「ナツノ、おはよ」
「スミくん! おっはよー」

朝、下駄箱の前。偶然バッタリ"今の彼氏"と出くわしてしまった。柴崎純(シバサキ スミ)くん、同い年、同じクラス。高校生になってから出来た彼氏の人数を把握するのは面倒で数えていないけれど、たぶん、6人目か、7人目くらい。全員の名前は忘れちゃったけど。


「今日は遅刻してないんだな」
「今日は珍しく早起きしたんだよねー、えらいでしょ」
「当たり前だけどね、悪気のなさそうなところがナツノらしい」
「えー褒めてる?」
「うん、褒めてる」
「じゃあいいや」
「単純」


ナツノらしい、ってなんだ。変なの。付き合ってたった1週間で、私の事なんて何も知らないのにね。

当たり前みたいに隣に並んだスミくんは、とにかく人当たりが良くて、優しい人だ。クラスで一番に声をあげるようなタイプではないけれど、中心グループの中にいて、所謂ちょうどいいポジションのひと。運動もできるし、頭もいいし、おまけに容姿も整っている。神さまって不公平だな、と思う。スミくんの目には、くすんだ色は一切ない。爽やか、という言葉がこんなにしっくりくる人は他にいない気がする。


「スミくんこそ、今日はちょっと遅いんだね」
「おれは逆に寝坊、いつもは朝練行ってんだけどね」
「朝からサッカー、えらすぎるなー、私には絶対まねできないや」
「案外気持ちいいけどね、朝は三文の得って言うし」
「そんなの信じてるの、現役男子高校生の中でスミくんぐらいだよ」


朝早いとはいえ、HRまであと5分ほどだ。遅刻常習犯の私にしては上出来だけれど、廊下はすでに人で溢れかえっている。

横に並んで歩くスミくんと私を見ながら、横切る名前も知らない生徒たちがヒソヒソ何かを言っているのは聞こえている。たぶん、『また彼氏変わってる』だとか、『ほんと軽いよね』だとか、そんな類の言葉たちだろう。特にスミくんは歴代彼氏の中でもかなり目立つ部類だ。男女問わず人気がある分、やっかみだって多いに決まってる。サッカー部期待のエースだしね。東出夏乃(ヒガシデ ナツノ)が仄めかしただとかなんだとか、今まで以上に色々言われていることだって気づいている。気づいているけど、気づかないフリをするのがルールというものだ。

スミくんと付き合ったのは確か一週間ぐらい前。結構最近のはずなんだけれど、日付までは覚えていない。前の彼氏がめんどくさくなって別れた直後だったと思う。たまたま放課後の日直が一緒になって、夕方の教室にふたりしかいなくて、告白するにはもってこいのシチュエーションだっただけだと思う。スミくんとはそれ以前も何度か話したことがあったし。まさか付き合うことになるなんて思ってはいなかったけど。


『前の彼氏と別れたんだっけ?』
『うん、別れちゃった、でも全然大丈夫だよー。そろそろ別れるなって思ってたし』
『ふーん、そういうもん?』
『うん、そんなもんだよ』
『好きじゃなかったの、そいつのこと』
『うーん、どうだろう、嫌いではなかったけどな』
『嫌いじゃない、くらいで付き合えるのか、ナツノって変わってるね』
『そう? みんなそんなもんだよ』
『じゃあ、おれも彼氏になれたりすんの?』


───恋愛なんてきっとそんなもんなんだ。偶然やタイミングの重なりが「好き」なんていう錯覚を起こしているだけ。私は私を好いてくれる人であれば誰でもいい。来るもの拒まず、去る者追わず。こんな生き方だから女子に好かれることは殆どないけれど。

モテているわけじゃないのにね。私が異性に好意を抱かれやすいのは、誰に対してもテキトウでウワベの関係を築いているからなんだ。表面上の明るさを見せているだけ、そこに本心なんてどこにもない。絶世の美女なわけでも、何か秀でる才能があるわけでも、恋愛のテクニックをマスターしているわけでもない。

彼氏とか、恋人とか、そういう名ばかりの関係。口約束の、何の意味も持たないもの。勝手に好きになって、勝手に離れていく、私にとったらそれぐらいのもの。

《好きな人》という括りに該当するのは私にとって、たったひとりだけだ。それは私にとって彼氏でも恋人でもない。


「ナツノ?」
「えっ? あ、ごめん、なんだっけ?」


スミくんの話を上の空で聞いていたせいだ。返事のない私を心配そうに顔を覗き込まれてドキリとする。ドキリとしたのは、突然顔を覗き込まれたことだけが原因じゃない。

とても、綺麗な顔をしている。わたしの顔を覗き込んだ二重のくっきりした瞳とスラッとした高い鼻、それから線がハッキリした綺麗な骨格と薄いくちびる。そこらの芸能人と比較したって問題ないくらい、スミくんの顔は整っている。おまけに、背も高い。どうしてこんなひとが、私の彼氏になりたいだなんて声をあげたのか、未だによくわからない。


「今度の春まつり。一緒に行かない? って聞いたんだけど、聞いてた?」
「あー……」


わたしは目を泳がせて言葉に詰まる。毎年の春まつり。『桜が咲いているうちに行きたい』と言っていたシュンの横顔を思い出したからだ。


「えっと、ごめん、春まつりは友達と行く予定があって」
「そっか、じゃあしょうがないな、残念」


ちょっとだけ残念そうな顔をしたけれど、それを見せないようにスミくんはパッと表情を変える。他の人より随分と色の抜けた茶髪が揺れて、笑った顔はまるで太陽のようだとおもう。

シュンが月なら、スミくんはきっと対照的な太陽だ。

わざと話題を変えて気まずくならないようにしてくれていることに、気づいているのに気づいていないふりをして、わたしは心の中でごめんなさいって呟く。スミくんのこと、嫌いじゃない。人として、恋人として、彼氏として、とてもいいな、と思っている。けれどそれだけ。感情がそれ以上に動くことがない。

ごめんね、こんなわたしで、ごめんなさい。心の中の声は、並んだスミくんには聞こえていない。