ずっと、シュンとハルカが私のすべてだった。

人当たりが悪いわけじゃない。人見知りなわけでも、人と上手く話せないわけでもない。でも、どこか上っ面の付き合いしかできなくて、シュンと初めて出会った春からずっと、私が本当に心を開いて大切だと呼べるのは、シュンとハルカだけだった。

2人のことが本当に本当に、大好きでたまらなかった。

だからこそ、中学2年の春。ハルカを失った時、実感が湧かなかった。今でもそう。ハルカがいなくなっただなんて、信じたくない。信じられない。

ハルカのこと、忘れたい。忘れたくない。忘れたい。────あんな思いをするなら、いっそのこと、記憶が消えたらいい、なんて。

自分でもよくわからない感情が渦巻いて、うまく飲み込めない。まるで水の中に閉じ込められてしまったような毎日。大好きなハルカ、大好きなシュン、手を繋いで帰った2人の背中、何もできない自分のこと。

でも、あのまま、あの頃のまま、私たちは、大人にならずに生きていくんだと、複雑な感情を持ったまま、歳を重ねていくんだと、そう思っていた。

でも、もう、なんのためにそうしてるのか、なんのために生きていかなきゃならないのか、なんのために大人になるのか、全部わからなくなっちゃった。

シュンが思い出を《薄れていい》なんて言うのなら、わたしはこれから何を大切に、何を指針に、生きていけばいいのだろう。


「ナツノ、こっち」


数分走って、先輩のことも人混みも見えなくなった頃、スミくんはスピードを落としてゆっくりと歩く。走らせてごめん、と私の方を見ないで呟いたけれど、何も答えられなかった。

何も言わない私に、「送るよ」と言って手を離す。息を整えながら、私たちは人混みから離れた夜道を並んで歩く。


「……なんて顔してんの」


女の子に対してそれはあまりに失礼だと思う。泣いてるわけじゃないのに。泣きそうな顔はしているかもしれないけれど。

仕方ない。ずっと溢れそうなものを堪えているから、眉間に皺がよって、きっとひどい顔をしていると思う。こんな顔、見られたくなんてなかったのに。


「……うるさい、なんでもない」
「うわ、いつもに増して反抗的」
「いつもこんなだし、」
「さすがにもっと明るいよナツノは」
「うるさい、どうでもいい」
「シュンはどうした? 一緒に来てたんだろ」
「……スミくんに関係ない」
「関係なくても、ナツノがこんな顔してるなら気にするだろ」
「しなくていいってば、」
「どれだけ反抗的なんだよ、ほんと強がり」
「スミくんは心配なんてしなくていい、意味わかんない」
「意味わかんないことはないだろ」
「ある、関係ない」
「関係なくても、心配はするよ、彼氏だから」


スミくんの声に、私はぐっと拳を握る。力を入れていないとだめだ。

どうしてすぐに、そうやってやさしくわたしの手を引こうとするの。

彼氏彼女、そんな名前だけの関係、別にないと同じじゃん。ただの口約束で、わたしのことを知ったような素振り、しないでよ。

それに、先輩のことだって、どうして聞かないの。
どうして、シュンと来たと、疑わずに決めつけるんだろう。
どうして私を軽蔑せずに、普通に接しようとするんだろう。


「別に、なんでもない」
「あーもう、わかった、なんでもないならそれでいいけど、一緒にいたシュンはどうしたんだよ」
「……帰ったんじゃない、知らない」
「なに? 喧嘩でもした?」
「……」


沈黙は肯定だ。スミくんも呆れたかな。


「だからって、バカなことすんなよ」
「バカ、って……」
「自分をわざと傷つけるようなこと、するな」


どくりと心臓が鳴る。それが、きっと名前も知らない先輩に一瞬でも着いていこうとした、私の弱さだということは、聞かなくてもわかる。スミくんには、全てお見通しなんだろうか。


「なんで、そんなこと言うの……軽蔑したっていいのに」
「軽蔑?」
「スミくんだって、聞いてたでしょ、誘われたら誰とでも寝るって」


情けないけれど、本当の話だ。どうでもいいから、誘いを断る必要もない。それに、本当はどこかで、自分が女の子であることを、自覚したかった。


「傷ついて欲しくないって、俺、前に言わなかった?」


言ったよ。でも、それが全部、意味不明なんだってば。


「意味わかんない、よ……」
「意味わかんなくていいけど、今後、そんなことするぐらいなら、俺に連絡して」
「……っ」
「もう絶対バカなことすんな」


普段、絶対にそんな強い口調を使わないスミくんが、強い口ぶりでそう言った。私はそれにびっくりして唇を噛む。

いろいろ、だめだ、いろんな感情が混ざって、胸が苦しい。どうしようもない。何を言ったらいいかもわからない。


「……ごめん、言い方キツかった。俺、ハンカチとか持ち歩かないから何もないけど」


それはたぶん、スミくんなりの、泣いていいよ、なのかもしれない。敢えて言葉にしないところ、スミくんがやさしいのなんて、本当は痛いくらいわかってる。

わかってるから、わたし、今はスミくんに、会いたくない。会うべきじゃなかった。


「……本当は、シュンと、来てたの」
「うん、知ってる、そう言ってたし」
「疑わないの?」
「疑う必要ないからな」


だから、どうしてスミくんは、わたしの言葉を無償で信じてくれるんだろう。


「……せっかく浴衣着たのに、」
「うん」
「髪も、セットしたし、爪も塗ったのに」
「うん、似合ってる、シュンの為だと思ったら、ちょっと妬けるけど」
「そういうのいい、」
「ごめんごめん、うん、それで?」
「……シュンのバカ、人の感情無頓着バカ、」
「はは、ナツノって、シュンのことは、ちゃんと感情的になるんだなあ」


別にいつも感情的だってば、わかったように口、聞かないでよ。

何があった、とか、どうしたの、とか。無理に聞かない。スミくんは、そういうひとだ。


「わたし、スミくんが思ってるほどいい子じゃないよ」
「別にそこまで買い被ってないよ」
「彼氏なんて、名前だけだと思ってるし、」
「うん、わかってる」
「シュン以外なんて、どうでもいい、本当にどうでもいいって、そう思ってるよ、」
「うん、知ってる」
「なんで、普通じゃないんだろ、なんでかな、」
「うん、」
「わたしはわたしの大事なものを大事にしているだけなのに、ずっとどこか、ずれていって、シュンまでさ、」
「うん、」
「シュンがいなくなったら、どうやって生きていけばいいの、わたしわかんない、考えたこともない」
「そしたら、俺はナツノの横にいるよ、味方でいる」


────あ、もう、限界だ。

シュンの前でだって泣いたことなんてないのに、一粒頬を濡らすと、それは次から次へと溢れ出してくる。

いやだ、泣きたくない。涙なんて流さなくてもいい。

《どうでもいい》を言い聞かせるように。拙い言葉で発する私の声に、スミくんは「うん」とか「そうだね」とか、そういう言葉で頷く。

涙が止まらない私に何をするでもなく、ただ、手を引いて横にいる。

何を言うでもない。特別なことも、優しい言葉も、お説教も、何もない。

肩は触れていないのに、スミくんがいる右側だけが、いつしか熱を帯びていく。苦しくて、苦しくて、どうしようもない。胸も、目頭も、熱くて止まらない。


シュン、わたし、本当は、忘れるのが怖い。
シュンとハルカ以外の特別な人を作るのが怖い。
大好きな2人の記憶を、思い出にするのが怖い。