「ナツノ、昨日本当にサボったなー?」


初のプール掃除から一週間が経過した翌日。教室に着くなり不満たれた顔をしたスミくんがどかどかと私の席めがけてやってきた。

一番後ろの窓際、とにかく目立たなくて最高のスポットなのに最悪だ。ただでさえスミくんという存在自体目立つのに、あの温厚なスミくんが怪訝を呈した顔をしているのは私でさえ少々萎縮する。あれ、やばい、意外と怒っていたりするのかも。


「えーと、まあ、色々あって」
「俺も部活休ませてもらって行ってるんだけど?」
「その、急用で」
「だとしても一言くらいあってもいいんじゃない?」
「その通りです、私が悪いね、ごめんなさい!」


よし、めんどくさい。ここは申し訳なさそうに謝るが吉。


「全然思ってない顔」
「うわっ、バレてる」
「バレるでしょ、行きたくないって顔に書いてあるんだから」
「行きたくないとは言ってないじゃん!」
「でも思ってるでしょ」
「それは、思ってる」
「ほらね」
「ごめんなさい……」
「ナツノがサボったってわかったから、昨日の担当区域、今日に変えてもらったから。ほら、今日の放課後ね」


げ、と思わず顔に出てしまったのを見てスミくんがニヤリとわらった。悔しい、やっぱりスミくんの方が一枚上手だ。ちゃらんと音を鳴らしたスミくんの右手人差し指には校内プールの鍵が握られている。

あれ、初めてかも、スミくんが強引に私を連れ出そうとすること。

最悪だ。昨日サボったのはもちろんわざとだけれど、それがかえって仇となってしまった。スミくんが鍵を所持しているということは、今日に掃除をふりかえたクラスは私たちだけ。つまり完全にスミくんとふたりでプール掃除をすることになってしまう。

別にいい、ふたりとか、そういうの、別にいんだけど。
なんでだろう、本当に、スミくんといるのがとても居心地がわるい。なんだか全部見透かされているようで、心臓がぐっとくるしくなる。だからできるだけ距離をとりたい。ずかずかと裸足でわたしの思考にはいってきてほしくないの。


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「いいの? ナツノ、行かなくて」


放課後。

スミくんとプール掃除を約束していたのに、ホームルームが終わった瞬間そそくさと教室を抜け出した。向かったのは写真部部室。つまるところ、シュンの元へだ。

今日も相変わらずここにはシュンしかいない。幽霊写真部員たちが顔を出すことは殆どない。


「行かなくていいのって、何が!」
「プール掃除、スミとやるんじゃないの」
「な、なんでそれをシュンが知ってるのー」
「スミとナツノみたいな有名人2人のこと、聞きたくなくても耳に入ってくるよ」


うわあ、最悪だ。

確かに今日、ちゃりんとプールの鍵を私に見せつけたスミくんの行動はばっちりクラスメイトに見られていたはず。また女の子に嫌われる要因がひとつ増えてしまった。まあ別に、いいんだけれど、そんなことは。


「いいの、もうサボるって決めたから」
「珍しいね、ナツノがそんなに避けるの」
「避ける?」
「避けてるんじゃないの、スミのこと」


避けてる、というか。接し方がわからない、が正しいのかもしれない。

いつもみたいに、適当に愛想を振り撒いて置くことだってできたのに、こうなったのは確実にシュンのせいだ。シュンが、いい奴だと思うだなんて言うから。

自分の思考が自分軸じゃないことは悔しいけれど、シュンの言うことはいつもなんとなく、正しい。

写真やカメラによくないからって、カーテンも閉め切った部屋。6月頭なので気温はちょうどいいけれど、夏になるととても暑くてここへ来ることは殆どなくなる。シュンもそうだ。


「だいたい、プール掃除にこんなに時間かけなくたっていいのに」
「水泳部もいるのにね」


水泳部はまだ市民プールを借りて練習しているのかな。よくわからない。昨年までどうしていたっけ、忘れてしまった。


「なんでみんなで掃除なんてするんだろ」


3月の終わり。水泳部が春に向けて軽くプール掃除をすること、私は知っている。


「水泳部が使う区域と、全校生徒が使う区域が違うからじゃない」
「もちろん、わかるけどー」


部員数が少ない水泳部が使うのはほんの2レーンくらい。力を入れて掃除をするのは確かにその区域だけで、あとはかなり適当だ。わたしがそうだったから、わかる。

でも、1ヶ月(4週と言った方がなんだか多く感じるので、その方がいいかもしれない)もかけて掃除なんてしなくていいのに。時間を区切っているのは部活をやっている人への配慮なんだろうけれど。



「今年は泳ぐの?」
「え?」
「去年の夏から泳いでないんでしょ、一回も」
「ああ、うん、そーだよ。飽きちゃった」
「6月下旬からプールの授業始まるけど、それは泳ぐの」
「それは、まあ、出ないといけないかもね、内申もあるし」
「ふうん」


どくりとする。シュンが全部わかっているみたいで時々こわい。私も私でわかっていない自分の感情を明確に言葉にしてしまいそうで、逃げたくなる。

あれ、これ、スミくんに感じているものと、少し似ている。


「シュンはどうするのー? 水泳苦手だから毎年フルで休んでるじゃん!」
「うん、そう、どうしようかなとは思ってた」


シュンは水泳に限らず、運動全般があまり得意じゃない。

高校3年生。授業を休めばそれなりに成績にも響いてくる。元々サボり癖と遅刻魔のわたしには少々痛い年齢だ。もちろん、普段成績上位のシュンだって、授業を休むというのはかなり痛手になる。

まあ、私は何になりたいとか、将来どうしたいとか、決まっているわけじゃないけれど。

今年は泳がないのかと聞かれると、よくわからない。泳ぎたい、より、わからない、が先に来る。泳ぐことが嫌いになったわけじゃない。むしろ、水の中は唯一色んな音が聞こえなくなる聖域のようなものだと思っているのにね。


「同じクラスじゃないから、もう見れないね」
「えー何が?」
「ナツノの泳ぐ姿」
「シュン、私の水泳に興味あったの? 初知りだよー」
「そう? 昔から綺麗だと思ってたけど」
「うわ、そーういうこという! じゃあやめなきゃよかった!」
「単純」


そんなこと言うなんて、珍しいね、シュン。

わざとニヤけた顔をすると、呆れたように肩をすくめて、それから立ち上がって締め切られたカーテンへと歩いて行く。珍しい、日光でも浴びたくなったのかな。


「ほら、見て」
「え? なにをー?」


カーテンを開けた先、3階の部室窓からシュンが外を覗き込むので、私も立ち上がって横へ並ぶ。それから、げ、とシュンの言う通りにしたことを後悔した。


「スミ、ひとりでプール掃除してるよ」
「見るんじゃなかった」
「行かなくていいの」
「それ2回目だよーシュン」
「うん、だって、顔に気にしてるって書いてある」


なにそれ。そんなことない。

第3校舎の3階部室。いつもはカーテンで閉められているから気づかなかったけれど、ここからプールがよく見える。

プール掃除を今日に変えてもらったと言っていたスミくんが、黙々とひとりでモップをかけているところが目に入る。見たくないのに、最悪だ、どうして見せるの。

というか別に、昨日、他のクラスがいる時にやってしまえばよかったのに。私がサボったのが100パーセント悪いけれど、まるで待っているみたいに鍵をチラつかせて、やっぱり強引には連れて行かない。

スミくんってそういうひとだ。わかってる。


「いいの? 行かなくて」
「シュン、それ3回目」
「強がりだねほんと、本当は罪悪感でいっぱいになってるくせに」
「そ、そんなことないもん、」
「ていうか珍しいよ、来るもの拒まず去るもの追わずのナツノが避けてるなんて」
「避けてるわけじゃ…」
「そういうの、逆に意識してるってことだと思うけど」


驚いてシュンを見ると、なんでもないような顔をしてプールサイドのスミくんを見つめていた。なにそれ、なんで、そんなに平気そうにそんなことを言うんだろう。


「……いいの? わたしがあそこに行っても」
「何が悪いの?」
「わかんない」


わからない。わからないけど、シュン、君をここへおいて行っていいのか、私はずっとわからないでいるよ。