
「桧亨譲琉、殺人未遂で現行犯逮捕する!」
主祭壇側の出入口からは矛桶と栃元が突入し、譲琉を取り押さえにかかる。
「ハル、どうして……」
「課長が俺に賭けてくれたんだよ。」
教会へ向かいながら一応超坊に連絡を入れた時、世話女房としての勘を信じろ、などと柄にもなく頼もしい上司らしかった。
「今回ばかりは課長に感謝だな。」
喝宥を支えながら克治は言う。
「係長!」
「大丈夫ですか?」
左隈と岐微浜が駆け寄るも、爽築は大丈夫だと告げた。
「離せ!姉ちゃんから悪魔を追い出さなきゃならないんだ!」
「はあ?何を言っているんだ!」
「暴れるな!」
細身にしては力があり暴れる譲琉に矛桶と栃元は必死だ。
「離せ!姉ちゃんは俺が守るんだ!」
「殺そうとしておいて何が守るだ!」
喝宥を殺させようとしただけでなく姉を悪魔と呼び、挙げ句殺そうとして今更守るなどとは。
一貫性の無い言動に、喝宥は爽築の弟だということを忘れ怒鳴ってしまう。
◆
「まるでミルグラム実験を見ているようだな。」
教会に残虐な数々の殺人、そして譲琉が口にした悪魔という単語。
神のお告げが聞こえた、神様から命を受けた。だからそれを遂行した。
という、信じがたいが刑事としてはよく聞く最低な方程式が、呟く克治の脳裏に過る。
「姉ちゃんは…、姉ちゃんは俺が守らなきゃならないんだ!俺が」
間違っていないと思わせて。
あの時、悪魔を退治したように。
今までしてきた事も、爽築の為でしかないって。
ただ大好きな姉を守る為だけだったって。
「俺が、俺が姉ちゃんを、姉ちゃんを守るんだ……!守ってあげるんだ……!」
「譲琉…!もういい、もういいよ。」
栃元が押さえ込んでも叫び続ける譲琉へ、爽築は落ちる涙に構わず近付く。
爽築の声が聞こえたのか、譲琉は抵抗を止めた。
「姉ちゃんをいじめる人、もういないから……もう誰もいないから……もう大丈夫だから……」
崩れ落ちるように、譲琉の前で両膝をつく。
「守ってくれて……ありがとうね、譲琉。」
満足そうに嬉しそうに笑う譲琉の頭を、爽築は泣きながら優しく撫でるのだった。
◆
毒薬変じて薬となる
◆
「桧亨譲琉、検察でも大人しく話していたらしいですね。」
「まっ、動機が姉貴だったんだ。その姉貴がもういいって言ったんだからそれでいいんだろうな。」
あれから譲琉は逮捕され、殺人と殺人未遂、誘拐の容疑で起訴された。
「まさかここまで偶然と必然が重なるとはな。不可解になるわけだ。」
偶然は、譲琉以外の人物の殺人や事故が爽築の卒業校関連だったこと。
必然は、譲琉が爽築の為に証拠隠滅もしない無計画かつ毒薬を購入し使用して計画的に殺害していったこと。
同時進行ではなかったが、それらが譲琉の居住地周辺…つまり那釜中央警察署管内で起きた事案だった為に最終的に栃元が気付くきっかけとなった。
「それで結局、桧亨譲琉が殺害したのは送検済みを含めて十一名だったんですよね。」
「ああ。まさかの未成年時代にもやらかしていた。」
譲琉が供述したことを、整理して簡単にいうとこんな感じだった。
鈴亭埒嫡への動機は、寄り合いを偶然見た譲琉がセクハラの被害に爽築が遇うことを危惧したからであり、黍獰艮槍の保身を小耳に挟んだ小学校時の譲琉が盗んで隠し持っていた血糖降下剤とビタミン剤とすりかえた。
◆
矜悉炯闍への動機は、前所轄の勤務中に目を付けられてたのを隠し撮り中の譲琉が発見し危険の芽は摘み取らなければならないと感じたからで、バッシングで眠れないと酒場でこぼしていたのでよく効く睡眠薬と偽りベゲタミンを渡し常用させ、更に酒に混ぜ酩酊させた後放置し凍死に追いやった。
梺屓賤恭への動機は、学校用務員時代に備品を色々盗んでいたのを目撃、一度爽築の鉛筆が紛失したのを思い出したことで卑しい性格だから飲むだろうと金持ち風を装い置き引きされるように仕組んだ。
鞋崕斈への動機は、爽築にオカルト写真へ出演してもらおうと同級生の譲琉に相談したことで、利用されると思い込んだ譲琉はオカルトに最適な良い場所があると誘った。
氏家縊頗への動機は、爽築の手を煩わせる詐欺を働いたからで、薬が効くのは数十分後とサイトに表記があった為、一度騙されたフリをして気分上げてどん底へと落としたかったのと爽築へ手柄をあげたい為に発覚させようと計画。
比軽呵珞への動機は、不法投棄に関して今後爽築が被害に遭うかも知れないと思い込み殺られる前に殺ろうと実行。
雁庫薩嗣への動機は、事故物件の噂を聞き爽築が住むといけないから排除。
◆
「蕪櫃烟炸への動機は、粉飾決算の会話を道端で偶然聞いてしまい係長に迷惑を掛けている悪人だって思ったからだったわね。垳薪繭蒸は云わばまきぞえよね。確かに犯罪だけど。」
「苧筬匠への動機に至っては、ホームレスは係長に相応しくないから、とかだったな。」
善人面して差し入れした弁当にタリウムを仕込んで殺害した。
「しかも高校時代には、二人も殺害したんですよね。」
探峻睦隴への動機は、強姦荒しで探峻睦隴を危険因子として観察していた時に、次は爽築にしようかという会話を聞きこれも殺害。
杣献定への動機は、爽築が善意で貸したシャーペンを借りパクしたから。ドライアイスを袋に詰め頭から被せた後、ニ三回呼吸させ二酸化炭素を吸わされた為の酸素欠乏で、部屋にあったヘリウムは偽装であった。
「まぁ、一方で全くの無関係事案もあったけどな。」
戟陶緞漱、鴻雑の双子は、当局より送検され捜査終了と連絡が有った。
剋貌拙嬬は、過去に私刑にされた別人が恨みを募らせ殺害したのを突き止めその人物を逮捕し送検済み。
矜悉胥徨、俊麗夫妻は、近所に住む老夫婦を逮捕送検済み。かなり高額な金額を騙されたようだ。
◆
「櫪幇類は送検されたんですよね。」
「ああ。薬の入手ルートを組対が解明して、偲胴企画の連中も一斉検挙だ。」
「薬販売専用の裏会員制サイトも運営していたのよね。桧亨譲琉が多種多様の薬を手に入れられたのもそれのせいでしょ。」
全体的な犯罪量からいえば鼬ごっこや蜥蜴のしっぽ感は否めないが、それでも今回の検挙は大捕物であった。
「ところで、さっきから何をやっているんだ?」
譲琉が送検されたことで落ち着いた一連の不可解な事件。
後日談ついでに話ながら流れを整理していたのに、栃元はパソコンに向かいっぱなし。
それも大量の古い紙資料に囲まれながら。
「課長が『学校の繋がりを見付け出したのはよくやった。警察も電子化の波がきている。だから今回の功績を認めてこれらの入力と整理を一任する。あれだけの共通点を見付けられたなら出来る。』って言われて…」
「成る程、体よく押し付けられた訳か。」
「ご苦労様ね。」
「お疲れ様です。」
「まあなんだ…、頑張れ。」
「他人事だと思ってー。手伝ってくださいよー!」
栃元の悲痛な叫びも、我関せずの先輩と同僚には届かなかった。
◆
「失礼しました。」
爽築と超坊は刑事部長室から出てきた。
「すまんな、庇いきれずに。」
「いえ、査問会も懲戒処分もなくただの異動で済みました。課長が部長に仰って頂いたお陰です。」
ただの異動は正しくいえば左遷である。
弟とはいえ、爽築本人が犯罪を犯した訳ではないと超坊は強く言ったのだが。
部長曰くの警察の権威というのを分かっていたので、懲戒解雇も免れないと思っていた爽築にとっては寛大な処分といえるかもしれない。
「弁護士に正当な求刑をと言ったらしいな。」
「いくら犯した罪に、ゼロや時間を掛けても無かったことにはなりませんから。ちゃんと償わせます、姉として。」
弁護士は譲琉の言動から精神鑑定を持ち出したのだが、過去のこともあり罪は償うべきだと進言した。
「そうか。また捜査で会うこともあるだろう。その時はよろしく頼むよ。」
「はい。短い間でしたが、お世話になりました。」
一礼して去る爽築の背に、結構良いチームだったのかもしれなかったなと超坊は思う。
「柄にもなかったな。」
少し抜けている方が部下は育つ、持論は楽をする為だ。と言い訳をした。
◆
「爽築。」
「ごめん、ここなら誰にも聞かれないだろうと思って。」
異動の準備や譲琉の公判の件で忙しく、署内の人間には一通りの挨拶を済ませたものの、喝宥とはゆっくり話が出来ていなかった為、署から近い小さい橋の下へ呼び出した。
車通りは多いが人通りは少ない、河川敷に並んで座る。
「ありがとう助けてくれて。後、勘を馬鹿にしてごめん。」
「いや、別に。つーか、捕まっるとかドジっちまったの俺だし。実際に助けたのはハルだし。」
捕まらなければ、爽築は殺されそうにならなくて済んだし、譲琉も罪を重ねなくて済んだのに。
「ううん。譲琉は小さい頃から『姉ちゃんは俺が守る』が口癖だった。父に虐待されていた私を守ろうとして、あの時ついに。」
普段から爽築をいじめる父親に反抗的だった譲琉は、ある時父親が爽築へ性的な虐待を加えているのを目撃してしまい、衝動的に突き飛ばしてしまった。
その結果、キャビネットの端に頭を打ち付け父親は死亡した。
爽築も譲琉も、母親さえ何も言わなかった為、転倒による事故死扱いになっている。
中学二年の時転校したのは、生活能力の無い母親が親戚を頼る為だった。
◆
「愛情と守ることがごっちゃになっていることも、その愛情が歪んでいるものだってことも分かっていた。分かっていたけど私は……」
警察官になって寮の為に別々に住むようになった頃から、知らぬ間に合鍵を作り部屋に出入りする、世間ではストーカーと呼ばれる部類だと認識しても。
「私は、譲琉のお姉ちゃんだから……。譲琉が喝宥のこと知って嫉妬してね、私は譲琉を取った。」
殺すとまで言った為、別れざるを得なかったといった方が正しいのかもしれないが。
ストーカーちっくな言動も自分が譲琉の神経を逆撫でするような行為をしなければ大丈夫だと思っていたのだが、現実には爽築の知らぬところで譲琉の思いは暴走していた。
「譲琉が……弟が原因なんて誰にも言える訳ないじゃない?それに喝宥の性格上、熱く語って説得とかしそうだし。」
みんな一緒が幸せだと本気で思っている喝宥には、壊れかけて歪なまま繋がった爽築と譲琉の関係性は理解出来ないと思ったから。
「俺は…!……確かにしそうだな…」
違うと言いかけて、爽築の言う通りだということに気付く。
家族とも友達とも仲間とも、真っ直ぐにしか繋がれないのだから。
◆
「それでいい。喝宥はそれでいいの。」
冷ややかな克治も巻き込みヒーローごっこをしていた喝宥を。
名前にヒロが入っているから俺は英雄だって、キラキラした顔で悪役を倒していた喝宥を。
カッコいいと思ったから警察官を目指した。
喝宥のことも馬鹿に出来ないくらい、単純な理由だと爽築は頭の端で思う。
「……別れた理由は分かった。納得もした。けどさ、警察学校で俺と会った時、なんで同級生だって言わなかったんだよ。思い出さなかった俺も俺だけどさ。」
凄く誉められているようで、認められているようで、くすぐったい気持ちになった喝宥は、話題を変えるついでに気になっていたことを聞いた。
「そうよ、その通り。思い出すとは思えなかったから。覚えていたら告白なんてする前に気付いてそっちから言っているでしょ。」
覚えていなくて驚きはしなかったが、告白された時はさすがに驚いた。
好きだったのに話掛けることも出来ず、ましてや告白なんて出来ず、クラスメイトでの認識すら危うかったのだから。
「それにまさか、あんな別れ方をした後に異動で再会して、しかも同じ班になるなんて思ってもみなかったけどね。」
◆
「俺もだ。異動になって事件事件で、ハルとの会話にも女子の話は出てこなかったからな。俺らはいつも怒られてばっかりだったし。」
出てこなかったのではなく、克治がおふざけの代名詞だった喝宥と注意ばかりの女子の話を、思い出すだけで頭が痛くなるのでしなかっただけである。
「そうそう。『俺はヒロだ。英雄、つまりはヒーローだ。』ってよく言っていたものね。」
話題の中心の喝宥と、注意すら出来ない教室の隅っこにいた爽築。
警察官になれるとか、同期になるとか、付き合うとか。
想像すらしなかった。
「ありがとうね。私がこうしていられるのは、喝宥のお陰だから。」
「いや俺、なにもしていないけど。」
「ううん。譲琉は間違ってしまったけど、喝宥達のお陰で罪を償わせることが出来る。私も譲琉と向き合えたから。」
だから辞表を出さずに、左遷という名の異動に応じたのだ。
逃げずに前へ進む為に。
「あ、もうこんな時間ね。ごめん時間取らせて。」
ふと時計を見れば三十分は優に経過していた。
一旦落ち着いているとはいえ、これ以上はよろしくないだろう。
爽築は帰ろうと腰を上げた。
◆
「爽築。」
「ん?なに?」
少し歩きかけて振り返れば、妙に真剣な顔つきの喝宥がいて。
「爽築、
ブォ――――ン………
だ。」
エンジンをふかして年代物の車が通った。
「なに?聞こえなかった。」
「だから、
プッ、ブッ、ブ――――!
、だ!」
クラクションを鳴らして大型トラックが通った。
「ごめん、聞こえないんだけど。」
「だ、か、ら!
パラリラパラリラ――……
き、だ!」
「久しぶりに聞いたわ、あんな昭和な暴走族の音。」
改造バイクが数台過ぎ去った。
「何回もごめん、聞こえない。」
タイミングが悪すぎるね、と苦笑しながら近付いた。
「だぁ~~~もう!邪魔すんなつーんだよっ!」
「…っ!か、つ、ひろ…」
タイミングが良すぎる車両達に悪態をついて、もう限界だと喝宥は爽築を抱き締める。
「俺は爽築が好きだ。もう一度、俺と付き合ってくれないか?」
解けぬを解かすは、熱き優しさを感じて流した涙。
「う、ん…、私も―――。」
今も昔も貴女だけを、“俺が守る”。
薬も過ぎれば毒となる
◆
「おはよう、姉ちゃん。」
まだ眠っている爽築へと小声で告げた挨拶。
この日の譲琉の朝はいつになく早かった。
「ねぇ、姉ちゃん。男ってなにかな?女ってなにかな?俺には分からないんだ。理解したくもないけれど。俺は姉ちゃん以外に要らないし、俺は自分自身‐ユズル‐だからさ。男と女だけじゃないのに、線引きするなんておかしいよね。」
人を好きになるってどういうことですか?
付き合いたい?キスしたい?
それ以上?結婚したい?
確かにそれらもしたいけれど、法律は感情では作られてはいない。
「ジェンダー論争なんて言われているみたいだけど、クダラナイよね。」
人間が作ったのに人間の為のものではないの?
俺は人間ではないの?
「人間じゃないなら俺は何なんだろうね。」
ねえ、教えて下さい。
「あの時からずっと考えているんだけれど、分からないんだ。」
どうしたら愛する人を好きと、法律は認めてくれますか?
愛の形は、みんな同じでなければならないのですか?
「でもね、これだけは変わらないよ。」
どんな手を使っても。
「姉ちゃんは俺が守る。」
◆
「ゆ…ずる…?」
起床時間よりも早くに目覚めると譲琉はもういなかった。
ここのところ、毎日来ては爽築と過ごしていたのに。
「バイトでも入ったのかしら?」
枕元の机の上に置かれていたメモには何故か、また後で、の文字。
「もう少しだけ…」
護衛の件で喝宥と揉めてから数日、仕事中は気を遣いすぎて、帰ってからも気になってあまり眠れていない。
譲琉がいれば朝食の準備でもするのだが、いないのでメモの意味も考えることなく二度寝を決めた。
狩人はララバイを奏でる。
「どうすりゃいい…」
護衛を断られて為す術無く、かといってこういう事に頭が回る克治に相談も出来ず。
爽築に見付からない程度の距離から護衛というか、張り込みにすらならない距離だがあれからの日課だ。
Ready or not?(もういいかい?)
網を張って策を講じるは
「これでよし。」
Here i come(探しに行くよ)
此度の謀(ハカリゴト)
「行きますか。」
I see you(見ぃつけた)
全ては姉の御ために
「初めまして、お兄さん。」
ツ・カ・マ・エ・タ。
◆
「監視カメラの解析の結果、重要人物が判明しました。」
「この男です。」
左隈と岐微浜が追う、梺屓賤恭が置き引きした酒を買い毒を盛ったであろう人物の写真だ。
映像が不鮮明で解析に時間がかかったが、男の容姿は鮮明に判別出来るまでになった。
「よくやった。聞き込みは?」
「今のところ成果はなにも。店員もただ若い男としか。」
「中肉中背。典型的な記憶に残らない普通の男ですね。」
記憶に残らなかったのは、その男が怪しげではなく人懐っこい笑顔を見せ普通を装っていたからだ。
「(……この顔どこかで…)」
「どうかしたの?難しい顔して。」
写真を睨み付けるように、克治は眉間にシワを寄せている。
「ん?ああ…、こいつの顔」
「課長!大変です!大変なんです!」
「栃元、大変だけじゃ分からないだろう!」
「どうしたんですか?」
栃元を注意するものの、普段声を荒げない矛桶まで焦ったように言うものだから、岐微浜は思わず声が裏返る。
「氏家縊頗を呼び出した貸別荘の借り主、業者に聞き取りして書いた似顔絵にそっくりの人物が」
「いたんですよ!この中に!」
◆
この中……、栃元が見せたのは卒業アルバム。
それも栃元が纏めた資料にあり爽築の卒業校でもある、丙高校のアルバム。
「ここ!似顔絵と比べてください!」
「桧亨譲琉…?桧亨?!」
確かに似顔絵とアルバムの写真はそっくりだったが、驚いたのは名前の方。
「思い出した…」
「毯出くん、何を?」
「そいつは係長の弟だ。中学の時、よく教室に来ていたり、うろちょろしたりしていたんだ…!」
思い出せなかったのも無理はない。
上級生の教室に来ても譲琉は誰にも話し掛けず、爽築が気付かなければ見ているだけだったから。
それほど譲琉の印象は薄いものだった。
「クラス委員でペアだったから係長は覚えていたが、まさか弟が…」
転校し卒業アルバムに載っていないのだから、爽築のことだって辛うじてだ。
ましてや学年の違う譲琉を覚えている方が驚きだろう。
「桧亨譲琉を重要参考人として」
「ちょっと待ってください。もしかしてこの男も桧亨譲琉では…?」
監視カメラの写真に写る男は正に譲琉だ。
「何故そこで繋がるんだ…!桧亨は?鳴鎧もいないが、二人ともどこへ行った?」
◆
「係長は組対です。ヒロは知りません。あいつ、あれから係長にべったり張り付いていたから一緒じゃないですかね。俺からの電話に出られないくらい忙しいみたいなんで。」
「分かった。桧亨には俺から連絡を入れておく。」
電話に出ないことにイラついているのか若干語尾が強めになるが、超坊は巻き込まれるのは御免だと気付かないふりをした。
「左隈と岐微浜は店員に確認、矛桶と栃元は桧亨譲琉を任同。その後、毯出は桧亨譲琉宅のガサだ。桧亨と鳴鎧を合流させる。」
譲琉の家は爽築の家からそう離れていない八戸ほどの小さいアパートだった。
「ずいぶん質素ですね。殺害には金の掛かる方法とっているくせに。」
「さあな。考えは分からん。とりあえず行くか?」
「そうですね。」
捜索差押え許可状を携えインターホンを押したのだが。
「反応が無いな。」
「栃元、そっちは?」
「動きはありませんね。」
逃走も考慮しベランダ側へいた栃元に確認したが、いないようだ。
「仕方がない、ガサを先にするか。殺害に使った毒薬なんかが出てきたら一番いいんだがな。」
似顔絵以外の物的証拠を期待する。
◆
「聖書って確か新旧あるんでしたっけ?」
「ああ。旧約聖書がキリスト誕生前で、新約聖書がキリスト誕生後だったか。なんで今そんなことを聞く?」
「いや、パンフがあったんで。なんとなく。」
玄関には、国の登録有形文化財に指定されている那釜ロゼ教会のパンフレットが落ちていた。
「キリシタンですかね?」
「敬虔なキリスト教信者がこんな乱雑に扱わないだろ。電気付けてくれ。」
玄関から見えるのは右手のキッチンだけで、日当たりが悪くカーテンも閉めきっている為に室内は暗くよく見えない。
「まさか……」
「なんだこれ……」
先頭にいた矛桶がカーテンを開け、左手にある電気のスイッチを栃元が付けると、そこには。
「係長…か…?」
部屋中に貼られた写真。
そのどれも爽築なのだが、制服やスーツだったり私服だったりとバラバラな上に、目線はレンズを向いておらず隠し撮りしたのは明らかだ。
異様な光景に三人が絶句していると、克治の携帯へ超坊から着信が入る。
『左隈から今連絡があってな、桧亨譲琉に間違いなかった。それと、桧亨とも鳴鎧とも連絡が取れない。そっちに連絡ないか?』
◆
「いや、ないですけど…」
『鳴鎧は組対にはいなかった。桧亨は組対にいたんだが、きたメールを読んだ後、慌ててどこかに行ったままらしい。』
爽築はコールはするが出ないし、喝宥に至っては携帯の電源すら入っていない。
超坊が焦っている理由は、二人が何も告げずに連絡を絶っているということ。
そして。
「課長、桧亨譲琉は部屋にいませんでした。それに、」
目の前に広がる部屋の状況を説明した。
『………。分かった。矛桶と栃元は桧亨譲琉の捜索、お前は手掛かりがないか部屋を調べろ。緊配を掛ける。』
超坊により緊急配備が発令され、矛桶と栃元は急ぎ捜索を開始した。
六畳ほどのワンルームには、布団と小さい机に置かれたノートパソコン、ラックに掛けられた服と、写真を除けば生活感があまりない質素な部屋。
幸運なことにロックがかけられていなかった一番めぼしいノートパソコンを開くと、表示された画面には繋がったままのインターネット。
「くそっ、ビンゴかよ…」
劇薬を販売する会員制の裏サイトらしく、閲覧履歴や購入履歴には栃元の資料にあった被害者に使用された薬物名が幾つも並んでいた。
◆
譲琉は爽築に愛情…、それもかなり歪んだシスターコンプレックスを抱いている。
その中で何らかの理由が生じ、その歪な想いが爆発し複数人を殺害するにまで至った。
だから関係のある爽築の(譲琉のでもあるが)卒業校の人物ばかり狙った。
そう考えると、全て辻褄が合う気がした。
「で、本題は桧亨譲琉が何処にいるかだ…」
急を要するは、桧亨譲琉の居どころ。
そして、連絡の取れない爽築と喝宥の行方だ。
「那釜ロゼ教会……」
パンフレットがありノートパソコンの閲覧履歴にもその名があるのだが、部屋を見る限りでは宗教を信じているようには見えない。
しかし。
「まさか……な…」
拭えない不安は不釣り合いな違和感によって増幅され、数十分前に降りだした雨音さえ迫り来るようで。
「行ってみるか……」
緊急配備が敷かれている中で、自身の根拠の無い刑事の勘のようなものだけで他の捜査員を動かす訳にはいかない。
だけど。
「俺は後悔も被疑者死亡も勘弁だからな…!」
唯一突き動かされてしまう、制御盤が内に秘めし熱き情熱。
腐れ縁だって捨てたものではないのだ。
◆
「凄い雨だ。てるてる坊主でも作っておけばよかったかな。でも、前歯をひっくり返すと顔の形とほぼ同じで身元確認に使われるって書いてあったから、これを使うには最高か。」
これとは数袋にもなる石灰。
水分を吸収することで熱出す性質があり、どしゃ降りの中で遺体の周りに撒けば雨水で腐敗速度が早まり短期間で骨となる。
照合は歯形になる場合が多いので念入りに掃除…つまり隠滅をしないと証拠は残るから気を付けよう。
などと食い入るように見たサイトには書いてあった。
「おま、え……な、にが目的だ…」
「うるさいなぁ。せっかく俺が気付いてお前から姉ちゃんを守ったのに、また近付きやがって。」
克治の読み通り譲琉は那釜ロゼ教会にいた。
最前列の椅子に座る譲琉は、数メートル先の主祭壇に凭れ掛かり息も絶え絶えな喝宥を睨んだ。
……遡るは今朝のこと。
出勤時間が近付き爽築に見付からないよう家付近から離れようとした時、背後から声が聞こえ間髪入れず嗅がされたモルヒネによって喝宥は気を失ってしまった。
そして目覚めたはいいが見知らぬ教会な上に、酷いめまいと感覚が麻痺しているのか呼吸さえもし辛い。
◆
「近付いた……?守る…?姉ちゃん?一体なんの、誰のこと…、言っている?」
克治が辛うじて思い出したこと、直感的に動く喝宥が譲琉を覚えている訳がない。
しかも、喝宥にとって身に覚えのないことなら尚更だ。
「まぁだからこうやって、神様に俺の偉業を見て貰えるんだから、結果オーライかな。あの時は知らない内に終わっていたからさ。」
譲琉の中の重大な使命は、二十年ほど前に家の中の暴君を倒したことから始まっていた。
「譲琉っ…!!」
息を切らして教会へと飛び込んで来たのは爽築。
組対にいた時、もらったメールには那釜ロゼ教会で待っているよ。という文章と、気を失って倒れている喝宥の添付写真だった。
「さつ、き……なんで…」
「ヒロ……!譲琉、一体何をしているの!ヒロに何をしたの!?」
「何をって姉ちゃん為だよ。っていうか、姉ちゃんずぶ濡れだ、風邪引いちゃうよ。ほら、拭いてあげる。」
動揺する爽築に構わず譲琉はハンカチを取り出し、濡れた髪や服に染み込んだ水分を優しく拭き取っていく。
「はい、これで少しはマシになったよ。姉ちゃんは俺がいないとほんと駄目なんだから。」
◆
「私の為って…どういうこと?」
「はいこれ。あいつに飲ませて。」
譲琉から渡された蓋の開いた小瓶には、無色透明な液体が入っている。
「なに、これ?」
「ヒ素だよ。ネットで買ったんだ。」
「ヒ素って…」
無邪気に言った譲琉のせいでもあるが、水みたいなものをヒ素とは信じられない。
「ほら早く飲ませて。あいつがいるから姉ちゃんがいつまで経っても俺と一緒にいてくれないんだ。あいつがいなくなれば、姉ちゃんは安心出来るし安全だよ。」
闇の様な犯罪の行いの中に輝かしい光が、させようとしている悪事とは裏腹な正義がハッキリと見える。
実現死に逝くは守るという名の善力の悪。
「ほら聞こえるでしょ?拍手の音。神様だって応援してくれているんだよ。」
打ち付け強くなる雨音が、譲琉には異論を呈さず称賛してくれているように聞こえるらしい。
「ほら!姉ちゃんの手で殺らないと意味がないんだよ。悪の糸を断ち切る為には、姉ちゃんが頑張らないといけないんだよ。」
何故、殺すことを頑張らなければならないのか。
爽築の為というのは譲らず、爽築の背に回り喝宥の目の前へと押しやる。
◆
「譲琉、もう止めよう…。ねっ、もういいから…」
「姉ちゃん、駄目なんだってば!ほら早く!」
「や、止めっ…!……っ!」
「さ、つき…!」
ヒ素を喝宥に飲ませようとする譲琉と飲ませまいとする爽築。
揉み合う内、爽築は譲琉に突き飛ばされて主祭壇の右側へ倒れ込んでしまった。
ヒ素入りの小瓶も転がって中身が零れてしまい、使い物にならなくなってしまう。
「そうか……、あんたは姉ちゃんじゃないんだ…。姉ちゃんの皮を被った悪魔なんだ……。」
「譲琉……?……」
呟くように言った言葉が聞き取れず、譲琉に近付こうとしたその時。
「…っ……、や、め……ゆず…」
「さつき…!」
「姉ちゃんから出ていけ!出ていけ!!俺の姉ちゃんを返せ!」
「ゆ…………ず……、」
「や、めろっ!」
大分モルヒネが抜けて、体を大きく動かし伸ばした手は爽築に馬乗りになり首を絞める譲琉を掴んで後ろ…つまりは主祭壇の左側へと引き剥がし、更には爽築との間に割り込むことに成功した。
「げほげほげほ………」
喝宥は主祭壇に手をつきながらも、譲琉から爽築を守ろうと立ち塞がる。
◆
「係長!ヒロ!」
「ハル…?」
教会の扉を開け放ち叫んだのは克治で、左隈と岐微浜も後ろに見えた。
「桧亨譲琉、殺人未遂で現行犯逮捕する!」
主祭壇側の出入口からは矛桶と栃元が突入し、譲琉を取り押さえにかかる。
「ハル、どうして……」
「課長が俺に賭けてくれたんだよ。」
教会へ向かいながら一応超坊に連絡を入れた時、世話女房としての勘を信じろ、などと柄にもなく頼もしい上司らしかった。
「今回ばかりは課長に感謝だな。」
喝宥を支えながら克治は言う。
「係長!」
「大丈夫ですか?」
左隈と岐微浜が駆け寄るも、爽築は大丈夫だと告げた。
「離せ!姉ちゃんから悪魔を追い出さなきゃならないんだ!」
「はあ?何を言っているんだ!」
「暴れるな!」
細身にしては力があり暴れる譲琉に矛桶と栃元は必死だ。
「離せ!姉ちゃんは俺が守るんだ!」
「殺そうとしておいて何が守るだ!」
喝宥を殺させようとしただけでなく姉を悪魔と呼び、挙げ句殺そうとして今更守るなどとは。
一貫性の無い言動に、喝宥は爽築の弟だということを忘れ怒鳴ってしまう。
◆
「まるでミルグラム実験を見ているようだな。」
教会に残虐な数々の殺人、そして譲琉が口にした悪魔という単語。
神のお告げが聞こえた、神様から命を受けた。だからそれを遂行した。
という、信じがたいが刑事としてはよく聞く最低な方程式が、呟く克治の脳裏に過る。
「姉ちゃんは…、姉ちゃんは俺が守らなきゃならないんだ!俺が」
間違っていないと思わせて。
あの時、悪魔を退治したように。
今までしてきた事も、爽築の為でしかないって。
ただ大好きな姉を守る為だけだったって。
「俺が、俺が姉ちゃんを、姉ちゃんを守るんだ……!守ってあげるんだ……!」
「譲琉…!もういい、もういいよ。」
栃元が押さえ込んでも叫び続ける譲琉へ、爽築は落ちる涙に構わず近付く。
爽築の声が聞こえたのか、譲琉は抵抗を止めた。
「姉ちゃんをいじめる人、もういないから……もう誰もいないから……もう大丈夫だから……」
崩れ落ちるように、譲琉の前で両膝をつく。
「守ってくれて……ありがとうね、譲琉。」
満足そうに嬉しそうに笑う譲琉の頭を、爽築は泣きながら優しく撫でるのだった。
◆
毒薬変じて薬となる
◆
「桧亨譲琉、検察でも大人しく話していたらしいですね。」
「まっ、動機が姉貴だったんだ。その姉貴がもういいって言ったんだからそれでいいんだろうな。」
あれから譲琉は逮捕され、殺人と殺人未遂、誘拐の容疑で起訴された。
「まさかここまで偶然と必然が重なるとはな。不可解になるわけだ。」
偶然は、譲琉以外の人物の殺人や事故が爽築の卒業校関連だったこと。
必然は、譲琉が爽築の為に証拠隠滅もしない無計画かつ毒薬を購入し使用して計画的に殺害していったこと。
同時進行ではなかったが、それらが譲琉の居住地周辺…つまり那釜中央警察署管内で起きた事案だった為に最終的に栃元が気付くきっかけとなった。
「それで結局、桧亨譲琉が殺害したのは送検済みを含めて十一名だったんですよね。」
「ああ。まさかの未成年時代にもやらかしていた。」
譲琉が供述したことを、整理して簡単にいうとこんな感じだった。
鈴亭埒嫡への動機は、寄り合いを偶然見た譲琉がセクハラの被害に爽築が遇うことを危惧したからであり、黍獰艮槍の保身を小耳に挟んだ小学校時の譲琉が盗んで隠し持っていた血糖降下剤とビタミン剤とすりかえた。
◆
矜悉炯闍への動機は、前所轄の勤務中に目を付けられてたのを隠し撮り中の譲琉が発見し危険の芽は摘み取らなければならないと感じたからで、バッシングで眠れないと酒場でこぼしていたのでよく効く睡眠薬と偽りベゲタミンを渡し常用させ、更に酒に混ぜ酩酊させた後放置し凍死に追いやった。
梺屓賤恭への動機は、学校用務員時代に備品を色々盗んでいたのを目撃、一度爽築の鉛筆が紛失したのを思い出したことで卑しい性格だから飲むだろうと金持ち風を装い置き引きされるように仕組んだ。
鞋崕斈への動機は、爽築にオカルト写真へ出演してもらおうと同級生の譲琉に相談したことで、利用されると思い込んだ譲琉はオカルトに最適な良い場所があると誘った。
氏家縊頗への動機は、爽築の手を煩わせる詐欺を働いたからで、薬が効くのは数十分後とサイトに表記があった為、一度騙されたフリをして気分上げてどん底へと落としたかったのと爽築へ手柄をあげたい為に発覚させようと計画。
比軽呵珞への動機は、不法投棄に関して今後爽築が被害に遭うかも知れないと思い込み殺られる前に殺ろうと実行。
雁庫薩嗣への動機は、事故物件の噂を聞き爽築が住むといけないから排除。
◆
「蕪櫃烟炸への動機は、粉飾決算の会話を道端で偶然聞いてしまい係長に迷惑を掛けている悪人だって思ったからだったわね。垳薪繭蒸は云わばまきぞえよね。確かに犯罪だけど。」
「苧筬匠への動機に至っては、ホームレスは係長に相応しくないから、とかだったな。」
善人面して差し入れした弁当にタリウムを仕込んで殺害した。
「しかも高校時代には、二人も殺害したんですよね。」
探峻睦隴への動機は、強姦荒しで探峻睦隴を危険因子として観察していた時に、次は爽築にしようかという会話を聞きこれも殺害。
杣献定への動機は、爽築が善意で貸したシャーペンを借りパクしたから。ドライアイスを袋に詰め頭から被せた後、ニ三回呼吸させ二酸化炭素を吸わされた為の酸素欠乏で、部屋にあったヘリウムは偽装であった。
「まぁ、一方で全くの無関係事案もあったけどな。」
戟陶緞漱、鴻雑の双子は、当局より送検され捜査終了と連絡が有った。
剋貌拙嬬は、過去に私刑にされた別人が恨みを募らせ殺害したのを突き止めその人物を逮捕し送検済み。
矜悉胥徨、俊麗夫妻は、近所に住む老夫婦を逮捕送検済み。かなり高額な金額を騙されたようだ。
◆
「櫪幇類は送検されたんですよね。」
「ああ。薬の入手ルートを組対が解明して、偲胴企画の連中も一斉検挙だ。」
「薬販売専用の裏会員制サイトも運営していたのよね。桧亨譲琉が多種多様の薬を手に入れられたのもそれのせいでしょ。」
全体的な犯罪量からいえば鼬ごっこや蜥蜴のしっぽ感は否めないが、それでも今回の検挙は大捕物であった。
「ところで、さっきから何をやっているんだ?」
譲琉が送検されたことで落ち着いた一連の不可解な事件。
後日談ついでに話ながら流れを整理していたのに、栃元はパソコンに向かいっぱなし。
それも大量の古い紙資料に囲まれながら。
「課長が『学校の繋がりを見付け出したのはよくやった。警察も電子化の波がきている。だから今回の功績を認めてこれらの入力と整理を一任する。あれだけの共通点を見付けられたなら出来る。』って言われて…」
「成る程、体よく押し付けられた訳か。」
「ご苦労様ね。」
「お疲れ様です。」
「まあなんだ…、頑張れ。」
「他人事だと思ってー。手伝ってくださいよー!」
栃元の悲痛な叫びも、我関せずの先輩と同僚には届かなかった。
◆
「失礼しました。」
爽築と超坊は刑事部長室から出てきた。
「すまんな、庇いきれずに。」
「いえ、査問会も懲戒処分もなくただの異動で済みました。課長が部長に仰って頂いたお陰です。」
ただの異動は正しくいえば左遷である。
弟とはいえ、爽築本人が犯罪を犯した訳ではないと超坊は強く言ったのだが。
部長曰くの警察の権威というのを分かっていたので、懲戒解雇も免れないと思っていた爽築にとっては寛大な処分といえるかもしれない。
「弁護士に正当な求刑をと言ったらしいな。」
「いくら犯した罪に、ゼロや時間を掛けても無かったことにはなりませんから。ちゃんと償わせます、姉として。」
弁護士は譲琉の言動から精神鑑定を持ち出したのだが、過去のこともあり罪は償うべきだと進言した。
「そうか。また捜査で会うこともあるだろう。その時はよろしく頼むよ。」
「はい。短い間でしたが、お世話になりました。」
一礼して去る爽築の背に、結構良いチームだったのかもしれなかったなと超坊は思う。
「柄にもなかったな。」
少し抜けている方が部下は育つ、持論は楽をする為だ。と言い訳をした。
◆
「爽築。」
「ごめん、ここなら誰にも聞かれないだろうと思って。」
異動の準備や譲琉の公判の件で忙しく、署内の人間には一通りの挨拶を済ませたものの、喝宥とはゆっくり話が出来ていなかった為、署から近い小さい橋の下へ呼び出した。
車通りは多いが人通りは少ない、河川敷に並んで座る。
「ありがとう助けてくれて。後、勘を馬鹿にしてごめん。」
「いや、別に。つーか、捕まっるとかドジっちまったの俺だし。実際に助けたのはハルだし。」
捕まらなければ、爽築は殺されそうにならなくて済んだし、譲琉も罪を重ねなくて済んだのに。
「ううん。譲琉は小さい頃から『姉ちゃんは俺が守る』が口癖だった。父に虐待されていた私を守ろうとして、あの時ついに。」
普段から爽築をいじめる父親に反抗的だった譲琉は、ある時父親が爽築へ性的な虐待を加えているのを目撃してしまい、衝動的に突き飛ばしてしまった。
その結果、キャビネットの端に頭を打ち付け父親は死亡した。
爽築も譲琉も、母親さえ何も言わなかった為、転倒による事故死扱いになっている。
中学二年の時転校したのは、生活能力の無い母親が親戚を頼る為だった。
◆
「愛情と守ることがごっちゃになっていることも、その愛情が歪んでいるものだってことも分かっていた。分かっていたけど私は……」
警察官になって寮の為に別々に住むようになった頃から、知らぬ間に合鍵を作り部屋に出入りする、世間ではストーカーと呼ばれる部類だと認識しても。
「私は、譲琉のお姉ちゃんだから……。譲琉が喝宥のこと知って嫉妬してね、私は譲琉を取った。」
殺すとまで言った為、別れざるを得なかったといった方が正しいのかもしれないが。
ストーカーちっくな言動も自分が譲琉の神経を逆撫でするような行為をしなければ大丈夫だと思っていたのだが、現実には爽築の知らぬところで譲琉の思いは暴走していた。
「譲琉が……弟が原因なんて誰にも言える訳ないじゃない?それに喝宥の性格上、熱く語って説得とかしそうだし。」
みんな一緒が幸せだと本気で思っている喝宥には、壊れかけて歪なまま繋がった爽築と譲琉の関係性は理解出来ないと思ったから。
「俺は…!……確かにしそうだな…」
違うと言いかけて、爽築の言う通りだということに気付く。
家族とも友達とも仲間とも、真っ直ぐにしか繋がれないのだから。
◆
「それでいい。喝宥はそれでいいの。」
冷ややかな克治も巻き込みヒーローごっこをしていた喝宥を。
名前にヒロが入っているから俺は英雄だって、キラキラした顔で悪役を倒していた喝宥を。
カッコいいと思ったから警察官を目指した。
喝宥のことも馬鹿に出来ないくらい、単純な理由だと爽築は頭の端で思う。
「……別れた理由は分かった。納得もした。けどさ、警察学校で俺と会った時、なんで同級生だって言わなかったんだよ。思い出さなかった俺も俺だけどさ。」
凄く誉められているようで、認められているようで、くすぐったい気持ちになった喝宥は、話題を変えるついでに気になっていたことを聞いた。
「そうよ、その通り。思い出すとは思えなかったから。覚えていたら告白なんてする前に気付いてそっちから言っているでしょ。」
覚えていなくて驚きはしなかったが、告白された時はさすがに驚いた。
好きだったのに話掛けることも出来ず、ましてや告白なんて出来ず、クラスメイトでの認識すら危うかったのだから。
「それにまさか、あんな別れ方をした後に異動で再会して、しかも同じ班になるなんて思ってもみなかったけどね。」
◆
「俺もだ。異動になって事件事件で、ハルとの会話にも女子の話は出てこなかったからな。俺らはいつも怒られてばっかりだったし。」
出てこなかったのではなく、克治がおふざけの代名詞だった喝宥と注意ばかりの女子の話を、思い出すだけで頭が痛くなるのでしなかっただけである。
「そうそう。『俺はヒロだ。英雄、つまりはヒーローだ。』ってよく言っていたものね。」
話題の中心の喝宥と、注意すら出来ない教室の隅っこにいた爽築。
警察官になれるとか、同期になるとか、付き合うとか。
想像すらしなかった。
「ありがとうね。私がこうしていられるのは、喝宥のお陰だから。」
「いや俺、なにもしていないけど。」
「ううん。譲琉は間違ってしまったけど、喝宥達のお陰で罪を償わせることが出来る。私も譲琉と向き合えたから。」
だから辞表を出さずに、左遷という名の異動に応じたのだ。
逃げずに前へ進む為に。
「あ、もうこんな時間ね。ごめん時間取らせて。」
ふと時計を見れば三十分は優に経過していた。
一旦落ち着いているとはいえ、これ以上はよろしくないだろう。
爽築は帰ろうと腰を上げた。
◆
「爽築。」
「ん?なに?」
少し歩きかけて振り返れば、妙に真剣な顔つきの喝宥がいて。
「爽築、
ブォ――――ン………
だ。」
エンジンをふかして年代物の車が通った。
「なに?聞こえなかった。」
「だから、
プッ、ブッ、ブ――――!
、だ!」
クラクションを鳴らして大型トラックが通った。
「ごめん、聞こえないんだけど。」
「だ、か、ら!
パラリラパラリラ――……
き、だ!」
「久しぶりに聞いたわ、あんな昭和な暴走族の音。」
改造バイクが数台過ぎ去った。
「何回もごめん、聞こえない。」
タイミングが悪すぎるね、と苦笑しながら近付いた。
「だぁ~~~もう!邪魔すんなつーんだよっ!」
「…っ!か、つ、ひろ…」
タイミングが良すぎる車両達に悪態をついて、もう限界だと喝宥は爽築を抱き締める。
「俺は爽築が好きだ。もう一度、俺と付き合ってくれないか?」
解けぬを解かすは、熱き優しさを感じて流した涙。
「う、ん…、私も―――。」
今も昔も貴女だけを、“俺が守る”。