◇
「……ねえナツノ聞いてる?」
「え?」
声をかけられてはっと意識を取り戻す。また考え事をしていたみたいだ。横を見たら、怪訝そうな表情を浮かべたスミくんがこちらをじっと見つめている。
「最近ずっとボーっとしてるね」
「ごめんごめん、なんだっけ、えっと、飯島くんの話だっけ?」
「全然違う、サッカー部2年の黒瀬の話な」
「えっと、ごめん……」
「はは、いーよ、ナツノらしいし。でも、最近特にボーッとしてるけど、なんかあった?」
「ううん、なんかあったとかじゃないよ、ごめん。でも多分、春はちょっと苦手なんだ」
立ち入り禁止の屋上、鍵を持ってきたのは意外にもスミくんの方だ。お昼ご飯を一緒に食べる時、大抵彼がどこかから鍵をもらってここに集合する。
それにしても、最近、という言い方はどうだろうか。だって正確には覚えていないけれど、スミくんが私と付き合いだしたこと自体、ほんの最近のことなのに。
知ったように口をきく、それはなんだか違う気がする。
「春が苦手って珍しい」
「そう? ほら、言うじゃん、春は出会いと別れの季節だって」
「それはちょっと意味が違う気がするけど。というか、ナツノは、そういうの気にしなさそうなタイプだと思ってた」
「気にしなさそうって変なの、私だって新しい環境には人並みに緊張するし、別れだって悲しいよ」
わざとらしく頬を膨らませてみると、やっとスミくんの顔が綻んだ。話を全く聞いていなかったのは我ながら反省だ。機嫌、なおったかな。
「ナツノも緊張したりするんだな」
「失礼なー。そりゃあ人と仲良くなるのは私の特技だけどさ」
「ほら、得意じゃん」
「まあ、女の子には、結構やっかみ買ってるけどね」
「自分で言うんだ」
「誰のせいだと思ってるのー」
「え、おれのせい?」
ケラケラ笑うスミくん。他意はないんだろう、わかってる。だって彼はあまりに純情無垢だから。
けれど私はちがう。人と仲良くなるのはメリットがあるからだ。敵も味方も作らない、浅くて広い、そういう関係性が一番楽だって知っている。
それに────私には唯一無二の存在がいるから、それ以上は、自分からわざわざ望んだりしない。
「てか、春は別れの季節だっていうけど、俺はそう感じたこと全然ないんだよね」
「えー、そうかなあ」
「強いて言えば中学の卒業式とか? でも三月のはじめなんて寒くて春感じないしなー」
「あー確かに、中学の卒業式は寒かったかもなあ」
「そそ、別れって、実際今のとこ実感したことほとんどない気がするんだよね。それに、出会おうと思えば、何度でも会えるし」
春のあたたかい風が、吹いた。
出会おうと思えば、何度でも会える。
そんな楽観的な考え方ができるのは、あなたがスミくんであるからこそなんだと、きっと気づかない。
横を見れば綺麗なスミくんの横顔がある。今日の空は憂いがかった春の色だ。くすんだブルー。嫌いじゃない。
「……そうだね」
スミくんの言葉に頷きながら、私は甘い卵焼きをつまんで、食べた。甘塩っぱい、変わらない味。
「あのさ、今週の木曜」
ゴクン、と甘い卵焼きを飲み込んだのと、スミくんが言葉を止めたのは同時だった。
「木曜?」
「空いてる?」
日陰になる壁沿いに、横に並んで座る私たち。背の高いスミくんは首を曲げて私の顔を覗き込んだ。綺麗な顔だ、女の子にもてはやされるのも無理はない。世の中の悪いこととか、そいうもの、何も知らなさそうな、綺麗な眼。その瞳はとても真っ直ぐに私のことを見つめている。
「木曜って何日だっけ」
「18日」
「あー……」
目が泳ぐ。4月18日。───4月18日。
「その日はちょっと、ゴメン」
「用事ある?」
「うん、ごめん」
「そっか、じゃあしょうがないな」
「……いいの?」
「え? なんで?」
「この前も私、スミくんの誘い断った」
「はは、そんなことで怒らないだろ。ナツノにはナツノの予定があるんだし」
じゃあしょうがないな、と。悪意のない様子でお弁当を再び食べ始めるスミくんに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。だって、この間もそう言わせてしまった。
きっと珍しくサッカー部の休みだったんだろう。放課後、どこかに行かないかって、そういう誘いだったんだろう。
キラキラしたひとだ。瞳に迷いがなくて、発言に嫌味もない、周りから好かれている理由がよくわかる。スミくんはきっと見た目も他の人より秀でているけれど、中身もとてもいい人なんだろう。
いい人、という判断基準が何なのかはわからないけど、きっと。これはわたしの直観だ。
「4月18日、さ」
「うん?」
「シュンの誕生日なんだ」
どう言われるか不安だった。今まで何度も異性のひとと付き合ってきたけれど、いちばん最初に説明しなきゃならないことがシュンのことだった。
スミくんは一呼吸おいたあと、ゆっくり口を開く。
「幼馴染、なんだっけ?」
「うん、小さい時からずっと、仲良くて。シュンのこと、知ってる?」
「そりゃ知ってるよ。ナツノと仲いいことも、有名だし」
有名、なのかな。私の素行の悪さに比例して、シュンも噂の的になっているなら申し訳ない。
「お祝いするんだ、いいじゃん」
「いい、かな」
「いいことじゃん、そういうの、幼馴染みたいなさ。俺いないから羨ましいなって思うよ」
思わずじっとお弁当を見つめていた視線をあげてスミくんの方を見ると、彼もこちらをむいていて、ほんとうにやさしい顔で笑っていた。
その眼差しが自分とは正反対で、眩しくて、目をそらすことしか出来なかった。