二〇〇九年三月十七日。
眠ってしまえばタイムリープが夢になるんじゃないかと不安を感じ、一睡もできないまま卒業式の朝を迎えた。十年前は、遼に告白することへの緊張で眠れなかったけれど、今は別の理由で一睡もできなかったなんて……。複雑な気持ちで微苦笑を零したあと、十年前よりも一時間早く支度を済ませ、紘子に『先に行く』という内容のメールを送ってから家を出た。
早く登校することに意味があるのかはわからない。ただ、なんでもいいから少しでもたくさん十年前とは違う行動を取りたかったのだ。
道に落ちている空き缶を拾うとか、一番に教室に行くとか。たとえ些細なことでも、十年前にはしなかったことをすれば、歯車が少しずつ動きを変えるかもしれない。
“たとえ”とか、“かも”とか。あてにならないことに縋ることくらいしか、思いつかなかったから。
教室に行くと、まだ誰も来ていなかった。静かな教室にはたくさんの思い出が溢れていて、瞼を閉じれば笑い声が聞こえてきそうな気がする。ひとりきりの教室では心細さを感じたけれど、遼を救うためにできることを考え続けた。
桜神社で別れるのがもっと遅ければよかった? それとも、引き止めればよかった?
不安が募っていく中、ふと教卓を見ると、便箋と封筒が置いてあった。昨日のうちにクラス委員が全員分の手紙を集めていたことは知っているから、ここにあるのは余ったものだろう。真っ白なそれらをひと組取り、自分の席に着いた。
お気に入りのペンを握り、封筒に宛名書きをして、便箋にも文字を書いていく。なにを書いても無駄かもしれないけれど、もしかしたら無駄じゃないかもしれない。そんなことを考えながら丁寧に描くことを心掛けたけれど、緊張しているせいか指先が震えていた。
願掛けのように想いを綴った便箋を綺麗に折って、封筒の中に入れる。
その足で職員室に向かい、パリッとした礼服に身を包んだ担任の先生に声を掛け、昨日集めた手紙の中に書いたばかりの新しい手紙を入れてもらった。先生は不思議そうな顔をしていたけれど、なにも追及せずに聞き入れてくれたから、お礼を言って教室に戻った。
「あれ、美咲? うわー、今日は一番に来るつもりだったのに負けたー」
不意に呼ばれて顔を上げると、教室のドアの傍に遼がいた。彼は悔しげに肩を落としたけれど、すぐに「まぁいいか」と気を取り直したように笑った。
「美咲なら許す。なんて言ったって親友だしな」
私の後ろの席に座った遼の方に体の向きを変えると、彼は「それにしても早過ぎるだろ」と苦笑を零す。なにげなく窓の向こう側に視線を遣った遼の横顔を見つめながら、どうすれば数時間後に彼を待ち受けている悲しい運命を変えられるのだろうと必死に思考を働かせた。
「なぁ、ちょっと探検しないか?」
クルリと顔を戻して私を見た遼は、名案だと言わんばかりの笑顔だった。予想もしなかった言葉に戸惑ったのは、十年前には言われなかった台詞だったから。
よく考えれば、それは当たり前のこと。
あの日は紘子と登校してきて、友人たちと写真を何枚も撮って盛り上がり、遼とはチャイムが鳴るまで話すタイミングがなかった。そのときに『今日は一番乗りだった』ということを彼から聞かされ、まだ告白するつもりでいた私は緊張を隠すために『明日は槍が降るんじゃない?』と可愛くない切り返しをしたのだ。
「まだ時間はたっぷりあるし、卒業式の前に親友同士の思い出を作ろうぜ!」
一瞬泣きそうになったのをグッとこらえ、少しだけぎこちなさを残した笑顔で頷く。すると、嬉しそうな笑みが返され、「行くぞ!」と弾んだ声を追うように立ち上がった。
眠ってしまえばタイムリープが夢になるんじゃないかと不安を感じ、一睡もできないまま卒業式の朝を迎えた。十年前は、遼に告白することへの緊張で眠れなかったけれど、今は別の理由で一睡もできなかったなんて……。複雑な気持ちで微苦笑を零したあと、十年前よりも一時間早く支度を済ませ、紘子に『先に行く』という内容のメールを送ってから家を出た。
早く登校することに意味があるのかはわからない。ただ、なんでもいいから少しでもたくさん十年前とは違う行動を取りたかったのだ。
道に落ちている空き缶を拾うとか、一番に教室に行くとか。たとえ些細なことでも、十年前にはしなかったことをすれば、歯車が少しずつ動きを変えるかもしれない。
“たとえ”とか、“かも”とか。あてにならないことに縋ることくらいしか、思いつかなかったから。
教室に行くと、まだ誰も来ていなかった。静かな教室にはたくさんの思い出が溢れていて、瞼を閉じれば笑い声が聞こえてきそうな気がする。ひとりきりの教室では心細さを感じたけれど、遼を救うためにできることを考え続けた。
桜神社で別れるのがもっと遅ければよかった? それとも、引き止めればよかった?
不安が募っていく中、ふと教卓を見ると、便箋と封筒が置いてあった。昨日のうちにクラス委員が全員分の手紙を集めていたことは知っているから、ここにあるのは余ったものだろう。真っ白なそれらをひと組取り、自分の席に着いた。
お気に入りのペンを握り、封筒に宛名書きをして、便箋にも文字を書いていく。なにを書いても無駄かもしれないけれど、もしかしたら無駄じゃないかもしれない。そんなことを考えながら丁寧に描くことを心掛けたけれど、緊張しているせいか指先が震えていた。
願掛けのように想いを綴った便箋を綺麗に折って、封筒の中に入れる。
その足で職員室に向かい、パリッとした礼服に身を包んだ担任の先生に声を掛け、昨日集めた手紙の中に書いたばかりの新しい手紙を入れてもらった。先生は不思議そうな顔をしていたけれど、なにも追及せずに聞き入れてくれたから、お礼を言って教室に戻った。
「あれ、美咲? うわー、今日は一番に来るつもりだったのに負けたー」
不意に呼ばれて顔を上げると、教室のドアの傍に遼がいた。彼は悔しげに肩を落としたけれど、すぐに「まぁいいか」と気を取り直したように笑った。
「美咲なら許す。なんて言ったって親友だしな」
私の後ろの席に座った遼の方に体の向きを変えると、彼は「それにしても早過ぎるだろ」と苦笑を零す。なにげなく窓の向こう側に視線を遣った遼の横顔を見つめながら、どうすれば数時間後に彼を待ち受けている悲しい運命を変えられるのだろうと必死に思考を働かせた。
「なぁ、ちょっと探検しないか?」
クルリと顔を戻して私を見た遼は、名案だと言わんばかりの笑顔だった。予想もしなかった言葉に戸惑ったのは、十年前には言われなかった台詞だったから。
よく考えれば、それは当たり前のこと。
あの日は紘子と登校してきて、友人たちと写真を何枚も撮って盛り上がり、遼とはチャイムが鳴るまで話すタイミングがなかった。そのときに『今日は一番乗りだった』ということを彼から聞かされ、まだ告白するつもりでいた私は緊張を隠すために『明日は槍が降るんじゃない?』と可愛くない切り返しをしたのだ。
「まだ時間はたっぷりあるし、卒業式の前に親友同士の思い出を作ろうぜ!」
一瞬泣きそうになったのをグッとこらえ、少しだけぎこちなさを残した笑顔で頷く。すると、嬉しそうな笑みが返され、「行くぞ!」と弾んだ声を追うように立ち上がった。