かくして、スミくんがまったくよくわからない人だとわかった途端、関わるのが怖くなってしまった。かろうじて付き合う、という関係は続いているけれど、なんとなく避けている。
にも関わらず、予想外にも彼との関わりは割とすぐにやってきたのだった。
「すっげー嫌そうな顔してるね、ナツノ」
5月中旬、くじ引きで決めたプール掃除当番が、まさかのスミくんとペアになってしまった。
6月下旬に行われるプール開きに向けて、5月から1週間に一度掃除という名のメンテナンスが行われる。その前に軽く水泳部が掃除をしているので、そこまで大変な作業ではないはずなんだけどね。
全校各クラスから男女1名ずつ選出されると聞けばラブのひとつも起こりそうなもの。けれど現実はそう甘くない。プール掃除なんて過重労働もいいところだ。勿論自ら手を挙げる人がいるわけもなく、くじ引きになったというのに。
「有り得ない、誰かに代わってもらおうかな」
「ひど、俺のことめちゃくちゃ避けてるじゃん」
決まってしまったものは仕方ない、というか代打をたてるほどの人脈もない。渋々横に並んでプールへと移動する。別に一緒に行かなくてもいいのに、スミくんががついてくるのも鬱陶しい。
避けているというか、苦手というか、理解できないものは想像以上にこわいものなのだ。
「ていうか、このプール掃除あと4回もあるの……」
「1週間に1回を1ヶ月だからね」
「わかってるよそんなこと、毎週スミくんと掃除当番なんて憂鬱だなって思っただけ」
「ひどいなー、本人を目の前にしてそんなこと言う? しかも、仮にも彼氏と名乗ってるのに」
「名前だけだもん」
「吹っ切れてきたなあ、ナツノ」
「スミくんが悪いよ」
別に悪気ないのに、とまたなんでもないみたいに笑っている。春の気温が心地いい。この季節に水の中へ飛び込んだらもっと気持ちがいいだろう。
「ナツノって水泳部だったでしょ。プール掃除とか得意じゃないの」
「プール掃除に得意も不得意もないでしょ! てか私が水泳部だったってなんで知ってるの」
1年前、高校2年の夏に辞めたし、水泳部なんて殆ど誰も気にしてないない幽霊部のようなものなのに。
「そりゃ、ナツノは有名だからね」
「まあいろんな意味でねー」
「はは、自虐?」
「煩い」
嫌われている自覚があるだけマシだ。スミくんみたいな、誰にでも分け隔てなく愛想を振りまける、いつでも中心にいるような人間にはわからない。
女子更衣室で体操着に着替えてから裸足でプールサイドへと降り立った。半袖半ズボン。まだ少し肌寒い気もするけれど、今日は晴天だから丁度いい。
裸足に感じる、懐かしいその感触にどくりとする。小学生からずっと続けていた水泳。もし生まれ変われるのなら、サカナになりたいと、ずっとそう思っていた。いつか見た水槽の中で泳いでいく金魚を見て、明日目が覚めたらこいつになっていないだろうかと、本気で神さまにお願いしたことだってある。
他のクラスからも選出された男女各1名ずつがだるそうに集まっている。プール掃除なんて誰も進んでやりたがらないよね。ほとんどのクラスがジャンケンかくじ引きで決めたと思う。水泳部は夏以外近くの市民プールを借りて練習しているし。
「ナツノ、こっち」
「うわっ」
担当の先生が前の方で何やら説明していたみたいだけれど、集団の後ろでぼうっとしていたせいで聞き漏らしてしまった。おかげで後ろから近づいてきたスミくんにも気がつかなくて、変な驚き方をしてしまったし。
「なにその驚き方、ぼーっとしすぎ」
「勝手でしょ、もう、放っておいてよ」
「バカ、クラスごとで掃除する区域が分かれてんの、必然的に協力しないと終わらないから」
「……最悪」
「ホース係かモップ係がどっちがいー?」
淡々と進めていく姿がなんだか悔しくて、キッと睨みつけて「ホース」とひとこと。スミくんはハイハイ、とモップを手に持った。
こんなに嫌悪感を全面に表しているのに、どうしてこの人は屈せず話しかけてくるんだろう。おかしい。意味がわからない。
私は手渡されたホースを持って、担当区域へ走った。
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「ナツノ、やる気ある?」
あるわけないでしょ、と心の中で悪態をつきながら、眉間に皺を寄せて彼を視界から外してやる。さっきからこうして無視を決め込んでいると言うのに、スミくんは何も気にしない様子で普通に話しかけてくる。というか、基本彼には、悪気がない。私はわざと距離をとっているのに、いとも簡単にそれを超えてくる。無視、という概念を知らないのだろうか。
「まあナツノにやる気なんてあるわけないか」
水を抜いたプールの中に降り立ってせっせとモップで床を磨くスミくんと、プールサイドに座り込んでホースから水を流すだけの私。
「1週間に1日この作業が続くなんて結構罰ゲームだなー」
5月と言えど日差しは眩しい。あと、スミくんの独り言は煩い。
罰ゲームなんていうけれど、人脈の広いスミくんは色んなクラスな人に話しかけられている。違うクラスの人、サッカー部の人、スミくんに憧れている後輩女子、様々なひとたち。
「ハー、相方がこれだと当分任された区域が終わるわけないよなー。担当区域が終わらないと1週間に1日どころか、最終週は毎日掃除のペナルティがつくらしいなー」
「え、ペナルティ?」
「あれ、無視してたんじゃないの?ナツノ」
「……うわ、引っ掛けた」
「別に引っ掛けてないけど? ペナルティがつくのは本当の話。さっき先生の話聞いてなかったの?」
ちゃんと聞いておけばよかった。にやりと笑うスミくんは、やっと返事したなーとこぼす。不本意だ。
「担当区域ってどこまでなのー」
「プール底1番端のレーンと、女子更衣室のロッカー拭き、外階段のゴミとり」
「結構重いじゃん!」
「紙配られただろ、見てないの」
「見てない、捨てちゃったよ」
「ナツノ、意外とそういうところ適当だなー」
「意外でもないでしょ」
他人から見た自分の評価なんて肌で直接感じるものだ。周りからの自分の見え方が心底悪いのなんて百も承知。
「いや、意外だよ。だって根は真面目でしょ、ナツノって」
「何それ、どこ情報」
「見えてるものを言ってるだけだけど」
「じゃあスミくんの目は節穴だね」
「慧眼かもよ?」
そんなわけあるか。
何を見てそんなことを言うんだろう、この人の距離の測り方が未知数で、何を考えているかわからないところがこわい。こわいとか、不本意だけど。
「てかさ、ナツノはどうしてそんなに自分が周りから好かれてないと思ってるの?」
「好かれてないというか、普通に、嫌われてるでしょ、どう見てもー」
「なんで?」
「さあ、男を取っ替え引っ替えしてるからじゃない」
「周りからの評価は低いのに男子には好かれるってわけかー」
「みんな本当は誰でもいいんだよ、好かれてるとか、そんなんじゃないよ。わたしは都合がいい、それだけだよ」
付き合うとか、好きだとか、そういうことを綺麗に受け取れなくなったのはいつからだろう。誰のことも好きじゃない、同時に、誰も私のことを好きじゃなかった。
適当に愛想を振りまいて、来るもの拒まず去るもの追わず、そういうスタンスを貫いているだけ。同性に嫌われる人間を気にいる異性がまともなわけがない。世界はそういうふうに出来ているのだ。
「じゃあ、おれもそのひとりってこと?」
「知らないよ」
こうして接する限り、この人が私のことを恋愛対象として好きだとは到底思えないし、それ以外の理由で私に近づくメリットもない。傷ついて欲しくない、を、私はいまだにうまく噛み砕けていない。
どれだけスミくんのことを考えても八方塞がりなのだ。
「そういう男子たちと一緒にされるのはなんか癪だな」
「スミくんが一番意味不明」
「んー、俺はナツノと話をしてみたかったって前に言ったけど」
「だからそれが意味わかんない」
「でもさ、初めて喋った時は愛想が良くてよく笑って、取り繕った笑顔ばかり見せてたけど、今はずっと眉間に皺がよってる」
「それが何、てか接続詞おかしくない?」
「だからさ、そういうのが見たかったんだよね、って話」
「あのさ、スミくんの話は脈絡がなくて本当に意味がわかんないんだよね!」
「はは、怒んないでよ、ナツノらしくない」
けらけらとスミくんが笑う。なんなの、本当に、何がしたいの。ナツノらしくないとか、そんなこと、スミくんが言うな。
「ていうか時間やばいからちょっと真剣にやるよ」
「私はここで水を流すだけの係だもん」
「ハイハイ、いーよナツノはそこで水撒いてれば。今日は俺がやりますよっと」
来週からはその態度許さないからなー、とスミくんは少々不満そうにモップを動かし始める。私はチョロチョロとホースからプール底に水を撒く。
日があたったスミくんの髪は透き通ってきらきらと光ってみえる。茶髪はきっと地毛だろう。自分から校則を破って染めるタイプとは思えない。綺麗な髪質。それに、男子のくせに、長い睫毛だ。羨ましい。
「スミくんって本当、綺麗な顔してるよね」
「え、突然?」
「よく言われるでしょ」
「何? おれのこと好きになった?」
「うわ、そのポジティブさ分けて欲しい」
「見た目で好きになるようなタイプじゃないことわかってるって」
「その知ったかぶりやめてよ」
「確かに、そういわれればちょっと調子乗ってるかも」
反省反省、とわらう。反省なんてしてないでしょ、バカ。
プールサイドに腰掛けてブラブラと足を振る。水の出るホースを持っているだけ。でも、なんとかここでは役割を果たせているみたいだ。
「ねえ、来週まだ話しかけるの禁止ね」
「え、なんで?」
「なんとなく、やなの」
感情を揺さぶられたくない。考えたくない。
シュンやハルカ以外のこと、余計に考えたり、感情を分け与えたり、したくないの。だから踏み込んでこないでほしい。
「ふーん、そうなんだ」
なぜか嬉しそうに笑う。なんで笑うの。
「顔わらってるよ」
「うん、だって、ナツノもちゃんと嫌って言えるんだなと思って」
「なにそれ、私が来るもの拒まずみたいじゃん!」
「そうじゃないの、実際」
「まあ、そう言われれば、そうだけど」
「うん、だから、ナツノが決めたならいいよ。話さなくても」
また、そうやって私に委ねる。自己判断は苦手なんだってば。
「じゃあ来週プール掃除サボってもいいってことー?」
「別にいいけど、サボって怒られるのは自分だからな」
「うっ」
そういう面倒くさいこと、本当は心底大嫌い。出来れば穏便に何事もなく過ごしていたい、本音はね。
私なんかが言ったって、誰も理解してくれないと思うけど。