スイさんが「じゃあ私、彼氏と花火見る予定だから!」と笑顔で部屋を出ていった後、縁側にて。私は1人暗くなった空を眺めていた。

夜風が気持ちいい。夏が近づくにおいがする。

スイさんに浴衣を直してもらった。わたしが自分で着た時より綺麗で少し悔しい。おまけに髪もなおしてくれて、仕上げに、と少しばかりメイクもしてくれた。いつもとは違うキラキラのアイシャドウに薄ピンクのリップを重ねて、自分じゃないみたいで驚いた。

それから、スイさんに触れられるたび、少しだけどきりとした。

スイさんはきっとこういうことが好きなんだろう。元々すごく整った顔立ちをしているのだろうけど、奇抜な髪色も派手なメイクも全て似合っていた。わたしはある程度、浮かないぐらいの身支度しかできないから、そういうセンスを本当に尊敬する。



「─────ナツノ、ごめん」



ふと、その声に振り返る。スイさんが部屋を出ていった数分後。見たことないくらい気まずそうな顔をしたスミくんが襖から顔を覗かせた。

わたしもなんだか気まずくて、視線を下に落とした。スミくんのこと、ちゃんと見れない。絆創膏だらけの足の指先を見つめたまま、「ううん」と呟く。スミくんにちゃんと聞こえたかな。

なんだか、ぎこちない。スミくんの声を聞いた途端、鼓動が早くなって苦しい。


「……下駄、直したから。家にあった布で、応急措置だけど」


そっと近づいてきて、右手で持っていた下駄を縁側の外へ置く。縁側に座っていた私の横にスミくんが腰を下ろした。

どくり、どくり、変な音が鳴る。やだな、聞こえていませんように。話しにくい、何を話せばいいんだろう、緊張して喉が渇く。

縁側、ふたりきり。広い庭だなあ、誰がお手入れしているんだろう。なんて、わざとどうでもいいことを考えたりして。


「……ありがとう、下駄、直してくれて」
「別にこれくらい、」
「怪我の手当も、ありがとう。スミくんがスイさんに頼んでくれたんでしょ?」
「いや、それはそうだけど……ていうか、ごめん」
「なんでスミくんが謝るの? 悪いのは全部わたしなのに……」


バツの悪そうな顔をする。スミくんが悪いと思っているのは、声を上げたことと、無理矢理家に連れたきたことかな。そんなの全然悪くないのに。

悪くないのに謝るの、スミくんの悪い癖だ。


「あんな風に声をあげるとか、ほんと情けない」
「いや、だって私が、意味わかんないこと言ったから、スミくんが怒るのも無理ないし、私が悪いよ」


『先輩のところへ戻る』なんて、今考えても助けてくれたスミくんに最低のことを言ってしまった。思ってもいないことをすぐに口にして、素直じゃない。これは私の悪い癖。


「いや、そもそもナツノはシュンと喧嘩して落ち込んでただろうし、転んだのも俺がちゃんと手を引いてなかったせい」


風が吹く。窓を全開にしている縁側。ここから実は今日の花火がよく見えるんだと、スイさんがさっきこっそり教えてくれた。

今何時だろう。たぶん、花火が始まるまであと数分。


「スミくんは何も悪くないのに、謝るの、変だよ」
「……いや、本当、かっこ悪いなって思ってさ」
「かっこ悪い?」
「ごめん、情けないけど、ナツノに傷つくようなことするなって、まるでナツノの為みたいに言ったけど、今日は自分の欲求も入っちゃってるなって思って」
「なにそれ、意味わかんない……」


何が、言いたいんだろう。そっとスミくんの方を見ると、恥ずかしそうに左手で顔を押さえていて。

なに、その反応、予想外にも程がある。


「こんなこと言うのも変だけど、」
「うん、?」
「正直、ナツノの手引いてた奴に、めちゃくちゃイラついたし、」
「なっ……」
「それに、今日もし偶然会えなかったら、ナツノの浴衣姿見れたのがシュンとあの意味わかんない奴だけだって思ったら、」



空に光の線が走る。花火が、あがる。



「────さすがに妬ける」



光の速度のが早いそれは、空に綺麗な光の粒を広げたあと、音の速度が追いついて、ドン、と大きく花火の音が響き渡った。ひとつの大きなそれを皮切りに、暗闇の中にきらきらと光の粒が咲いては落ちていく。綺麗で、儚くて、心臓が締め付けられる。


そして、何も答えない私の左手に、そっと、スミくんの右手が触れた。

どくり、どくり、音が聞こえる。花火の音が大きくてよかった。スミくんの方を見ることなんて出来ない。この鼓動の名前を、私はまだ言えない。


「……嫌?」


またそうやって、私に委ねるの、ずるいねスミくん。
何も言わないのは、きっと肯定だと捉えたんだろう。


「ほんと、素直じゃない」


さっきよりも強く、でも決して痛みのない温度で、彼の手がわたしのそれに重なる。先輩から逃げるように手を引いた時とは違う。強引さはないけれど、確実な温度でわたしの中に溶け込んでくる。後戻りは、きっともう、出来やしない。

手を重ねた、それだけだ。抱きしめたわけでも、唇を重ねたわけでも、身体の関係をもったわけでもない。

でもなぜか。

泣きたくなるくらい胸がくるしくて、どうしようもない。どうしようもないくらい───胸の奥が締め付けられて、悔しいくらい、スミくんのことで頭がいっぱいになる。ずるい、どうしようもない、こんなの、止めようがない。

ねえシュン、こんなこと、ゆるされるのかな。
わたしだけ、他の誰かを大切に思うこと、ゆるされるかな。

ハルカの記憶が薄れていくんじゃないかって怖くて、シュン以外、もう誰のことも、《どうでもいい》にカテゴライズしていくことしかしないって、思っていたのに。意思とは反対に、わたし、彼の手のあたたかさを受け入れている。




このひとの手をはなすこと、わたしにはできない。




ドン、何度も大きな音で空にきらめきが降る。スミくんの手のひらが重なる左手が少しだけ震えると、それに『大丈夫、』とでも言うようにスミくんの手の温かさが増した気がした。


「スミくん、わたし、さ、」
「うん?」


優しく、スミくんが聞き返す。花火の音がやまなくても、すぐ隣にいる私たちは会話ができる。息をする呼吸の音が聞こえる。

こんなこと、言わなくていい。言うべきじゃない。誰にも言わなくたっていい。今までみたいに、シュンやハルカのことだけ考えて、それ以外はどうでもいいと匙を投げて、それでいて、自分を守るように、”女の子”という存在とは、距離をとるべきだ。

そう、それでいい、変えなくていい、変わらなくたっていい、─────でも。

スミくん、きみには、もう嘘をついていたくない。



「わたし、恋愛対象が、たぶん、女の子なの」



ドン、さっきよりも大きく、複数の花火が上がる。そろそろクライマックスかもしれない。でも、横にいるスミくんの呼吸の音は聞こえている。私の絞り出したような声は、信じられないくらい震えていた。

さっき、スイさんがわたしに浴衣を着付けた後、ぎこちない私を見て言った言葉を思い出す。

『ねえナツノちゃん、違ったらゴメンなんだけど、もしかしてさ、─────女の人が苦手だったりする?』

苦手、じゃない。むしろ逆だ。

綺麗だと思う。可愛い、と思う。周りにいる同性、すべて、もしかしたら、恋愛対象になり得てしまうかもしれない。

だから、怖くて、わざと、遠ざけた。


「うん、なんとなくわかってたよ」


ぽつり、と。決して私の方は見ないで、スミくんが呟いた。それが意外な答えで、私は思わず「え?」と素っ頓狂な声を出してしまう。


「ナツノのことずっと見てたから、なんとなくわかってた」


さっきよりも手が震える。喉が渇いて、胸の奥が苦しい。そんな私の左手を、スミくんがぎゅっと握り返した。まるで痛みを全部吸い取ってくれるみたい。花火の音はやまない。まるで私たちのことを包んでくれるみたいに光の粒が降る。


「大丈夫だから、それ以上言わなくて。ナツノが傷つかないでいてくれたら、それでいい」


スミくん、きみはどこまでも、私より一枚上手だね。そしてわたしのことを少しだけ、勘違いしているかもしれない。

わたし、恋愛対象はずっと”女の子だけ”だと思っていた。何人と付き合っても、数え切れないくらい身体を重ねても、異性を好きだと思えたことがない。異性と関係を持つのは、自分が女の子であることを忘れない為、それだけだと思っていた。


─────けど、スミくん、わたし、きみにどうしてか、とても惹かれている。


こんな矛盾した話をしたら、スミくん、きみはどう思うかな。そして、シュンや、ハルカは、こんな私のことをどう思うだろう。

ハルカ、わたし、あなたのことを、もしかしたら過去にしないといけないときが、来たのかもしれない。