花火が終わると、バタバタとスイさんが帰ってきた。やけに帰りが早いと思ったら、どうやら花火大会の混雑で不機嫌になった彼氏と喧嘩したらしい。大声で玄関を開けたスイさんの音に驚いて、繋いでいた手は反射的に離された。変な汗、かいてなくてよかった。


「もー本当ゆるせない! アタシだって楽しみにしてたのにさー」
「あーはいはい、うるせー」


バタバタと音を立てて玄関横のこの部屋に入ってきたスイさんに、スミくんが適当に返事をするのもなんだか笑えてしまう。というか、こんな態度をするのが意外で、そういう一面を見れたのも嬉しい。

彼氏と喧嘩かあ。私には程遠い話だな。喧嘩をするほど深い仲になれたことがない。まあ、なろうとも思っていなかったんだけれど。


「てかナツノちゃんどーする? 泊まってく?」
「えっ?!」
「その足じゃ歩けないでしょー? 車出してあげてもいーんだけど、今日うちの親がちょうど親戚のところに出ちゃっててね」
「いやでもご迷惑……」
「大丈夫大丈夫! 今日スミとアタシしかいないし! てか明日日曜日だしいいじゃん」
「いやそーいう問題じゃないだろ」


突然のスイさんの提案に驚いた。まさかそんなことを言われるなんて。あまりの勢いに押されそうになっていると、スミくんが呆れたように間に入ってくれた。


「じゃあどーいう問題なのよ」
「だから……」
「あ、ダイジョーブだよナツノちゃん! スミ、こう見えてもピュアボーイだから! てかアタシが手は出させないからね」
「おまえなあ……」


そんな2人の掛け合いが面白くて思わず笑ってしまう。スミくんは少しだけ頬を赤くしてスイさんに怒るけれど、スイさんはなんでもないみたいにそれを受け流す。仲のいい姉弟だ。血が繋がっていないとはいえ、スミくんがこの家で本当に大切に育てられたことがよくわかる。

私は一人っ子だから羨ましい。スミくんが人に優しいのって、きっとこういうところにルーツがあるんだろう。


「うん、わたし、泊まってもいいですか? お言葉に甘えて」
「え、」


スミくんが本当に驚いたような顔をして固まった。スイさんはそうこなくっちゃ、と嬉しそうに笑った。なんとなく、今日はここにいたい、そんな自分の意思で決めてもいいんじゃないかと思ってしまったんだ。


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『よし宴だ!』とスイさんは私が泊まることを心底喜んだ様子で色々準備してくれた。お酒を飲みながら(スイさんは27歳らしい、わたしたちより10歳も年上だ)、喧嘩した彼氏の愚痴を吐いたりして。とりあえずのこと寝る準備をするのが先だというスミくんの言葉に負けて、スイさんがお泊まりセットを貸してくれた。パジャマもスキンケアもシャンプーも美意識が感じられる女の子のものだった。

お言葉に甘えて順番にお風呂に入った後、縁側のある和室(客室なんだって、広いお家だよね)に3人分の布団を敷いてくれて、スイさんはお酒、わたしたちはジュースを飲みながら夜中まで語り合った。


「……てか、ほんとコイツ自分勝手すぎ」
「はは、でもおもしろいなあスイさん、わたし大好き」


夜中の2時48分。
お酒に潰れたスイさんは泥のように眠ってしまった。わたしたちは寝てしまったスイさんを3枚敷いた布団のいちばん右側に寝かせて布団をかけた。帰ってきてからずっと飲んでいたので相当深い眠りについているみたい。同性とこんなに話せたのは本当に久しぶりのことだ。スイさんの顔をじっとみていると、スミくんはおれたちもそろそろ寝なきゃね、と笑った。

そのまま電気を消して、スミくんが真ん中の布団に潜り込んで、私はいちばん窓際の布団に潜り込む。そういえば、自分の家以外で寝るのは、もしかしたら初めてのことかもしれない。

暗くなった部屋の中、わたしは布団を頭までかぶった。スミくんも話す気配はないので、ゆっくりと眠りについたのかもしれない。わたしは慣れない部屋というのもあって、すぐには寝ることができなさそうだ。

今まで色んな人と関係を持ったけれど、泊まりにまで発展したことはなかったな。そこまで長い時間を共有したいと思ったことがない。

今日はお母さんに『シュンの家に泊まる』と連絡したけど、大丈夫だったかな。意外とうちはそういうところがゆるかったりするから、問題はないと思うけど。(シュンの誕生日に同じ部屋に泊めるくらいだし)

そういえば、シュンには『ごめんね』とひとことメッセージを送っておいたけど、返事はない。シュンの連絡はいつも遅いので、そこまで気にすることではないんだけれど、もしかしたらまだ怒ってるかもしれない。距離を取ろうって言ったこと、シュン、本気なのかな。


「ナツノ、寝た?」


ふと。もう寝たんじゃないかと思っていたスミくんの布団から声がした。お互い布団に入る前に電気を消したから、顔は見えない。頭まで被っていた布団から少しだけ顔を出す。窓から差し込む月明かりにはまだ目が慣れていない。


「ううん、まだ寝てない」
「そっか」
「……寝ないの?」
「……寝るけど」


けど、は、きっとまだ言いたいことがある時の話し方だ。


「ごめんな、今日」
「え?」
「スイが無理言って」
「いや、楽しかったよ。それに、わたし兄妹とかいないから、いたらこんな感じなのかなって」
「そっか、ならよかった」


スミくんは相変わらず、人の気持ちを上手に汲もうとするね。

静かな空間にはスイさんの寝息だけが響く。花火を見ている時重なっていた手を離してから、ふたりで会話をしていない。スイさんの明るさに助けられたな、と思う。だって、2人きりになったいま、自分が上手に話せているかわからない。


「……スイさん、よく寝てるね」
「酒飲むといつもこうなんだよ、ほんと厄介」
「わたしたちも将来こうなってるかもよ」
「ナツノはなんか酒強そうだよなー」
「なにそれ、どんなイメージ?」
「はは、ごめんごめん」
「それで言えば、スミくんはすーぐ酔っちゃいそうだけど」
「バカにしてる?」
「うん、若干」
「はは、じゃ、20歳になったら答え合わせしよっか」


そんなのまだ、2年も先だよ、バカ。

17歳。誕生日が来たら、18歳。あと2年もある、が正解なのか、もう2年しかない、が正解なのか、どっちだろう。あたりまえのように将来の話をするスミくんは、やっぱりなんでもないみたいに普通にしている。大人になりたくないなんて、子供じみたことをいつまでも思っているのは、きっとわたしだけなのだ。

ハルカがいなくなってから、わたしはどこか、大人になるということが、うまく噛み砕けないでいる。


「あのさ、ナツノ」
「うん?」
「もしかしてだけど、夜、寝れてなかったりする?」


どきりとした。突然そんなことを聞かれると思っていなかったからだ。


「……なんで?」
「よく遅刻してるじゃん。そうじゃなくても、始業ギリギリに来てるし。それに、目のクマ、隠せてない」


目のクマが隠せてないなんて、そんなこと言うの失礼だよ。けれど、図星のわたしは、どうその言葉に返そうか思考をぐるりと巡らせる。

かさりと布団が動く音がした。月明かりに目が慣れる。はっきりは見えないけれど、スミくんの手が、私の布団の方へと伸びていた。わたしはそれに、不思議とまるでそうあるべきようにスミくんの手の方へと自分のそれを近づけた。そうすると、ゆっくりと、スミくんの指先が私の指先に、触れた。

指先だけ。お互い、それを握ることも、引き寄せることもしない。

けれど熱を帯びて心臓の音が早くなる。こんなに静かな夜、スミくんにどうかこの音が聞こえていないようにと願う。

そして観念する。この人には、何も敵わない。


「……たまにね、寝れないことがあって」
「うん」
「スミくん、わたしね、中学生の時幼馴染を亡くしてるの」


息が途切れそうになる。それを、指先から感じるスミくんの熱が留めてくれる。ああ、へんだな。今日は、少しだけ話すぎているかもしれない。

スミくんは何を言うでもない。けれど何も言わない、がわたしにとっては正解で、それ以上も以下も求めていない。スイさんの寝息と、私たち2人の呼吸の音だけが響く。それでいい。


「交通事故だった、あの時は、突然のことで驚いたなあ……」


中学2年、春。突然届いた連絡。ハルカの大好きな桜がまだ咲いていて、私とシュンはそれをいつまでも信じることができなかった。ハルカがこの世からいなくなってしまうなんて、現実のこととは思えなかった。


「……好きだった? その子のこと」


いつも、敢えて大事なことは何も聞かないスミくんが、そう呟く。わたしはその呼吸をやけに冷静に聞いていた。


「うん、わたしの、初恋だった」


そして、ほろりと、そう口からこぼれ落ちた。

あ、わたし、初めてあの気持ちを”恋”だと言葉で形容した。そして、ずっと言えなかったことを、こんなにあっさりと口にできることに自分で驚いた。

どうしてだろう、”だった”なんて、いつの間に過去になったんだろう。いつの間に、過去にしてしまったのだろう。

中指だけが触れていたのに、ゆっくりとスミくんの指が私の指に絡んで、そのままやさしく、手のひらで包み込まれた。ゴツゴツとした、男の子の手。私とは違う。ハルカの綺麗な指先とも、違う。

スミくんがやさしくわたしの手を包むまで、自分の手が震えていること、気づかなかった。


「……小さいな、手」
「スミくんが大きいのかも」


男女、だからね。どれだけ平等を謳っても、わたしたちには身体的性差がある。わたしがどれだけ女の子を魅力的に思っても、男の人に抱かれることが出来る。気持ちと身体は比例しない。


「俺、自分勝手?」
「ううん、ありがとう」


包まれた手を、今度はわたしが握り返す。自分勝手じゃないよ、わたし、花火を見ている時も、今この瞬間も、嫌だなんて思ってない。

だって、スミくん、わたしね、この夜が続けばいいなんて、ハルカがいなくなってから、初めて思った。